4話 はらだたし天真爛漫
「本当にすまない」
レイノルドがそう言ってきたのは、ルビエ公国の公女ルクレツィアが宮殿にやってきた翌日だった。
昨日の宮殿は賓客の登場に大わらわだったので、マリアはそそくさと帰宅した。
突然やって来られる客人ほど迷惑なものはない。
貴人の滞在には屋敷を用意するのが常識だが、公女様の住まいが決まるまでは客室に寝泊まりしてもらうしかない。
王妃の侍女になりたいと言っていたが、恐らく実際に仕えさせはしないだろう。
確実に国際問題になる。やらせても見学くらいだろうか。
彼女への対処で、レイノルドたちはしばらく忙しいはずだ。
(次にレイノルド様に会えるのはいつになるかしら……)
憂うつに思っていたら、宮殿からマリアに手紙が届いた。
「来てくれ」とメッセージは一言だけ。筆跡もいつもより雑だ。
身だしなみを整えて宮殿に上がったマリアは、出迎えたレイノルドに開口一番に謝られてしまった。
申し訳なさそうな彼に、マリアはきょとんと小首を傾げた。
「すまない、とは?」
「ルビエ公女の件だ。実は――」
「こんにちは」
レイノルドの背後から涼やかな声がした。
視線を向けると、透明感のあるチュール仕立てのドレスを着たルクレツィアが立っていた。
「はじめまして、マリアヴェーラさん。私はルクレツィア。名前はもうご存じですよね。謁見の間にいらっしゃいましたもの」
「は、じめまして。ルクレツィア公女殿下」
にっこり挨拶するルクレツィアの可憐さに、マリアの心はこじ開けられそうになった。
素敵な人だ。と、同時に背筋が冷えるのははぜだろう。
ルクレツィアの清廉な雰囲気は、室内に入り込んでくる冬の空気みたいにするっと心を侵食する。
うっかり絆されそうになったマリアだが――
「ペールピンクのドレスがよくお似合いですね。まるで新種の薔薇のよう……」
「!」
言われた瞬間、心臓の辺りがカッと熱くなった。
ルクレツィアは褒めたのではない。
お前には似合わないということを、湖の周りを五周するくらい遠回しに表現したのが、珍しい見た目になることが多い『新種の薔薇』だ。
(似合わないのは、わたくしだってわかっているわ!)
柔らかなペールピンクはマリアが大好きな色。
同時に、似合わない色でもある。
ルクレツィアはそこを突いた。
マリアのコンプレックスを見抜き、あえて持ち上げるふりをして罵る高度な戦術で、自分の方が上だと印象付けようとしている。
女性同士の関係性は初手が肝心なのだ。
空気を読みすぎて下手に出れば、どれだけ目覚ましく活躍しても見下され続ける。
(明らかに似合っていない物を褒めちぎる女性は危険なのよ)
謁見のときの違和感は間違っていなかったようだ。
――この公女、ただの世間知らずではない。
「こういうお色は、わたくしよりルクレツィア様の方がお得意なのでは? 今日のドレスも藤色で素敵ですわ」
マリアは、刺された分は刺し返すつもりでルクレツィアを褒めた。
ルクレツィアの方も、攻撃だと理解した上で受け止める。
「ありがとうございます。お洋服の趣味があうようですし、滞在中は仲良くしてくださいね。私はこれからレイノルド様に宮殿の案内をしていただきますの」
ルクレツィアは、あろうことかレイノルドの腕に腕を回して体を寄せ、うっとりした瞳で見上げた。
雪のように白い肌に、ぽうっと染まった桃色の頬。
女の子らしいルクレツィアを間近で見たら、マリアの胸がしくしく痛んだ。
(この女の子らしさは、わたくしにはないものだわ)
ルクレツィアは、マリアが憧れる『かわいい女の子』の姿を持っている。
長身で目鼻立ちがはっきりした美貌を持つマリアには、どんなにお金を出しても手に入れられない生まれつきのものだ。
うらやんでも意味がない。
わかっていても、嫉妬する自分を止められない。
悲しそうなマリアを見て、レイノルドはルクレツィアの手をそっと外した。
「悪いが、抱きつくのは止めてくれないか。俺はマリアヴェーラと婚約している」
「婚約? お二人は恋人ではないのですか?」
あ然とするルクレツィアに、ちょっとだけマリアの胸がすいた。
レイノルドはほんの少し照れた表情でマリアの背に手を当てる。
「マリアはもうすぐ俺の花嫁になる。結婚式は来年で、いずれルビエ公国にも招待状を出す予定だった。な?」
このとろけそうな瞳の前では、嫉妬心なんて秒で蒸発してしまう。
マリアも甘い微笑みをレイノルドに向けた。
「ええ。ウェディングドレスも完成間近ですのよ」
「俺は式当日まで見られないが、花嫁衣裳を着たマリアは、きっとこの世のものとは思えないくらい美しいだろう。楽しみにしてる」
見つめ合うマリアとレイノルド。
二人を交互に見ていたルクレツィアは、残念そうに肩を落とした。
「そうでしたのね……。他国の王族とお友達になるのが夢だったのに、まさか婚約者がいるなんて。友好を深められなくて残念です」
被害者ぶった言い分に、マリアはちょっと待ったと言いたくなった。
(この公女様、無意識に喧嘩を売って歩くタイプね)
ルビエ公国のお国柄か知らないが、この性格ではタスティリヤの上流階級でまともに生きていけない。
(こんな人と仲良くなりたくないのだけれど)
どう接したら角が立たないか悩んでいたら、アルフレッドが顔をのぞかせた。
「レイノルド、話が……って、ルクレツィア公女殿下!」
アルフレッドは、ルクレツィアを視界に入れるなり両目にハートを浮かべた。
わずか一日で立派な公女信者になってしまったようだ。
「こんにちは、アルフレッド様。私のことは気にせずにどうぞ」
「なんという寛大さだ! 見た目だけでなく心まで女神のように美しい……!」
「おい」
呆れた顔のレイノルドは、アルフレッドのすねをガンと蹴る。
「痛っ! いきなり何をするんだレイノルド!」
「俺に用事があるんじゃないのか?」
「そうだった! これを見てくれ」
アルフレッドは、小脇に抱えていたファイルを開いた。
挟まっていたのは、宮殿の周囲の地図のようだ。
側近の側近に格下げされた彼だが、最近は仕事も板についてきた。
レイノルドのサポート役として、各所との調整役を果たしている。
「相談したいのは、敷地の奥にある別邸についてだ。ルクレツィア様に使っていただくには改修が必要なので、母上がレイノルドの指示を仰いで進めるようにと」
別邸は、宮殿の離れのような位置づけの建物だ。
かつての国王が寵愛する側妃を住まわせていたが、彼女とその娘が亡きあとは放置されていた。
(人がいないと建物は朽ちていくものだわ。公女様が住むには修理と掃除、家具の手入れが必要ね)
しかし、そのための人員を確保するのは大変だ。
宮殿の手入れは小国らしく最少人数で回しているのである。
「どこから人員を補充するか……」
頭を悩ませるレイノルドに、それならばとルクレツィアが申し出た。
「私の従者たちにやらせますわ。書状の手違いがあったおわびに」
「それはありがたい! 受け入れてはどうだろう、レイノルド」
ルクレツィア信者のアルフレッドは、彼女の言うことなら何でも是と言わんばかりだ。
鼻の下を伸ばした気持ちの悪い顔を見て、マリアは思い出した。
第一王子が、かわいい女性に弱い、とても愚かな人間だったのを。
「よくありませんわ、アルフレッド様。この件をルクレツィア様に丸投げすれば、タスティリヤ王国は国賓の居室すらまともに準備できないと対外的に示すことになります」
外交で重要なのは、いかに対等な交渉相手だと思わせるか。
一方の国力がはるかに下だと、脅されて酷い条件を無理やりのまされる。
どの国も、迎賓館は豪華絢爛なものだ。
あれはもてなしの精神の一環ではなく、こちらを舐めてくれるなよと示すための舞台装置なのである。
「ジステッド公爵家には伝手がありますから、別邸に関してはお任せください。わたくし、レイノルド様のお役に立てるなら何でもいたしますわ」
いずれ王妃になったら、いちいちこんなことで戸惑っていられない。
毎日が難題の連続で、逃げ出したくなる日もあるだろう。
(これは、その予行演習だと思えばいいわ)
堂々と申し出たマリアに、レイノルドは「任せる」と告げた。
「だが……本当にジステッド公爵家だけでできるのか?」
「問題ありませんわ。わたくし、こう見えてあちこちに恩を売っておりますの。ルクレツィア様とご同行の皆さまは、改修が終わるまでごゆっくりなさってください」
「……お手並み拝見いたしますわ」
ルクレツィアとマリアは微笑み合った。
マリアの麗しさとルクレツィアの清らかさがぶつかりあって、見えない電流がバチバチと爆ぜる。
女の戦いはいつだって、男の目には映らない場所で行われるもの。
公女と令嬢の意地のぶつかり合いを、アルフレッドはデレデレと、レイノルドは意味がわからないといった顔で見つめていた。




