19話 あくじょの狡兎三窟
「俺?」
いぶかしむレイノルドに、マリアは深くうなずいた。
「こちらをご覧くださいませ」
マリアの肖像画のとなりにあった額から、布が取り外される。
そこにあったのは、クレロが描いた王妃の肖像画だった。
キラキラ輝くマリアの絵に対して、こちらは筆のタッチも色合いもいまいちで冴えない。
「この二枚の絵は、両方ともクレロ・レンドルムという辺境伯の五男によって描かれました。肖像画家として名を馳せる彼の絵は、描かれた人物が輝いて見えると評判で、貴族令嬢やご夫人は競い合うように依頼をしています」
「それは俺も知っている。だが、母上の絵は輝いていないようだ」
「レイノルド様だけではなく、お集まりの皆様もそう感じておられるでしょう。作者もタッチも癖も同じこの二枚の大きな違いは、描かれた時期にあります。わたくしの方は、つい最近。王妃殿下の方は、辺境の預言が行われる以前に描かれたものなのです」
「それが、どうかしましたか?」
クレロが人混みから現れると、ネリネの肩がビクッと揺れた。
華やかな白い宮廷服を身にまとったクレロは、聖女に対して態度も声も落ち着いている。
「辺境への預言が行われ、騎士たちがレンドルム領に向かった頃、私は自分らしい描き方に目覚めました。ふとしたきっかけで上達するのは、絵描きには珍しいことでもありませんよ」
「本当に、それだけかしら?」
勝ち気なマリアに、クレロは真顔で反論する。
「それだけですよ。神に誓って」
「残念ですわ。こんな形で、あなたの人生を終わらせなければならないなんて。アルフレッド様、やってくださる?」
「わ、わかった……!」
命じられたアルフレッドは、大きな筆とチューブを持ち上げて、王妃の肖像画の前に走っていき、脚立にのぼった。
そして、チューブの中身を筆にのせて、キャンバスにベッタリと塗りつけた。
「これは――!!」
観衆が一気にざわめいた。
アルフレッドが塗りつけた赤い絵の具は、まるで魔法にでもかけられたように――となりに飾られた絵の中のマリアのように、キラキラと輝いていた。
マリアは、動揺に包まれた会場中に向けて声を張る。
「その絵の具は外国製です。この国では禁じられている魔法の効果で輝いているように見せる代物ですわ。当然、タスティリヤ王国には輸入されておりません。それなのに、どうしてクレロ様はお使いになっているのでしょう?」
「失礼! 国王陛下はこちらにおられるか!!」
宮殿の庭に、数名の騎士を率いたレンドルム辺境伯が現れた。
いきなり乱入してきた父親に、クレロは面食らっている。
「お父様、なぜ王都に……?」
「なんてことをしてくれたんだ、この馬鹿息子が!!」
「ぎゃっ!」
力いっぱい頬を殴られて、クレロは数メートル宙を飛び、軽食が用意されたテーブルに突っ込んだ。
息子に鉄槌を落とした辺境伯は、壇上にいる国王とマリアに片膝をついた。伯にならって、後ろに連なっていた騎士たちもひざまずく。
「ジステッド公爵令嬢から聞いた愚息のアトリエを探したところ、数十本に及ぶ魔晶石が見つかりました! 国王陛下が辺境に騎士を向けなさった際の混乱に乗じて、盗まれていたものであります。これを戻せば、辺境は――」
「国王陛下」
辺境伯がうっかり『魔晶石で辺境は守られている』という国家機密を明かしそうになったので、マリアは言葉をさえぎった。
息子が盗みの犯人でショックを受ける辺境伯の肩に手を当てて、立ち上がるようにうながす。
「わたくしも最近、歴史学の教授から聞いて知ったのですが、辺境にはよく魔晶石が持ち込まれるそうですわね。それらを取り上げて管理するお役目を、辺境伯はひっそりと勤めておられました。そうですわね?」
「あ、ああ。そうです」
視線で圧をかけると、辺境伯は口裏を合わせた。
マリアは、会話を己のペースに誘導していく。
「聖女が『辺境伯が反乱を企んでいる』と預言し、実際に騎士が送られたせいでレンドルム領は大混乱しました。辺境伯の五男で、魔晶石の保管場所を知っていたクレロ・レンドルムは、その間に魔晶石を盗み出したのです。砕いて絵の具に混ぜ、輝く肖像画を描いて名をあげるために」
レイノルドは、壊れてめちゃくちゃになった軽食ブースに歩いていき、クリームまみれになったクレロの衿をつかんで持ち上げた。
「あんた、自分の家が守ってきた領地を何だと思ってる。まかり間違えば戦になって、大勢の人間が死んでいたかもしれないんだぞ!」
「い、戦になったとしても関係ない。私が王都で画家を続けられるなら! 汗にまみれて剣の稽古をするしか能の無い、父や兄のような野蛮な連中なんて、いくらでも代わりはいるだろう!!」
「このやろう」
拳を振り上げたレイノルドの手を、マリアはパシリと捕まえた。
いつの間にか近くに居たマリアに、レイノルドは目を見開く。
「止めるな、今回ばかりは」
「いいえ、いけませんわ。女を殴っていいのは、同じ女だけですもの――」
マリアは、預言の書を放り投げると、レイノルドをクレロから引き剥がして、思いっきりクレロの頬を叩いた。
パン!
乾いた音と共に「いやあんっ」と甲高い悲鳴がクレロの口から漏れる。
「は?」
レイノルドはぎょっとした。
目の前のクレロは、どこからどう見ても男性だ。身長は高く、うっすら髭が生えていて、喉仏も出っ張っている。
ところが、頬を押さえて体をもじもじさせる仕草は、とても女性らしかった。
「これがクレロ・レンドルムの本性ですのよ。彼が行きつけのマダム・オールのお店に聞き込みをしましたら、よく煌びやかなドレス姿で楽しんでいるとの証言が取れました。彼は、男性の体つきで生まれた女性なのです」
「そ、そうよ。私は厳格な辺境伯の五男に生まれて、兄たちと共に厳しい稽古を付けられて育ってきたわ。でも、本当は剣よりもドレスやお化粧やお絵かきの方が好きだったの。だから実家を飛び出して、王都に来たのよ。田舎より王都の方が多様性は認められるもの!」
クレロは画家になろうとしたが、描いた絵が少しも売れなかったのだと言う。
「家の名前で王妃殿下のような大口のお客を捕まえたけれど、それも上手くいかなかったの。落ち込んでいたところに声をかけてきたネリネ様が、外国には魔法の絵の具があると教えてくださったのよ……!」
ネリネは、国王の外遊についていった際に、とある帝国の妃の肖像画を目にした。
不思議とキラキラ輝くその絵は、魔晶石を削って混ぜた〝魔法の絵の具〟で描かれたものだった。
「私は、それさえあれば今の生活が守られると思ったの。ネリネ様に話したら『辺境の魔晶石を盗むチャンスを作ってあげるから、その魔法の絵の具で自分を描いて』と言ってくださったのよ」
「聖女ネリネは、レイノルド様がまったく自分に興味がないことに焦っていた。そこで、魔法の絵の具で描かれた自分の肖像画を送り、魅了してしまおうと考えて共犯になったのですわ」
説明しつつ、マリアはレイノルドを伴って壇の前に戻った。
ドレスをつかんで固まっていたネリネは、ふつふつと沸き上がる怒りで顔を赤くした国王に怒鳴られる。
「聖女ネリネよ。貴様、よくも謀ってくれたな!」
「し、知らない。あたし、何にも知らないわ!」
「黙れ!!」
椅子から立ち上がった国王は、人差し指でネリネをさし、ツバを飛ばしながら言い放った。
「聖女ネリネを追放する! レンドルム辺境伯の五男も同罪だ。二度と王都へ立ち入れると思うな!!」
「その二人、レンドルムの領地で受け入れます」
辺境伯は、実に申し訳なさそうに頭を垂れた。
「我が愚息の我がままが全ての引き金。二度と良からぬ企みを引き起こさぬように、偽聖女と愚息を結婚させ、辺境騎士団の寮の管理人として、炊事洗濯掃除と一生下働きをさせて反省させましょう」
「そんなの嫌よお!!」
「あたしだって嫌よ! この男と結婚させられて、田舎で貧乏生活なんてっ!!」
クレロとネリネの絶叫が重なった。立ち上がった騎士たちに捕えられそうになったので、ネリネは庭の奥につづく通路に逃げこんだ。
強く地面を踏み切ると、足下がふかっと沈んだ。
「なに!?」
足下から伸びていた紐が切れて、たわんだ形で固定されていた庭木がバネのように伸びた。その動きに連動して、木に結びつけられ、浅く土をかぶせて隠されていた縄がしまり、ネリネの両足を捕えて吊り上げた。
「きゃあああああーーーー!!!」




