12話 よめいびり公平無私
(どうしてこんなことになったのかしら)
マリアは、作り笑顔を顔に貼りつけながら冷や汗をかいていた。
ついた丸テーブルの真っ正面には、このタスティリヤ王国の王妃――レイノルドの母親が、こちらもニコニコ顔で座っている。
アルフレッドと同じ金色の髪は一つにまとめ、絹の光沢が美しいエンパイアドレスで高貴な雰囲気を高め、レイノルドとよく似た青色の瞳を細めている。
しかし、目の奥は少しも笑っていない。
「マリアヴェーラさん、呼び出しに応じてくださって嬉しいわ。昨日はレイノルドが風邪をひいてお世話になったそうね?」
「はい。心細くなっておられるようでしたので、一晩お側に付き添っておりました。宮殿内におかしな噂が流れておりますが、ふしだらな行いは決してしておりません。わたくしとレイノルド第二王子殿下が潔白であることは、同じく殿下の看病をしていた近衛騎士のトラデス子爵令息が証言してくださいます」
マリアは、怯えが声に表れないように、慎重に答えた。
王妃がマリアに何をしようとしているのかは、テーブルの上を見れば分かる。
ケーキの載った三段皿、ガラスカバーをかけられたタルト。籠に詰めこまれたチュロス。スコーンは冷めないようにウォーマーに包まれていて、カラフルなチョコやフレーク、宝石のように光るジャムがトッピング用の小皿に準備されている。
午前中からいただくには、ボリュームが多すぎる。
王妃がわざわざ手の込んだ品々を準備させたのは、マリアの口を割らせるためだ。
(王妃殿下は、その美しさと器量の良さから、王家に嫁いだ前例のなかった伯爵家より召し上げられた方。貴族令嬢としての身の振る舞いにかけては、他に出る者がいなかったという伝説をお持ちだわ)
令嬢の社交術は、日常のなかに取り込まれている。
相手と仲良くなりたければ、服装と家柄を褒めること。
距離を置きたいなら、手紙の文章を素っ気なくしていくこと。
そして、言うことを聞かせるためには、美味しいケーキと紅茶で持てなすこと。
このティータイムは、マリアのように厳格にマナーを叩き込まれた貴族令嬢だったら逃げられない舞台装置だ。
王妃は、羽根扇をパタパタさせながら、悠々と微笑んだ。
「貴方を召喚すると決めた時から、潔白を主張なさると分かっていました。証言者を用意してくることもね。すでに買収されているかもしれないトラデス子爵令息の証言は必要ありません。私は、貴方の言葉だけを信じます」
王妃が目で合図を送ると執事がやってきて、マリアの前に二客のカップを置き、それぞれ別のポットから紅茶を注いだ。
どちらも薫り高いダージリンだ。
対する王妃の方には、一客も置かれていない。
「殿下、どうしてわたくしにだけ二杯も紅茶をお出しになったのですか?」
「それはね、マリアヴェーラさん。そのカップのどちらか片方に、自白剤が入っているからですわ」
「自白剤!?」
あくまで笑顔を崩さない王妃は、戸惑うマリアに勝負を持ちかける。
「貴方は、ジステッド公爵家はじまって以来の才媛ですもの。急にお泊まりしたと聞いたから、どんなひどい格好を見せてくれるかしらと思っていたのに、綺麗に身だしなみを整えてきた。それを見て、察しましたの。この令嬢は、レイノルドを手中に収めて次期王妃となるためなら、どんな策略を使うか分からないと」
マリアヴェーラは、いつも侍女と着替えを用意して外出する。前の婚約者に振り回されて身についた癖だったが、特に今回は役に立った。
レモンイエローのサマードレスを、衿の詰まったワインレッドのドレスに着替え、侍女の手を借りて髪をまっすぐに梳いてもらい、ココシニク風のカチューシャを挿してまとめている。
年上の女性に好かれる、控えめで品のある装いだ。
それが、今日の王妃は気に入らないらしい。
いや、気に入っているからこそ、今回は認めるわけにはいかないと言いたげだ。
「いびり甲斐がないわ……。アルフレッドの隣にいた頃から、貴方はいつ見ても完璧だったものね。聡明で、度胸もある。結婚した暁には、必ずやレイノルドの助けとなる、素晴らしい王妃となるでしょう……でもね? 悪いけれど、貴方たちの恋を叶えるために、国が滅んでしまっては困るのよ」
王妃は、『聖女に破滅の預言をされて、婚約破棄されそうになったマリアが、風邪で気弱になっているレイノルドをたぶらかして、一夜の誓いをかわさせた』と思っているらしい。
(王家に嫁ぐ女性は、慎ましくあるべき……。それを破ったとあれば、国王が結婚を認めない理由になるわ)
だから、王妃はマリアに出す紅茶に自白剤を入れた。
二つのカップの内、片方にしか入れていないのは、マリアに選択肢を与えて自分が一方的な悪者になるのを防ぐためである。
全てが終わった後、執事はこう証言するはずだ。
『――自白剤の入っていない紅茶もあったのに、ジステッド公爵令嬢は、あえて入っている方をお飲みになり、自らの罪を告白なされたのです――』
自責の念を抱いて、自ら自白したとなれば、ジステッド侯爵家へのお咎めも少しは軽くなる。
王妃の温情は、マリアを気に入っているからこその配慮だろう。
(困ったわ)
マリアは、二客のカップを見下ろした。
どちらも水色は同じ淡い紅茶色。香りもまったく一緒。湯気の立ち方から、温度や抽出時間も同じだと分かる。
果たして、どちらが自白剤入りなのか。
(こういうときは――)
マリアは、純銀のティースプーンを持ち上げて、両方のカップに砂糖を入れる。
青酸毒などが入っていれば、銀は変色するものだ。しかし、反応はない。
(自白剤は、銀に反応する薬物ではないようね)
「マリアヴェーラさん、そんな風にもったいぶっていると、紅茶が冷めてしまうわよ?」
王妃の笑みが怖い。
自分より上位の貴族――当然、王家がそのトップに君臨する――から勧められた紅茶は、必ず口をつけるのが令嬢としてのマナー。
断ることは、ジステッド公爵令嬢には許されない。
(どちらが自白剤入り? 右か、左か……)
一考したマリアは、ふと思いついた。
緊張した面持ちで左の方のカップを持ち上げて、薔薇の絵が入った白磁に唇をつける。
砂糖が溶けて甘くなった紅茶を口にふくんで、こくりと喉を動かし、そして――。




