3話 まちあわせ準備万端
恋をはじめた二人が、はじめてすることといえば?
マリアに言わせれば、そんなことは決まり切っているが、レイノルドに求めるのは勇気がいった。
「待ち合わせデートがしたい?」
「ええ」
ふしぎそうに問い返したレイノルドに、マリアは神妙にうなずく。
貴族令嬢であれば、男性に家まで迎えに来てもらってエスコートされるのが一般的。だが、マリアが憧れる恋は、もっと行動的だ。
「庶民の恋人たちは、時刻と場所を決めて、お互いの足で待ち合わせ場所におもむくそうです。ロマンス小説で読んでから、そんなデートにずっと憧れておりましたの」
「俺は町を歩き慣れているから構わないが……あんたは大丈夫なのか?」
「侍従なしで散策した経験はございませんが、レイノルド様がいてくだされば平気です」
「そこまで言うなら……する」
マリアが押し切る形で、レイノルドとの待ち合わせデートが決まった。
日取りは次の祝祭日。
マリアは、カレンダーに予定を書き入れて毎日見返しては、この日が来るのを待ちわびた。
レイノルドに未練を残すネリネの存在が気になったものの、目に見える妨害活動が行われることもなく、ついにデート当日――。
いつもより二時間も早起きしたマリアは、さっそく支度をはじめる。
洗った顔をローズ水で保湿し、髪はイノシシ毛のブラシで丹念に梳いてツヤを与えた。むくみを取るために、手足と顔に香油を滑らせて、丹念にマッサージを行う。
どれだけ厚く化粧を施しても、上等な衣服で身を包んでも、元の体の調子が整っていなければ、他を圧倒するほどの美しさは引き出せない。
ジステッド公爵家にふさわしい完璧な令嬢を作るには、影の努力が必須なのだ。
侍女の手を借りて手入れするマリアに、ジルが問いかける。
「マリアヴェーラ様、本日のお召しものはいかがされます?」
「そうね……。見て選ぼうかしら」
マリアは、肌着のシュミーズ姿で衣装室に入った。
広い部屋は、ドレスをかけておくためのポールが張り巡らされ、靴や帽子を並べる壁一面の棚は、物でぎっしりと埋まっている。
目に付くのは、赤や青、紫など、マリアの華やかな顔立ちに負けない原色だ。
ドレスは、ワンショルダーやマーメイドラインなど、豊満な体にそうように作られたデザインが多い。
大輪の薔薇のコサージュ、ヒョウやトラの毛皮といった強気なアイテムも取りそろえられているが、それらはマリアの趣味ではない。
ギラついた原色から目を逸らして、衣装室の一角に進んで行く。
部屋の隅を覆いかくすように張られたレースのカーテンを引くと、そこは、白やピンク、水色といった優しく、可愛らしい色合いであふれていた。
マリアは、ぽうっと赤くなった頬に両手を添えて、身もだえる。
「ああ、もう! なんて愛らしいのかしら!」
ここは、マリアの聖域だ。
似合わないと分かっていながら注文してしまった小花柄の一着をはじめ、レースやリボン、虹色のボタンなど、ファンシーな装飾を多用した愛らしいドレスばかりが並ぶ。
靴や手袋、日傘までもがフリルで飾られていて、砂糖菓子のように甘ったるい雰囲気だ。
うっとりするマリアを見て、ジルは深いため息を吐いた。
「マリアヴェーラ様は生来、可愛らしいものがお好きなのですから、奥に隠さなくてもよろしいのでは?」
「いいえ、隠しておくべきだわ。この子たちは、ジステッド公爵家の令嬢が身につけるには、ふさわしくないもの」
子どもの頃から、高貴な女王様ではなく、王子様に守られるか弱いお姫様に憧れた。
だが、長じるにつれてマリアの外見は、どんどん理想からかけ離れていった。
背丈はこんなに大きくなりたくなかった。
アーモンド型の瞳より、どんぐりみたいな丸い瞳が良かった。
鼻筋の通った高い鼻も、ぽってりと厚くて大人っぽい唇も嫌いだ。
周りから〝高嶺の花〟と褒めそやされるたびに、マリアの可愛らしいものへの憧憬は増すばかり。
ここの衣装は、厳格な父親に知られないように、マリアがひっそりと集めたもの。しかし、これほどまでに大事にしているのに着たことはほとんどない。
こんな格好で表に出たら、人々は困惑する。何があったのと心配する。
マリア自身も試着するたびに似合わないとガッカリして、着るのをためらってきた。
(でも、レイノルド様は、こちらの方がわたくしらしいと褒めてくださるわ)
よろこぶ恋人を想像しながら、ハンガーに指をつつつっと滑らせる。
どれを着るべきか悩みつつ三往復して、ようやく端にあった一着を選び出した。
「これなら、なんとか着こなせるかもしれない」
淡い水色のドレスは、大きなリボンが縦に並んだ胸元と、ミルフィーユのようにレースが折り重なったスカートが可憐なもの。
手袋と靴を白でまとめれば、妖精のごとき清楚さが出るはずだ。
わくわくしながらドレスを体に当てて、姿見に映してみる。
とたんに、マリアの機嫌は急降下した。
「……まるで、大人が子ども服を着ているようね……」
大人びた顔立ちと、愛らしいドレスの雰囲気が、敵対するようにチグハグだった。
魔女のように妖艶な瞳のせいで、ドレスの清楚さが破壊されている。
こんな装いでレイノルドに逢うのかと思ったら、ネチネチとした躊躇いが胸の奥から這い上ってきた。
せっかくの待ち合わせデート。少しでも綺麗に見られるよう、外見に似合うドレスを身につけていくべきでは?
その方が、きっと、レイノルドも楽しんでくれる……。
――こっちの方が、あんたらしくてずっといいし、好きだ。
ふいに、いつかの声がよみがえった。
可愛いものが似合わないと自信をなくしていたマリアを救ってくれた優しい言葉は、レイノルドがかけてくれたもの。
いつもの自分に逃げることは、彼の想いを裏切ることになる。
「今日は、このドレスにします」
マリアは心を決めた。
急いでコルセットを締めてもらい、ドレスを身につけて髪をセットする。
肌には真珠の粉を叩き、頬と唇は淡いピンク色に染める。爪を桜貝色に塗って、支度は完成だ。
「そうだわ。鞄も持っていかないと!」
普段は侍女が荷物を持ってくれるので、マリアは鞄を持つ習慣がなかった。貴族令嬢が持つべきものは扇と日傘、フォークとナイフと誇りだけだ。
だが、今日のマリアは令嬢である前に、ただの恋する乙女である。
小ぶりなハンドバッグを手に通し、歩きやすい革のヒール靴を履いて馬車に乗り込む。
いつもの癖で侍女と着替えも連れてきたが、今日の出番はないだろう。
青空広場のまえで客車を降りたマリアは、一人きりで待ち合わせ場所の時計台を目指した。
広場の中央にデンとかまえた木造の白い建物は、遠くからでも分かりやすい。
迷うことなく進んで行ったが、広場への入り口で自然に足が止まる。
「なぜ、こんなにも人が?」
広場には若い男女が大勢いた。
女性たちは見目が華やかな装いで、男性たちも着慣れていなさそうな上等の衣服で、時計台を包囲するように立っている。
その周囲を取り巻くように人の流れができていて、建物に近づけなくて困っている人の姿も見える。
立ち往生するマリアに、路肩でジューススタンドを開く夫人が話しかけてきた。
「あんた知らないのかい。今日は月に一度、市場にアクセサリー商店が集まる日なんだよ。みんな、この時計台を目印に待ち合わせて行くのさ。こんな混雑じゃ、お相手と会えなくてもしょうがないよ!」
「しょうがない、ね……」
そんな風に慰められたら、かえってマリアは燃えてしまうではないか。
「わたくし、絶対にレイノルド様を見つけて見せますわ」
自信はあった。なぜなら、マリアは恋をしているのだから。
恋人同士は、どんなに遠くからでも、どんな人混みのなかでも、相手が判別できるらしい。
こんな環境でもお互いを見つけられたなら、マリアとレイノルドが心から想い合っている証になる。
ひとまず時計台を目指すことにして、意を決して人の流れに飛び込んだのだが……。
「あ~~れ~~」
押し流されて建物の正面から右に、そして真後ろまで押しやられる。
「も、申し訳ありませんが、押さないでくださいませ!」
呼びかけてみるが周りも必死。マリアは川に落ちた浮き草のように流れ流れて、時計台の正面に戻ってきてしまった。
「ひ、人混みってこんなに大変なものなのね……」
人の流れの外に抜け出したマリアは、ゼイゼイと息を乱して肩を上下させた。
舞踏会で三曲踊ったときよりも体力の消耗がはげしいとは、待ち合わせデート、恐るべし。
(流されている間に、レイノルド様の姿は見つけられなかったわ。まだここに来ていらっしゃらないのかしら? それとも、わたくしが見落としているだけ?)
不安になって踵を返したら、後ろにいた男性とぶつかって二人一緒に倒れてしまった。マリアは、男性のうえに乗る形でうつぶせになる。
「申し訳ありません。わたくしの不注意で――」
「いや、受け止めきれなかった俺が悪い」
聞き覚えのある声に顔を上げたマリアは、目をまん丸にして驚いた。
「レイノルド様!」




