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第二十四話 泣いてもと笑っても②

「ん……ここは……」


 俺が次に目を覚ましたのは見覚えのあるお花畑が広がっていた。正面には広大な川が広がっている。


「三途の川……そっか。そうだよな」


 ここは、死後の世界。

 目の前に広がるのは三途の川。


 そして、この三途の川の下には地獄が待ち受けている。


「感謝なんて全然されなかったからな。そりゃぁ、船も来ないってわけか」


 前回の記憶をたどるならば俺が死んで目が覚めた時にはすでに船の上だった。けれども、今回はお迎えそのものが来ていないようだった。三途の川を渡るのには、人々の感謝の心がお金となった「六文銭」が必要。六文銭が300円程度で三途の川を渡り切れるとか、10000円集めたら死んだことを帳消しにしてくれるとか、最初はそんな約束だったはず。


「はは、お迎えさえ来ないってことは……地獄に自分で行けって事なのか」


 分かっていたつもりだった。善行を祈里の姿で積んだとしても祈里の体にお金は溜まっていく。俺にはどうしようもなかった。貯金0円の俺はしばらくお花畑の綺麗な風景を眺めていたが、やがてすっくと立ちあがった。


「行くか……いつまでもここに居ても埒が明かないしな」


 メズルフは地獄は魂の穢れを落とすための場所だと言っていた。ものすごい苦痛の後に自我が崩壊し、現世で行った悪行の数々をその魂から洗い落とす……らしい。


「……怖え。あんな話聞くんじゃなかった」


 俺は一歩、一歩と三途の川に近づいていく。遠くから見ると綺麗な水面。けれどもその一番奥に透けて、真っ赤な地獄が顔を出すと俺の足は竦んだ。


「来世では水泳だけは真っ先に覚えよう」


 俺は人生で水泳という技術の習得を切り捨てたことをひどく後悔しつつ足の先っぽを水につけた。だが、泳げればいいというものでもないらしい。俺が足を水につけた瞬間地獄から真っ黒い手が何本も俺に向かって伸びてきているのが見えた。


「ひっ!!」


 忘れていた。あいつらにつかまったらもう終わり。地獄に引きずり込まれるんだった。

 あっという間に水面までお迎えに上がってくれた黒い手たちに俺の足はガッチリと掴まれる。


「う、うわぁあ!!!」


 ものすごい力で俺の足は引っ張られ、あれよあれよという間に腰が水に浸かり、肩が水に浸かり、そして最後に頭が三途の川にトプンと呑み込まれていった。


「ごぼっ!!」



 三途の川の底は無い。俺の足が水から出た感覚がして黒い手に引きずり込まれている俺の足を見ると、もう、地獄は目の前だった。


「楽!!! 手を上に伸ばしてください!!」

「私たちに、捕まって!!」

「!!??」


 俺は自分の耳を疑った。

 けれども、例え幻聴だとしても、その声は俺の最後の希望だった。


 俺は両の手を力いっぱいに川面目指して伸ばした。

 そして、俺の手を4本の手がしっかりと握り返してくれる。


「引きますよ、祈里さん!」

「うん!メズルフちゃん!!」

「せーのっ!!!」


 その掛け声と共に、俺は一気に地獄から遠ざかる。黒い手たちの力を超える力で引っ張り上げられ、元居た花畑に俺の体は引き上げられた。


「がはっ!! ごほっ!!」

「だ、だいじょうぶ?」


 心配そうに覗いてくる俺が大好きな女の子は今日も完璧な上目遣いで俺を見てくる。


「これであなたを地獄から救うの二度目ですね! これはもう完全に、私の事を崇め奉ってもらわなきゃいけませんね!!」


 いつも通りのアホな発言を恥ずかしげなくいってしまう金髪で綺麗な青い目の女の子。


 二人の女の子の姿を見た俺は目からとめどない涙が零れ落ちた。


「祈里……メズルフ……」

「あははっ! 泣かないでよ、楽。もう、大丈夫だよ?」

「そうですよ? こんなかわいい女の子二人がお迎えに来てあげたんです。そこは笑ってくれないと」


 ここが、三途の川の目の前じゃなければ、俺は二人を思いっきり抱きしめて無事を喜んだだろう。けれども、ここは死後の世界なのだ。少なくとも祈里は居てはいけないはずなのだ。


「二人とも……死んだのか?」


 俺は事実を確かめるべく涙を流しながら二人に聞いた。

 祈里は魂だけの存在になっていた。メズルフだって崖の下に落下していった。


 当然と言えば、当然の結末なのかもしれなかった。


「おれ、二人には……生きていて……ほしかったんだ……ううぅっ……」


 俺は涙が止まらなくなってその場に顔を伏せて泣き出してしまった。祈里は困り顔で俺のところに駆け寄って背中を撫でてくれる。


「楽……あ、あのね? その、気持ちは嬉しいんだけど……」

「……ぷぷっ……ぶふふふっ」

「め、メズルフちゃん! 笑っちゃだめだよ!」

「だ、だって……!」

「……ん?」


 明らかに俺を笑っているメズルフの様子に疑問を覚えた俺は、訝しんで顔を上げる。死んだとは思えない明るい表情に俺は自分の認識が間違っている可能性を感じた。


「な、なんだよ? だって、ここは三途の川で……え? どゆこと」

「ふぉっふぉっふぉ!! 楽よ、ワシが説明しよう!」

「う、うわぁ!?」


 目の前に突然見たこともない少女が立っていて俺は驚いた。金髪で白いドレスを着た、頭に花の冠を携えている……5歳くらい幼女がそこにいた。


「いや、誰!?」

「なっ!? 失礼な!! リムベールじゃよ!」

「ようじょおおおお?!?!」


 俺は急な新キャラ登場に思わず相手が神様だということを忘れて指をさして突っ込みを入れてしまった。


「ほうほう。われのこの姿を笑うか。お主の功績を称えに来てやったというのにのぉ」

「なっ!? 功績をたたえ……ええっ!? ごめん、俺は今夢を見ているのか? 全く状況を理解できない!」

「楽よ、お主は現世で見事ソノラのご神体を破壊した。ソノラは力を失い、創造主となるための審査基準にも満たなくなった。そして、魂の穢れは力の解放と共に無くなり、今は天界に保護された状態となっておる。よって、祈里の魂は不要となり、ここに連れて来てはいるが死んではおらぬ」

「よ、よかったぁ!!」

「楽のおかげだよ。ありがとう」


 俺は一番気になっていた事が解消されまた泣きそうになった。今度はうれし涙だ。


「え、じゃぁメズルフは? がけ下に落ちたけど無事だったのか?」

「いやぁ、無事じゃないですよぉ……見てくださいこれぇ」

「あ……」


 よく見るとメズルフの羽が片方包帯でぐるぐる巻きにされていた。痛々しい姿に確かに無事という言葉は合わないかもしれない。だが俺はもっと最悪の事態を想定していたのだ。


「でも、最後の最後力を振り絞って羽を動かしたおかげでご覧の通り致命傷とはならなかったのでご安心ください」

「そうか、じゃぁ、無事ってことで。良かった良かった」

「どうしてそうなるんですか!? 私のアイデンティティである羽がこんな無残な姿になって」

「はいはい」

「だーもう! もっと心配しやがれです!!」


 いつも通りギャーギャーと成り立つ会話は、どこか懐かしささえ覚える。

 もう二度と聞けないと思ったこの声。

 むろん、俺の顔から笑顔は絶えなかった。


「でもまぁ、メズルフのあの一撃がなかったら俺諦めてたかもしれない。本当にありがとう」

「なっ!? 混じりけの無いありがとうが楽の口から!! これは雪が降るか槍が降るか」

「おまえ!! 人が本気で感謝しているって時に!!」

「ふふっ!! お互い様でしょ?」

「……まぁな!」


 俺はメズルフと互いにくしゃりと笑った。心からの感謝と無事を祝った笑顔だった。


 二人の無事を確認できた。確かにそれはそれでとても嬉しいが、俺の今後だってそれと同じくらい大事だ。俺は改めて幼女……じゃなかったリムベール様に向き直った。


「それで、リムベール様。 俺はこの後どうなるのでしょうか?」

「最初に約束を交わした通りじゃ。三百の六文銭があれば天国へ、一万の六文銭があればお主の死を無かったことにしてやる」

「ははっ。天界キビシー」


 俺は思わず片言になった。いや、二人の無事を確認できただけましだったというものだろう。だが、こう、人間の存亡を救った的なボーナスを期待してしまったのもまた事実だ。


「じゃが……まずはワシからの感謝をお主に」

「へ?」


 俺はリムベール様の言葉に俺は胸を高鳴らせた。もしかして一万円……いや、3百円くれたりしないだろうか、なんて都合がいいことを考えてしまう。


「手を出すがよい」

「は、はい!!」


 俺はご褒美をもらう子供のように手を器型にして出すと、幼女がふよふよとこちらに飛んできて俺の手にコインを一枚ぽとりと落とした。その感触に俺は思わず落胆してしまった。


「一円かぁ」


 確かに少しくらいは地獄の刑が軽くなるのだろう。うん、ありがたい。ありがたいんだが……俺は心の奥底で泣いた。


「ぬ? 何を言っておる。よく見てみよ」

「え??」

「金額が書かれておるじゃろ?」

「……5000円?」

「そうじゃ! ワシは神じゃからの! 一枚のコインの価値が一般人のそれとは段違いなのじゃ! それはワシからの手向けじゃ」

「こ、これって!! 俺、地獄に落ちなくていいってことですか!?」

「そういう事じゃ。かなりのお釣りもあるじゃろうから次の人生は順風満帆なものになるじゃろう」

「あっ、ありがとうございます!!」


 これぞまさに神の救いだった。ありがとう、リムベール様。ありがとう転生の神!俺は深々と、地面にこすれる程頭を下げた。いや、土下座した。慈悲深い神様に心から敬意をこめて。


「あ、あの、ちょっといいかな?」

「祈里……」


 背後から祈里が話しかけてきて俺は土下座をやめた。膝の砂をほろってから改めて祈里に向き合う。今だけはふざけて良い雰囲気ではなくて俺は一回コホンと咳払いをした。


「その……元気でな?」

「うん、楽も。……本当にこれでお別れなんだね」


 祈里の目は潤んでいる。鏡でこの一か月間ずっと見ていたこの容姿だが、本人の魂が入ってるのはやっぱり格が違う。俺との別れを純粋に悲しんでくれている今の祈里は、死ぬほどかわいい。

 本当は俺だって別れたくはない。でも、祈里が生きていてくれる。それは俺にとってどれだけ嬉しいことか。


「そうだな……ごめんな、修学旅行とっちゃって」

「そんな事……ぜんぜんいいよ。私こそ、わがまま言っていろんな迷惑をかけちゃった。本当にごめんなさい」

「祈里があの時行動してくれたおかげでソノラを止めることができたんだ。あのまま死んじゃったらどのみちゲームオーバーだった。だから、もう謝らないで」

「楽……楽はやっぱり優しいね」

「祈里の方が優しいだろ」

「……」

「……」


 本当はいくらでも言葉を交わして、ほんっとうならずっと一緒に居たくて。

 それなのに俺は何をしゃべればいいか分からず祈里を見つめ続けた。


「そろそろ、時間じゃ」

「……!! ……はい。分かりました」


 俺がリムベール様の方へ歩き出そうとしたその時、祈里は俺の服の袖を引っ張った。振り向くと、祈里は泣きそうに笑ってこう言った。


「ねぇ、楽。最後にお願いがあるの」

「なんだ?」

「キス……しよ?」

「……あぁ」


 俺と祈里は互いに目をつぶり、徐々に近づいていく。


 祈里のやわらかい唇が感覚が俺に触れた。


 愛のある、誰にも操られずにする本当のキス。


 泣いても笑っても本当の最期に、俺らはやっと最初のキスを交わしたのだった。



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