第二十二話 俺と俺①
「良かった。本当に……良かったですぅ」
先ほどとは違った涙がポロリとこぼれ、メズルフの口元はふやふやと笑った。心の底から安堵したのが見ているこちらにも伝わってきて俺も思わず笑みがこぼれる。
「メズルフ。もう一回だけでいい。俺を助けてくれ」
「そ、それは……」
「できないわよねぇ? 自力じゃその天命の輪は外せないものぉ」
「……なるほど、な」
リムベール様の言う『解放』はきっと天命の輪を外すことに違いない。そう確信した。
「メズルフ? 男の子をどんな手を使ってでも崖の所へ連れてくるのよぉ? もう片方の足も折ってしまいなさい? そしたらもう、逃げられないからぁ」
リムベール様の言葉にゾット背筋が凍った。足の異常な痛みはきっとそういう事なのだろう。俺は俺の足を見るのだけは絶対にやめようと心に誓った。もう二度と立ち上がれなくなりそうだからだ。
「い、いやです!」
「返事はハイしか言えないでしょ?」
拒絶しようとしてもメズルフの意志は関係がない。
天命の輪は無機質にメズルフの上で再び光始めた。
このまま、メズルフが再びソノラの言いなりに弓矢をぶちかましてくるのはまずい。そうなる前に!!
俺は力の限り片足でメズルフの頭に飛びついた。手の伸ばして掴んだ光輝く天命の輪は、ほのかに暖かかった。驚いたメズルフは全体重で飛びついた俺の勢いに負けて背中から俺もろともひっくり返った。
「ぎゃぁ!! いたた……何するんですか!!」
「この、輪を!! 外す!!」
「ふふっ! あっはっは! 本当に外しちゃってもいいのぉ?」
「う、うるさい! 考えるのは後だ。とにかく、お前の輪を……」
必死な俺を見たソノラは笑ったが俺は本気だった。この輪がなくなればきっとメズルフだって自由に行動できる。そしたら俺の力になってくれるはずだ。
どうやら頭に乗っている天命の輪は俺が力いっぱい引っ張れば取れなくは無さそうだった。
だが、ソノラの一言で俺は天命の輪を外すのを諦めることとなる。
「リムベールがいない今、あなたがその輪を外しちゃうと死んじゃうわよぉ?……まぁ、メズルフくらいの天使なら数分で消えてっちゃうんじゃないかしらぁ? 光になってキラキラっと」
「…………い、今はやっぱり取るのは止めよう」
「…………まずいです」
「ん?」
「天命の輪がもうすでに発動をしているので……」
メズルフがそこまで言うと、先ほどまで見ていた機械のような動きで天命の輪をつかんでいた俺の腕を軽く一ひねりしてくれた。驚くほど強い力で、俺はメズルフにそのまま地面にねじ伏せられてしまった。
「あいてててて!!!!」
「楽!! ご、ごめんなさい!!」
「それじゃぁ、私はお先に崖に行ってるわぁ? あとはよろしくね、メズルフ」
俺を取り押さえたメズルフにソノラは一言そう言うと、祈里の魂片手に優雅に宙を浮いてその場を離れていった。俺はというと、手をひねられたまま地面に押さえつけられて身動き一つできない。
「め、メズルフ。い、一回手を離せるか?」
ソノラが出て行ったあと俺はメズルフに声をかける。力で敵わないなら口で何とかするしかなかった。
「無理ですね。私は今あなたの足を折ろうとしているみたいです」
「こわっ!! や、やめてくれ!!」
「やめたいですけど無理ですってば!!」
サイコパスのようなセリフをサラっと口にしながらもメズルフは俺の手首をさらに強くひねった。関節技をかけられて身動きが取れない俺の上に乗るようにして、獲物を絡めとる蛇のような動きで移動し、足に手をかけてくる。怪我をしていない方の左足の関節を逆向きにぽきっとするつもりなんだろう。考えただけで身の毛がよだった。
「ま、まて! そ、そうだ。俺にダメージを与えた方が逃げにくくなるぞぉ? さぁ、メズルフ俺をこのままあっちの階段の方向へ投げ飛ばすんだ。転がってダメージが入る。素敵な案だろ?」
なんとか今を脱する為に俺はそんなことを口走る。この場を抜け出すために距離をとらなくてはいけないのだ。けれども足がいう事を聞かない。よって、メズルフに投げ飛ばしてもらう算段を立てただけだ。
「え、楽さん……そういう趣味?」
「……いや、その解釈は辛いからやめて」
俺は決してマゾではない。そこだけは先に言わせてくれ。
だが俺の提案自体はそう、悪いものではなかったようでメズルフは首を一度縦に振った。
「あ、それならできそうです! 楽を攻撃することに変わりがないからでしょうか。先程もそうでしたが、命令の範囲内なら少し自由があるみたいですね」
「で、できるんだ……は、はは……」
自分で言ったことだが、今から吹っ飛ばされるとなるとだいぶ怖い。絶対痛いのが確定しているし、距離をとったら取ったで逃げなくてはならない。
「行きますよ?」
「お、おう」
「そりゃぁぁぁぁ!!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」
俺は天使の強烈な巴投げを食らって本堂の中央へ、いや、なぜか壁に向かって吹っ飛ばされた。普通の人間ではありえない飛距離に絶叫するしかなかった。
「なんでだあああああああ!!!!!」
「あ、足元狂いました」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
俺は最低限頭を守る姿勢だけ取って、強い衝撃に備えた。
けれど方向が良かったのだろう、俺が先ほど入ってきた壁の穴にすっぽりと入って、外に放りだされ、そのまま藪の中に突っ込んだ。
藪がクッションとなり壁なんかより衝撃は少ない方だっただろう。しかし、元から足を怪我している身としては悶絶級の痛さで、俺は藪の中で声も出せずに滲み出る冷や汗と涙を堪えた。
「あ、あれ!? 楽!? どこです!?」
メズルフも思ってもみない方向に飛ばしてしまったのだろう。俺がどこにいるのか把握できなかったようで、本堂から慌てて飛び出してきて、俺がいる藪の辺りをしばらく右往左往した後、鳥居の方へ向かって飛んで行った。
(た、助かった……のか? 今のうちに……どうすべきかを……考えなきゃな……)
九死に一生を得たと言っても過言ではない俺はこのチャンスを逃すまいと必死で頭をまわし始めた。作戦なしには絶対にこの状況を打開できるはずがない。
(痛ぇ……いやいや、今しか時間がないんだ……真剣に……やっぱり痛ぇ……)
ズキンズキンと脈打つ痛みが、思考の邪魔をしてくる。
(祈里の魂はソノラが……創造主? になるために利用する……んだよな。で、メズルフは……このままだと……ずっとソノラの手先……)
ズキンズキン。痛みは増していく一方で、気のせいか徐々に熱が出てきて頭がボーっとしている気がする。足の大きなけが以外にも、背中や腹なども蹴られたか殴られたかした痛みがじんわりと広がってきて息をするのも辛い。
(こんな状況で……あの二人を救うのはもう無理……なのか?)
肩で息をしつつ俺は絶望にのまれそうになっていた。
その時だった。
突然俺の頭に聞きなれた声が、いや絶叫が飛び込んできた。
(なんだこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!)
「うるさっ!! うるさいっ!!!」
(何だよこのモニター!? え、待ってくれ? どういう状況?)
頭の中で響いてきたこの声は、いわゆる前楽のものだった。この期に及んで魂が分離したままだという事実に俺は大きなため息を一つついた。てっきり体に戻ったら俺と俺は合体か何かして前楽の存在は俺と同義になるものと思っていたがどうやら違ったようだ。
わめきまくる前楽の独り言はまだまだ続いていた。
(落ち着け、落ち着くんだ俺。まず、世界が崩壊するとか言われて、メズルフに変な矢を打たれてからは祈里とキスしたくて堪らなくなったんだ。そしたら、祈里に守ってって言われて……そうそう!! メズルフにぼこぼこにされちまったんだ!! その後……そっか、気を失ってたんだな、俺)
「混乱してるところ悪いんだけどさ、ちょっと黙っててくれね? 俺、今大事な考え事しなきゃいけねぇんだよ」
(う、うわぁ! だ、誰だ!?)
俺の声もどうやら向こうに筒抜けらしい。俺の声に気が付いた前楽は驚いた返事を返してくる。当然と言えば当然だが、ただでさえ痛みに思考が持っていかれている中、コイツと話をしている場合でもないのだ。
(……おい、お前!! どういうことか説明しろよ!)
俺は前楽にお前呼ばわりされイラっとする。我ながら面倒くさい。
「……俺はお前だよ。なんて言えばいいのかな? リムベール様によって過去の自分に転生するはずだった俺? まぁ、詳しく話している時間はない」
(はぁ!? 言ってる意味わかんねぇんだけど!! それを信じろってのか?)
「だろうなぁ……俺にもどうしてこうなったか分かんねぇ……でも悪いんだけど、マジで黙ってて?」
ただでさえ体が痛い状況なのに頭まで痛い状況になってしまった。前楽と俺はもとは同じ魂のはずなのに、なんで意識が分かれているのだろう。まぁ、今はそんな事どうでもいいのだ。早く祈里とメズルフを助ける方法を考えなきゃいけないのだから。
(なんでさっきから、このモニター草しか移さねぇの?)
「メズルフに投げ飛ばされたまま体が痛くて動けないんだよ」
(げ。まだメズルフにボコられてるの!? そういえばあの弓矢で足攻撃されたもんな……くそ痛かった)
「そうだよ。もう片方の足まで狙われて、今隠れてんの」
(やべぇじゃん)
「やべぇんだってば」
なんとなく状況が伝わったのか、とりあえずヤバいことだけは前楽も分かったらしい。
そういえば、今までヤバい状況だということが伝わってなかったのはおかしい気がする。俺と同じ状況なら意識が戻った時点で痛みに悶絶しそうなもんだが……。
「そういえばさっき『痛かった』って言った? ……もしかしてお前、今痛みは感じてねぇの?」
(そういえば、体はどこも痛くねぇな)
どうやら俺の感は当たったらしく、体の中では痛みは感じないらしい。俺の足から伝ってくる痛みは集中を阻害する。今はなんとしても作戦を練りたい。
「そりゃぁ、いい!! ちょっとだけでいい、表面変わってくれねぇか!?」
(表面!? 変わる!? 何を言ってるんだ?)
「あー……お前が体を担当。つまりいつも通りに戻る。そして、俺が体の中で作戦を練る人ってわけ」
(……え、まって。さっき体が『痛みで動かない』とか言ってたよな!? 絶対ヤダよ!)
先ほどボコボコにされた記憶が鮮明にあるのだろう。ナチュラルに拒絶をされてしまった。だが、俺も引き下がる訳にはいかない。
「祈里とメズルフを助ける作戦を練らなきゃいけないのに痛くて集中できねぇんだよ! 頼むよ俺!!」
(…………二人を助ける? そうだ、祈里! 祈里の魂が取られるとか言ってた! え、ちょっとまって。本当にお前俺なの?)
「そうだよ。祈里を助けるために奮闘中。それに、メズルフの事も。ソノラの手下としてやりたくない仕事を延々とし続ける運命は可哀そうだろ?」
(そうか……。わかった。今は一回お前の言葉を信じることにする。……少なくともお前の方が状況を知ってそうだ。俺が表面?に出れば作戦をちゃんと練れるんだろうな?)
「ああ。絶対いい作戦を考えてみせる」
俺は語気を強めてそう言った。半分ぐらい自信がなかったりするが、ここは嘘でも胸を張るべきだと思った。
(はぁ……損な役回りだけど……仕方ねぇな。変わってやるよ)
「サンキュー! さすが俺!! 詳しいことは状況を整頓しながら説明してやる。だからちょっとでいい変わってくれ。あ、メズルフに追いかけられてるから声出すなよ?」
(分かった……って、もう変わるの!? ちょ、まっ!! 心の準備……っ!!)
体の中と表面の行き来は何度かやったことがあったのが幸いした。俺は目をつぶって以前祈里の魂と表面を行き来した時の感覚を思い出しながら、前楽と体の主導権を入れ替えた。
「っっっ!!!!!!」
思いのほか痛かったのだろう、前楽は俺の言いつけを守って、声にならない声で叫んだのだった。




