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第二十一話 愛の神と転生の神③

 地面に伏せたままのメズルフが泣いているのを感じる。肩は震え、嗚咽は止めることができない。それは近づいて、傍に居てあげたかったが、横にはソノラが浮遊していて近づけそうになかった。


「祈里の魂を隠すために男の子の魂を使うなんてぇ、さすが長く生きてるだけの事はあるわぁ? 私じゃこんな狡い手考えつかないものぉ」

「……」


 ソノラの独り言はたくさんのヒントをくれている。今までの話をつなげると何かが見えてきそうだった。少しでもゆっくり考える時間があれば何か道が開けそうな気はしたが、話が終わったソノラはもう、待ったくれそうになかった。


 元から壁際に居た俺は最初から追い詰められていた訳で、逃げ場なんてそもそも無かった。ソノラとメズルフが悠長に話をしていたのは俺が逃げれないと分かっていたからだろう。神の本気は人間の力の何倍も上回っているらしく、細くてスラっとしたソノラの手が自分の首を締めあげていたことに気が付いたのは足が床から離れた後だった。


「あぐっ!!」


 一秒も経っていなかっただろう。一瞬のうちに呼吸することもできずに何が起こったかも理解できないまま酸素を求めて口をパクパクさせていた。目の前にはソノラが妖艶に笑っている。首に巻かれたソノラの細い指をなんとか外そうと、力の限りもがいてみたがピクリともしなかった。


 苦しい……1秒ごとに酸素が足りなくなってくるのを感じる。


「でも、小手先だけじゃぁ、私は出し抜けないのよぉ?」

「っ…………!!」

「さっさと出て行ってちょうだいな、男の子君」


 そういうともう片方の手が祈里の体のヘソあたりをガっとつかんだ。結構な力で掴まれて、痛みを感じたが何一つ抵抗することはできなかった。おなかの鈍い痛みに加え酸素不足、それに加えて強い眩暈がして目の前がひしゃげたように見えた。


 とても苦しくて、意識が遠のいてくる。


「あはっ!魂を抜く時の子のゆがんだ表情っていつみても良いわぁ。もっと苦しそうにしてくれてもいのよぉ」


 きっと、苦しいのが顔に現れていたのだろう。ニヤニヤと人の苦しがる様を笑うソノラに腹が立った。


「…………ぺっ」


 俺は手に唾を吐いてやった。見る見るうちにソノラの顔は赤くなり首を絞める力が増す。


「さっさとくたばりなさぁい?」

「ぁ……ぅ……」


 一分経過する頃には、力も入らなくなってソノラの手にかけていた俺の手は重力に逆らえなくなってぶらりと垂れ下がった。


「………っ……」


 どんなに酸素を欲しても首の締め付けが肺に酸素を送ることを許してはくれない。

 もう、目の前は酸素不足で真っ白になって意識はどんどんと遠ざかっていった。


(祈里……ごめん……)


 俺は最後に俺の中の祈里に謝った。

 不思議と、祈里の声は返ってこなかった。


 見限られたかな、なんて思っていると、不意に強い浮遊感に襲われた。誰かに吹っ飛ばされたかのような感覚に驚く間もなかった。突然地面にズドンと落ちた感覚がして俺は意識を取り戻した。


(!!??)


 それを境に、今まで苦しかった息は全く苦しくなくなった。

 代わりに俺は体中にひどい痛みを感じでひゅっと息を吸い込んだ。


「がはっ!! はっ!! い、息ができる……けど……いってええええええ!!!」


 俺の口から出た声、それは、もう祈里の声ではなかった。


「お、おれ……俺……俺だ……!?」


 驚きで体をガバッと持ち上げると正面にはソノラに首を絞められつるし上げられている祈里の姿が目に入った。状況から察するに俺はソノラによって祈里の中から魂を引っこ抜かれて、元の体に投げ入れられたようだ。


 つまりここにきて俺はようやく、『俺』に戻ったのだ。


 だが、元の体に戻った感動などは全く感じなかった。それはもちろん目の前で祈里がソノラに首をつかまれた状態で宙づりになっているからで、俺はすぐに駆け寄ろうとした。しかし、足に強い痛みを感じ先ほど前楽が倒れたのと同じように床に転がってしまった。


「あぐっ!!」


 その場にいる誰も俺が転がったことに反応しなかった。俺はそれでも諦めず体を起こしソノラを睨んだ。


「やめろ!! 祈里に手を出すな!!!」

「いいえ、そうはいかないわぁ? 魂をくれるって祈里本人が言い出した事よぉ?」

「……それは……」


 言い返せずに俺は一瞬口ごもる。確かに俺ではなかった、でもだからと言って食い下がる訳にはいかない。


「あ、あれは! お、俺が返事をしていたんだ。だからお前が取っていいのは俺の魂だ!」


 なんとか気を引こうと俺は口から出まかせを言う。けれどもソノラはそんな俺に見向きもせずに祈里のヘソの辺りにぐりぐりと指を食い込ませている。


「やめろってば!! おい!! 世界の崩壊を食い止めてもいないのに先に魂を抜き取るなんてそもそも契約違反だろ!! なぁ!!」


 俺の安い口喧嘩に乗ってくれる様子ではなかった。その内にソノラは動かしていた指を止め、ゆっくりと祈里のおなかから手を放していくと、青白くぼんやりと光る何かがゆっくりと祈里のヘソの辺りから引き抜かれていくのが見えた。


「メズルフ、もしかしてあれって」

「…………」


 メズルフはソノラの言葉にショックを受けてしまったままで、全く返事もしてくれない。代わりに今まで一切返事をしてこなかったソノラが俺の問いに答えた。


「そうよぉ、これが祈里ちゃんの魂なの。見て? なんて美しく純白な魂なのぉ?」


 うっとりとした声が妙に気持ち悪い。ソノラにだけは絶対に祈里の魂を渡しちゃいけない。リムベール様がそう言っていたのもあるが、それ以上にソノラに渡すのだけは絶対に嫌だった。


「い、祈里の魂……か、返せ! 祈里に返せ!!」


 俺は痛みを根性で押し殺し、ふらつく足をなんとか奮い立たせなんとか立ち上がった。本当なら走って行って力づくでも取り返したい気持ちがあるのに、前楽をおとりに逃げた代償はかなり大きなものだったようだ。


 ソノラは片手で祈里の首を絞めていた手を離し、祈里の本体を地面に転がしてからはじっと祈里の魂にうっとりと見入っている。俺の事なんて眼中にないのは伝わってくる。ソノラは硬骨な表情を浮かべたまま興奮しているようだった。


「これで……これで私はリムベールを超えられる! いえ、創造主の仲間入りができるわぁ!! ふふっ! 悲願の達成は目の前ねぇ♪」

「創造主……? お前、祈里の魂を何に使う気だ!?」

「あらぁ? 男の子が聞いたって仕方がないことよぉ? それより……そろそろあなたには崖下に落ちてもらわなきゃいけないわぁ?」

「……っ!!」


 あまりにもあっさりと人の命を崖下に落とそうとするソノラに俺は一瞬生唾を飲んだ。今のところ何の勝算もないのだ。俺は藁をもすがる気持ちで地面にうずくまったままの天使に向いた。


「メズルフ!!」

「……」


 再起不能になっているメズルフからの返事は何もないが俺はそのままメズルフに叫び続ける。


「もう俺にはお前しか頼れる仲間はいない。だから、助けてくれ! 俺はどうにかして救わなくちゃいけないんだ。祈里を、この世界を、そして、メズルフ。お前の事も!」

「…………っ!!」

「あらあらぁ……とんだビッグマウスだ事ぉ」


 ソノラは祈里の魂を片手に一歩、また一歩とこちらに歩いてくる。俺にはもうあと数秒しか時間がない。俺は祈る気持ちで言葉を進める。


「俺も、できるかって言われたら、できるかよ!!って突っ込みてぇんだけどな。頼まれちまったんだわ」

「たの……まれた……?」


 か細いメズルフの声が返ってきた。そりゃぁそうだ。頼まれたということはもう一人、誰か登場人物がいるはずなんだ。俺はメズルフと同じ目線になるまで膝をついた。メズルフは俺の気配に気が付いて、泣きはらした顔をゆっくりと上げ始める。


「メズルフ、見てくれ。俺はさっきここで、これを、朝日を見ながら拝んだ」

「これは……」

「見ててくれ」


 俺は手のひらを皿状にする。正直に言うと祈里の体じゃなくなった今出現してくれるかもわからなかったが、心の奥底から祈った。


「リムベール様、どうか救いを」

「無駄ですよ……リムベール様はもう、いらっしゃいません。先ほどソノラ様がおっしゃっていたことが本当なのかどうか確認することだってできません。もしかすると本当にソノラ様を奇襲して……」

「ふぉっふぉっふぉ……メズルフ。確かにワシは奇襲をかけた。じゃが、それはソノラを……」


 ――パキン!!


「なっ!?!?」


 当り前のように会話に入ってきたリムベール様の声がした直後何かが割れる音がした。俺は光るものが一瞬横切ったこと以外、何が起ったのか分からなかった。


 直後、手に乗っていた正道の天秤はパラパラと崩れ落ちるように粉々に壊れた。

 加えて、ソノラの指から煙が出ていて、俺は状況をようやく認識できたのだ。


「あんの!! 老害!! まだ!! 消え切っていないなんて!! しつこすぎるわぁ!!」


 ソノラが正道の天秤を砕いたのだ。煙の出ているその指から光線でも出たのだろうか。リムベールの出現に気が付き、正道の天秤を破壊するまで本当に5秒。たったの5秒だった。



「い、今のは……間違いありません。リムベール様……リムベール様のお声だった……。聞き間違えるはずがございません!! リムベール様が消滅されていない!!!」


 その5秒はメズルフの目に光を取り戻すのには十分すぎる時間だったようだ。

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