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第二十話 無慈悲な結果と賜りし救い③

 メズルフの矢に打たれた祈里の心の声は状態異常という言葉がふさわしく、いつもの祈里ではぜったいに考えられないような言葉が俺の耳に届いてくる。


(楽を他の人に奪われたくない!! 身も心もすべて私のものにしたい! いや、して見せる! 他の人のものになっちゃったら私死んじゃう!!)


 いやいや、死ぬのはダメだから。魂を抜かれるのが死ぬのと同音異義語なのかはわからないけど、今の祈里がそれをいうと洒落になってないから。


(あ、楽がこっちみた!)

(え!? ま、まさか……嫌な予感しかしないんだが)



 普段自分の心が乱れる様子がない祈里でさえここまで変になるんだ。元から祈里の事が大好きな俺が愛の矢を打たれたら……!!

 嫌な予感は頭をよぎると同時に的中した。


「祈里!!! 大好きだぁぁぁぁ!! 絶対に離さない!!」


(やっぱりなぁぁぁぁぁ!!)


 漫画で例えるならば目がハートの状態。鼻息さえ聞こえそうなほど興奮した様子で祈里を凝視する前楽が目の前のディスプレイいっぱいに映った。


「……果てしなく気持ち悪いですね」


 前楽の後ろ側にいるであろうメズルフの侮蔑の声がひっそりと聞こえてくるが、今回ばかりは完全同意だった。そんなメズルフの軽蔑に満ちた声も矢を打たれた二人には届かない。


「楽……もちろん! ずっと一緒に居てほしい」

「ああ!! 結婚しよう!」

「はい!!」


 なんと短絡的な、そして恐ろしい効き目の弓矢なんだ。付き合ったのが昨日、そしてプロポーズが今日ときた。何も知らない他人が聞いたら近頃の若い者は、と言われてしまいそうな展開だ。


「いいわねぇ♪ それじゃぁ契りの接吻をしてもらおうかしらぁ?」

「接吻ですか!?」

「うん? どうしたのぉメズルフ? 何か問題でもあるのぉ?」

「い、いえ、ありませんけど」


 焦るメズルフの気持ちしかわからない。まがりなりにも目の前で元カレが今カノとチューするところをむざむざ見せつけられるのだ。可哀そうとしか言いようがない。


「接吻ってキス……だよな?」

「そうだよ……」

「しても、いいか?」

「うん♪」


 俺と祈里とは思えない程の軽いやり取りに別人を見ている気持ちになってくる。だが、当人たちは自分の頭がおかしくなっていることに全く気が付いていないようだ。


 となると、このまま祈里と俺がキスをする流れになっているわけで……


 ディスプレイには徐々に、


 徐々に、


 俺の気持ち悪いキス顔が近づいてくる!!


「いやだあああああああああああああああああああ!!!!!」


 気持ち悪すぎて俺はもだえ苦しんだ。強制的に見せつけられているディスプレイいっぱいに俺の顔が表示された瞬間、俺は吐き気を覚え死ぬ気で体を動かそうともがきにもがいた。


「おえええええええええええええええええええええ!!!!!」


 けれども、俺のキスはもう目の前。


「助けてくれ!! ここから!! 逃げて!! おええええ!!!」


 吐きそうになって涙目で俺は精一杯抵抗しようとした。何としてもここから逃げ出さなくては!!

 思えばこれが気持ち悪すぎて告白に失敗したんだ。


「自分とキスなんて死んでも嫌だ!!!!!!」


 精一杯もがいてもがいても俺はここから出ることができない!

 目の前には俺の顔がもう唇を尖らせている!!


「やめてくれえええええええええええええ!!!!!!」


 俺は全力を尽くして抵抗した。

 その時だった。


 ――グラッ!!


 俺の強い抵抗のおかげか、意識の揺れを感じた。揺れに耐えきれず目をつぶり、次に目を開けたその時、一瞬のうちに俺の顔がディスプレイではなく本当に目の前にあったのだ。


 強い拒絶の心が状態異常の祈里の力に勝った瞬間だった。

 俺はようやく体の自由を手に入れ、当然、即座に、スウェーバックで前楽のキスを華麗に避け、そのまま後方に後退り距離を取った。


 祈里の唇には、前楽の唇が触れた感触はない。何とか逃げ切れたようだった。


(あれ〜! 楽がテレビに入っちゃった! もうちょっとでキスできたのに!)

(ごめん、祈里、ちょっと黙ってようか)

(この声は楽!? うん、楽がそう言うなら私黙ってるね!)


 明らかに別人のような祈里に俺はもう、心底疲れた気持ちになっている。だが、もう一人おかしくなっている人が目の前にいるのだ。


「祈里? どうしたんだ? キス、しようぜ!」


 死んでもいやだ!とは言えない。

 なんとかこの場をやり過ごす言い訳を考えねば!


「そ、それは、その……そうだ! 私を守ってくれたらご褒美にキスしてあ・げ・る!!」

「守る?」

「今魂を取られそうになってるの! 私が死んだら悲しいでしょ? 助けて私の王子様!」


 王子様だなんて、普段絶対に言いたくないセリフをできる限りくねくねと体を捩りながら前楽に言うと、前楽は目をハートにしてこっちを見ている刺激が強すぎたのか俺は動かない前楽の肩を掴んでくるりと後ろを振り向かせ視界にソノラが映るようにした。するとようやく前楽はソノラを敵と認識し腕を捲って数歩前に出た。


「うっひょぉぉ!! 祈里のキスがかかってるんだ! かかってこいやおばさん!!」

「……おばさん?」

「どうみてもおばさんだろうが!!」


 ソノラのコメカミがピクリと動いたのを俺は見た。どうして俺はそう言う地雷を踏みやすいのだろう。ともあれ、前楽が時間を稼いでいる間に俺は祈里だけでも助ける方法を探さなくては行けない。俺はそそくさとその場を走り去った。


「メズルフやってしまいな」

「……」

「やれ!」

「……はい」


 俺の背後からメズルフとソノラのやりとりが聞こえたが全力で崖エリアを駆け戻り、俺は身を隠せる場所を探して境内を走り回った。だが見渡す限りでは隠れられそうな建物は本殿しかなさそうだった。

 正面は鍵が閉まっていたが、誰が開けたかわからない俺がしゃがまなくても通れてしまう程の大きな穴が本堂の横壁に開けられていて、俺はそこから本殿の中に忍び込んだ。


 正直に言って、本殿の中を見るのはこれが人生で初めてだった。まだ朝日が昇ったばかりと言うこともあり、ほとんど日の光は入ってきていない仄暗くて広い空間がそこにはあった。真ん中には祭壇というのだろうか?よくテレビとかでやっているお祓いとかで使いそうな立派な像やキラキラと輝く装飾品が多数並んでいる。


 俺は足元がよく見えなかったのでスマホで明かりを照らしながら歩き始めた。入り口付近の床には飲み残したビール缶がいくつもあり、ハエがたかってて、顔を顰める。こんなところまで汚れているなんて、どこまでもマナーが悪い。

 もっと奥の方へと進んでようやく座れる程ゴミの落ちていないの床を見つけ、俺はそこに座りようやく祈里に声をかけた。


(祈里、もう喋っていいぞ)

(本当!? 楽大好き!)

(……)

(楽? 楽は私の事好きって言ってくれないの?)

(ん……)


 状態異常の祈里の押しが強すぎて俺はタジタジになってしまう。やっぱり祈里ではないような気がして、俺は一瞬口籠った。


(言ってくれないって事は……やっぱり私の事嫌いなの?)

(……嫌いなわけ、ないだろ)

(なら好き?)

(まぁな……でも……できれば……その言葉は……あとででいいかな? 今の祈里にはなんか言いたくなくて)

(そっか……じゃぁ、いつまでも待ってるね!)

(ああ)


 今の祈里は明らかにいつもの祈里じゃなくて。俺は好きとは言いたくなかった。

 言えるはずもなかった。俺のせいで、祈里まで巻き込んでしまったのだから。


(……)

(楽?)

(……)

(……元気ない?)

(……まぁな。祈里の魂がソノラに持っていかれるのに元気が出るわけがないだろ……それが結局どう言うことなのかはわからない。でも、祈里を救えないなら俺は……死ぬ意味なんてない! どうして祈里なんだ。俺の魂じゃダメなんだ? どうしてソノラは……)

(……楽? )


 俺はいつの間にか目に涙を浮かべていた。大好きな祈里をも巻き込んでしまうという、俺にとって世界の崩壊よりも最悪の結果に打ち震えていた。


(だれか……助けてくれ……誰でもいい……)

(じゃぁ、私が助けてあげる!)

(違うんだ、祈里を助けたいんだ)

(楽が一緒にいてさえしてくれたら、私は幸せだよ)

(うぅ………ごめん……俺も……そうなんだ……)

(本当! 嬉しい!)

(はは……)


 状態異常の祈里は純粋で、飾り気のない子供のような反応を繰り返している。祈里なんだけど祈里ではないその声に俺の心はさらに震えた。


 今この子を守れるのは俺しかいない。

 俺しか……いない?


 その時だった。


 〜ぴろぴろりん♪


 ライト代わりに使っているスマホの着信音が鳴り響いた。


(だれだ? こんな時に……)


 そう思ってスマホを見てみると、真心からグループチャットが飛んできていた。


『さっき大きな地震があったみたいだけど大丈夫?』


 真心が心配してグループメッセージを飛ばしてくれたようだった。続いて次のメッセージが送られてくる。


『 楽! 祈里とメズルフをよろしくね?』

(ははっ……よろしく、か)

『木とか倒れたかもしれないし、楽が二人の事守ってね! 朝礼までには帰ってきなさいよ?』

(二人の事……守る……俺が……)


 真心からのチャットは俺の孤独を少し和らげてくれた。俺は今の現状を真心に伝えることは出来なかったが、この一言が俺に勇気をくれた。


 そうだ、祈里の事を想っている人は俺だけじゃない。真心もそうだし、祈里の両親や友達だって。

 なんとしても絶対に祈里だけは守ってみせる。

 俺はそう決心するのだった。



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