第二十話 無慈悲な結果と賜りし救い②
「祈里、今……なんて?」
怒りのやり場を失い震える声のまま、前楽は祈里を向いた。正面に見据えられた前楽の表情には絶望の色しか伺えない。きっと俺も同じ顔をしている。まるで鏡を見ているようだった。
「私1人の魂で世界を救っていただけるなら、喜んで差し出しますって言ったんだよ」
静かに、優しく。
そして、冗談なんかじゃ無い、強い決意を感じずにはいられない声で祈里は今言った言葉を繰り返した。
ダメだ……それだけはダメだ!と叫ぼうとも、祈里は俺の言葉に一切の反応をしめさない。もちろん、前楽の言葉にも。祈里は神様に向き直ると両の手をしっかり地面につけ、頭を地に下げる。
「お願いします、神様。地球をお救いください」
これ以上ない懇願に、ソノラは満足そうな笑みを浮かべた。
「ダメだ、祈里……ダメだ……」
前楽は首を横に振りながら、頭を抱えた。
そんな前楽などお構い無しに、ソノラは楽しそうに話を進める。
「ふふ。分かったわぁ! 時間もないしぃ、早速始めるわよぉ?」
「始める……何をされるおつもりですか?」
メズルフが怪訝な声色をソノラに向けると、ソノラは前楽と祈里を交互に眺め、妖艶な笑みで応えた。
「話を聞く限りだとぉ、二人が愛し合っちゃえば矛盾が解消されるはずよねぇ? 昨日付き合ったばかりというんだから愛が足りてないのよぉ。だから、メズルフ? これを使って二人をくっつけちゃってぇ?」
「!?」
メズルフの前の前に突然現れた「これ」とは蛍光ピンクに塗装された弓だった。弓は地面に落ちることなくメズルフの目の前に浮遊した状態を保っている。形状は弓なのに矢は見当たらなかった。
メズルフが両手を差し出すとストンと手の上に着地する。
「メズルフちゃん、それは……何?」
「愛の……弓矢……です。男女の対となる矢があって、二人の人間を射抜けばどんな人間も恋に落ちてしまいます」
「それで私達を射抜けば世界の崩壊を止められる……って事なのかな?」
「あはは、馬鹿ね。それだけじゃ無理よぉ?」
「え!?」
「その後、その男が死ななくちゃ。元から死ぬ運命だったのよねぇ? でも、愛が足りないまま死んでしまったらこの世界の崩壊は救えないわぁ? だから、愛し合った上で崖下に落ちなさぁい?」
「は? え??」
神様は相変わらずの笑みのまま、前楽にそう告げた。頭を上げた前楽は何を言っているのか理解ができずに神様を見たまま固まっているようだった。だが俺は今の一言になんとも言えない違和感を感じソノラを凝視する。
この違和感はいったい何だろう?
だがその違和感を突き止める時間などどこにもない。こうしているうちに話はどんどんと進行していく。
「世界の崩壊を止めるんじゃなかったのぉ? 恋愛を成就させてからこの男を崖から突き落として殺せば万事解決じゃないぁい?」
「そ、それはそうです……けど」
メズルフが言いかけた「けど」の続きはなんとなく分かる。このままじゃ、メズルフはソノラの手下に。祈里は魂を持っていかれ、俺は殺される。
それは俺たちからしてみれば、あまりにも無慈悲な救いだった。
「じゃぁ、メズルフよろしくねぇ? 神って、直接人間に手をかけちゃいけないってルールなのぉ。知ってるでしょぉ? 私、こんな事でルールを破って昇格のチャンスを逃したくないのよぉ。だからぁ、ちゃっちゃと矢を打って、ちゃっちゃとその男を始末して頂戴。おわかりぃ?」
「わ……私が……楽さんを殺す?」
「他に誰がやるのぉ?」
メズルフの愛の弓を持つ手が震えているのが見える。一ヶ月もの間、毎日顔を突き合わせていた天使だが、あんな辛そうな顔を見たことはなかった。
「……いや、……いやです! 楽さんを手にかけるなんて出来ません! ソノラ様……二人を…二人を助ける方法は他にないのでしょうか?!」
「あんた、言ってること分かってる? 目の前で崩壊が始まっても尚、そんな事言うなんて。地球よりもこいつらの命の方が大事なのぉ?」
「そ、そう……です……この二人は、私にとって、とても大事な人間……いえ、友達なんです!!……他に手があれば全力でやります!! ソノラ様、お願いです。何か、他の方法はありませんか!?」
(メズルフ……)
必死に神様に懇願するメズルフの姿に俺も祈里も前楽も何も言えずに見守るしかできなかった。けれど、そんなメズルフにゆっくりと近づいたソノラは、突然開いた掌を思い切り頬へと叩きつけた。
パァンという小気味いいほどの音が鳴り響く。
ビンタされたメズルフの頬は一瞬で真っ赤に腫れ、勢いでメズルフは大きくのけ反った。
「あぐっ!!」
「……甘ったれないで欲しいわぁ? 世界を滅亡させているのに代償もなく救うことなんてあり得ないわぁ? むしろたった二人犠牲になるだけで世界を救うって言ってるのよぉ〜? 破格よぉ??」
「……で、ですが……」
「………おだまり!!」
ヒステリックな声でソノラはメズルフを一蹴した。
「もういい。今より天命の輪を始動するわ!」
怒りに満ちた瞳でソノラがそういうと、メズルフがかぶっている天使の輪が神々しい光を放つ。
「や、やだ! ソノラ様おやめください!」
「出来損ないとは聞いていたけどぉ、あなた立場がわかっていなさすぎよぉ?」
「あ……あぁっ!!」
「なんだ? メズルフの様子が……明らかにおかしいぞ!?」
「操り人形みたいな動き……」
メズルフは絶望的な顔をしながらもまるで機械のように動き始める。カタカタと言う音でも聞こえてきそうなほどぎこちないその動きで手に持っている弓矢をゆっくりと構え始め、メズルフが矢のない弓の弦を弾いたかと思うと、神々しい光の矢が2本出現した。一つは青く、もう一つは赤い。突然現れたから手品でも見ている感覚に襲われたが、そう悠長なことも言ってられなかった。
矢の矛先には俺らがいる。
「メズルフ……? おま、それを俺らに打つつもりか!?」
「ごめんなさい!! 神から承りし天命の輪を被った天使は、その効力が発揮されている間、神様の命令に逆らえなくなります。もう私には……ソノラ様に逆らうことができません」
「なんだよそれ!! 絶対服従ってか!? メズルフに人権はないのか!?」
「人権……? 面白いことを言うのね。この子は天使であって人間ではないのに。天使の輪っかはねぇ、天使が生きるためのエネルギーを供給してあげる代わりに、神の力になってもらう為の代物なのよぉ? 」
「でも、メズルフちゃんの意思だってあるのに」
「天使に意思なんて要らないわぁ? 歯向かう天使の自我は抹消することもできるのよぉ?」
「そんな……ひどい……」
「さ、……おしゃべりはここまで。メズルフ。ちゃっちゃと仕事をなさぁい?」
ばちん、と手に持っている扇を閉じてソノラは冷たく言い放った。
「ぐぐっ!! だめです。体が言うことを利かない!!」
機械人形のようにメズルフの弓が張り詰めていく。自分の意志に反した行動なのか、メズルフの目尻にうっすらと涙が見えた。
「二人とも逃げて!!」
メズルフが叫ぶが先か矢が飛んできたのが先か、凝視していたとしても放たれた矢は早すぎて視認はできなかっただろう。
同時に放たれた二本の矢は通常あり得ない軌道を描き、青い矢は楽へ、赤い矢は祈里の心臓付近を貫いた。
「あぐっ!!!」
「きゃっ!?!」
結構な衝撃を感じたものの、矢は体に当たるなり光の粒となり祈里も前楽も怪我をしたようには見えなかった。
(祈里!? 大丈夫か!?)
画面越しに状況を把握することしか出来ない俺は祈里の中でそう叫んだ。もどかしい気持ちが押し寄せる。祈里は無事なのだろうか……
(楽……)
ここまで全く問いかけに応じなかった祈里の声がして、俺は周囲を見渡した。いつも会話する時はここに祈里の姿が見えるのだが今はない。
(大丈夫……なのか?)
そして、次の瞬間、俺の問いかけに答えている訳でも無い事も悟る事になる。
(楽……大好き!!!)
(は? え!?)
(あぁ〜もう、可愛いなぁ! 今すぐ抱きしめて胸に顔を埋めたい!)
(ち、ちょっと待って!? い、祈里さん?)
(あのぷるぷるな唇突然奪ったら、可愛い反応してくれるかな? 純粋無垢な楽だもん、絶対に良い反応してくれるよね~!)
明らかな状態異常に俺は3歩後退る。この声は今まで全く聞こえてこなかった祈里の心の声だ。俺と一緒に過ごすようになってから祈里の心の声は俺には強い感情の時に端々にしか伝わって来なかったことを考えても、先ほどの矢の効力に違いなかった。
いや、それよりも大きな問題がある。
とどのつまり、今までの一か月、俺の心の声はずっとこのように祈里に聞こえていたと言うことじゃないか!
聞こえるとは聞いていたものの、こんな風だったとは。俺は頭を抱えて1分程立ち直れないのであった。




