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第十ハ話 修学旅行と足りない一人⑤

 --カチリ


 正道の天秤の音だった。


 メズルフが前楽の作った人形を持ち歩いていて、微笑ましいやり取りの最中に動いたのだ。針の方向はどう考えても俺の望んでいる方向とは逆だろう。


 前楽はこの期に及んでメズルフにときめいたのだ。


「……メズ……ルフ」

「えっ!! あ……その……」


 メズルフも状況は理解してるのだろう。思っても見ないところでの針の変化が起こり、戸惑っていると言う具合だ。


 メズルフが意図していたかしていないか、それはこの際どうでもよく、俺の心は怒りでいっぱいだった。俺が今日一日なんとか前楽の気を引こうと必死になっていたのに、あいつはこういう事をさらりとしてしまうのだ。


 俺が馬鹿みたいだ。


 目頭が熱くなる。俺の心は焦りや苛立ちでぐちゃぐちゃになっていた。このままじゃダメだ。怒りに任せてメズルフに怒ったところで前楽が好きになってくれる訳がない。それどころか、感情的に怒ったら嫌われてしまう可能性すらあった。


「ご、ごめん、私ちょっとトイレ行ってくる」


 俺は目にうっすらと浮かんだ涙を隠すように一度も歩いたことの無い道を駆け出した。


「い、いのり!?」


 突然走り出した俺に驚いたような声が背後から聞こえてきたが俺は構わずに走り去った。もう、なりふり構ってられなかった。


 もう、世界は崩壊するしかないのかもしれない。

 俺の所為だ。

 俺のせいでみんな死んじゃうかもしれない……いや、死ぬんだ。

 ごめん、みんな、ごめん……。


 俺は感情が抑えられなくなって泣きながら走りに走った。

 もう、どこに行くかなんてわからなくてもいい、とにかく今はあの3人から離れたかった。

 どうせスマホのナビさえあればホテルには帰れるだろう。

 だからとにかく遠くに行きたくて、俺はやみくもに走り続けた。


「はぁ……はぁ……」


 どれくらい走っただろうか。息は上がり、見たこともない住宅街に迷い込んだ俺は走るのをやめ、いつしかトボトボと歩き出していた。スマホには先ほどから着信がたくさん来ていたが、出るつもりは全く起きない。すると、サラサラと流れる水の音が耳に入る。その音を頼りに歩いていくと大きな川がそこにはあった。


 すこし、休もう。


 俺は河原に腰を掛けてしばらく流れる川のせせらぎに耳を傾ける。


「あ、あれ?」


 その時、視界がぼやけた。涙の所為かと最初思ったがそうでもない。軽い眩暈と頭痛がする。

 よくよく考えると、慣れない長旅の上、昨晩は全然眠れずに寝不足、朝一発目に全力ダッシュをしていた。その上長い撮影でまだ昼ご飯を口にしていない。もちろん水分も。


「これ、まさか……」


 空を眺めるとカンカン照りの日差しが、頭を照らし続けていることを俺は今ようやく意識した。そんな中やみくもに走り続けていた事を考えるとなんとなく答えは導き出せるような気がした。


「まずい、熱中症になりかけてるのかも」


 どこか、コンビ二でも探して水分を摂らなきゃ祈里の体がヤバい。俺は河原の土手から立ち去ろうと膝に力を入れた、その時。


 グラッ……


 大きな眩暈が起こり、俺はなすすべなくその場にしゃがみこんだ。


(嘘、だろ?)


 女子の体だから、というよりかは俺の不健康な行動の結果、ここから動けなくなってしまった。あたりに人がいないかと見まわしたが、遊歩道との距離は結構あり覗き込まない限り俺の存在にさえ気が付かないかもしれない。そのうえ気持ちが悪いせいでうまく大きな声が出ない。


(せめて日陰……)


 俺は這うようにしてすぐそこに生えていた苗木の細い影に身を隠す。


 その時、俺のポケットから再び着信音が鳴り響いた。

 相手は前楽、俺は絶対に電話に出たくない、そう思っていたが祈里の体がピンチだ。背に腹は代えられないと思って受信ボタンを押した。


「祈里!? やっと出てくれた、今どこだ!?」

「か、河原……具合悪くなっちゃって」

「河原!? 名前とか分かるか?」

「ごめん、わかんない」

「ほかに何か目印…………」

「……?」

「……」

「……楽?」

「……」



 突然、前楽の声が途切れた。あまりに突然すぎたので、俺はしばらく自分のスマホの充電が切れたことに気が付かなかった。思えば昨日眠れずずっとスマホをいじっていたし、朝ナビをしたりして結構充電が減っていたことを思い出す。


「……やばい……かもな」


 助けを求めることもできず、俺はただただ木陰で目をつぶるのだった。


 ◇


「……のり!?」

「……ん……?」


 いつの間にか寝てしまっていたのだろう。俺は耳元で俺を呼ぶ声が聞こえて重たい瞼をゆっくりと開く、すごく心配そうな俺の顔が目に飛び込んできた。


「いのり!?大丈夫か!?」

「……喉……乾いた……」

「分かった、そこの自動販売機でなんか買ってくるから少し待ってろ」

「……うん」


 時計は見えないが、空の真上にあった太陽が傾いていた。


「ほら、スポーツドリンクあったから買ってきた」

「ありがと」


 前楽に支えられるように体を起こし、俺は一口、また一口と水分をのどに通していく。


「…………ごめん」


 体に水分が入ったからだろうか、今度は逆に目から水分が零れ落ちてきた。


「なっ!? 泣くなよ!?」

「…………ごめん」


 俺からはこれしか言えない。世界はもう滅亡するしかないんだって前楽に説明することもできないのだ。


「もう、なんか……いろいろ無理で」


 前楽は俺の横にドカッと座るとスマホを取り出し、真心とメズルフにグループチャットを送っていた。


「二人ともすごく心配してた、祈里の体調の事言ったから、二人ともこっちに来てくれるって」

「ぐすっ……」

「…………」

「…………」


 俺と前楽はしばらくの間、二人で目の前の川が流れるのを眺めた。とめどなくこぼれていく涙の訳も聞かないまま前楽は泣き止むまでそっと隣に居てくれた。

 それはこの間、メズルフが泣き止むまでずっと隣に居た俺と同じだった。


「こういう所なのかも」

「うん?」


 ぽつり、涙声のまま俺は思った事を言葉に紡いた。


「最初はさ、わからなかったんだ。私がどうして楽の事が好きなのか」

「え……す、好き?」

「でも何となく、今ハッキリと分かった気がした」

「……」

「いてほしい時に、いつの間にかそばに居て一緒に過ごしてくれる」

「そんなの……誰でもできるだろ?」

「そうでも、ないよ。言葉を投げかけてくれる人はいるけど、ずっと傍に居てくれる人は少ないよ。だから心があったかくなる。その温かさが楽の魅力なのかもしれない」

「……」

「前さ、メズルフと私どっちが好きか決めてって言ったのに、まだ返事をもらえてないよね?」

「え!?あ、あぁ」

「私よりも…………メズルフの方が好きなんだよね?」


 さっきの正道の天秤は間違いなく崩壊へと針を進めた。それはつまり、前楽はメズルフの事がやはり好きなんだ。もう、祈里の事を好いてくれる世界線へは戻れないのだろう。それでも諦めきれず、前楽の口からその答えを俺は聞きたかった。


「そっ! そんな事ない!!」


 だが、俺の言葉を聞いて前楽は間髪入れずにそういった。力強い否定だったのだ。


「……え?」

「あ、いや、その。俺、メズルフの事、確かに妹みたいで可愛いとは思ってるけど恋愛感情は……無いんだ。でも……祈里への気持ちは……それとは別ベクトルっていうか……」


 語尾がはっきりしないごにょごにょとした言葉だったが、いいたいことは十分に伝わった。前楽もちゃんと祈里の事が好きだったんだ。


 俺は嬉しい気持ちを抑えながら、完璧な上目遣いで前楽に近づいた。

 案の定、前楽の頬は赤く染まった。


「お願い、楽。ちゃんと言って? ちゃんと言葉にしてくれなきゃわかんないよ」

「だー、もう……俺こんな形じゃなくてもうちょっと雰囲気を作ってからが……」

「今がいいの!」

「う……わ、わかったよ」


 前楽は俺とちゃんと向き合い、目を見つめあった。

 心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 俺が待ち望んだ言葉が、今やっと聞けるのだ。


「俺、祈里の事がずっと前から好きでした。付き合ってください!」


 --カチカチッ!!


 俺が欲しかったその一言が今ようやく聞けた安堵で目から嬉し涙が一筋零れ落ちた。


「はい! よろしくお願いします」


 そう答える祈里はきっと今までで最高の笑顔だっただろう。


 こうして、こじれにこじれた俺の告白は世界崩壊の前日に何とか食い止められることになったのだった。



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