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第十ハ話 修学旅行と足りない一人①

 いよいよ、修学旅行当日。

 旅行へ行くのにぴったりな晴れやかで空気の澄んだ朝だった。


 俺は祈里の3日分の衣類が入った旅行鞄を肩に引っ掛けて祈里の家を出る。

 続けて、メズルフも祈里の家を出たのを確認して俺は扉に鍵を掛けた。


「この家に1か月も世話になったんだな」

「あっという間でしたね」


 時間が巻き戻って過ごせる一か月は、あと今日と明日、そして明後日の朝を残すのみだ。最初は善行をつめば生き返ることも約束されたチャンスだったが蓋を開けてみると善行を積むどころの話ではなかった。


 あと1メモリ。


 正道の天秤の針を、即ち楽の心を祈里へと近づけなければ世界が崩壊してしまう。この修学旅行で何とかして祈里を好いて貰わなくてはいけないのだ。


「それにしても……地獄行き、かぁ」


 心に乗っかった重たい気持ちはつい独り言となって口から零れ落ちた。


「……まだ、まだわかりませんよ?」

「分からない?」

「ほら! 修学旅行先ですっごい良い事をしてめっちゃ感謝されるかもしれませんし!」

「今までなかった事がそう都合よくこの3日の間に起こらねぇよ」

「……まぁ。うん。そうですよね!」

「そこは明るく返すなっての!」


 メズルフが精いっぱいのフォローらしいものを入れてくれるが全く響いてこない。心配しているのかしていないのか、相変わらずのアホさ具合だった。


『ねぇ、楽?』

「なんだ、祈里?」

『やっぱり、行くの? 陸日神社に……』


 昨日、突然返事を返してくれなくなった祈里が気まずそうにそっと声をかけてきた。

 気まずくても声をかけてきたのは、修学旅行に行く事を引き留めるために他ならない。


「わるい、祈里……俺は行くよ」

『……』


 祈里の感情はめったに流れてこない。けれどもこの時はっきりと、心から湧き出る程悲しい気持ちが俺にまで伝わってきて、押しつぶされそうになった。それでも、これは祈里の感情で、俺はこの感情に流されるわけにはいかない。なぜなら……


「俺が死ななきゃ、祈里がいるこの世界が崩壊しちゃうんだ。解って欲しい」

『……』

「おーい……」

『……』

「はぁ」


 祈里は俺の呼びかけには答えてくれなかった。解ってくれと言う方が酷なのかもしれない。それでも俺は、大事な人を俺の所為で皆殺しにしたくない。俺一人の命で済むのなら、地獄へ行く価値だってあるという物だ、と自分に言い聞かせている。


「おーい、祈里さんと話をしてるんでしょうけど、私には聞こえませんからね?」

「あー。わりぃわりぃ」

「ところで、楽? 修学旅行です。最期なんですし、めいいっぱい楽しみましょうね!」

「……ああ! そうだな!」


 祈里が話しかけても答えてくれない以上、俺は気持ちを切り替えることにした。俺達はなんだかんだで足取り軽く学校へ歩いた。


 初夏の風は心地よく、天気も申し分ない。


「最高の3日間にしたいな」


 ポツリ、俺は所謂、最期のお願いを口から漏らす。


 メズルフといつものも通学路を歩くのもこれが最後になるだろう。行ったきり戻ってこれないと思うとこの光景さえも感慨深く感じてしまった。


「泣かないでくださいよ?」

「誰が泣くか」

「いえいえ、思いにふけってそうな顔してたので。ほら、もうすぐ集合場所ですよ」


 メズルフの視線の先を追うとみんなで乗るバスが見えてきていた。

 集合場所の校庭にはたくさんの生徒がいて、俺の姿を見るや否や真心が手を振ってくれた。隣には前楽もいる。


「おっはよー!」

「おはようございます」

「うん、おはよう!」

「うっす」


 開口一番に挨拶を交わす。皆がそれぞれの旅行鞄を手に集合するといよいよ修学旅行の始まりを感じた。

 ちなみに、初日はほとんどの時間をバスでの移動に使う。関西に行き、京都の清水寺を皆で見学に行くまでが一日目。そして、2日目が各々グループに分かれての自由探索時間。もめにもめて決まった舞妓体験の日だった。


「おお、楽さん。こういう日は遅刻ギリギリじゃないんですね」

「朝っぱらから失礼な奴だな、おい」


 顔を合わせた瞬間にメズルフが前楽を茶化す。じっとりとした目で前楽はメズルフを見た物の、すぐに顔を合わせて噴き出した。


「まぁ、今日は喧嘩は無しでいこうや」

「そうですね! 楽しみましょう!」

「メズルフ、忘れものとかない?」

「まこまこ、大丈夫です! 昨日、祈里さんと一緒に確認しましたから!」

「そっか、それじゃ安心だね!」

「はいっ! 楽しみですね!」

「うん、楽しみだね!」


 皆ウキウキとしているのが会話からも伝わってくる。これで、死ぬって解ってなければ俺も手放しで喜んで祈里として修学旅行を楽しめるんだけどな。


 やっぱり……


『怖い?』


 俺の心の声を聞いて、祈里が声をかけてくる。そりゃぁ、怖い。だって死ぬんだ。俺は落下の途中で意識を失ったから、前回どうやって死んだか分からないけど、絶対に怖かった。そして今も……


『ねぇ、本当に話を聞いて? 死ぬのやめよう?』


 本気の心配の声に俺はどう返していいか分からず黙ってしまう。祈里の譲れない気持ちがこれほど痛いと思ったことはなかった。


『ごめん。困らせてるよね。私の気持ち一つで世界を壊したりしたら……ダメなのはわかってるんだ。でも、それでも……』


 困っているのが伝わったようだった。祈里も俺に死んでほしくないと思ってくれているんだろう。わかっている。わかってるし、死にたくない。


 死にたくなんて……


「おーい、祈里!! 何をぼーっとしているんだ。バスに乗るぞ!!」

「う、うわっ!! あ、うん!!!」


 俺は前楽の呼び声に我に返った。


『楽……』


 そうつぶやく祈里の声が切なく脳内に響いたが、バスからもみんながこっちを見ている事に気が付いて俺は慌ててバスに飛び乗った。逆にその勢いがなければ俺は尻込みをして逃げ出していたかもしれない。


 もう、後戻りはできない。さながら、ジェットコースターに乗車してカタカタと一歩ずつ山を登っている気分にさえなった。この場合の急降下はジェットコースターのように安全なレールではなく崖下にだけど。


(ごめん……)

『……楽の考えは分かった。私ももう、何も言わないから。せめて、修学旅行を楽しんで……』

(……ありがとな)


 俺の心の中の祈里はそれを機におまじないの中止を呼び掛けることは一切なくなった。そして、俺の呼びかけに応じてくれることも……。

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