第十七話 出発前夜と最期の団欒②
メズルフと団欒した後、俺は祈里の部屋で寝るべく個室に移動した。日が沈み、月明かりが照らす静かな部屋。俺はそっと扉を閉めた。
『ねぇ、楽?』
扉を閉めたその時を狙ったかのように、祈里が俺の心に話しかけてきた。一つの部屋に2人きりな気がして少し心臓がこわばる。
「どうしたんだ? 祈里から話しかけてくるの、珍しいな」
『修学旅行の事でちょっと……』
そう言われて、こわばっていた心臓が別ベクトルでこわばった。二人きりを喜んでいる場合ではないのだ。
『楽……本当は、死にたくないんだよね?』
俺の心は祈里からは聞こえてしまう。メズルフには世界を救う為に当然死ぬ前提で話をしていたが、あの最中でさえもやっぱり怖いものは怖かった。
「まぁ、な」
嘘をつく必要もなかった。祈里には心が筒抜けで全部バレている。だけど、この後の祈里の提言は俺からしたら思っても見ないものだった。
『ねぇ、楽? 逃げちゃわない?』
「は!?」
良い子代表のような祈里から出た言葉とは思えない。俺はすかさず聞き返した。
「今なんて言った?」
『逃げちゃおうよって言ったよ?』
「い、いやいやいや。授業サボっちゃおうよみたいなノリで言われても!」
『……授業は……ちゃんと受けた方が良いよ?』
「なんでだよっ!!」
出した例えが悪かったのか、くすくす笑いながら祈里はそう返してきた。冗談なのか本気なのか、だんだんとわからなくなってくる。
『授業はサボっちゃダメだけど、修学旅行はサボっちゃおうよ。そしたら、楽がわざわざ……死にに行く必要なんて……ないよ』
「あ………」
沈んでいく祈里の声に俺はハッとした。
祈里はもしかして、俺に死んで欲しくないと言いたいのではないか。だが、それは同時に世界を崩壊させてしまうことに他ならなかった。世界と俺の命を天秤にかけるとするなれば、間違いなく世界の方に傾くのは日を見るよりも明らかなはずだった。
「祈里? どうしたんだよ、祈里らしくもない」
『そんなことないよ。楽こそ冷静に考えてみて?』
「どういうことだ?」
『楽一人の生死で世界が崩壊するなんてこと本当にあると思う? それに、世界が崩壊っていうのもよくわからないし、メズルフちゃんの言っていること全てを真に受ける必要あるかなって。そう思わない?』
祈里は言い淀むことなくはっきりとそう言い切った。これは、今まで言わなかった祈里の本音ということなのだろう。
「祈里はメズルフが嘘をついてるっていうのか?」
『そう、は思いたくない。でも、メズルフちゃんの言っている事って、今までだって全部正しかった訳じゃないでしょ』
「確かに、メズルフの言うこと全てがうまく行ったって訳じゃねぇけど」
『でしょ!? だからさ、修学旅行サボっちゃおうよ』
必死な声色に本気さが滲み出ていた。
祈里はメズルフがいない、二人きりの時を狙って話しかけてきた事もまた、祈里の本気さを感じさせた。
『一生のお願いだよ』
月明かりが照らす部屋に、俺にしか聞こえない声は怖いほど透き通って心に響く。
ゲームで言うならここで選択肢を間違えたらゲームオーバー級の重要場面な事を直感で感じ取った。
俺は冷や汗さえ背中に感じながら、自分の心の限りの正直を言葉として口から発した。
それが祈里への誠意だと思ったから。
「……祈里の言う通り、メズルフの勘違いで、人一人の命で世界なんて崩壊しないとしたら……俺は死ぬ必要なんて無いだろう。無駄死にでしかないもんな」
『楽!! よかった、それじゃぁ、修学旅行に行かないでくれるんだね!?』
分かってもらえたかのような明るい祈里の声に胸を痛めながら俺は間髪入れずに俺はこう続けた。
「それでも、俺は修学旅行に行くし、崖下に落ちるよ」
『……っ!!?』
その言葉を聞いた祈里は絶句したように言葉を詰まらせた。俺は締め付けられる心に鞭を打ちながら言葉を並べる。
「世界が崩壊なんて起こらないかもしれない、って祈里は言ったけど……逆の方が怖いんだ。もし、俺が生き残ったのが原因で今いる人間、生き物、全て死ぬ運命が本当にあったらって……」
『………』
「そしたら、俺が祈里を殺すって事だろ? そんなの、耐えられねぇよ」
これが俺の選んだ選択肢だった。祈里の誘いを断って、メズルフの言葉を信じた選択肢。
間違いだったとしても、一度出た言葉はもう戻すことはできない。
俺は息を呑んで祈里のリアクションを待った。
『…………ぐすっ』
「な、泣いてんのか!? え、えっとごめん。その、祈里の言うことも全然わかるんだけど、その、えっと」
『…………もう、知らない!!』
「へ?」
『楽のバカっ!!!』
祈里のここまで感情的な声は初めて聞いた。
『残される……私の気持ちも……考えてよ……』
「ご、ごめん! 祈里のことを傷つけたいわけじゃなくって、その……祈里?? おーい、祈里???」
絞り出されたかのような祈里の言葉を最後に、何を話しかけても返事をしてくれなくなってしまった。
切ない声色が脳裏にこびりついて、後悔の念がどっと押し寄せてくる。
俺は誤った選択肢を選んでしまったのかもしれない。
相変わらず月明かりはぼんやりと俺がただ一人いる空間を照らし続けていた。
一人取り残された部屋にぽつんと、佇むのであった。




