第十五話 中間テストと家庭訪問⑥
夜のキッチンに俺の謝罪の言葉は煩すぎるほどだった。
「本当にごめん! 俺、すごく反省してるんだ。謝ったからって傷つけたことは拭えないんだけど、それでも俺……」
(……しってるよ)
「え?」
(楽が後悔したことも。真心にアドバイスを受けたことも。そして、あの日からずっと毎一勉強頑張ってることも)
「祈里……見ててくれたんだ……」
(今まで出てこなかったのはね、それでも心の整頓が出来なかったからなんだ)
そう言われて俺の心は冷たく冷え上がった。俺が誠心誠意努力している姿を見てもらえればきっと許してくれるだろうと楽観的な気持ちがあったことを否めない自分がいた。
「そ、そっか……そうだよな。あんな酷いこと言って許してもらえるなんて虫がいい話……」
(ううん、そうじゃないの! そう……じゃないん……だけど……)
祈里は言い辛そうにしていて、何がそうじゃないのかがわからない。言葉をさらに促すべきかどうかで悩んだが、今必要なのは俺の言葉じゃないなと思う。言いにくいことなら尚のこと、祈里が作った祈里の言葉を受け取りたい。俺はできるだけ祈里の言葉を邪魔しないように、静聴し、ポツリポツリと話し始めた祈りの言葉に耳を傾けた。
(……あのね)
「うん」
(どうしても、納得できないの)
「……」
(楽に、楽のいた世界線の私と比較されて……悲しかったんだと思う)
「……うん」
祈里の本音。俺が傷つけてしまった事を改めて確証に変えるこの言葉は正直聞いていて辛かった。
それでも、真摯に受け止めようと俺は祈里に向き合おうと決めたんだ。
じっと言葉の続きを待っていると祈里は自分の心を吐露しはじめた。
(そこの私はさ、今頃は楽と付き合って楽しい時間を過ごしていたはず、でしょ? なのに私は楽と付き合えず、そのまま楽は命を落としちゃうんだよ? 私、私だって……楽と楽しく過ごしたかったのに。どうして私はそんな体験もできないまま楽とお別れしなくちゃいけないのかな……)
「祈里……?」
声が震えているのが分かる。
俺は今まで勘違いをしていたのかもしれない。ここに居る祈里は俺付き合っていた時の祈里ではないのだ。俺は同じ祈里のつもりでずっと同じように接していた。けれども彼女には、当然の事だが俺と付き合ったときの記憶なんてないのだ。二人のかけがえのない楽しい時間の記憶が。
無意識のうちにあの時の祈里と比較してしまっていた自分がいる。本当だったら知り得なかったはずの祈里の姿を俺を通して知ってしまった。
本当だったら手に入っていたはずの未来を、自分だけが手にできないとしたら?
誰だって苦しい気持ちにもなるだろう。そして、それは祈里も同じだ。
(お願い……楽。死なないで……)
「!?」
泣いている声が俺の心の中に染み込んでくる。強い強い悲しみの感情に俺はここでようやく祈里の気持ちを知った。
祈里は本当にいつも通りで、頼りになって、優しくて。だから、ダムが決壊したかのような祈里の悲しみにただただ圧倒され、言葉を失った。
祈里は、我慢していただけだったんだ。
(私……楽と……ただ楽と一緒に……ずっと一緒にいたい……)
「祈里……」
(おまじない……行かないで! お願い。楽を……殺さないで……!!)
悲痛な叫びに心が張り裂けそうになる。まるで子供を守る母親のような必死さを感じずにはいられない。
(お願い……だよ……)
痛いほど感じる願いに俺は強く目を瞑った。
本当はいいよって言いたい。こんなに俺の事を思ってくれている女の子はきっとこの世のどこを探しても祈里だけだろう。本当の意味で愛おしい、俺の大好きな祈里の悲痛なお願い。
「……ごめん。祈里の願いでも、それだけは出来ない」
だからこそ、俺はこの願いを聞き入れる訳にはいかないのだ。
俺は可愛くて、優しくて、誰よりも俺の事を思ってくれる祈里を何が何でも守りたい。
(何で? わざわざ死ににいく事ないよ! 未来を知ってる楽なら回避できるはずだよ!?)
「そうだな。おまじないに行かなければ崖下にも落ちない。……それでも……俺は行くよ」
(死にたいの……?)
「まさか!……ただ、俺は祈里の生きているこの世界を崩壊させたくない」
(……!!)
「俺からしたら、祈里にしてあげれる最後のことなんだ」
(そんな言い方……)
「祈里、ありがとう。俺のこと思ってくれて。俺と一緒にいたいって言ってくれて」
(……ずるいよ! 楽ばっかり)
「そうだよな」
(私、私だって……楽の事……大切なのに)
「うん」
(私も楽を守りたいのに!)
「……うん」
(一緒に……生きたい……のに……)
「…………うん」
(ひっく………ぐすん……)
祈里の純粋な気持ちが俺の心を締め付けていく。ここ数日、俺は祈里に嫌われたとばかり思っていた。
けれど今感じているのはその真逆で、心の内側があったかくなってくるのを感じる。
俺は祈里が泣いている声を聞きながら、隣にいたら頭を撫でであげれるのにな、なんて明後日のことを考えてしまう。
時間が経つとともに徐々に収まっていく嗚咽を聞いていると、カフェオレに手が伸びていった。
今度こそしっかりと冷めてしまったカフェオレは余計に甘く感じる。
俺も祈里もなにも言わないまま夜の時間が甘い香りと共に過ぎていった。
しばらくして、祈里はいつものしっかりとした声で『ごちそうさまでした』と呟いた。
どうやら落ち着いてくれた、そんな感じがして安堵を覚える。
(ごめん。そして、気持ちを聞いてくれてありがとう)
「俺こそ、ありがとう。祈里の気持ち、とっても嬉しかった」
(…………嬉しかった?)
「あ、当たり前だろ? 大好きな女の子にずっと一緒にいたいって言ってもらったんだ」
(………)
「な。なんで黙るんだよ。無駄に恥ずかしいだろ!」
(ふふっ!)
「……良かった。笑ってくれた」
(え?)
「俺、やっぱり祈里には笑っていてほしいんだ」
(楽…………ありがとう)
「こっちこそ、いつも本当にありがとう」
(……勉強、頑張ってね)
「あ」
時計を見ると時刻は12時を過ぎてしまっていた。すっかり勉強のことを忘れていたが、今日を逃すとあとが辛いだろう。それになにより、祈里が応援してくれている。ここは男を見せねば。
(楽が頑張ってるところ、後ろからみてるよ)
「お、おぅ! が、がんばるわ」
俺はどっと押し寄せてきた眠気にふわつきながらも冷めたコーヒーを片手に2階へと上がっていく。祈里の応援効果で俺はその日の徹夜で勉強を頑張ったことは言うまでもない。
おかげで土日の勉強会では前楽にしっかりと勉強を教えることができた。
後から考えると二人きりだったのに浮ついたイベントなど一切起こさない真面目すぎる家庭訪問となった。それどころか、2日連続でびっちり勉強を叩きこまれた前楽がいうには、この日の祈里は『鬼教官』のようだったと言う。
結果、俺は俺にしては快挙となる点数を取得し、前楽は合格点ギリギリでテストを通過できたのだった。
……
………
…………
祈里との喧嘩はこれで解決した。
俺は祈里と和解した。
少なくとも俺はこの時そう思っていたんだ……。
本当に能天気な男だよ、俺は。




