第十五話 中間テストと家庭訪問⑤
あっという間に勉強漬けの3日が経過してしまった金曜日の夜10時、俺は今日も机に向かっていた。
俺は今晩で出来る限りの知識を頭に叩き込んで、明日の前楽との勉強会に臨む。正直こんなに勉強に真剣に取り組んだことは人生で一度もない。それだけ真剣に俺は俺のできることに集中した3日間だった。
これが祈里への誠意につながればいいんだが。
ふとした瞬間にそんな不安が頭をよぎった。祈里から俺がどういう風に見えているのか、それだけが気がかりだった。あの日、祈里を傷つけてしまってから一度も話ができておらず、きちんと謝りたいのだが、チャンスは未だやって来てない。
数回、置き手紙も試みたが、読んでくれた気配はなかった。このまま二度と話をしてくれないんじゃないかと不安になった。
俺の心がぐちゃぐちゃになってきた所で一度、シャーペンを机に置いた。
完全に集中が途切れてる。
「ふあぁぁ……一回休憩しよ!」
俺は一回勉強机から立ち上がると一階へ向かった。キッチンへ行って、コーヒーでも作ろう。きっと頭がシャッキリするはずだ。
キッチンに到着すると、俺は棚からコーヒーカップを取り出して、インスタントコーヒーの粉末をカップに入れる。そのままポットの前へ行き、ボタンを押すとほかほかのお湯が出てくるので、粉を溶かしながらゆっくりとお湯を注いだ。白い湯気が立つのと同時にコーヒーの良い香りが俺の鼻をくすぐる。
普段ならこのままコーヒー片手に二階へ戻るのだが、俺はなんとなくキッチンのテーブルへ向かい、椅子を引いて座った。そこにコーヒーカップを置くとしばらくぼーっとそのカップを覗いた。
(いつも祈里と話すのは朝キッチンが多い。ここにいたら、祈里が来てくれたりしないかな……)
そんな気持ちが沸き起こり、俺はもう一度立ち上がった。
再び戸棚を開き、可愛らしいピンクのマグカップを手に取るとインスタントコーヒーの粉末を入れる。先程のお湯をマグの半分くらい注いで粉を溶かすと、先程とは違いティースプーン2杯の砂糖、それから牛乳を入れる。
祈里は苦いコーヒーより、カフェオレの方が好きだった。
先程作った俺用のコーヒーの隣にカフェオレを置いた。
いつも筆談していたノートに「祈里、ごめん」と書く。祈里の事を待っていたくて俺は二つのコーヒーを並べたままボーッと待った。
そうして十分ほど二杯のコーヒーを眺めて待っていたが、時計だけがカチコチと無駄に針を進めて行くだけだった。勉強もある。本当は一時間でも二時間でも待っていたいが今日だけはそんな時間はない。
「はぁ、やっぱり、コーヒー一杯で出て来てくれるなんて虫のいい話ないかな」
俺は諦めて二階へ戻ろうと、冷めかけたコーヒーを手にしようかと思ったはずなのに、手が動かなかった事に一瞬戸惑った。
「あれ?」
自分の思い通りに体が動かないなんて事態になることは普通は無い。普通は。
けれども、ちょうど手を動かそうとしている女の子がいた場合話は別だ。
「……祈里? 起きてる? よな?」
(……)
返事は返ってこなかった。それでも俺はそこに祈里がいることを確信した。
心が逸るのを押さえて俺はゆっくりと声をかけ始める。
「今、手が動かなかったのはコーヒーを飲もうとしてくれたのか?」
(……)
「祈里、カフェラテが好きだっただろ……? 甘めになってるよ」
(……うん)
微かに、小さな声が返ってきて俺は心の奥底から嬉しい気持ちが湧き上がった。俺は手から意識を遠ざけると祈里が手を動かしているのだろう。勝手にカフェラテの入っているマグカップに手が移り、口元へとカフェオレを運んできた。
ゴクリ、流れてきたカフェオレが喉を通り抜ける。
俺が普段飲んでいるコーヒーよりもかなり甘めのコーヒー。
まだ冷め切っていない温度が心地良かった。
マグカップが口から離れて机に戻ったタイミングで俺は口を開いた。
「あのさ、話をしてもいいかな」
(……いいよ)
この3日間ずっと言いたくて言えなかったこと。それを言わせてもらえるチャンスは今しかないかもしれない。少し息を吐いて一息ついてから俺の気持ちを言葉にした。
「その……本当にごめんな! 祈里に酷いこと言っちゃった。俺、自分自身で努力もせずに全部祈里を頼ってた。それに、祈里の状況や気持ちだって考えが足りてなかった。本当にごめんなさい!!」
これが俺が祈里に対して抱いている誠心誠意の本心だった。




