第十三話 緊急事態とホームシック③
学校が終わるまでずっと我慢していた俺は、放課後になるとすぐにメズルフの手を引くようにして祈里の家に帰ってきた。真心と前楽のおかげで泣き止みはしたものの今日1日メズルフは常に俯き加減。リムベール様がいなくなったことだけは分かったものの、どういう状況か全くわからなかった。
「まぁ、座れよ」
「えぇ」
ソファーの方を指差してメズルフに座るように促すとメズルフは重い足取りでソファに座った。
「何があったんだ? リムベール様が居なくなったって……」
「時系列順に話しますね……私、楽と仲直りをした後に天界へ一直線に向かったんです。天界へは空にある関係者用のゲートを潜ればいけるんですが、そのゲートの付近で何やら揉めている声が聞こえてきたのです」
「揉めている? 穏やかじゃないな」
「天界に死んだ人間たちの魂が溢れ返っていて、門番達はもう魂を受け入れるのは無理だと口論していたのです」
「どう言う事だ? 魂が溢れかえってる?」
俺は状況が全く理解できずに首を傾げた。そもそも魂って溢れかえるものなのだろうか? そんなことが頭に過ぎったのが伝わったのか、メズルフは魂について説明を付け加えてくれた。
「えっとですね、死んだ人間の魂は輪廻転生で新しい体へ循環する仕組みになっているのです。魂の数は地球上で変わることはなく、全ての生きるものに魂は宿っています。死んだら新しい肉体へ、それが基本です」
「仏教でそんな教えがあったな……。あれ、正解だったのか」
「まぁ、部分的には伝わってるんでしょうね。信仰心を集めないと我々も力不足になってしまいますから、存在を伝える役目となる人物を作っている部署もありますよ。中には『神の子』として現世でも信仰される宗教の神様になった人もいます」
「天界って、いろんな宗教が合わさったような世界なんだな」
「逆ですよ。本当の天界が部分的に伝わったのが宗教です!」
そこは譲れないのか、若干強い口調でメズルフは答えてきたので、魂の話はここまでにして俺は話を元に戻した。
「そ、そうか……まぁなんにせよ。魂が溢れかえったのはどうしてだ?」
「神様が居なくなったために天界には新しい体へいけないまま放置された魂達がたくさん居ました。それで、門番たちは血眼になってリムベール様を探していたのです」
「リムベール様、職務放棄したのか?」
「違いますよ! リムベール様はそんなお方じゃありません!!」
「ってことは……まさか」
「えぇ……きっとそのまさかです。力を使い切って、消滅なさってしまわれた。最近のリムベール様の様子から考えてもそれが自然だと……」
ここ最近で一番暗い声だった。聞いたことのない深い悲しみに満ちたメズルフの声を聞いて俺はいよいよ本格的にヤバいと言うことを悟った。
「そ、そう決まったわけじゃないんだろ? 誰もリムベール様が消えたところを見たわけじゃ」
「リムベール様は、もう誰の目にも見えていなかったのです。だから、誰一人として確認はできていませんが、弱っておいでだった。それなのに私は、地上に降りて……本当、アホ……ですよね」
「メズルフ……」
「私、リムベール様の力になりたかった!! どうして、このタイミングで私を地上に下ろしたのでしょう!? 近くにいたらできることだってあったかもしれない!! なのに……なんで……」
ボロボロとメズルフの目から涙がこぼれ落ちていく。後悔、悲しみ、怒り。全ての負の感情がメズルフの目からこぼれ落ちて床で飛び散った。そりゃぁそうだ。一番大好きだったリムベール様、その人が自分の知らない間にいなくなってしまったんだ。今まで学校ではずっと我慢していたのだろう。決壊したダムのようにボロボロと涙がこぼれていく。
俺はかける声も見つからず、静かにメズルフの横に座り、ただただ一緒にいることが今こそ必要な時だろうと、俺はメズルフが泣き止むのをひたすら待った。静寂の中、天使の嗚咽だけが聞こえている。
「ひっく、ぐずっ……」
「……」
「ううぅっ……」
「……」
そうすること、30分くらいだろうか。いつのまにか日が落ちて部屋は薄暗い。そろそろ電気をつけるべきかと思っていた矢先、泣きはらして顔を伏せていたメズルフがゆっくりと顔をあげた。
「……なんで、リムベール様は私を突き放すようなことをなさったのでしょうか」
ようやく落ち着いてきたメズルフがポツリ、呟いた。独り言のようなその言葉に俺は静かに俺の思ったことを呟き返す。
「今だから……だったのかもな」
「どういう、ことです?」
「お前に、消えるところ見られたくなかったのかもしれないぞ?」
「……それでも。私はリムベール様と一緒にいたかった。ずっとそばで力になりたかった。役立たずな私をいつも励ましてくれて、優しく見守ってくださった。それなのに、私……力になれませんでした」
「……」
「最後までそばに居たかった」
「……」
「リムベール様が居なかったら私、どうしたらいいんでしょうか? 帰る場所も、仕える主君ももう居ません。誰も私を必要となんてしてくれません。だって、私、落ちこぼれですから」
「まぁ、アホ天使ではあるな」
「……はい」
「認めるのかよ!? ……あー、なんだ、その。……俺はお前が居てくれて……良かったと思ってるぞ」
「気休めはよしてください。私のせいで色々と状況は悪くなってしまったし、楽だってこのままじゃ普通に三途の川さえ渡りきれません。ましてや生き延びるなんて……」
「まぁ、そっちのことはうまく行ってねぇよな」
思わず苦笑いしてしまうほど、全くうまくいっていない。ましてやリムベール様さえいなくなったから絶望的だ。でも、俺が言いたいのはそんなことではないのだ。
「そっちのこと? それ以外に何があるっていうんですか?」
「俺さ、お前と馬鹿みたいな会話で笑い合って、一緒に飯食って。たまに喧嘩して。意外とそんなやりとりが好きだったりするんだよ。もし、俺がただ一人で祈里の体に入って、このだだっぴろい部屋で一人で過ごさなきゃいけなかったらと思うとぞっとするよ。だからさ、お前が居てくれて良かったと思ってるんだ」
「なんですか、それ」
「だからさ、俺が死ぬまでは一緒に過ごしてくれないか? 俺にはお前が必要だよ」
その言葉を聞いたメズルフが目を大きく見開いたのが見えた。こんな俺だし、正直、俺がメズルフを必要としたところで大した足しにはならないのは百も承知だった。それでも、必要としている人が一人はいる。そう思って欲しくて俺は気付けばそんなことを口走っていた。
「……まぁ、天界に帰っても誰も居ませんし。修学旅行まであとたったの2週間です。それまでくらいなら一緒にいてあげますよ」
珍しく俺を正面に見据えたままそんなことを言う天使様の顔は、少し照れたような困ったような。それでもちゃんと笑っていて俺も自然と笑顔になった。
「ありがとう、メズルフ」
「……むしろ、こっちこそ……ありがとうございます、楽。おかげで少しだけ気が晴れました」
「そうか、ならよかった。ま、このままじゃ世界は崩壊だし、俺は地獄行きだからな」
「って、ああああああ!!!!」
「どうしたんだよ?」
「い、いえ。その……リムベール様がいなくなったということはですよ?」
「あ、あぁ」
「世界が崩壊しても誰もこの世の中を元に戻してくれる人がいないってことなんですよ!!」
今更。すごく今更、メズルフが慌て始める。どうして今のいままでその事実に行きつかなかったのだろうか。
「……おまえ、マジでリムベール様頼みでなんとかなると思ってたのか?」
「え、えぇ。だから多少好きなことをしてもいいかなと色々とさせてもらっていたのですが……あ、あはは」
「このアホ天使!!」
「わわ! だって!! 地球に降りている間に恋愛とかしてみたいって言うのは事実ですし!!」
「そこじゃない。リムベール様がなんでもしてくれると思ってるから負担がかかるんだよ!!」
「まだ迷惑かける前でしたもん!!」
「かけようとしてたじゃねぇか!! だぁ、もう! どうすんだよ。これから世界を本気で元どおりにしねぇと!!」
「あー。そうですねー。……祈里さんに聞いてみてはいかがですか?」
「そこを祈里に丸投げかよ!!!」
「そんなことよりお腹空きました。ハンバーグ作ってください」
「はらぺこかよ!! って、昨日もハンバーグだったろ!? 今日は野菜料理だ」
「えー!! お肉がいいです」
「お前はガキかよ!! ったくしょーがねぇな。 ほら、台所いくぞ」
「はぁい!」
リムベール様が消えた不安をかき消すように、俺とメズルフはいつも以上に明るく、仲良くご飯の支度を始めるのだった。




