第十三話 緊急事態とホームシック①
翌朝、朝になったら家へ帰ってくると言っていたメズルフは帰って来ず、俺は仕方がなくいつも通りに学校に行った。いつもと変わらない3つ並んだ机にはまだ誰も座っていなかったが、見慣れた黒ぶちメガネは既に学校に来ていたようだ。真心である。
「おはよう祈里。昨日はありがとうね」
「おはよう、真心。どういたしまして」
「あれ? 今日もまたメズルフは休みなの?」
席にカバンをかけなていると、真心は俺の横の空席を見てそう聞いてくる。
「ううん、今日は来るって思ってるんだけど」
「だけど?」
「来てないね」
もうすぐ始業のベルがなるのに、右二つの空席をぼんやり眺めた。
この時間まで前楽が来ないのはいつものことなんだが、メズルフの事はやっぱり気になった。昨日は朝までに戻ると言っていたのに帰ってきていないし、天界で聞いてくるはずの諸々の話だって早く聞きたかった。
「メズルフの嘘つき」
思わず口からぼそりと本音が漏れる。
「楽とくるんじゃないの?」
「今日は一緒に行くって言ってなかったの。なんだか昨日のデートで早速喧嘩したらしいよ?」
「本当に早速ね」
呆れて苦笑する真心につられて俺も思わず苦笑する。そうこうしていると始業のベルが鳴り、同時に前楽が滑り込むように教室に入ってきた。今日も汗だく、そして肩で息をしている。走ってきたことが一瞬でわかった。
毎日よくもまぁ息を切らせて入ってこれるな、俺。
「な、なんだよ。朝一で、その下げすんなような目は」
「毎日良くこんなギリギリにこれるなぁって。もう少し早く来たら?」
「う、うるせぇな。今日は早めに家は出たんだよ」
「ギリギリじゃない」
「ちげぇよ。……昨日すっぽかしたからさ、約束」
「約束?」
「……メズルフだよ。一緒に学校に行こうって言う約束をしてたのに昨日すっぽかしちゃっただろ? だから……昨日と同じところで待ってたんだよ」
俺は前楽の考えに驚いた。意外にも、前楽はメズルフとの約束を果たす気持ちがあったらしい。
「昨日、メズルフすごく泣いてた。楽が泣かせたんでしょ?」
「う……」
「何なに!? 何をやったの!?」
「なんかねー……」
「祈里、そう言う話はいいから!」
「ふぐっ!?」
慌てて前楽が俺の口に手を当てた。多分咄嗟の行動だったのだろう、俺は目をぱちくりとさせて塞がれた手を見た。そしてここで予想外の事が起きる。
突然触られたからか、俺の心臓が飛び跳ねるのを感じたのだ。
俺ってこんなに手がゴツゴツしてたか?そして、温かくて、思ったよりも大きくて……。
気が付けば俺の顔は真っ赤になっていた事だろう。恥ずかしさからか照れからか驚きからかはわからない。
でも、心臓の鼓動は収まる気配は全くなく、俺は思わず助けを求めるように前楽を見た。
俺と目が合った前楽は我に返って慌てて手を離してくれた。
「わ、わりぃ!」
「う、ううん」
「……二人共何してるのさ。まぁいいわ。後でメズルフから話は聞くし」
真心が白けた顔をしてから前を向いてしまった。俺と前楽は少し気まずい雰囲気でお互いの席にキチンと座りなおした。それでも俺の心の中は穏やかではなかった。
だって、俺。
今本当に一瞬だけど。
俺にときめいてしまった、よな!?
これは踏み込んではいけない一線な気がする。俺、自分を愛するおかしなナルシストになるのかな。
それはまずいそれはまずいそれはマズイってー!!
(ち、違うよ、楽!!)
俺が一人で自分に悶絶していると心の中から祈里の声がした。
(い、今ドキドキしたのは、その……わ、私なの……)
祈里が何かを言いかけたその時、ガラガラとドアが開く音が耳に入った。
「あ、メズルフおはよう」
真心の声に俺は急いで顔を上げると、そこには下を向いたまま静かに教室に入ってくるメズルフの姿があった。
「メズルフ、おはよ……? どうしたんだ?」
その様子の異常さに前楽も一瞬で気がついたようだった。ここからでは表情を伺えないが、震える肩を見る限り明るい表情のようには思えない。昨日の泣き顔が再び戻ってきてしまった気がして俺は胸が痛んだ。
「なんでも、ないです」
メズルフは声を絞り出すと自席にそそくさと座った。明らかになんでもある言い方に俺たち3人は顔を見合わせる。
「なぁメズルフ……俺の所為か?」
前楽は昨日のデートの件でメズルフとケンカ別れをしているから、それが原因だと思ったに違いない。メズルフはそんな前楽の方も見向きもしない。俺はそれ以上の異常事態が起こったことを察知して固まってしまった。
「昨日、何があったの?」
「それは……その……」
真心は前楽が慌てた様子を見てメズルフではなく前楽に問いかける。言い淀む前楽。その様子に真心は眼鏡を光らせた。
「怪しい……!!」
「べ、別になんでも……はあるか。ちょっと喧嘩した。ってか俺が怒らせた」
前楽は素直にそう言った。メズルフは何も言わないまま前楽をじっと見つめる。
「だったら、何か言う事あるんじゃないの?」
「……そうだな。メズルフ。昨日はごめん」
「……」
それでも暗い表情のままメズルフは黙っていた。俺もここまで来るとメズルフが何を求めて黙っているのかがわからずにメズルフの様子を伺った。
「許してもらえてないんじゃないの?」
「まじか……」
「ち、ちがい……ます」
メズルフがようやく声を出した。その瞬間に堪えていたであろう涙がボロボロと零れだす。
「ヒック……ぐす……」
「え!? ちょ、ちょっと!?」
「大丈夫!?」
俺たち3人は泣き出してしまったメズルフを心配の眼差しで見守るが一向に涙は止まらない。ボロボロと零れ落ちる大粒の涙に、俺は嫌な予感しかしなかった。




