第十二話 御機嫌と不機嫌⑥
話もひと段落して、俺はメズルフと並んで皿を洗い始めた。
俺が洗って水で流し、メズルフは受け取ったお皿を拭いてから仕舞っていく。
カチャカチャという皿のぶつかる音と水の流れる音だけが流れていてこれはこれで心地の良い時間だな、とかボーっと考えていた。
そして、俺はふと思い出す。メズルフと前楽の事は一先ず話し合った。きっと、あの二人は話し合ってお互いが納得する答えを探すだろう。けれども俺の問題は何一つ話し合っていなかった。
善行と世界滅亡。
どっちも絶対に話し合うべき内容だ。
丁度皿を洗い終わり水を止め、メズルフが最後の皿を仕舞い終わった時、俺は口を開いた。
「なぁ、メズルフ?」
「なんですか?」
「俺の話も聞いてくれないか?」
「あ、そうでしたね。すっかり忘れるところでした」
和やかになってきた雰囲気の中、俺はメズルフに伝えなきゃいけない事がある。
「さっき、メズルフさ? 人に必要とされたいって言ってただろ?」
「まぁ、言いましたね」
「俺、そもそもお前の助けが必要なんだ」
「え? どういう事ですか?」
「お前、本当に当初の目的忘れてるだろ。善行だよ、善行!!」
「それがどうかしたんですか? 楽がせっせと人の役に立つことをすればよいのでは?」
「実は……」
俺の言わんとしている事をメズルフには伝わらない。だから俺が今日起きた出来事をかいつまんで説明した。
真心の家で善行を積むためにマンガの手伝いをした時に祈里が覚醒した事、他人を助けたにもかかわらず祈里の魂に六文銭が入っていったこと。金額が微々たるもの過ぎて毎日善行を積んでも地獄突破すらできなさそうな事。早口で語りつくす俺の言葉にメズルフは口を挟める余裕もなかったらしく終始黙って話を聞いてくれた。
「って訳で……俺の積んだ善行は祈里の物になってしまった。つまり、あっちの楽に良い事をさせないと俺地獄行決定なんだよ!! だから、メズルフ俺を助けてくれ!」
「……うわぁ……魂が入れ替わったことでそんな不具合が……それは大変ですねー……」
「他人事っ!!!」
「い、いえそんなつもりはないのですが……流石にいくら頑張っても成果が得られない制度と言うのは私達天界の意図するところではないので……我が主君のミスといえばミス。ここは私が手伝うしかなさそうですね」
「いや、最初からお前の役目だった。ミスが云々以前からそうだった!」
「うるさいですねー。そんな可愛げのない事ばかり言ってるから手伝う気も失せるんですよ」
「元から無かっただろ、そんな気は!」
「あ、ばれてました?」
「せめて隠そうとしてから言ってくれよ……」
いつもの調子に戻った天使様はヘラヘラと笑って見せた。元に戻って嬉しいのやら、いつもの調子に戻りすぎて疲れるのやらで俺は大きなため息をつく。
「そう、ですね。正直な私の意見ですが……」
「ん? 意見?」
「無理だ、と思っているんです」
天使様は良い笑顔でそう答える。もちろん『あぁそうですか』と言える内容ではない。
「そりゃいくらなんでも酷くね?」
「私は真剣にそう思っているんです。人の一生分の善行を一か月で、だなんて到底」
「それじゃ、リムベール様は無理難題を俺に課すために転生させたのか?」
「いえ、リムベール様はそんな無駄なことはしません」
「ん?じゃぁどういう事だ??」
「何か意図があるんじゃないかって思えてきたんです」
「意図……?」
へらへらと笑ってはいるが、メズルフの瞳は真剣そのものだった。
「もちろん、内容は解りかねます。思えば、イレギュラーが起こり、祈里さんの体に入った時点でおかしかったのです。でも、もっともっとよくよく考えればこの楽の転生自体がリムベール様らしくないんです」
「それって、リムベール様に聞くことはできないのか?」
「え?」
大きな瞳がぱちくりとする。そんな発想はしたことが無いというような表情に逆に俺が首を傾げる。
「できない、のか?」
「……連絡手段が無いです」
「じゃぁ、一回天界に帰れば?」
「……あぁっ! その手がありましたか!!」
「お前ってつくづくアホなんだな……」
「アホって何ですか!! お、思いつかなかっただけですし!!」
「それをアホと言うんだよ。どうしてこう単純な事が思い浮かばねぇんだよ!!」
「じ、自分で……」
「んぁ?」
「自分で考えて行動するということ自体……滅多にしないもので」
「は??」
「天使ってそういう物なんです。神様の力で産まれて生まれた時に仕事がインプットされていて、その役割を消滅するまで従う」
「そんな、つまらない生き方なのか?」
「つまらないだなんてそんな!! リムベール様に仕えることが出来るだけで私は幸せです」
慌てて俺の解釈を否定するメズルフになんとも言えない違和感を感じる。生まれてから死ぬまで、役割を果たすためだけに生まれた神の分身、それが天使の生きる道なのだろうか。
「……まぁ、他人の幸せにどうこう言う立場じゃねぇけどさ? 俺なら人の指示に従うだけなんてヤダね」
「どうして、ですか?」
「だって、指示ばっかり聞いてたらよ? 未来の結末も『その人に指示されたから』ってなっちまうじゃん? 俺は自分の人生、人の所為にしたくねぇよ」
「……ふぅん。そう言う考え方も、あるんですね?」
「ま、只の一人間の意見だよ。気にすんな」
メズルフは真剣に数秒腕を組んで考えて悩んだような仕草をする。これは人間と天使の間で発生したカルチャーショックだったのか?とメズルフの次の一言を待っているとあっという間の元のヘラヘラとした笑顔に戻った。
「……ま、私のような崇高な天使と楽のような一人間が同意見な訳はありませんよね! 考えるだけ無駄でした!」
「おっまえなぁ!!」
「でも、その……その考えも、嫌いじゃ、ありません。覚えておいてあげましょう」
「……ぷっ!! なんだよその微妙なツンデレ風」
「なっ! 今噴き出しましたね!?」
「あははっ! メズルフは本当にアホだなぁ!!」
「……またアホって言いましたし!? 私は崇高な天使だと何度言ったら分かってくれるんです?」
「細かい事は気にするなよ、アホ天使様!」
「だーー!! また、アホって言いました!!」
怒るメズルフが面白くてついからかってしまう。からかわれたメズルフはぷりぷりと怒っていてそれはそれでみていたい気もしたが、悠長にもしてられない。いつ崩壊するかわからないこの世界の軸を元に戻さなくちゃいけない。
「で、どうすんだよ?」
「実家に帰らせていただきます!!!」
「どこで覚えたか知らねぇけど、それ、夫婦げんかした嫁が家を出る時に吐くセリフだからな!?」
「うるさいです!! 私は今から天界に帰ります。明日の朝までに帰るので、遅かったら先に学校へ行っててください」
「え!? これから行くの!?」
「えぇ、善は急げですから!!」
メズルフは俺に一回だけ手を振ると背を向けた。普段仕舞っている純白の羽を広げると制服は一瞬のうちに天使の純白のドレスへと変わった。
「これでよしっと。 じゃ、行ってきます!」
「え、まって?! 今の何!? 制服ってそのドレスだったの!?」
「うるさいですねぇ!! どうだって良いでしょ、そんなこと! それではまた明日!」
そういうとメズルフはキッチンの窓を開けてそこから飛び立って行った。
「いや……玄関から出ろよ」
メズルフが空に飛んでいく姿を見ながら俺は一人、当人には聞こえないツッコミを入れるのだった。




