第十二話 御機嫌と不機嫌②
時は夕方。
真心と別れて数分後、俺は祈里の家に帰ってきた。
ばたんと扉が閉じたのを背中で感じる。
扉が閉まったその瞬間に確認したいことが俺にはあった。
心の中から聞こえてくる祈里の声だ。
「な、なぁ? 祈里だよな? 心の中から聞こえてくる声!」
声に出してそう聞いてみる。この問いかけに対して何かのアクションがあれば間違いない。するとすぐに声は返ってきた。
(そうだよ! ずっとずっと話しかけてたんだ。やっと声が届いて、本当に良かった!)
俺は心の底から息をついた。ずっと会いたかった人にようやく会えた、そんな気持ちに満たされる。
「俺さ、祈里の体に入っちゃってからずっと謝りたくて……。祈里の体に憑依しちまって……ごめん!」
ずっと言いたかった言葉。俺の口から謝りたかった。急に自分の体が乗っ取られたんだ。どう考えても怖かったに違いない。今ようやく俺と話ができたが、それまでのこの1週間、ずっと返事がない俺に対して話しかけてくれていたんだと思うと、祈里の心中を察して胸が痛くなる。
(楽の所為じゃないんでしょ? 謝らない謝らない!)
ああぁぁ!この感じ!!本物の祈里はこういう子なのだ。人を責める事を滅多にしない。優しい言葉に俺の心は報われる。やっぱり俺、祈里が好きだ。としみじみ思ってはっと気が付く。
(あ、あのさ。その……嬉しいんだけど、聞こえてるんだってば……)
「ごめんっ!!」
祈里の照れたような声に俺は思わずニヤニヤとしていた。
「……」
そのニヤニヤしている俺を不機嫌な天使が腕を組んで睨みつけている事に気が付いたのはその数秒後だった。
「独りごとですか? 気持ち悪い」
「メズルフ!?……帰ってたんだな……」
「電話……でもないですね? 誰と話をしていたんですか?」
「聞いてくれよ、俺さ、祈里と……ゴフォ!!!!!」
思ってもみなかった。
何故だかは分からない。
只、俺は今目の前の金髪天使に、ボディーブローをされたらしい。
突然すぎる襲撃且つマジな一撃に一瞬息ができなくなった。
「なっ!? 何しやがる、クソ天使!!!」
よろよろと数歩後ずさるとすぐに玄関のドアがあった。メズルフの狂犬のような鋭い目つきに俺はいっその事ドアから逃げようかとドアノブに手を掛けた。
「いのりいのりいのりいのりっ!!!」
「……は?」
「いのりいのりいのりいのりいのりいのりって!!!」
「な、なんだなんだ!?」
「馬鹿は貴方です!! 祈里馬鹿です!! ラブラブなのもいい加減にしやがれですっ!!!!」
目の前の天使からはボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。本気で本気の涙に俺はこいつを置いて外に逃げ出してはいけないような気がして立ち止まった。
「わ、私……確かに、アホですけどね? ……それでも、ちょっとだけ期待してたんです」
「期待……? 何に?」
「デートです。今日の楽とのデート……」
メズルフは今朝とても楽しみにしていたデートだ。こんなにも怒っていると言う事は期待外れも良い所だったのだろう。
目の前にいるのは愛天使なんかではない。前楽に本当のデートを期待して打ち砕かれた、ひとりの女の子の姿がそこにはあった。
「あの楽、私と付き合うとか言って……祈里さんの話しかしないんですよ!?」
「……は?」
「あっちから告白してきて……なんなんですか!? どういうつもりなんですか……!?」
「いや、俺に聞かれても!!?」
どういう事だろう?前楽はメズルフに自分から告白をした。あいつは、自分に焦がれてくれたメズルフが好きになったんじゃないのか?
その割に、デートの最中に祈里の話ばかり? 俺にはどういう心境なのかさっぱり分からなかった。
(……私の気を引きたいのかもしれないよ? ほら、あの時ラブ☆エンで、主人公が他のキャラに気のある振りをしなきゃいけないって言ってたじゃない? 私にはその後、楽の行動がおかしくなったように見えたの)
心の中の祈里がぼそりとそう言った。なるほど、それなら納得ができる。
「祈里の気を引きたかった……? それで、メズルフに気のあるフリをする為に付き合った……?」
「なっ……なんで……そんな酷いことを言うんですか?」
「え!?」
普通の会話のように心の中から声が聞こえてくるので思わず口に出してしまった。そして、祈里の言葉はメズルフには聞こえていないのだ。メズルフの眼から零れ落ちる涙が床にまでぴちゃんと落ちて、俺は口に出した言葉を戻したくなったがもう遅かった。
「じゃぁ、私の事はお遊び……って事ですよね?」
「ちょ、ちょっと、本当にそうかは解らねぇし!!」
「でも、楽は楽なんです!! きっと、そうに違いありません!!!」
「違うんだ、これは祈里が……」
「また祈里さん!? 祈里さんは今関係ないでしょう!? ここに居ない祈里さんの所為にしようとするなんて!! 楽なんて……楽なんて……」
あぁ、俺はこの後に来る言葉を知っている。
「大っ嫌いです!!!!!」
やっぱりな……。これで、言われるのは二回目だった。
それでも、言葉の重みが全然違って、俺の心にぐさりと刺さった。
金髪の天使はその言葉を言い放つと、すぐに踵を返して二階の祈里の部屋に駆け上がる。
流石の俺もこのまま頬っておいていいとは思えなかった。
「ま、待ってくれ!!!」
俺は慌てて、メズルフを追いかけて二階に駆け上がり、乱暴にドアを開けた。
しかし、そこにはもう、誰もいない。
風に揺らめくカーテンが、メズルフが空へ飛んでいったことを示唆していた。
「まずった……よな」
(うん、私も余計な事を言ってごめん……)
「謝らなきゃ……な」
(うん……)
1つの肉体に宿る二つの魂は、悲しい気持ちで開きっぱなしの窓を見つめるのだった。




