第十一話 思い出の品と墨の香り③
「大事なことだからもう一度言うよ。貴女は祈里の偽物ね?」
額から冷や汗が垂れるのを感じた。冷や汗なんて流したら、それを認めるような物なのに。それでも俺の額からはぽたりと汗が滴った。
「そ、そんなわけない……!」
「いやっ、貴方は絶対に偽物だよ! 変だと思った!! 貴女はいったい誰!? 祈里をどこにやったの!?」
気が付けば真心の手にはカッターが握りしめられている。いやいやいや、冗談じゃない。このままじゃ俺が攻撃されかねない。けれども体は祈里の物に他ならないので傷を一つでもつける訳にはいかないのだ。
「いや、私は祈里だよ!? どこをどう見たって祈里じゃない!?」
「嘘!! 生き別れの双子!? それとも、祈里の体を乗っ取った宇宙人!? はたまた祈里のドッペルゲンガー!?」
漫画の読み過ぎかっ!!と喉まで出かかった。
普通の人なら『現実的にあり得ない事』として切り捨てるだろう可能性。しかし、こいつのネジが外れた頭では通用しないらしい。俺の肉体がいくら祈里本人だろうと、きっぱりハッキリ偽物だと言い切られてしまった。しかし、まぁ、この場合で言うと真心が正しいわけなんだが。
カッターの刃をカチカチと鳴らしながら真心は俺を睨み続けている。
「嘘じゃないって……!!」
「この間だって、思い出のアレの事、覚えて無かったじゃない!!」
一瞬なんの事か思い出せずに首を傾げた。思い出の……アレってなんだ?
そう言えばこの間、祈里の家に一緒に帰るときにも同じような事を言っていたような……
「私たちが仲良くなった切っ掛けなのに!! そうそう忘れる? ベタ塗りもそう、挙動不審な所だって全部全部そう!!」
「ち、違うんだ……!! 本当に!!」
「貴方が偽物じゃないって言うなら、思い出の品が何なのか答えなさいよ!」
「え」
もちろん俺がそんなものを知る訳がない。
一言で今の状況を表すとするならばこうだ。
--絶体絶命!!
「5秒以内に答えられなかったらあなたを警察に通報するわ!!」
「ちょっと待て!?はぁ!?警察!?」
「不法侵入よ」
「真心が招いたんだろおおお!?!?」
「5ー!!!」
ヤバい。こいつの眼は本気の眼だ。元から猪突猛進な所があるこいつの事だ。通報すると言ったらするに違いなかった。
「4-!!!」
「ちょっと、待って!!本当に!」
「3ー!!!!」
「ま、まって、今思い出すから!」
「2-!!!」
「待ってってば!!!!!5秒は短すぎるって!!」
「すぐに出てこない時点で偽物よ!!」
「そんな!?」
マズイまずいぞ、このパッツン黒髪メガネは本気だ!!どうすれば良い?!
こうなったらあてに行くしかない。
もう、あと1秒しかない!!
……思い出の品ってなんだよ!?交換ノート……いやちがうな……お揃いのペンとか?あああ、わかんねぇ!!
(レ……)
「……!?」
その時、どこからか、いや、心の中から‥‥…何か声が聞こえたような気がした。
俺は極限の緊張の中、藁にもすがる思いで心の中の声に耳を澄ませる。
「1-!!!」
(レズ……)
「レズ……」
「ゼ…………今、なんていった?」
その音に真心のカウントが止まった。きっと、正しい音が口から出たんだ。
ならばやることは一つ、俺は俺の心の中の声に全身全霊で集中する。
お願いだ、教えてくれ!!真心との思い出の品ってなんなんだ!?
(……レズベルドの人形!!)
俺の問いに答えるようにその声は返ってきた。はっきり聞こえて分かった。
これは、祈里の声だ。それならば、間違いない!!
間髪入れずにその言葉をそっくりそのまま口に出した。
「……っ!! レズベルトの人形!?」
焦った顔をしていただろうし、真心だっていぶかしげな顔を止めなかった。
それでも、口から出たのは正解だったようで、カチリカチリと真心はカッターの刃をしまった。
「あ……な、なぁんだ。覚えて……るじゃない」
きっと、これを証拠に、俺を警察に突き付ける気だった真心はポツリ呟くように言葉を吐き出した。
「ご、ごめん。レズベルドの人形の事だって分からなかったの」
取って付けたかのような理由付けだが、真心の首を渋々でも縦に振らせるには十分だった。
「酷い話。じゃぁ、ベタ塗りは?……なんでそんな嘘つくの?」
「ちょっと真心をからかっただけだよ。それにしてもドッペルゲンガー論が飛び出るとは思わなかった」
「それくらいのイレギュラーに思えたのよ。記憶喪失とは違うみたいだしね」
「あ、あはは」
俺が困った顔で笑ったのには理由がある。
きっと、真心は俺を100%信じたりはしてないだろう。
そして目の前には先ほど渡されたばかりの原稿用紙があるのだ。
「もう、時間かかっちゃったじゃない。明日入港しないと締め切りに間に合わないんだから! さぁ、作業に取り掛かろう?」
「わかった……」
と言われても俺にそんな技術もスキルもない。まず結局どの道具を使えばいいのかもわからなかった。
(楽……楽!! 私に、委ねて!!)
(!?!?)
(全部が無理なら、手だけでも良いから)
(どうすれば良いんだ?)
(何もしないを、して!)
(……何もしないをする!?)
(自分で動かそうと思わないで。いい?)
(わ、わかった。やれるだけやってみる!)
俺は祈里の声に従い手の力を抜いた。すると不思議な事に手が勝手に動く。
こ、これは……俺の中の祈里が体を動かしていると言う事なのだろうか。
(出来た!!)
嬉しそうな祈里の声に俺は驚いた。なんだ、祈里が祈里の体を動かす事ができるんじゃないか。
祈里が居なくなったわけではなかったという安堵が、そして久しぶりにその声を聞けたことで俺の目頭が熱くなる。
「……調子も戻って来たみたいだね。じゃ、悪いけどあと10枚くらいで完成だから!」
「……わかった」
(10枚もぉ……!?)
鮮明に心の中で祈里の声が不満を漏らす。
懐かしい子の雰囲気に愛おしさを感じる。やっぱり、祈里は可愛いな。
(あ、あのさ、楽……全部聞こえてるからね?)
「……っ!?!?」
顔が火照る感じがしたのは俺の照れの所為か、はたまた祈里の所為なのか、俺にその区別などつくはずがなかった。




