第九話 打算的戦略と筆談ノート①
「ごめん、真心と楽。二人共、今日はもう解散にしてもらえない?」
「……わかったよ」
「……ああ」
「ばいばい」
衝撃的な告白成立を目の当たりにした俺は茫然としたまま、前楽と真心の両名を半ば追い出すように別れを告げる。その言葉を聞いた前楽は振り向きもせずに真っすぐと扉を開けて玄関へと向かった。対する真心は少し心配そうに、俺の方をちらちらと見て、それから戸惑いながらも部屋を後にする。
「あ、私見送ってきますね」
取り残されそうになったメズルフは慌ててそう言うと二人の後ろをついて行ってしまった。
独り、リビングで俺は一人佇んだ。
もう、頭の中はぐちゃぐちゃで、誰を信じればいいのか分からない。
どうしてこうなってしまったかが分からなくて俺は一番、俺を信じることが出来なくなっているこの状態に頭を抱えた。
「どうしてだよ。俺……祈里の事がこんなに好きなのに」
思わず言葉が口から洩れると、目頭が熱くなる。
男の時はまるで泣いた事なんてなかった俺なのに、ポロリ、ポロリと涙が零れ落ちた。
「どうしてだよ、メズルフも。俺が祈里と付き合わなくなっても良いのかよ。俺、メズルフじゃなくて祈里と付き合いたいのに!!」
悔しいからなのか、上手く行かない苛立ちからか、はたまた将来への不安からか。
とにかく歯を食いしばったままだった。涙が流れ落ちるのを肌で感じる。
「……祈里、ごめん」
言葉が、ゴトンと音を立てて床に落ちたような錯覚を覚える。
実に重たい気持ちだった事に自分でも驚いた。
(楽のせいじゃないよ)
どこからか、そんな祈里の声が聞こえてふと顔を上げた。
「祈里……?」
首を傾げたが誰もいるはずがない。俺は胸に熱いものを感じて手を置いた。
ふくよかな感触に思いを馳せることもなく、その奥の奥へと意識を集中させる。
そこにあると思われる祈里の魂の存在を確認したくて、俺は目を閉じた。
「なぁ、祈里? 信じてくれないかもしれないけど……俺は祈里の事が好きなんだ」
「なに、気持ち悪い独り言を言ってるんですか?」
真後ろから、戻ってきたであろうメズルフの声がしておれは小さく飛び跳ねた。
「う、うわっ!!」
「祈里さんに思いを馳せるのは勝手ですが、ちょっと気持ち悪いですよ?」
「て、てめぇ!!! メズルフ!! どの面下げて帰ってきた!!」
「この面ですぅー」
メズルフが解りやすく変顔をしてくるので俺の怒りは更に燃え上がる。
「お前マジデ、何を考えて楽と付き合った!? 過去と違う行動に出れば出る程世界は崩壊するんだろ!?」
「貴方こそ!! どうして、そんなに祈里さんが好きとか言っておいて私に告白してきたんですか!?」
「俺が知るかよ!?」
「あれは貴方でしょう!? もう、あの場ではああ答えるほかなさそうだったじゃないですか!」
「そんな事ねぇよ、断ればよかったじゃねぇか!」
「断ってどうするんですか? 最初に嘘をついて楽を好きと言ってしまった以上断れば辻褄が合わなくなる。助けてもくれないし……」
「……それは……ごめん。俺も何を言えばいいのか、わからなかったんだよ。だけどさ、俺の立場から考えても見てくれ。『楽』と付き合おうとしてるのだって過去との辻褄合わせの為だろ? 本当に好きだからじゃない。それもあって、なんて言えばいいのか分からなかったんだよ」
「ううぅ……だから、BLゲームをして少しでもその恋愛観を変えて欲しかったのに」
「俺が本当に俺を愛せるように?」
「そうですよ。それなのに……なんで私があれをプレイしてたんですか!?」
「だから、それは知らねぇって!! お前が勝手に嵌ったんだろうが!!」
全く、この天使はどこまでも惚けている。
俺は腕を組んで盛大にため息を一つ零した。
「なぁ、本当に楽と付き合うのか?」
「まるで他人のような口ぶりですね。でも、そうですよ。付き合おうと思ってます」
誠実な青い瞳が俺を見据えた。夕焼けの光を帯びて若干紫がかった色が綺麗だった。
「俺が祈里と付き合わなければ、世界が崩壊するんじゃねぇのかよ?」
「私はそんなこと言った覚えはありません」
「はぁ!?」
前と言ってたことが違うじゃねぇか!と俺の眉間には深いしわが寄る。どういう事かさっぱり分からない。
「貴方と祈里さんが付き合わない事で、貴方が死なない未来が訪れる。それが、『矛盾だ』と言ったんです」
『人が一人死ぬ死なないは大きな差になることがあります』と言っていた、メズルフの言葉を思い出した。そうだ。確かにメズルフは俺が祈里と付き合う事が大事とは言っていなかった気がしてきた。
「貴方が誰と付き合っていても良いんです。あの日、あの時間、修学旅行の日の出を見に、陸日神社へ赴き、死ぬことが大事なんです」
「……それってつまり……」
メズルフは、俺を殺すために、俺と付き合ったって事になる……よな?
「それ以上は、言わないでください」
「……!?」
「ごめんなさい。でも……」
紫がかった瞳が揺れるのを俺は見た。
「矛盾を起こさないようにするのが、私の天使としての務めなのです」
静かに悲しみを帯びた瞳で俺を見る天使には、強い覚悟の色が見えた気がした。
そう、俺を崖下へと導くことを覚悟した、綺麗で透き通った紫色が。




