第八話 救世主とマル秘事項③
「……ぷっ」
驚いた表情で手を見つめている俺の事を見て、前楽は何故か噴き出した。俺が祈里になってからそんなに笑いあう事も少なかった前楽を俺はキョトンと見つめる。
「なに?」
「気のせいかもしれないけどさ」
「??」
「祈里、なんだか変わったよな」
心臓が飛び跳ねた。この男に俺であることがバレたら、きっと二度と告白などしてくれないだろう。そうなれば世界は滅亡間違いなしだ。
「そ、そ、そんな事ないよ!?」
「いや、明らかにここ1週間の祈里は変だった。まるで別人が祈里に入ったみたいでさ。喋り方は変だし、文字も汚くなったし……。足を広げて座ったりも前はしなかっただろ?」
「……」
ヤヴァイ。
心の中はもう、冷や汗が滝のように流れていた。そりゃ、俺だって祈里のふりが完璧にできているとは思ってなかったけど、それでもバレることは無いだろうって思ってたんだ。けれども現実的にはそう言うわけではなかったのかもしれない。
「でも、なんだかわかった気がする」
「何を……?」
前楽は真剣な目で俺を見てくる。俺も覚悟を決めるしかないのか。逃げ出したい衝動を心に抱いたまま俺はそれでも、前楽を見た。バレてしまったのか。1週間しかたっていないのに!
もう、お終いだ!!
--前楽はゆっくりと口を開いた。
「祈里がおかしくなったのは、メズルフの所為だな?」
「……へ……?」
「ちょうどその日からなんだ、祈里がおかしくなったの。で、メズルフは何故か俺に気がある。祈里、メズルフがいるから俺と仲良くしないようにわざと変にふるまってるだろ?」
「あー……う、うん。バレちゃった?」
バレてなかったああああああ!!!俺、本当にバカで良かった!!いや、良くは無いんだけど今だけは俺のバカが役に立った!!
「どうしてそこまでメズルフの肩を持たなきゃいけないんだ?」
「……うーんと」
「言いにくい事なのか?」
「そ、そうじゃないけど」
今急に出てきた設定にどう理由付けをしたらいいのか、俺の頭の中はフル回転する。
「あの子、日本が大好きだから。だから、いい思い出を作って帰って欲しいの。たった一か月でしょ? それなのに、一目惚れで好きになった相手が突然目の前で違う女の子と付き合い始めたらさ、どう思うかな?」
我ながら上出来な嘘だ。
「そりゃ嫌な思いをするだろうな。でも、祈里さっき、メズルフは外人でオープンだから『好き』は『LIKE』、とか言ってなかったか? 今の口ぶりだと本当に俺の事を好いてくれている事になる。……矛盾してないか?」
全然上出来ではなかった。これでは堂々巡りだ!
「い、いや! だからそれは!!」
「って事は、メズルフは本気で俺の事を……」
「違うってば!」
「だから、どうして違うって断言できるんだよ?」
「それは……その……違うものは違うの!!」
「ふぅん?」
「……!!」
もう、止めることはできないかもしれない。前楽の中での今の状況はこうだ。
メズルフは前楽を好きな女子で、前楽の事が好きで思い悩んでいる。
そして、祈里はメズルフの為にいつもと違う振る舞いを続けている。
と言う事になる。
これはこれで良いのか?それすらも分からなかった。
どうなればいいのか最早分からなくなってきている俺は、何を言えばいいのかもわからず押し黙ってしまった。
その時、リビングの方から大きな声がした。
「すごいっ!!真心さんはメシアです!!救世主です!!」
メズルフの興奮した声がリビングから届いた。未だに玄関先の廊下で立ち尽くしている私たちは顔を見合わせる。何やら興奮冷めあらぬと言った感じの声に俺と前楽は顔を見合わせた。
「なんだなんだ?」
「あー……」
嫌な予感しかしない。この先では真心とメズルフが楽しくBLゲームのクソ天使の攻略にいそしんでいるに違いない。
「なんだか楽しそうだな。」
「そう、だね」
「何をしてるんだ? さっきまで泣いてたのに」
声につられるように俺と前楽が廊下を抜けて家の奥へ行くと、リビングのドアが締め切られている。
ドアのど真ん中には『男子禁制』と書かれた張り紙がぐしゃっと張られていた。
「なんだこれ?」
見る限り真心の字だ。ああ、そうか。遊んでいるゲームがゲームだから楽に見られたくないんだろう。
「俺、入ったらダメって事?」
「あはは。きっとそうだね」
「俺、何の為に来たんだか」
「お菓子、出すよ? 仕方がないし、キッチンに居ようか」
「しょうがねぇなぁ」
そう言って元来た道を戻ろうと振り向いた瞬間、リビングのドアが乱暴に開いた。
「楽!! 見てくださいよ!! 針が動いたんです!!」
曇り一つない笑顔でメズルフが出てきた。
けれども、このアホ天使、いま、俺を見て『楽』って言った。
しばらく学校へ行っていなかったから、俺が『祈里』だって事を忘れてやがる!!
そして何が最悪かって、ここに居るんだよ。
本物の『楽』が。
「お? もう、入っていいのか?」
そりゃぁこうなるよ。その時のメズルフの青ざめた顔は傑作だった。
だが俺は何も悪くない。
そう、俺は何一つ悪くない。
心の中でそう呟いて固まっているメズルフの脇をすり抜けて、リビングへ入って行く男の姿を俺は見送った。
ようこそ、秘密の薔薇園へ……。




