第五話 置手紙と留学生①
次の日の朝。
俺は祈里の部屋で目が覚める。
清々しい朝だった。日差しは春に終わりを告げ、夏への第一歩を踏み出そうとしている。
「……。あれ、ここは?」
目が覚めると俺は何故かキッチンのテーブルに突っ伏する形で寝ていた。俺の記憶によるとちゃんとベッドで寝たはずなのにと、不思議に思い立ち上がろうとすると手にボールペンが握られている事に気が付いた。
「ペン? 寝ぼけて握ったのか?」
俺はいつの間にか握っていたそれを机に置く。それにもう1つ。美味しいにおいが鼻をくすぐった。
昨日はとりあえず非常食っぽいカップ麺をすすって空腹をしのいだだけなので、おなかはかなり空いている。後ろを振り返るとお鍋に出来立てのお味噌汁と焼き魚、ご飯が炊けている。両親が帰ってきたのかとも思ったが、俺以外の人の気配ははまるでなかった。
「腹……減った。とにかく頂こう」
俺はごはんを食べようと立ち上がると、ひらひらと何かが地面に落ちるのを視界の端に捉える。俺はごはんよりもその紙を優先しなくてはならないと直感的に感じた。
「メモ帳? ……なんだこれ!?」
俺はすぐさまそのメモ帳を手にしてみてみる。そこには丁寧な女性らしい文字が書かれていたのだ。しかも、この字に俺は見覚えがあった。
「これって祈里の字……?? でも、どうして?」
俺は慌ててメモを読み始めた。
【拝啓 辻井楽様】
【私の体を動かしているの、楽なんだよね?】
どきっとした。
一行目から俺に体を乗っ取られている祈里からの置手紙であることを物語っている。俺はドキドキしながら手紙の続きを読んだ。なんせ、昨日お風呂に入っている。一応言っておくがやましいことはしていない。というか、する気が全く起きずにできなかっただけなんだけど。ちくしょう。
【祈里です。端的に聞くけど、これどういう事なの?】
「……!!」
説明を求める内容に俺はどういったらいいか困ってしまった。だが確定的な事がある。祈里は今の状況をどうやってか認知することが出来ていると言う事だ。
「むしろ、どういう事なんだ? 祈里はこの体に一緒にいるって事なのか?」
どういう事なのかは全く分からないので、あとでアホ天使に聞いてみるしかないだろう。
【とりあえず困っているのは分かったから、私から、いくつかアドバイスしてあげる!】
「マジで!?」
思わず声が出た。祈里として生活が始まったのは良いが上手く行かない事ばかりで、救世主のように思えた。俺は慌てて続きに目を通す。
【まず、私になりきるんでしょ。 男言葉は止めて、喋る時は最後を「よ」とか「だね」で終わらせたらそれっぽくなると思う!】
「それっぽく?それっぽくってなんだ? ……でも、そうだな。「わよ」って言った時、真心が変な顔してたしな。オッケー!やってみる!」
【次に生活の事ね? ウチの両親は海外出張中だから、次に帰ってくるのはお盆なの。掃除洗濯、ご飯は自炊してね! お金はプリペイドカードがそこの引き出しに入ってるから使って良いよ! 無駄遣いはしないでね?】
「どうりで誰も帰ってこないと思った。って、家事全部自分でやるの!? まじかよ。祈里は毎日そうしてたのか……? すげぇ」
【もう1つ!お風呂は楽が寝てるときに私が入るから楽は絶対入らないで!】
「ぶはっ!! や、やっぱり……見られてたんだな」
胸を揉んだりしなくて良かったと本気で思った。もし揉んでたら人としての信用がなくなっていたかもしれない。あぶないあぶない。
【それと、あrあmlkds……】
ここからに文字がミミズ文字になって読み取れなくなっていた。
(それにしても俺が寝てるとき? 俺が寝てるときに祈里がこれをやってくれたのか?)
体の自由が利かないだろう、訳の分からない状態で。それでもなお、今の俺を助けようとこの手紙を残してごはんまで作ってくれた。
「……ありがとう、祈里」
俺はペンをとると感謝の気持ちを込めてメモにそう書く。
何にせよ学校には行かなくてはならないので俺は早速祈里が用意してくれたご飯を平らげ、自分で食器を洗う。なれない皿洗いに四苦八苦していると時間がどんどん過ぎる。
「やっべ。遅刻!! 急がなきゃ!」
そう言って自室に戻り、俺は女子用の制服に手を伸ばした。
「まずは、アイツに謝らなきゃな。昨日の事は誤解だって」
俺は決意を胸に制服を握りしめるのだった。




