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No.85「記憶の在処、白の闇」

 ――ブールは情報の流出を懸念して……?


 ティアの思考はそこに落ち着いた。


「呪術の類ですかね」


 警察の人間である彼がそういう物を信じている事に、バルは酷く驚き目を見張った。


「蒼占さんは信じているんですか?」


「ええ、もちろん。知識だけはつけようと書物を読み漁る日々です。……しかし困りましたね。過去視が使えないのなら後手の後手に回る事になります」


「いえ、そうでもありません。俺のは過去視とは異なり物質に触れる事で読む事ができます。人の記憶に防御は貼ってもいちいち物にかけるほど……」


 言いかけ苦虫を潰したような表情をする。


「いや、どうでしょうね。ここまで用意周到で警戒心が強ければ、それも十二分にありえます」


「試してみましょう」


 保管庫へ向かい彼の所持品を蒼占は出した。

 退魔師訓練生としての身分証明書、生徒手帳、訓練生用の制御装置(リミッター)、財布、たったそれだけだ。

 人を意図的に人外化させられそうな代物は見受けられなかった。


「彼が訓練生になってから、一番多く身につけていたのは制御装置(リミッター)ですかね」


 言いながら触れると、いつも通りの見え方で物が保有している記憶を読み取れた。流石に持ち物まで読み取らせないようにはしていないらしかった。

 案外敵に局員の詳細な情報は流れていないのかもしれない。現にバルの能力対策はしていなかった。


「……ブールに所属したのは、会話から推察するに人外対策局が公になる少し前の事ですね。当時の事はこれらを身につけていない以上読み取れませんが、訓練生になってからもあちらの人間と何度か接触しています」


「見覚えのある顔は?」


「いえ……俺の記憶の中の人間とは誰とも一致しませんでした」


「そうですか。ですが一応通信情報専門部(C I S)へ行きましょう。現在所属している局員、並びに引退…………殉職した方達の顔ぶれの中にいるかもしれませんから」


 殉職した者も含む事に、自ら眉を顰め目を伏した。


「分かりました。それと人外に堕ちた時の記憶についてですが……」


「何かわかりました?」


「いいえ、物を手放していたようです。……事件があった場所はどこですか」


 力強い目線を受けバルは力なく首を横に振る。しかしそう答えた彼を、ティアは蒼占に気づかれないよう目だけで見上げた。瞳には、責めるわけでもない、怪訝なニュアンスが漂っていた。


「基地の外です。近くの公園でレーダーに映ったのですが……」


「どうかしたんですか?」


「一瞬、レーダーには二つの人外反応が出たそうです」


「では彼も人外だという可能性があるといつ事ですか?」


「はい。なので封の呪を施した手枷をはめています」


 ティアが何かに気づき蒼占を振り返る。


「……きっとあれです。読めないのは、あれのせいです」


 ぽつりと静かにそう漏らした。焦りもなく静寂を湛えた大きな瞳が、マジックミラー越しに彼を見据えている。


「きっとブールはあの枷をはめるのも計算上にあった。そしてそれは彼らにとって都合の良い事です」


「と、いいますと?」


「人外堕ちさせた記憶は、彼にではなく人外の人格に刻まれているのではないかと思います」


 まさか、と蒼占は意表を突かれたようにガラス越しの容疑者に目を見張る。


「……しかし入学段階では人外の反応は彼にはなく、それからも誰かに気づかれる事もなく今まで過ごしていますよ」


「人外は入学後に彼へ寄生し、そして本体は別にある。おそらくそれは、人外の反応がしても蓋然性のあるもの。気づかれづらいように、彼自身への寄生はほんの少しだけなのだと思います」


 自分の中を探るような口ぶりでティアは続けた。


「人外臭さは人外が視えているのであれば少しは出てきます。精神界に片足なり突っ込んでいなければ、そのレベルの生き物と干渉できないからです。そんな程度に抑えて、きっと彼は今まで過ごしてきた」


「そんな事ができるのですか……?」


 蒼占はそういうものなのか、とあまりにも危険極まりない綱渡り状態の退魔師達を危惧する。彼女は眉根を寄せ頷いた。


「彼は、妖刀の所持者ではないですか?」


「ま、まさか、刀に記憶を……!?」


 絶句する蒼占に暇も与えず、バルが慌ただしく急かすような口調のまま出口を目指し歩き出す。


「蒼占さん! 彼の武器の保管場所は何処ですか!」


「確か訓練生用の武器庫にあったはずです! 葛西教官を呼んできます! 二人は先に向かっていてください!」


 彼のバタバタとした足音が遠ざかっていく。ティアとバルは訓練生専用の武器庫へ足早に向かう。


「ブールもこんなに頭脳明晰な探偵がいる事は計算外だっただろうね。快刀乱麻とはまさにこの事だと思うよ」


「買いかぶりすぎだよ。この考えに行き着いたのは……」


 言葉尻がしぼんでいく彼女を怪訝そうに見やると、困ったように笑いかけてきた。


「私の近くに、妖刀に侵されいる人がいたから。あまりにも皮肉なヒントだね」


 ――――それは誰?

 そんな事は聞けないような、今すぐ泣き出しそうな瞳の空模様だった。

 表情はいつも通り、微笑を湛えた柔らかい表情。鬼気迫るものもなく穏やかそうにいる。

 けれどその内心は、どれほど傷ついているのだろう。覗く事もかなわない距離感に、バルはあたふたするだけだ。


 情けなさにうなされながら無機質な廊下を歩み進めた。少し遅れて葛西と蒼占と合流する。彼女は疲れた様子だが、しかし蒼占の質問に真摯に応えてくれた。


「武器庫の管理は普段どうしているんですか」


「訓練生には必要な時以外は持ち出さないように言ってあります。そしてクラス担任である教官が最後に施錠し終了。鍵はセキュリティ室に預けます」


「生徒が持ち出せる可能性は?」


「パスワードが必要なので限りなく低いかと。素面ではない――妖力や魔力、人外が宿っている武器となるとそれだけ管理も厳重になりますし、田口の刀は力が宿っているものではなく人外が直接的に憑依しているものです。目を離している時の安全性を考慮しそれ専用の封の呪の札を貼られた木箱に入れ、セキュリティボックスで保管しています」


 指をさす先には黒塗りのガラスのような直方体と、その前にタッチパネルがある。


「持ち出すにはなかなかに難儀な防犯設備ですね。監視カメラはありますか?」


「敵に映像が流れた時の事を考慮し、設置されていないんです」


 一番あるべきの監視カメラがなく、お手上げと言いたげに蒼占は肩を竦める。しかしバルは一歩前へ踏み出し食い下がった。


「ブール側からの教授で呪を解く方法を知っていたと仮定し、あとの問題はセキュリティボックスをどう開けたか。それを今思案するのはナンセンスだとして、刀に聞けば万事解決です。開けていただけますか」


 教官はプレパラートのような外装の中に枝分かれした青い回線が透けて見えるキーを挿してから指紋を認証し、次にパスワードを打ち込む。するとボックスから金属音がし、一拍置いて蓋がひとりでに開いた。


「どうぞ」


 意を決したようにバルが手を伸ばす。柄を握り締めると、妖刀から漆黒の妖気が放たれた。


「な、んだこれ……ッ!?」


 反射的に手放すが四人は唖然と眺めていた。妖気が形を成し黒い人影が出来上がると、それは口を開いた。


「ナンダ……ソウマデハナイノカ」


 言語が何かと理解するのに数秒がかかる。そんな不安定な声音とイントネーションだ。


「……ふむ。お前らに捕まっているようだな」


 一瞥をくれると、思案顔になる。真っ黒な姿でも辛うじて表情は読み取れた。

 どうここを抜け出してやろうかという思惑を辺りに巡らすが、刀に憑依しているという性質柄好き勝手に動き回る事もかなわない。

 遂にどうにもならない事を悟り、諦めたようにゆらゆらと空気に揺れている。


「我をどうしたい」


「人を人外に堕としたのは君と田口宗馬だな?」


 バルが強い口調でそう問うた。


「さて。それについては言えないな」


「構わないさ。君の意思とは無関係で視る事ができる」


 言葉で察した人外は再び刀の中に入り自らの記憶に封をしようとした、その時――


呪番之壱(じゅばんのいち)(ばく)


 指で印を結んだ葛西の凛とした声が響き、以来人外は身動きができずに固まっている。口も利けないらしく大人しい。

 葛西家一族は呪術の達人としても知られ、教官である麻朝は退魔師を対象に行われる呪術講習で教授の補佐を務めるほどだ。


「ありがとうございます」


「礼には及びません。今の内に」


 バルが手を伸ばし人外に触れる。そして人外に堕とした手段を探っていく。バルの顔から血の気が引いていく。


「なっ…………」


 悲鳴に似たバルの声が聞こえ、弾かれるように尻餅をつく。険しい表情のまま彼の口から言葉が溢れた。


「そんな、まさか……」






 *






「龍崎の信頼はガタ落ちだな」


 喉の奥でクツクツと嘲笑し、街並みを一望できる窓から景色を見下ろす。白砂の机を挟んだところに、一条と実子が揃って立っている。


「あれは白砂副局長が仕組んだのですか」


 彼女の気分が良い内にと、すかさず実子が問いかけた。


「まさか。……それと、私は中将だ」


「失礼しました」


 実子の怜悧な横顔を一条は盗み見るが焦りの様子が滲んでいる。龍崎を気にかけているのだろうか。お前はどちらの味方なのだと問いたい気持ちを堪え、一条は副局長室に飾られた黒猫の絵画をぼうと眺めていた。


「それに問い詰めていたのはあちら側の人間と、そして実子の部下だろう。そんな事も忘れるほど呆けていたのか、実子は」


「い、いえ……」


 言外に部下の忠誠心について圧力をかけられ怯む。馬鹿な質問をしたのにも深く後悔した。


「退魔師の中でも能力持ちは珍しいから重宝するものだが……いや、なかなかに賢い三人だ。裏があるのは確かだろうな。何か気づかなかったのか」


「……何も」


「直属の部下だというのに行動を把握していなかったのか。なんと情けない。失望したぞ」


「申し訳ありません」


「去年、貴様がアメリカに出張へ行って帰ってきたあたりからだ。ある事件の関係者を連れ帰ってから私への忠誠心が弱まった。違うか?」


「そんな事……ありません」


「バルドゥイーン・フォンシラー。……彼のせいなのだろう?」


「っち、違います! 彼は関係ありません!」


 バルの名前に実子が過剰に反応する。白砂はそれを見越し、全てを見通したかのような口調で問いを続けた。


「彼が正退魔師になってからも、自分の隊へ所属させたのは何故だ」


「それは……隊の編成を考えた時に、訓練生の頃から受けもっていたので、何かとやり易いのではないかと思ったからです」


「本当は心配で手元に置いておきたかったのではないか?」


「それは……」


「ふん、図星か。アレは体に悪魔を宿しているというのに、そちらの肩を持つとはな。心底失望するよ」


 中年女性の低い声がクリアになったと思うと、彼女は豪華な回転椅子から地面を蹴って回し二人へ顔を見せた。


「一条。私はお前に期待している。貴様は失望させてくれるなよ? もしもそんな事があれば――」


 おもむろに白砂が実子を人差し指でさすと、足を動かしていない彼女の体が床を引きずられるようにして指めがけて近づき出す。催眠術の類いだろうと、焦燥感をひた隠しにしつつ傍観する。


「っ…………!」


 恐怖に顔を強張らせる実子の体へとズブズブ指が埋まっていき、ついに掌が心臓に触れた時、白砂の瞳が実子を覗く。


「お前は姉を殺された事に激しい怒りと絶望を味わったはずだ。忘れたわけではないだろう」


「あ……う、あ…………!」


 徐々に徐々に握り潰そうとする手が心臓を包む。一条は彼女の背と白砂の顔しか見えなかったが、ただ事ではない光景に目を逸らせずに生唾を吞み込んだ。


「お前には躾がまだまだ足りてなかったようだ。仲良し三人組だった平和脳二人に勘付かれてはまずいと思い避けてきたが……致し方ない」


 言い終わるより早く心臓を鷲掴みにした。


「グッ……ガ、ア…………ッ!?」


 目を見開き反り返りそのまま力なく倒れかけた彼女の首を掴み上げ、焦点が合わず泳いでいる実子の瞳と無理矢理に自分と目を合わさせた。


「お前は人外が憎い。高山椎名を、姉を殺した人外が憎い。人外は皆殺しだ。邪魔になるような混血も皆殺しにしろ」


「は……い…………」


 ――これが白砂中将の催眠か。


 初めて目の当たりにした一条は、奥歯を噛み締め批判心を押し殺した。

 実子は体に手が侵入し心臓を鷲掴みにされたように感じていたが、周りからは白砂が胸に指を突き立てているだけにしか見えなかった。


 ふと実子が膝から崩れ落ちる。ふらふらと立ち上がり振り返ったかと思えば、その瞳に光はなく、混濁としているのかまだ意識がはっきりとはしていないようだ。顔つきもどこか抜け落ちた奇妙さがある。


「お、おい高山」


 反応はなく部屋の外へ出て行く。その足取りは確かなようでいて、やはりどこかおぼつかない。


「無駄さ。私以外の声は届かない」


「…………そうですか」


「なんだ。何か不満か? 非人道的だとでも言いたそうな顔だが。随分な非難がましい目をするようになったな」


 口を閉ざし無言で見据えると、白砂は希薄な笑顔で鼻を鳴らした。不満があるなら言えと顎を突き上げてくる。


「僭越ながら、問題のある行為かと。他に漏れれば解雇は間違いないと思いますが」


「その時はその時さ。シラを切り通せばいい。もちろん、一条は箝口令の有無など関係なしに口外する事はないな? ……信頼しているぞ(・・・・・・・)?」


 妖艶な笑みに、一条は蔑むような目を向け嗤笑した。


「…………ご冗談を」


 白砂のより一層深めた笑みと上げた口角の端から笑声が漏れ出てきた。


「冗談だと思うか?」


「貴方は人から信頼を得るのではなく、弱味に漬け込み従わせる事しか知らないような人です。そんな貴方が信頼するなんて」


 虚勢混じりにそう言うと、彼女は鋭い眼光で見つめてくる。サッと咄嗟に視線を逸らしてしまった自分に気がついた時、一条は鬼のような形相で視線の先を睨んだ。


「ほら。臆していればこうしてそれが露見する。そんなに私の目を見るのが怖いか?」


 噛み締めた奥歯がギリギリと悲鳴をあげている。返せる言葉など皆無だ。目を見たら最後、催眠術にかかるかもしれないという事が恐怖だった。


「…………」


「その無言は肯定と受け取っておくよ。退がれ。実子とバルを監視しろ」


「……御意」


 返事をし踵を返す。足早に去って行ったのは、きっと一刻も早くこの場から、白砂から逃れたい気持ちを孕んでいたからだった。


「随分と手荒い事をする……」


 渋面を意識的に沈め無表情を作る。何かのスイッチがオンされたかのように心もすっかり静まり返っている。

 感情の殺し方を、彼は知っていた。


 ――俺は、任務を遂行するだけだ。

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