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No.84「虫喰い記憶」

 猜疑心を一矢に受け止める龍崎は深く息を吐き出す。緊張感で張り詰めた空気がいくらか緩まった。


「隠していたつもりはない、って言ってもまあ信じない奴は信じないだろうが……」


 階下にいる隊員達に一瞥をくれ、一呼吸おいてから当時の事を訥々と語り始めた。


「あの日、応援が来るまでに針裏を手伝ってたんだ。情けない事なんだが、そっちに集中してる間に忽然と姿を消していた。焦って追おうとした所に警察も登場で、拳銃所持の不審者として職質受けたりなんだりしてた内に、もう完全に痕跡もなくなってた」


「なくなった、だと?」


「ああ……。人外の気配が、なくなったんだ」


「人外が気配を消せるとでも?」


「都合良く近くに時空の歪(ゲート)があったとか、なんらかのそういう要因としか考えられない」


 白砂が目を眇め馬鹿なと言い放つ。しかしそれには八雲が答えた。


「数時間後、近くで傷だらけの男性が見つかりました。そして通報されていた時点で死亡しています。その人は住職で、袈裟は破れ致命傷は拳銃によるものだそうです」


「…………? つまり八雲は何が言いてえんだ」


「その男性がその人外だったのではと、そう言いたいのです。住職と僕とは顔見知りで、確かに彼は人でした。しかし人外化し、また人間に戻った。今回と関わりがあるのではないかと睨んでいます」


 ざわつきが一層大きくなる中、喉の奥で龍崎が唸る。けれどまた白砂は突っ込んできた。


「まだ次の段階に行くのは早い。龍崎は何故逃した事を黙っていたんだ」


「おいおい俺を悪者扱いか? その事についても書いた報告書はしっかり出したはずだぞ。それがデータベースに無いってんなら、こっちのミスじゃなくて通信情報専門部(C I S)の方なんじゃないのか?」


 龍崎による言動の信憑性はともかく、織原に視線が集中した。けれど、彼女も四ノ宮と関わりのあった一人の人間である。その時期はまだ訓練生であり、その間情報の管理には携わってはいない事から認知するところになかったのだ。


「私は……私は当時訓練生で、龍崎副局長の元で学ばせていただいておりました。ですが、その事件で報告書の書き方を習うと共にその提出へも同行しました。龍崎副局長の言う事は事実です」


「ならば龍崎の肩を持っても当たり前な関係だ。彼女の証言は当てになるのか?」


 黒子のような格好をし顔の見えない彼は、諜報部のトップである。表情が見えない以上その厳しい声が全てだ。織原は疑われた事を心底心外そうな顔で反論する。


「公私混同はしない主義です」


「……ふん。研究所所長としてはどうなんだ。四ノ宮とは一番仲が良かった級友だと聞いたが」


「どうって? その人外が消えてた事は知らなかったっスよ? あんな怖い顔してるくせに、人につまらない気を回したりなんかしちゃったりしたんじゃないっスかねぇ。まあいいじゃんそんな事は。提出したって言ってるんだから隠蔽した別の誰かがいたって事っしょ?」


 針裏が意味深に目配せをする。しかし流石幹部というべきか、顔色一つ変えずにその視線を真正面から受け止める。または潔白の証明のつもりだったのだろう。


「それはまた別で調べて、同時進行で一番に優先しなきゃいけない事は何の為に人外化させたのか、その方法は何かとか、実はもう根深く関わっていたのかもしれないって事っしょ。早くどうにかしないと取り返しのつかないところまでいくんじゃないっスか。犯人はもう捕まえたんしょ?」


「はい。空いてる人がいなかったので刑事課代表はただのプロファイラー、寺田蒼占(あおし)が務めます。……役不足でしょうがどうぞお手柔らかに」


 優しい笑みの後、急に物憂い気に犯人を告げる。


「重要参考人として事情聴取されているのは、同じく訓練生の十四歳です。現在までに犯行を認め、今まで取れた証言は灰の月委員会に所属しているという事です。方法については依然黙秘していますが、所持していた物品を調べているところです」


「誰なのか分かっているのならば、それこそ過去を視る能力がある者に任せればいいのではないのか?」


「お言葉ですが白砂副局長、倫理に反する事かと」


「それは警察での事だろう。君はいる場を間違えいないか? ここは人外対策局。そちらが散々に啓蒙主義のカルト集団だと罵っている組織だ。ならばそれらしく能力を駆使してやろうってだけの事さ」


 まつ毛にマスカラを塗りたくった鋭い三白眼が蒼占を射抜くが、彼は困った顔に苦渋を浮かべやがて局長を見やる。治外法権であるここの全ての決定権は彼にあるからだ。


「事は早急に対処すべき事だ。厭わん」


 やれ、そう命令したのだ。誰もが抱えるリスク。人外に堕ちるという事に恐れる者は決して少なくはない。何よりもそんな事が可能ならば組織の存続はもちろん、人類の存亡すら危ぶまれる。


「では誰がそれを担う?」


 白砂は先程発言した退魔師三人を順に見た。


「確か……この中で一番能力が高かったのは御祈祷ティアだったか。物的証拠があるのならバルドゥイーン・フォンシラーに読み取らせれば全てが分かるはずだ」


「異存はないな?」


 局長に返答を求められ呼ばれた二人は複雑な顔で頷いた。「はい」と答えた声に迷いはなくとも弱々しさを感じさせる。


「……それにしても、なんだかかーなーり重要な事が発掘されまくったっスねぇ。もしかしてブールって結構昔からこの辺嗅ぎ回ってたかもって? いやー怖い怖い。四ノ宮襲ったのも実は人間でした〜なんて。直後に隣の人間に殺されてもおかしくないって事っしょ?」


 背筋が凍りつくのを実感する。人さえいれば人外になる。自分さえも人なのだから、人外になる可能性(ばくだん)は常に抱える事になる。それは、今まであった人外堕ちとは違う種類のものだ。


「ゾッとしないっスねぇ」


 吐き捨てるような針裏の言葉は、軽い声音は、軽薄な表情は、誰の脳裏にも焼きついた。






 *






 朝、あれからの一睡を経て隣からの物音に愛花が目を覚ます。


「ティア……? もう起きたのかしら」


 起きしなにパジャマの上に一枚パーカーを羽織りすぐ廊下へ出ると、玄関へ向かう彼女の背中が見えた。呼び止めようかと開口するが、重い雰囲気に声が出てこなかった。

 けれども後を追い、やっと靴を履いたところで彼女の姿をしっかりと捉えた。


「おはよ、愛ちゃん。いってきます!」


 けれど彼女は振り返らない。どんな面持ちでどんな気持ちを抱えているのか、愛花には全く解らなかった。

 彼女は人に過去視の能力を使う事に悩んではいないだろうか。そんな心配を抱えた。


「いってらっしゃい」


 閉じた後の扉に向かいそう言うが、虚しく空気に溶けていく。

 ティアが向かうのは取調室だった。ちょうど二つ先の部屋から出てきたバルと言葉もなく合流する。


「数年前の事件にブールの人間が関わっていた可能性が浮上した以上、更に深く詮索していく事は必要だね。それにしても――」


 バルは昨日の事を思い出しながら照れたように笑った。

『バルの能力(チカラ)が必要なの。だから、お願い、バル……付き合って』彼女は懇願するようにそう言った。


「――まさか俺を頼ってくれるなんてね。嬉しかったよ」


「……巻き込んでごめん。でも他に過去を視れる人もいなくって」


「いいんだ。俺自身悪魔を抱える者としても、この件に関しては(ひと)よりも警戒しないといけない。その為には都合の良い事だよ」


「バルは人外を抱えてて……その、悪魔と上手くいってる?」


「どうしてだい?」


「何か弊害とか、なかった?」


 背の小さなティアが更に俯くものだから、どんな心情なのかは窺い知れない。しかしその声音はどこか悲しげだ。

 そして思い当たる。彼女のそばに、自分とは別にもう一人、人外を抱えている人がいるのではないかと。


「心配している人がいるの?」


 小さくコクリと頷いた。スカートを握りしめるのが分かった。けれど彼女はそれ以上の事は口にしない。誰を思い悩んでいるのかは、知れるところになかった。


 バルは物に宿る記憶を読み取れる。人にだって、触れさえすれば思考も全て解る。

 撫でるようにして触れれば、読み取った事すら悟らせずに知る事ができるかもしれない。

 バルはそっとティアの頭に手を伸ばした。


 けれど、思いとどまった。


 ――こんなの、ズルいだろ。こんな風に使って他人の心を土足で踏みにじっていいはずがない。


 罪悪感が正常な倫理観をもたらしあと一歩で踏みとどまれた。そして自分への少しの失望と共に視線を上げると、向こうから夜斗が歩ってくるのにやっと気がついた。

 まずい。そう思い緊張で反射的に唾を飲み込んだ。確実に見られていたからだ。


「あ、おはよう夜斗」


「はよ。今からか」


「うん、お昼には帰れると思う」


「分かった。昼飯用意しとくから頑張れよ」


「うん! よっしゃあ頑張るぞー!」


「朝のどこにそんなテンションがあるんだよ……」


 遠くにいながらも二人は会話を交わしている。声音はいつも通りの夜斗だ。ティアが何も突っ込まない事から、表情も通常通りで怒りは表面化していないのだろう。

 目線を合わせないようにしていたが、すれ違い際恐る恐る本当に気づかれていないかどうかを確かめるために、盗み見をするようにチラリと見る。


「――――っ!」


 目が合ってしまい、怯んだ。

 その瞳は、軽蔑と、激しい怒りに彩られている。バルには、彼のいつものように赤い瞳が、マグマのように煮えたぎっているように映った。

 何も言わずに去って行ったが、あの目は、そして無言で過ぎ去るという行為が、酷くバルの胸に突き刺さった。


「…………」


 自分が一番危惧していた事だ。勝手に人の心を覗く事は、信頼を失う事だとも知っていた。

 ティアは気づいていないだろうか。

 気づいてても、あえて無言を貫き見逃してくれているのだろうか。

 夜斗もいつものように罵ってくれれば幾らか心は救われたのに。信頼がなくなりそれすらもしてくれなくなったのだろうか。


「っ…………」


 こういう時、悪魔が囁いてくる。


『なんて煩わしい生き物なんだ。思ってる時点で口に出そうが出すまいが同じ事だろ。何を誠実ぶって潔癖ぶって、思いやりなんてもんを掲げながら建前ばっか吐くんだよ。反吐が出るほど甘ったるいねぇ』


 嘲笑しているのが目を閉じれば分かる。

 精神が弱るとこうして好き勝手口を利くようになってしまう。

 精神の強さが悪魔を拘束するのだ。

 弱ればそれだけ悪魔の自由の振り幅が大きくなる。

 まず外れるのは口の拘束具なのだ。うるさい事この上ない。


 ――黙れよ。


 悪魔よりも優位に、従わせるだけの精神力が必要だ。言い放つと先程までの動揺と共に悪魔はなりを潜めた。


 気を取られている内に、いつの間にか寮から本部へ体を転送し着いていた。刑事課のある階までエレベーターで登り、ドラマで見るような署の廊下をイメージして作られた通路を歩いていく。


「ここだね」


 指定された部屋の前でティアが立ち止まり、そして取調室の隣の部屋に入っていった。それを追って入室すると、蒼占もマジックミラー越しに犯人を観察していた。


「おはよう。一睡くらいはできたかな?」


「はい、おかげさまで」


 ティアのその言葉が嘘なのは目の下のクマが物語っている。一目瞭然な事を無意識にも強がるのだから、心配性を掻き立てられる。


「叔父さんが行方不明だとか」


「……はい」


「心配ですね」


「今は……今は仕事に専念しなくてはいけません。従兄弟に捜索は任せてます。この子ですか」


「そうです。見かけは本当にただの中学生。更に言うなら優等生に見えます。学校でも実際に成績優秀で部活でも活躍していたらしいですよ」


 書類をティアに渡しながらその人物について教えてくれた。


田口(たぐち)宗馬(そうま)、十四歳。家族構成は父母兄姉の五人家族の末っ子。私立加楠(かなん)中学在学中の三年生……」


「経歴は至って普通だね」


 ティアが読み上げた内容に対する一番に出たバルの感想は、そんな陳腐なものだった。特異的な事柄など何一つない、一般的な中学生だ。


「被害者との接点は担当が同じ教官だったってだけですか……」


「葛西教官にも訊きましたが、特に仲が良いわけでもトラブルがあったとも見受けられなかったらしいですよ。……では、こちらからで大丈夫ですか?」


「はい」


「バルさんもお待ちいただけますか。彼の記憶を知ってからの方が、証拠品からの記憶も解しやすいと思いますし」


「わかりました」


 返事を聞いた蒼占が頷いて合図すると、ティアはマジックミラーにできるだけ近寄り集中力を高めた。

 相手との波長を合わせ、それが繋がった時、土砂のように記憶が流れ込んできた。


「っ…………!」


 彼の十四年分の人生が流れ込んでくる衝撃と情報量の多さに目眩が襲う。必要な部分だけ取得するつもりだった情報はその何倍にも膨れ上がり、許容量を上回っていく。

 手繰り寄せるように思考の中を巡っていると、やっと目的の記憶が見えてくる。


「…………え?」


 しかし突然弾き出され、目の前に見えたのはマジックミラー越しの取り調べ室だ。


「どうしたの?」


 心配そうに覗き込んでくるバルへと視線を投げる。


「み……視れない」


「視れない?」


「もう一回、もう一回やってみます」


 けれどもやはり何も視えない。

 焦燥感を滲ませた顔を上げ凝視する。

 彼の記憶は、人外対策局に所属する少し前から、虫喰いのように抜けた箇所があった。


「…………なんで」


 彼の空白は一体なんなのか。

 その空白は、一体どこに保存されているのか。


「分からない事だらけです」


 苦しそうに呟くティアの額には、汗が滲んでいた。

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