No.83「訃報と疑い」
「お願い、バル……付き合って」
佐久兎と直樹が、ティアの告白現場を目撃した。
「なっ、ええええええッ!?」
「し、静かにしないと直樹、聞こえちゃうよ……!」
直樹の驚愕ぶりは声に出ているが、佐久兎もなかなかに動揺していた。佐久兎が塞いだ手の中で直樹はモゴモゴとしていたが、やがて収まった。
――や、夜斗……御愁傷様。帰ったら気まずいなぁ……。
四人は二年生で同じクラスになったのだ。放課後になり部活組と帰宅組が混沌と教室をかき回す中で、それは起きた。
「え、なんかバルめっちゃ照れ笑ってるんだけど!? なにナニ何! 付き合うの!?」
「バルもティアの事好きだったもんね……。で、でも僕はてっきりティアは夜斗の事が好きなんだと思ってたんだけどなぁ」
「え、そうなの?」
「鈍いの? って言おうとしたんだけど、け、見当外れたから僕も人の事は言えないかな……」
二人が騒いでいる内に、クラスの喧騒に紛れ出来立てホヤホヤのカップルの姿は消えていた。
「あれ……?」
「いなくなった!? 追うぞ佐久兎!」
「いや、それはちょっと……。プライバシーの侵害だよ」
「なーにマジメな事言ってんだよ。大ニュースだぞ。ゴシップだぞ! 週刊誌に売るネタにしようぜ!」
「なんて野暮でゲスいんだ……」
「セコい佐久兎には言われたくない」
メンタルへの攻撃に暗く怪しい笑声を漏らす中、教室には夜斗と愛花が現れた。
「おい佐久兎、今日明日明後日寮の食堂閉まるらしいから帰りに食材買ってきてほしいってアルから連絡がきた。ティアは?」
「え、えーと、それがもう出て行っちゃって……」
「それがなぁ、聞いて驚け見て泣き喚け! ティアがバ――――むぐぅ!?」
佐久兎がいらん事を言おうとする直樹の口を塞ぐ。
「…………なんだお前ら」
不審者を見るような目の三年生二人に佐久兎は「なんでもないよ」と返し、信太を迎えに行く二人に混ざった。その後ろで直樹が何か物言いたげにしていたが別れの挨拶をし、信太を迎えに行く。
高校生の仲間入りを果たしたばかりの彼は、難しい勉強に灰色になっていた。
「おう信太、生きてるか?」
「イキテナイ」
「生きろ。アルが食材調達してこいってよ」
「掴み取りできる元気ないから、とりあえずは銛くらいは持ってきてくれないとキツイ……」
「おーい、戻ってこーい。大都会で突然素潜りするなー。この辺コンクリートしかないぞー。てか掴み取りって熊かよ」
夜斗の呼びかけにしかし無反応で視線が虚空を彷徨っている。口はブツブツと何かを唱え、その様はまさに何かに取り憑かれているようだ。何にと聞かれれば数字とアルファベットが主だった。数学の呪いに支配されている。
愛花が手加減なく後頭部を叩くと、やっと意識が戻ってきた。
「…………ハッ!? 何やってたんだオレは」
「叩いて治るとか昔のテレビかよ」
置いてくぞ、と付け足しながら夜斗は早々に教室を出て行く。周りが有名人の登場に黄色い歓声を上げていて、それが耳に障ったからだ。
「あ、そういえばさっきティアとバルが一緒に――」
「――わああああああっ!!」
信太の声に佐久兎が大声を被せるが、その努力虚しく夜斗の耳は鋭くその二人の名前に反応した。
「なんだ。今なんて言った?」
信太の口を塞いでる佐久兎の手をどけ、二人の胸ぐらを掴みあげた。
「ティアとクソ野郎が、なんだって?」
気迫に押し負け、佐久兎は遂に観念し白状した。
聞いた夜斗は怒ると思ったのだが、案外静かにしており、借りてきた猫のようだった。
けれどそれは、夜八時を回った頃に瓦解する。
「帰ってこねぇ……」
唸るような低い声で眉間にしわを寄せていた。
「誰が?」
「んなもん一人しかいないだろうが」
「あぁ、ティア? それなら夕方にボクへメッセージ送ってきたよ。今日は遅くなるってさ」
「遅く……遅くって何……を、して……ッ!?」
「ん?」
「…………い、いいいいい、いやぁ?」
想像した事があまりにも精神的にショックすぎて声が裏返る。アルはいつもより少し口角を上げ、テレビ前を陣取っている人物に声をかけた。
「ティアいないと寂しいよね、天」
「うん……」
「せーっかく会いに来てくれたのに、間が悪いなぁ」
その時、金属音が聞こえてきた。一拍置きドアノブをひねる音がし、聞き慣れた柔らかな声質が響く。
「ただいまー!」
それに一番に反応したのは夜斗を差し置いて天だった。
「おかえりっ、ティアお姉ちゃん!」
「わぁっ、天!?」
予期せず飛びついてきた天に驚き、勢いのままに尻餅をつく。すると、ティアの膝の上に座った天がティアの匂いをクンクンと嗅ぐ。
「どうしたの?」
「ティアお姉ちゃん……タバコの匂いがする」
言いながら大きな瞳がティアを覗く。困ったように微笑を浮かべながら天を立たせ、自身も手を膝について立ち上がった。
「気のせいだよ」
くしゃりと彼の頭を撫でやると、天は首を傾げた。
リビングに着くと、待ちくたびれた様子の夜斗が貧乏揺りをしながら睨みを利かせていた。
「……ど、どうしたの?」
「腹が、痛い」
「そんな学生のサボり文句みたいな……」
アルのツッコミに夜斗は鼻を鳴らしてソファに寝そべった。ティアは怪訝な面持ちのまま自室へ荷物を置きに出て行く。
「僕も行くー!」
「うん、おいで!」
トテトテと小さな天が後をついて廊下へ出て行く。そんな後ろ姿を見送りながら、夜斗はテレビの音声を聞き流していた。
「将来子供ができたらあんな感じかな〜って目だね?」
「はぁ!? ねーよ! 見ない内に大きくなったなぁって思ってたんだよ」
「そんな事言って、将来ティアは――――」
失言したらしいアルは何食わぬ顔で口を閉ざした。そしてテレビのリモコンを持ちザッピングする。夜斗はアルの横顔を睨んだままだ。
「……将来のティアがなんだよ」
「あーもー流してよ! こういうのはあんま言っちゃいけないものなんだから」
「なんでだよ?」
「言った事によって、聞いた事によって、その未来が変わっちゃったりするんだよ」
それは決してありえない事ではない。むしろ現実的な事だ。どうなるかを分かっていれば、悲劇なら防げる可能性は出てくる。しかし、知る事によって今起こすアクションが変わると、必然的に未来も変わっていく。時の修正力がそれを許さないどうしようもないこともあれど、リスクは大きい。
「お前がそれを全部抱えるってのもまた難儀な話だな」
「しょうがないよ。これがボクの人生だもん」
「ふーん、案外強いんだな」
「えー案外って、ボクってば随分強いよ?」
「はいはい」
「わあ〜相手にされてない」
それからしばらく黙りこくった。バラエティ番組の軽快な話題を聞き流していると、襲ってきた微睡みに瞼が重くなる。ティアと天がリビングに戻ってきた頃、夜斗は眠っていた。
「よし天、夜斗の顔に落書きしよう!」
「うん!」
「私は何も聞いてない。私は何も見ていない……」
*
緊急招集がかかったのは明け方の事だった。春の朝はまだまだ肌寒さがある。寝ぼけ眼をこすりながら、あるいは訓練場で流した汗を拭いながら、それぞれが基地へと向かった。
パトロール中の隊を除き幹部等も集まるが、只事ではない雰囲気に不満を漏らす不謹慎な輩は少ない。
訓練生の姿が見受けられない事から察するに、外部へ漏れる事態は避けたいようだ。
壇上に上がったのは龍崎だった。その面持ちは酷く真剣で、彼が発する言葉を誰もが口を結び固唾を呑んで待った。
「訃報だ。訓練生が一人、人外堕ちした」
ショッキングな出来事ではあるが、果たして全員を叩き起こしてまでこんな朝早くに言う事だろうか、とも思う人がいるのも事実だった。訃報ならば日中を待ってだってできたはずなのだ。
「人数も多ければそれに比例し堕ちる奴が多くなるのは必然だ。けどな、今回はそれで済まされねぇ事が発覚した」
鋭い視線を受け、一切の私語も静まり返る。
「強制的に人外堕ちさせたらしいって事だ」
一拍の間を置きありえないだろうという声が上がる。しかしそれには遅れて入ってきた針裏が反論した。
「『ありえない』……何を根拠にそんな事言ってるんスか? 現にありえちゃったからこんな事になってるんしょ」
言いながら幹部席へ向かうと、隊員から野次が飛んできた。
「遅れて登場とは偉いもんだな」
「そりゃあ僕ちゃん君よりも偉いっスよ? 今知ったの?」
挑発的な言葉に唸っていると、龍崎が見兼ねて間を割って入る。
「遅れてきたんだからお前だって何言われても仕方がないだろ」
「まあそれはそれとして。ありえたから事件は起きて、ありえるから堕ちちゃったんスよ。滅多な事言うもんじゃないね? 脳みそ空っぽなのが露見するし」
「いちいち煽るなよったくよぉ……。でもまあ、そういうこった。現場検証は済んで捜査はまだ続行中だ」
人外が起こした事件については、警察から派遣された警察官や退魔師も所属する刑事課、状況に応じ特殊能力を持つ局員からの選抜、人外対策局研究所が組んで捜査が行われる。
「今回問題なのは、意図的にそいつを人外化させた事だ。まずその方法があるってのが大問題なわけだが……」
その時、一人の手が上がる。
「では、実際に人を人外へ堕とす事ができると……そう仰るのですね?」
それは、意外な人物だった。少なくとも皆が知る彼女は、他人の話を遮ってまで質問する性質にない。けれど、彼女はこうして凛とした鈴のような音を上げた。
「……御祈祷ティア中尉」
龍崎は部下達の手前驚く様子は見せなかったが、周りは動揺の色をより濃く反映していた。
「最近、何かを嗅ぎ回っていたみたいだが答えは出たか?」
「とある可能性までは辿り着き、そして今、その可能性について肯定されつつあります」
潜めた声が周りからも遠くからも木霊するように聞こえてくる。引き継ぐようにしてバルも声を上げた。
「もうすぐ八年前になりますが……、七年前、四ノ宮圭は亡くなりました。しかし生きていたのが去年の暮れに発覚。そう、ブール所属の彼です。これは周知の事実ですが……」
その名前により一層動揺は強く猜疑心のこもる視線が巡らされた。近くの人間と交わす憶測が現実味を帯びていく様は、まさに謎解きのようだった。
「彼の死因は人外から負った傷です。腕を失くし、体を引き裂かれる程の深手を負わされた。けれどこれには後日談……と呼ぶには時間は近いですが、直後に関連している事件があります」
壇上の龍崎は眉一つ動かさなくなり、幹部席の針裏は龍崎を見やった。目で訴えかけているが、その視線には応じずに前を見据えたままだ。
針裏や圭の関係を知っている者、または個人的に繋がりがあった者、事情をある程度は把握している幹部等は二人の間で視線を往復させた。疑心を孕んだ目をやがて目の前の虚空へ据えた頃、八雲が新たに口を開いた。
「龍崎副局長、貴方は四ノ宮圭を襲った人外のトドメを刺し損ねた。それは警察からの証言と過去を視れる僕……御祈祷八雲と御祈祷ティア、バルドゥイーン・フォンシラーとで調べた、信憑性が非常に高い事です。そして……」
八雲がチラリと織原を見やる。
「通信情報専門部のデータには、その人外を取り逃がした事は記述してありませんでした。何かしらの理由で隠蔽したのではないですか?」
捲し立てるような八雲の口調に、龍崎の表情は苦しくなっていくばかりだ。その場にいる全員の注目が龍崎に集まる。そのいくつもの瞳を彩るのは負の感情、疑心暗鬼に陥った人がよくする目だ。
それを見計らったように、八雲は核心に迫ろうと力強い口調で問い詰めた。
「何を隠していらっしゃるのですか、龍崎副局長」




