No.82「これはまだ、過去の事件ではない」
「その刀に、呑まれかけてるの?」
ティアの目が揺らぐ。その後ろで気まずそうに見つめてくる魁と、隣であからさまに彼らから目を逸らす零に、八雲はどうしようもなく観念したように深い溜息をついた。
「いやぁ……あはは」
「その刀?」
ティアの目は既に相手を逃す気がないらしい。いつもより力のこもっている瞳の奥に、怒気を孕んでいるような気がした。
「まあ」
「…………ばか」
何か言いたげだが、それ以上の言葉が溢れかえりすぎて出てこない。その顔はあまりにも複雑で悲痛さが滲んでいた。
しかし一番辛いのは自分ではないとそれをすぐに隠し、解決法を模索しだす。
「その刀……どこにあったものなの?」
「これは孝淳さんのお寺にあったものなんだ。父が先代から譲り受けたものだって」
「お父様が……? お兄ちゃんは退魔師の事をいつ知ったの?」
「物心ついた頃からかな。結界張ってあったから一般人は立ち入れないはずだけど、僕は霊感持ちだったから父さんの退魔現場に遭遇した事があって……。六歳とかその辺の事だったと思う」
「六歳……」
「中学生になって組織に所属するようになってから、祝叔父さんに父のだって言って渡されたんだ。…………そうだ、二人は叔父さんに会いに行ったんだったよね。話せた?」
話題のすり替えもあからさまに、改めて二人へ問いかけると彼らは首を横に振った。
「それがさ、社務所にいなかったからいそうなところ、神楽殿とか拝殿とか本殿にサラッと回ってきたんだけどいなかったんだよ。出るなら一声くらいかけるだろうに、誰も知らねえってさ。おかしーだろこれ。電話しても出ねぇし」
「あの格好だと目立つもんだけどねぇ? どっかの側溝にでもハマってるんじゃないの」
「親父はそこまで抜けてねぇよ……?」
馬鹿にしすぎだろ、と零に言うが、階位が明階で身分が一級である祝の格好は藤の文様入りの紫袴でなかなかに派手だ。
神社から一歩踏み出せば現代の風景からはかなり浮くような身なりなのだが、周辺でも見つからなかった。
「なんか急な仕事中とかかも。せっかく来てくれたのにごめんな」
「いやいや、私も突然だったし……。また今度かな」
「さっき途中になってたけど、何が訊きたかったんだ?」
「前住職についての事なの」
「静流さんの事か。よくうちに来てたよな。親父と仲良かったし、ティアも慕ってたよな?」
「だ、だよね……!? あの、いつ亡くなったんでしたっけ」
「七年くらい前じゃないか? でもおかしかったんだよな……」
「おかしかった?」
「親父と寺の人が話してるの盗み聞いたんだけど、変死体だったらしい。しかもその近くで人がもう一人亡くなったって」
「どういう事……?」
「さあ? しかも救急車の事故もあったんだってよ」
全く想像としても憶測の及ばない領域の話になってきた。一体何と何が繋がっているのか、その点と点すらも見つける事は困難に思える。
「どこ管轄の事件だったの?」
「あれは確か――――」
*
「……ティアと二人で出かけるのは久しぶりだね」
「そうだね。……警察の人は見せてくれるかな」
「融通の効く人がいるんだ」
「警察の人とも知り合いなの?」
「神無繋がりでね」
署内に入るが、思ったよりも落ち着いた雰囲気で想像していたような騒々しさはなかった。案内板で何階に目的の課があるのかを確認すると、八雲はエレベーターを目指した。
「どこ行くの?」
「少年犯罪課。今から会うのは元刑事部の人だよ」
「少年犯罪課……?」
「うん。警察関係者くらいにしか浸透してないんだけど、そういうところがあるんだ。未成年の犯罪者を専門に担当しているんだよ」
「新設の人外対策課も案内板にあったね」
「警察との関係はまあまあ良好になりつつあるし、各署に増えるといいんだけどね」
もしくは警察みたいに駐在所とか交番とか作っちゃったり、とおどけて言いながら想像してみるが、そこまでの需要はないだろうと思い至った。
目的の階に着き廊下を進むと、通路のくぼみにあるガラス張りの休憩室から何やら揉めている声が聞こえてきた。
「いい加減にしろよ! なんで俺が女装なんかしなきゃなんねぇんだ」
「そんな目つきの悪い人がいたら怪しまれちゃうから、少しでも優しい印象にと思って」
「遠回しに……いや、結構直接的にディスられてるよな?」
「いいからほら着てよ。ピンクのワンピースの似合わなさったらないね!」
「似合わないんだろ!? 余計怪しいだろうが」
「うるっせェんだよお前ら! 夫婦漫才は他でやれ他で! っつーか一般人連れ込むな。捜査内容を口外するな!」
男女二人の会話に痺れを切れした男が声を上げる。鋭い声音により一瞬の静寂が訪れるが、女子がその沈黙を破った。
「バレたら左遷ものですもんね、これ」
「何開き直ってんだ梨花。分かってんなら俺にバレないようにしろ」
深い溜息の後、その声の主らしい男が休憩室から出てきた。足を止めていたティアと八雲を視界に捉え、「よお」とだけ声をかけて辺りを見回した。
「あー……あんま他に聞かれるとアレだからこっちゃ来い」
――え、でも今なんかトラブってたよね?
心中でツッコミを交えつつ促されるがままに入る。中にいたのは高校制服を着ている男女二人だった。女子の方は愛想が良く、男子の方は仏頂面で冷めた目を向けてきた。
ティアはその男子を夜斗みたいだな、と思い微笑む。
八雲から「桜庭さんだよ」と紹介を受け会釈をするが、横槍を入れるように女子が会話に混じる。
「こんにちは。わあ、桜庭さんにもこんな善良そうなお友達がいたんですね! 美男美女〜」
「だからうるせェよ。あとオトモダチじゃねぇ。仕事関係だ」
「あー、納得です。よく見たら全然見覚えがありました。人外対策局の人ですよね? 確か名前はティアちゃん! ……と?」
「兄の八雲です」
「じゃあ、お兄さんも人外対策局の人なんですね」
女子の鋭い質問に、人畜無害そうな見かけだが侮れないなと気を引き締める。
「こいつは音木梨花。部下だ」
「現役女子高生警察官です!」
梨花は端麗な敬礼でそう告げ、桜庭はその隣の男子を忌々しげに見やり唾棄するように言葉を吐き捨てた。
「その隣は金魚の糞(童貞)だ」
「誰がだセクハラ親父。括弧もその中のも要らねぇ」
「あ、あの……桜庭さん」
「ああ、悪いな。閑話休題だ」
あの二人に向け桜庭はシッシッと犬でも追い払うような仕草をした。すると物分かりは良いらしく、大人しく出て行き、静かな休憩室は桜庭と御祈祷兄妹の三人だけになる。
「住職変死事件についてだろ? 事件資料なんざなくても覚えてるよ。八年前の八月下旬の事さ。まずは救急車要請があったんだ。血を流して倒れている男性がいるってな。名前は確か……」
桜庭が顎に手を当て視線を斜め上にやる。
「――――四ノ宮圭、だったかな」
名前を聞きティアと八雲は目を見開いた。そして二人は目で会話をする。その様子に桜庭は眉を顰める。
「なんだ、知り合いか?」
「僕とは二年くらい所属が被りましたかね。特別親しくはなかったんですけど」
「それはお気の毒に」
感情の込もらない形式的なお悔やみ文句に八雲は乾いた笑みをこぼした。それは、現在四ノ宮が敵だという事に対しての複雑な気持ちも含まれていた。
「で、だ。搬送中に救急車が横転したらしいんだが、新しく救急車が来るまでに死亡したんだと。そこに知り合いの医師免許持ってる奴がいたらしいけどな」
四ノ宮圭というワードと医師免許取得者という事で、それが誰だかは想像がついた。
「まあ助かるわけもねぇよ。腕捥げてあんだけ体だってズタボロにされてたんだ。生き返ったらゾンビかって話さ。で、警察はなんで片腕がなくて、体も八つ裂かれてんのかを調べなきゃいけねえわけだよ。銃持ってた男も近くにいたし物騒な話だ」
現実味を帯びた笑えない例え話に二人は苦笑する。
「けどまあ人間が成せる技じゃないのは一目瞭然だから、害獣だとかいう可能性に移った。熊でも出たんなら注意喚起しなきゃなんねぇからな。しっかしこんなコンクリートだらけの大都会に遥々やってくるってか? 可能性は遥かに低い御門違しい話だ」
息継ぎをする合間にタバコを取り出し火を点けた。紫煙が立ち込めと八雲は嫌な顔をする。嫌煙家なのではなく、ティアがいる場所で吸われたからだ。彼はむしろ龍崎で副流煙には慣れている。
――ティアの健康に悪い……。
しかし休憩時間を割いてもらっている立場上、何も言えなかった。
「それからすぐさ。上から管轄を外されたんだ。要はお宅に捜査権が移ったんだろ。犯人の正体は去年の六月頃にやっと目星がついたな。今なら解せて納得もいったさ。人外とかいう化け物の仕業だったんだろ? その場にいた銃刀法違反の男も、退魔師とかいう奴なんだろうな。すぐに帰されてたし」
「はい。その後はうちで預かったと聞きます。その退魔師については存じませんが……」
「でもまだ不思議な点が残る。それから数時間後にまたその付近から通報が入ったんだよ。これからが住職変死事件の事だ」
そう前置きをしてもう一度タバコを燻らせた。
「ガイシャは袈裟を着ていたんだ。しかも銃弾何発か食らったりかすったりしていた。発見時にはもう死んでたそうだが、どうも繋がってる感じがしてならん。それについては知らないのか」
「どうでしょう。しかし……」
口籠る八雲を桜庭は睨みを利かせながら次の言葉を促す。
「それが、静流さんだったんですよね? 退魔師が銃を所持していて警察に捕まってしまったというのなら、その人外を倒す途中だったという可能性があります」
「……それはつまり、何が言いたい?」
煙を吐き出した後に目を眇め灰皿に灰を落とした。
一般人の想像が及ばずとも、退魔師の予想の範囲内にはある事象だった。
「その人外が『静流さんだった』という可能性です」
公私混同をしない八雲の淡々とした口調で告げられた可能性に、ティアは口を一文字に結び眉根を寄せた。桜庭といえば呆気にとられ、どこから食い下がろうかと言葉を脳内で反芻させていた。
「そんな事があり得るのか? 人が化け物になったり、化け物が人になったりって変化可能なものなのか」
「充分にあり得ますし、前例もあります」
確信が見える言葉に今度こそ桜庭は口を噤む。自分の知識が及ばない未知の領域に対する不信感もあるが、しばし難しい顔のまま思案した。
「じゃあそいつは結局、ヒトなのか? それとも、バケモノなのか?」
「判断基準としてどちらの自我が体を支配しているかにもよりますが、人外の気がある時点で純粋な人とは呼べないでしょうね」
表情を変えず当然の事のように言い放つ。それが、ティアの目には酷く悲しく映った。あの発言は、業務的に見えても自分を戒めているように思えたからだ。
そして、慕っていた静流が人外だった可能性が高い事、だとしたらいつ、どうして人外化したのか、謎は増えるばかりだった。
「…………これはまだ、過去の事件ではないのかもしれません」
八雲の重苦しい発言に、桜庭は眉間のシワをより深く刻み、ティアは奥歯を噛み締めた。




