No.81「蝕まれるのは」
「…………もしもし」
『……どうしたの、こんな遅くに。クラス会もう終わっちゃったよ? 今までだって打ち上げとか一度も参加してなかったんだから、最後くらいそういうの参加しようよ、もう。来なかったの零君と魁君くらいだよ?』
小言がうるさい。着信もメッセージも無視していたのだから仕方ないが、今はただ零を苛立たせる要因にしかならなかった。
彼女には癒しを求めていたのだが、これではそれも望めそうにない。
「……めんどくさ」
『はぁ!?』
悪態にこれ以上更に文句を言われると思ったのだが、その予想は裏切られた。
『…………零君、なんか弱ってる?』
「なわけないじゃん」
『そうかな? 零君さ、よく喧嘩したとかで怪我するし、忙しいとかでなかなかデートもできないじゃん。あの……ずっと思ってたんだけど、さ』
変なところで勘の良い彼女の次の言葉はなんだろうか。沈黙の間に比例し鼓動は大きくなる。心臓が口から出てきそうだ。
「――――零君って、退魔師……なの?」
隠してきた事がバレてしまった。白を切り通すか、認めてしまうか。その二つの選択肢に迷っていると、目の前から喧嘩帰りでボロボロになった人物が足を引きずって歩いてくる。
目が合ってしまい、逸らす事もできずに彼女そっちのけで睨み合う。
「…………よぉ。なんだよ目ェ腫らして。泣いてんのか?」
「は? 魁こそ何その出で立ち。ボロボロじゃん」
「隣の高校の奴らと道端でバッタリな。見ろよコレ。卒業証書ビリビリ」
「馬鹿だな」
「うるせぇよ。で、お前は? 彼女にでもフラれたのか」
からかうような口調に急いで電話を切る。繋がったままで話していて聞こえたかもしれない。
「クソが。電話中だったんだけど。ぶっ殺すよ?」
「できるもんなら?」
挑発的で好戦的な魁に嘆息しスマホをしまった。
「アホらし。どうでもいいからもうほっといてくれない? 宿探しに忙しいんだよね」
「はあーん、それで彼女に電話ねぇ。家出とかどこの反抗期女子高生だよ。……まああれだよな、組織ん中にゃ逃げ場無いさな。皆寮暮らし強要されてんだろ?」
「幹部以下はね。かといって、卒業式の日に同級生の家になんかなかなか泊めろなんて言えないじゃん? 家族持ちはお祝いとかしてんだろ、どうせ。ったく、今じゃ家もないしどうしようもない」
「母親は?」
「離婚後からずっと音信不通。給料日前だから財布もすっからかんだっつーの。タイミング悪りぃ」
「天涯孤っ独〜」
「はいはい。冷やかすだけならどっか行ってくれる?」
「野宿でもするつもりかよ。精神界と深く干渉できる人間が、夜に外で無防備な寝顔晒すなんざ愚の骨頂だな。寝首かかれんぞ?」
「しゃーないだろ。家なき子なんだよ」
「同情するわ」
「そんな煮ても焼いても何にもならない物より、同情するなら宿か金ちょうだいよね」
「いいけど?」
「だったら早くどっかに――――は?」
「可哀想なお前の救世主魁君でーす」
「…………ウゼェ」
*
「私は無事二年生になれそうです。去年は命日に来れなくてごめんなさい」
墓石に薄っすらと降りた霜を手で払いながら、父と母へそんな報告をする。
「今年はお兄ちゃんと来れるかなぁ」
手を合わせながら微笑んだ。ついでというわけではないが、今日はお墓参りが主目的ではなくある事を確かめに来ていた。
「こんにちは、ティアちゃん。お久しぶりですね」
残りの線香やライターを片付けていると、落ち着いた男性の声が聞こえてきた。
「孝淳さん! こんにちは。二年ぶりくらいですね」
「最近は懐かしい顔ぶればかりを目にします。数日前には零さんもいらっしゃっていました」
「……やはり来ていたんですね」
「どうかしましたか?」
「いえ、零先輩が家出したって聞いて。大学入学のなんだかんだで忙しい時期なのに、どこにいるんだか……」
――いや、制御装置にGPSは付いてるから、居場所は分かっててあえて放置してるんだろうけど……。
「はあ、それならつい昨日もそこの通りでティアちゃんのお兄さんと歩いているのを見ましたよ」
「…………はい? 今なんて?」
声がひっくり返り、頓狂な顔で聞き返した。
「まっ、まさかのまさかぁ!?」
彼女が取り乱す様子を初めて見た孝淳は、驚きに目を瞬かせた。
「よ、用事を思い出したので失礼します!」
白とラベンダー色のミニリュックを慌ただしく背負い、入り口目指し走っていく。
「危ないので走らない方が……!」
「あ、わ、す、すみませんっ……!」
慌てて頭を下げて足早に出て行く。向かうその方向には、御祈祷神社がある。彼女の目的地は元々そこだった。
徒歩でおよそ五分程度、少しの階段を登り鳥居をくぐれば境内だ。脇の社務所を抜け家の戸を横に引いた。
「ただいまでーす……」
ただいまと言えばいいのかごめんくださいと言うべきなのか悩んだ末に、そんな中途半端でにわかな堅さを含んだ挨拶になる。
ドタドタという特徴的で乱暴な足音で出てきたのは魁だ。恐らく孝淳が言った兄とは彼の事だった。
「おおっ、どうした! ティアも家出か?」
「もって……」
口振りからどうやら確からしさを増していく予想は、次の瞬間、足音もなく肯定された。
「…………どうも」
「やっぱりここにいたぁあああっ!」
指をさして突然叫ぶティアに驚き、肩を震わせる二人。
「零先輩! 皆心配してましたよ! 私に彼女さんからも連絡きたんですからね!?」
「はぁ、あみから? どうやって」
「元同じ学校だったんだから、取ろうと思えば取れますよ……。綾花ちゃんに訊いたらしいです」
「あーあ、まだあの子と交流あるんだ」
「ありますよ! そこまで離れてないし! 突然の別れすぎて悲しい!」
「まあ玄関先で立ち話もなんでしょ。入んなよ」
そう勧めた零を魁が殴る。
「お前の家じゃねぇだろ。言われなくてもティアの家だし」
「痛いなぁ。殴る事ないじゃん」
「あはは……。えっと、今日は魁お兄ちゃんと祝叔父さんに用があって来たんだけど……」
「おう、なんだ? 親父は今の時間は本殿にいるけどもう直ぐ戻ってくると思うわ」
俺を捜しに来たわけじゃないんだね、と言う零の発言は肯定なのか否定なのか軽く流され、三人が向かったのは応接間だった。
「ここで待ってれば来るだろ。ところでどうだよ最近は! 学校とか退魔師としてとかさ!」
「まあ……ボチボチ、かな。魁お兄ちゃんは?」
「國學院にも入学が決まって一安心ってところかな」
「魁が将来本当に宮司になるんだと思うと、日本の未来が心配になってきたよ」
「ああ? 俺が大統領になったら日本安泰だろうが」
「日本は大統領制じゃないし。こんな馬鹿がどうして合格したんだか……」
「そりゃあ有名神社の子息ってとこだろーな」
「ああ、自覚はあるの」
「流石にそれはな」
二人の息のピッタリさに仲良しだねとティアが言うと、二人はものすごい勢いで首を横に振った。そんな姿も息が合っている。
「ところで話ってなんだ? 親父だけじゃなくて俺にもあんだろ?」
「あー……うん。じゃあ」
ティアは自身の中を探るような視線で思い出しながらに話した。
「何年前の事までなのかは分からないけれど、近くのお寺の和尚さんが――」
言いかけ彼女の表情がかたくなる。僅かに眉を顰め、
「――あれ? なんか……人外の気配、しない……?」
ティアがそう口にしてから一秒後、背後に悪寒を覚えた三人は勢い任せに後ろを振り返り構えた。
しかしそこにいたのは、
「……お兄ちゃん?」
八雲だ。魁とティアは困惑に固まるが、零は物知り顔で片眉を上げ肩を竦めた。
「どうしたの皆して。仲良く勢揃いかな?」
――どうしてお兄ちゃんから、人外の気配が……?
目を見開いたまま微動だにしないティアが、取り繕うように笑顔を浮かべた。
「おかえり。お兄ちゃんも帰ってきたんだね」
「うん、ちょっと用事があってね」
「用事?」
「うーん、まあ、ね」
「……うん、そっか」
深入りをしなかったのは、怖かったからだ。良くない想像が肯定されてしまったらと思うと、それだけで言葉が出なくなる。
そんな微妙な距離感の兄妹を見て、残された二人はその後ろで顔を見合わせた。
「にしても親父遅えーなー。ティア、ちょっと行ってみるか?」
「うん、そうだね」
気を利かせた魁とティアがいなくなった応接間で、零があからさまな聞こえよがしの溜息を吐き出した。
「えぇ……ご利益売ってるうちで溜息はちょっと営業妨害……いや、幸せを吐き出すわけだから逆にいいのかな?」
変な理論に囚われ頭を悩ませている内に、恐らく今一番触れられたくないだろう事にわざと触る。
「実の妹に黙ってるのってなんで? 心配かけたくないとか?」
「あはは、まあそういう兄心ってやつかもよ?」
「なんか二人って変な溝あるよね。よそよそしいっていうかさ。仲直りしたんじゃなかったの?」
「それ右京だか実子にも言われたなぁ。そんなに変かな?」
「少なくとも俺は兄貴と…………」
言いかけ口ごもる。本当に兄は自分を頼ってくれていただろうか。仲が良かったのだろうか。退魔師だと知ったのもあの事件ありきだ。父が死んでいる事が確定していても、兄からは一言も聞かなかった。
「…………どう、だったんだろう」
「僕から見れば仲良し兄弟だったよ? オカン系の兄が弟に手を焼いてる姿、それは本当に羨ましかった」
初めて八雲と会った時に、妹との仲の事で愚痴をこぼしていたなと思い出す。
彼の言葉に後押しされ、もう過去のものとなってしまった兄との仲を信じてみる事にした。
過去を思い出すシチュエーションにいる時は、なんとなくマイナスな事ばかりが思い出される。そんなものだ。
最高に楽しい時、悲しい事はなかなか思い出さない。充実している時ほど他の事を考える余裕がないと言ってもいい。
「髪、後ろの方白髪目立ってるよ」
「ストレスだって言い訳きくレベルだし、そんな気にしてないよ」
「でもティアは気配を誰よりも早く鋭く察知してた。いつまでも誤魔化せるとは思えないよ」
「だとしても、バレるまで僕は隠していたい。少しでも不安にさせちゃう時間は短い方がいいから」
「なーにそれ。余命宣告受けた人の独りよがりみたいな考え方だね」
「余命ね……。あはは、人間としての余命かな?」
「…………ちょっと。ガチすぎて笑えないから」
「えぇ、笑ってよ〜」
零は無理、と真顔のまま答え寝転んだ。
「その妖刀……鬼喰丸さ、とっとと手放すべきなんじゃないの? 刀に精神が侵食されてちゃわけないよ。人外堕ちしてからじゃ遅いって分かってる?」
人外の中でも鬼はメジャーだ。妖刀に鬼と名のつくものが多いのもそれに起因する。
鬼喰丸は同族嗜食の癖がある鬼を討伐する時に、その鬼を封じられた刀だ。力は強力で、数百年経った今でも持ち主の体を奪おうと常に虎視眈々と狙っている。
その鬼に、八雲は体を蝕まれつたあるのだった。
「分かってるさ。……それにほら、手袋して隠してたけど、痣がもう肩から首にかけても回ってきている。どうしようなぁ、顔にまで達したら。刺青入れました! とか絶対信じてもらえないね〜。心象も悪くなるだろうし、あはは」
「心象どうのとか気にするとこズレてるし。今なら手放せるでしょ。完全に根が張る前に捨てればいい」
「ダメなんだよ、もう。精神への侵食具合がかなり強い。いわば薬中みたいなものだね。手放すと僕の中にいる鬼の欠片が刀と引き寄せようと騒ぐ。とても正気を保てるようなものじゃなかった」
「なんでそんなになるまでほっといたんだよ。……って、近くにいた俺が言えるのかは判んないけどさ」
「いいんだよ。でも、僕に何かあったら……ティアの事、よろしくね? 妹も僕に負けず劣らず自分の事に無頓着なところがあるからさ」
「任せないでくれる? 生まれた時から一緒の実兄と小六で会った先輩とじゃまるで違うよ」
「寂しい事言うなぁ。関係の深さは時間だけじゃないでしょ? もちろん時間によって築られる人間関係もあるけどさ」
「そんなん、どうにかその鬼との絆切ればどうにでもなる事でしょ。何か方法はないの? その刀ぶっ壊せばいい?」
「ほら、すーぐ乱暴な考えになる。封印した器を壊しなんかしたら鬼が解き放たれちゃうでしょ」
「他の方法は?」
「持ち主が死ぬ事。それと、強さへの執着を捨てる事。その執着が刀との癒着を生んでいるらしい」
「強さがなかったら退魔師にとってはイコール死でしかないじゃんね。そんな鬼に勝てるとも思えないし」
「でしょ? 結局のところ刀壊して鬼と戦って死ぬか、それとも自殺するか人外に大人しく殺られるかしろって言ってるようなものだよ」
沈黙もなくリズムに乗った話をしていると、背後で床が軋む音が鳴った。
「それ、本当……?」
二人の背筋が凍る。その声の主にだけは、聞かれたくなかった事だったからだ。
「…………ティア」
嘘であってほしいと懇願するような厳しい視線に、二人はどちらからともなく目を逸らした。




