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No.80「零の知(み)たくなかった事」

 夕方、卒業式の帰りに、亡くなった兄の墓前に零は報告をしに来ていた。


「……兄貴、俺、卒業したよ」


 零崎家之墓と刻まれた墓石の下の納骨室に、父はいない。いるのは父方の先祖ばかりだ。

 父が行方不明になって数年が経つが、未だ見つかってはいなかった。けれどここに来て父に報告しないのは、心の何処かでは理解(わか)っていても、生存の可能性を希望として捨てきれずにいたからだ。


「……まあ、今更いいんだけどね。七年経つまであと数年だし、その日を迎えたら法律的に父は死ぬし。もう見つけようなんて思わないや」


 せめて死ぬなら日本国内で頼みたかったけど。そんな事を付け加え、父なら子の照れ隠しというか、本音隠しを許してくれるだろうと平たく笑った。

 表面上だけの笑顔(メッキ)は風に攫われ、やがて残ったのはただの無表情だ。

 人の気配が近づいてきたからだった。


「こんばんは。今日は卒業式だったのですか」


 警戒しつつも話しかけられてから振り返る。その足音は、住職のものだった。


「お久しぶりです。ええ、無事卒業できましたよ。心配性な兄貴がいなくてもね」


「……もう半年以上前の事ですか。なんだか去年よりもやつれているように見えますよ。しっかり眠り、しっかりご飯を食べていますか」


「まあまあですかね。有能な人に休みは無いんですよ」


 零の憎まれ口に、しかし物腰柔らかな住職は苦笑して夕日を背に佇んだ。そして思い出したように表情を変えた。


「……ああ、そうだ。八雲さんを年末あたりにお見かけしました。最後に会ったのは零君のお兄さんの葬儀以来でしたが、随分と険しくなっていましたね」


「た――――八雲さんと?」


 隊長といいかけ訂正する。組織外で階級を明かすのは良くない。


「ええ。この近くにある御祈祷神社が彼のご実家なのですよ」


「クリスマスイヴに帰ったって言っていた気がします」


 ティア経由で知っていたが、住職は更に世間話を繰り出してくる。


「そういえばティアちゃんはテロ事件以来全く見ませんね。代わりにテレビや新聞で見聞きしておりますが」


 やんわり笑うこの住職はきっと、人外対策局に零や八雲も所属している事をなんとなく()っているのだろう。


「私の父が亡くなる前まではよく仲良くさせていただいていたんですよ。お寺ですし、人外が発生しやすいのでよく相談させていただいておりました。しかし殺されてしまって私が住職を継いでからは、慣れない仕事にてんてこ舞いでいつの間にか疎遠になってしまいました」


 どうりで住職にしては若いと思っていた。二十代後半くらいだろうか。もう三十代に突入しているだろうか。急逝に子息が突然押し上げられたのだと安易に想像がつく。


「しかしその犯人、まだ捕まっていないんです」


「未解決事件という事ですか……?」


「えぇ。銃で撃たれたのが致命傷になったらしいのですが、服もボロボロで人間技には思えないようなものでした。恐らくは亡くなった檀家さんの中にいらっしゃったのでしょうが……」


 最後の言葉が示唆するのは、人外の仕業ではないかというものだ。


「坊主らしくない言い草ですね。善のみを信じてるもんかと思ったけど、普通に疑うとか」


「お恥ずかしい話ですが、生臭坊主なんて揶揄されたりもします」


 困ったように笑う住職へ零は鼻を鳴らした。嫌味で言ったのに彼のさらりとした淡白な反応が気に入らなかったのだ。


「神社などとは違う寺という特殊な場所柄、結界が張れるのはごく僅かに限られてきます。薄暗くなってくる時間帯からは家内や子供、修行僧にも唯一結界を張っている建物から無防備に外へは立ち入らせてはおりません。悲劇が何度も繰り返されてはなりませんから」


 芯のある強い声と瞳。けれどその中にはまだ悲しみが漂っているように感じる。

 不甲斐なさや遣る瀬無さを交えた零の心の中にポツリと置き去りにされたのは、怒りの火種のようなものだった。


 兄に死をもたらしたのも人外だ。

 人前ではどんなに割り切っている素振(ふり)をして見せても、心の根底ではやはり引っかかりが生じる。

 割り切っていたはずなのに、ここにくるとどうしてもわだかまりが突然何処からか湧き上がってきた。


「貴方も退魔師なのでしょう? 性質は違えどもやはり兄弟だからですかね。雰囲気も立ち姿も、歩き方もどことなく似ている。寂しそうな横顔に面影すら見ますよ」


「兄が……兄が生前こちらに来ていたんですか?」


「…………えぇ。何かあると必ず報告にいらしておりましたよ。聞くつもりはなかったのですが、近くを掃除中だったので聞いてしまった事もあります」


「なんて言ってましたか」


「彼を最後に見た日……まだ一年経ってはいませんが、去年の春の事ですね。お父さんへ報告していました。弟が無事三年生になったよ、と」


「父へ?」


 心底驚いた。あの兄が、行方不明(・・・・)の父への報告を墓石に向かってしていた事にだ。


「ははっ…………ああ、そうか」


 零の顔が突然歪む。


 ――――俺は、馬鹿だ。


 踵を返し帰路につく。背後で動揺しているらしい気配があったが、構う余裕などなかった。挨拶も忘れ向かう先は基地だ。


 脇目も振らずに険しい顔でただただ景色を睨んだ。かなり苛立っていた。何に向けた怒りなのかはもはや判らないが、馬鹿な自分へと、あとは漠然とした世の中の不条理さ。おおよそはそんなところだった。


 避けていく人の群れも知った事ではない。集団の中に悠然と飛び込みその間を割った。迷惑そうな目が悪意を持って零の姿を捉えるが、講義もなしにすれ違っていく。


 誰かからの着信も無視した。制御装置(リミッター)へではないのだから、友人である可能性が高く急用ではないだろう。

 けれども何度も何度もしつこく寄こすものだから、ヤケクソになってスマホを制服のポケットから取り出すがそこで切れてしまう。


「チッ」


 ディスプレイに表示されていたのは彼女の名前だった。最新の通知より下に五件の不在着信が並んでいるが、いずれも同一人物からのものだ。そしてたった今、メッセージの受信を知らせる音がなる。一番上にはSNSのメッセージがあった。


 あみ:なんで出ないの〜? <怒り>

    これからクラスの皆で焼肉行くってよ!<汗>


「……いちいち語尾の絵文字うるさいなぁ。それどころじゃないんだっつーの。平和ボケ共が」


 どこか腹いせじみた言葉を吐き捨て、既読もつけずにスマホを再びポケットにしまう。


「――――やぁ、零崎零君」


 それから数歩歩いたところで呼び止められた。その顔には見覚えがある。


「……悟原」


「お久し〜秋ぶりだね?」


 キメラ事件の後に八雲隊の寮で出会ったサトリだ。彼は立派なスーツを身にまとい怪しげな数珠を手首や首に下げていた。オカルトチックなのは一目瞭然だ。


「早くどっか行ってくれない? 今は目に入れば人外なら誰だろうと殺しちゃいそうなんだよね」


「え〜、怖いなぁ。お腹を空かせた獣みたいだね」


 そんな冗談に本気で睨みを効かせてくるものだから、悟原はまあまあと落ち着けた。


「何もからかう為に声をかけたわけじゃないよ?」


 見かけたからなだけだけど。そんな事を心の中で呟きつつも言葉を続けた。


「なんだか怖ーい顔してるし、今後の未来でも占ってあげようか? 行き詰まった時の道標だよ、占いは」


「エセ占い師が何言ってるの? いい加減にしないと――」


「――今まで盲目だった事に、今日初めて個人的に話した人物によって気づかされた。違う?」


 これはサトリの能力だ。驚くには値しない。

 やはりエセだと唾棄しようとした時、悟原がいつもの薄気味の悪い笑みを深めて自身の唇を指でなぞった。


「そしてこれは占い師としての忠告。これから先、君や周りの人は知らない方が良かった事に気づかされ、目を背けてきた事を突きつけられる。それはとても孤独だよ。だから前々からある人間関係を大切にした方がいい」


 悟原の目は笑っていない。


「……それとね。比較的日が浅い人から、裏切られる暗示が出ている」


「知らない方が良かった事なんてさっき知った。それは目を背けてきた事でもある。あとは何、俺誰かに裏切られるの?」


 零の顔は引きつっている。


「……マジうけるわぁ」


 無理な笑顔は、傷だらけに見えた。

 悟原が歩き出そうとする彼の背中を呼び止めるが、聞く耳をもたれなかった。


「ありゃりゃぁ……。煽りすぎたかな?」


 舌を出し茶目っ気を演出するも、誰に向けたものでもなく自己完結に終わる。


「敵は案外身近に、そして根深く……なーんてね?」


 意味深な言葉は夜闇に溶け、悟原もまた夜の雑踏に紛れていった。






 *






 日付変更過ぎ、八雲隊の部屋の扉が開いた。そろそろ寝静まっている頃だろうと帰宅したのだが、リビングに光があった。構わず自分の部屋に向かおうとするが、少し遠くから声が聞こえてきた。


「帰ってきたならただいまくらい言ったらどうだ」


 誰にも会いたくない気分だったが、神無だったらまあいいかとリビングへと方向転換する。そしてリビングからの光が足元を照らす辺りで、気怠そうに立ち止まった。


「帰宅した瞬間からガミガミとかどこのお(かん)?」


 言外に他人のくせに立ち入りすぎだと忠告する零に対し、神無は本を読みながら答えた。


「他人だったら余計しっかりするべきなんじゃないのか? いくら付き合いが長い方だからって、親しき中にも礼儀ありって言うだろう」


「それって結局他人なのか親しいんだかわかんないね」


「自分以外は他人だ。家族だろうとその条件は変わりない。それともなんだ、お前は俺を家族だとでも思ってたのか? それで否定されて拗ねてますって? 随分と人に縋るようになったな。ダンボールの中の捨て犬か?」


 いつものように鼻で笑い軽口を叩いていると、零が近くの壁を重い拳で殴った。壁が破られる音がする。

 廊下の通路は座っているソファから見える位置にあり、そこで初めて神無は秩序的な字の羅列から静かに目を離し零を捉えた。彼は立ったまま下を向いており、髪で顔が隠れて見えず表情は窺い知れない。


「……おいおい、反抗期にしては少し遅いんじゃないか。修理費用が隊員の給料から引かれるんだぞ」


 たまったもんじゃないとものぐさに本を閉じ、脱力してソファにふんぞり返り呆れた様子をあえて零に向けて見せた。


「そういう迷惑は親兄弟にかけておけ。俺はお前の兄貴じゃないんだ」


 こんな場面でも、努めていつも通りの神無だった。

 けれど、


「――その親兄弟とやらは、どこにいるんだよ。骨になって墓の中にってか?」


 零は、そのいつもの言葉さえ受け付けられないほど余裕がなかった。

 暗闇から神無を睨む瞳は揺れている。涙なのか怒りなのかは判断がつかないが、なんらかの異変を生じている彼へ声をかけた。


「……どうした。いつもならこれくらいは軽く受け流すだろうが」


 その言葉に、踏みとどまっていた足が感情のみで荒々しく踏み出す。動じる事もなく構えもしなかった神無は、次の瞬間には胸ぐらを掴み上げられていた。


これくらい(・・・・・)だァ? 親しき中の礼儀を弁えてないのはどっちだよ!」


 彼の逆鱗に触れたのだろう。しかし勢いはそれきり、彼の声は尻すぼみに小さくなっていく。


「…………なんだよ、俺だけだったの? 友達以上の存在だって、神無も、隊長も、ティアも――仲間だとか思ってたのは、俺の押し付けだったのかよ」


 ズルズルと力なく床にへたり込む。泣いているのかは神無の視点からだと定かではないが、声は湿っていた。


「時々お前は、酷くガキっぽくなる」


 神無は、自分から歩み寄ろうとソファから降り彼の隣にあぐらをかいて座った。零の気配が急に近くなったように感じ、彼が何かに怯えている事をやっとそこで気がつけた。


「図体だけでかくなりやがって。出会った頃からちっとも成長してねぇな」


 優しさを乱暴な口調に乗せ、照れ隠しに自身の後頭部を掻く。流石に反論してくるだろうと思ったのだが、反応がないので零の髪もぐしゃぐしゃにして手荒に撫でた。


「俺はお前の兄貴の代わりにはなれないが、大切な仲間だとは思ってるさ。弟みたいだともよく思う。だがな、いつまでも兄離れできずにはいられないだろ。辛辣に聞こえるかもしれないが、お前はもうその二本足で立って歩け」


「…………」


「いつまでも手ェ引っ張って歩かせてもらえると思うな。……俺だって、いつ死ぬかもわかんないんだぞ」


「……ってんだよ」


 やがて押し殺した嗚咽が漏れる。


「わかってんだよ、そんな事はッ!!」


 だから余計、苦しいんだ。

 そう言いかけプライドが邪魔をする。


「……だから、そういう事、あんま言うなよ」

 

「…………悪かった」


 その謝罪には誠実さしかなかった。それを聞き零は口を歪め眉根を寄せるが、子供が拗ねた表情そのままだった。


「何があったんだ」


 質問を受け、しばらく沈黙がその場を支配した。そしてそれを破った時、零の拳がきつく握られる。


「心のどっかではわかってたよ。親父はもう死んでるって。でもやっぱまだ何処かでは生きてるかもなって思ってた。しっかり向き合わずに自分の希望を兄貴に押し付けてた」


 神無はうずくまる彼の目の前で黙したまま聞き続けた。


「なんで兄貴に霊能力が開花した? そうだよ……ッ親父が死んだからだ!! 兄貴は気づいてた……なのにっ、俺は…………!」


 上げた顔はとても悲痛で、またガクリと伏せてしまう。


「気づかせたくなかったんじゃないか。お前は兄貴の思いやりを受け入れていた。それでいいじゃないか」


「良くないじゃん。……平和ボケしてんのは、俺の方だった。神無もティアも、本当は気付いてたんでしょ。ティアは初めのドッペルゲンガー事件の時から、神無は俺の兄貴が退魔師だって知った時から、気づいてたんでしょ?」


 自嘲気味に笑う零に神無は返答せずに黙ったままだ。それはつまり、肯定だった。


「…………なんなんだよ、俺だけが蚊帳の外だったのかよ。俺だけが、馬鹿だったんだ」


「みんな、お前を守りたかったんだ。深い理由はない。それだけだ」


「そんなの、俺は頼んでないじゃんか!!」


 零は神無を突き飛ばし玄関まで駆けそのまま飛び出していった。


「…………危ねぇだろうが、あの馬鹿」


 持っていた本は廊下まで飛ばされ、床に手をつき体を支えていた神無はポツリと残されなんとも言えない顔をした。

 どこかの部屋のドアノブが回る音がする。足音の主が現れる前に体を起こし本を構えた。

 まるで、何もなかったと主張するように。


「零さん、帰ってきたんですか?」


 現れたのは八千草だ。


「そして、駆け落ちでもしに行ったんじゃないか?」


「…………はぁ? 意味不明」


 猫を被りきれていない地のトーンと不機嫌そうな顔で去って行く。眠い中の騒ぎで起こされ、そして起き抜けにふざけた事を言う神無に苛立ったらしい。


「……結構本気で言ったんだが」


 しかしその反論は誰にも届かず、理不尽さに眉をひそめた。


 ――まあ、あいつも一旦ここから離れて冷ました方が、いろいろと周りが見えるようにもなるだろう。始末書と減給は免れないと思うが。


 神無は深く溜息を吐く。

 嫌な予感を覚えながらも、その正体を知れずにモヤモヤとしていたのだ。それが着実に近づいてきているような気がしてならなかった。


「何もないといいが……」


 一雨来そうだ、そんな軽さで小さく呟いた。

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