No.74「クリスマスの奇跡」
「やっぱホワイトクリスマスにはならなかったわね。まだイヴだけど」
「ま、まだ分からないよ。クリスマスの奇跡なんていうのもあるかもしれないし……!」
「ワンチャンないわよ」
燃え上がる炎のような夕日が、冷たい夜空を焦がす夕暮れ。
高層マンションをまるまる買い取り、人外対策局の寮にしてしまった建物の中で、愛花が残念そうに唇を尖らせた。
佐久兎がまだある可能性を提示してみるが、やはり奇跡よりも天気予報を信じるらしい。
「見なさいよ、そこの気象予報箱。ずっと曇りじゃない。雪が降らないなら、せめて星が見えたらよかったのに」
「あれ、愛花ってそんなにロマンチストだったっけ……?」
デリカシーのない言葉にジロリと怖い顔で睨みを利かせる彼女の言う通り、気象予報箱は一時間後の天気を曇りと予想していた。
気象予報箱とは字のごとく、天候を箱の中で可視化する機械の事だ。
研究所が開発したもので、無線LANで外部から情報を受信する必要がある。これ単体で成り立つものではなく、送られてくる天気の予想情報がなければ機能しない。しかし精度はなかなかに高く、外す事はほぼないらしい。
「……あれ、なんか降ってきたよ」
時計の長針が頂点に達した時、受信されたばかりの天気予報が反映される。
しかし降ってきたのは雪や雨でもなければ霙や霰でもなく、空から降り注ぐのは――
「は、はてな?」
疑問符だ。不具合だろうかと佐久兎が頭を悩ませている中、愛花は終始眉根を寄せている。理解不能だという思いが滲み出ている表情だが、佐久兎も負けず劣らず困惑のリアクションを取っていた。
「ツリーのてっぺんの星みつけたぞー…………お?」
部屋からリビングに来たばかりの信太は、絶句し何かを注視し続ける二人を見て異変に気づく。
その訳を知り、彼もまた目が点になりながらも古風な方法でウェザーフォーカストを叩いてみた。しかし『?』は降り続け止む様子はまるでない。
「あちゃあ? こういうもんは叩くと直るってじいちゃんに聞いたんだけどなぁ」
「一昔前のテレビじゃないんだから……」
暴挙に出る信太を制止すると、佐久兎は低く唸った。これに対する何かしらの蓋然性のある事象を搾り出そうとするのだが、それは愛花と信太を酷く幻滅させてしまう結果に至った。
「ほっ、本当にハテナが降ってくるのかも!」
「馬鹿だ馬鹿だって言われるオレでも、それはないって事くらい判るぞ……」
「ロマンチストはどっちなんだか。あたしの方がよっぽどリアリストよ」
何も言い返せず、夕日色よりも濃く顔を朱に染める。穴があったら入りたい気分でソファのクッションに顔を埋めた。窒息寸前で起き上がると、誤魔化すように柄にもなく大声で笑い出す。
「明日には明日の日が登る!」
「重症だな」「重症だわ」
語尾こそ違えど、信太と愛花は声を重ね合わせ哀れみの眼差しを注ぎ続ける。
いたたまれなくなったのは変質的なテンションの佐久兎だけではなく、二人もまた同情心に満ちていた。
忙しさで頭がおかしくなったのだろうかとも勘繰るが、赤面を見る限りではどうやら羞恥心は残っているようだ。
誰か早くこの空気の換気をしてくれないだろうかと他力本願に祈っていると、女神は舞い降りた。
「ただいま。ケーキ買ってきました!」
ティアだ。彼女はホールケーキにしてはやけに大きい箱を手に、リビングへ入ってきた。テーブルに置き蓋を取ると、三人から歓声が上がる。
「でっけぇなこれ、二段もある!」
「僕、ホールケーキ初めて食べるよ……!」
佐久兎の言葉に沈黙が生まれる。なんの沈黙かと慌てる彼の肩に愛花の手が置かれ、「あたしも」と優しい瞳で伝えられた。
人の温かさに自然と目頭が熱くなる。頻度の多くなった瞬きに、佐久兎が涙目になっている事に気がつき次に慌てたのはティアだ。
「そ、そうだ、夜斗とアル呼んでくるから、もうちょっと待っててね!? それですぐ食べよう!」
夕食を抜きでケーキを優先させようと言いながら振り返ると、リビングの入り口には先程口にした二人がいた。
アルは笑顔で、夜斗はいつもと変わらずに不機嫌そうな顔で、しかし柔らかな視線をこちらに向けて立っている。
「もーう、ティアったら佐久兎を甘やかしちゃダメだよ! ケーキは夕飯食べてから!」
「それ、天の時も聞いたセリフだな」
アルが後ろに回していた手を前に出すと、両手の袋の中には何やら沢山入っていた。一つにはお菓子が透けて見え、もう片方にはアルの言う夕飯が入っているのだろう。夜斗はクラッカー等のパーティーグッズを買ってきたようだ。
留守番をしながらクリスマスツリーに飾り付けをしていた三人とティアは、飛び跳ねながら帰宅してきたばかりの二人の元へと駆け寄って行く。
嬉しそうにスーパー袋を受け取り、破顔しながら談笑している。
離れて見ると、改めて分かる事がある。
アルの握る拳には力が入っていた。爪が掌に食い込んでいるのにも気づかず、彼は項垂れるように顔を伏せる。目に映るのは自分の足で、荷物を受け取りリビングで広げている佐久兎や信太、愛花、ティアの声が遠く感じられた。
――ボクと皆とじゃあ、見えてる景色がもう違うのかな。
「どうした、下ばっか見て。靴下に穴でも空いたのか?」
「夜斗はさ、ボクが……」
「あ?」
イタズラがバレてしまった子供のようにへラリと笑うアルに対し、夜斗は短気に次の言葉を促した。
「ボクが靴下に穴を開ける趣味があるんだってカミングアウトしたら、どうする?」
「…………はぁ? なんだソレ」
本当に問いかけたかった事は違う。けれども、口をついて出たのはそんなくだらない事だった。
それからはいつもよりも豪華な食事で、いつもの調子のまま会話をしつつ食事を済ませ、いよいよケーキの番だ。
二段のホールケーキのデザインはラッピングされたプレゼントボックスのようで、砂糖で作られているサンタや人、クリスマスツリー一つ一つが大変手の込んだ作りになっている。
二段目の側面には飴細工のハシゴがかかっており、一段目から登ろうとしているサンタが途中で落ちてしまったらしい事が表情とポーズで伝わってくる。
こんなにもクオリティの高いケーキを初めて生で見た五人の疑問は、どこで買ったのかという事だった。すると胸を張ってティアが答える。
「綾花ちゃんです!」
「それって、カフェで働いてる友達の?」
「うん!」
「はあー、こりゃすごい。才能の塊だね!」
アルの絶句に呼応したのか、他の四人も顎が外れそうなくらいに口を大きく開けていた。ティアは自慢気に砂糖菓子を空いた口に次々と投げ入れていく。
最後に自分の口へと放り込むと、噛まずに飴のように舐め続けた。
信太と夜斗は可愛い砂糖菓子を無慈悲にも躊躇なく噛み砕いたが、他の四人から向けられる視線に首を傾げている。
ケーキを食べ始め一段落した頃、そういえばと愛花が気象予報箱を指し示す。あれから一時間経った今も、六十分後の天気として『?』を降らせ続けている。
初めて見たティア、アル、夜斗は目の前でしゃがみ込み、三十センチ四方の近未来的な機器を三人三方向から軽く叩いている。信太の時のデジャヴだろうかと愛花と佐久兎は苦笑いした。
「一時間前からこうなのよ」
「一時間前? じゃあもうそのハテナの天気になってんじゃねぇの」
夜斗がカーテンを開くと、窓の外には地上に降り注ぐハテナ――ではなく、雪だ。
「ただの雪じゃねえかよ」
夜斗は故障したらしい気象予報箱を指で弾くが、信太が窓の外を見て大声を上げた。
何事かと愛花が駆け寄るが、なんの異変も察知できない。ただただ綺麗な雪景色が広がっており、ホワイトクリスマスだと喜んだ。
「いやいや雪じゃねえって、もっとちゃんとよく見ろよ! なんかこう……ふわふわしてね!?」
「何言ってんよ。雪っていうのはふわふわしてるもん……で、しょ」
愛花は何かに気づき静止した後、再び口を開いた。
「い、今、雪が空中で動いたわ」
「そりゃあ雪は動くよ〜。愛ちゃんったら何を言って……る、の」
ティアも何かに気づき静止した後、再び口を開いた。
「い、今、風向きと重力にも逆らって、上へぴょんって浮いた」
「そりゃあ建物の隙間とかからの風で上に浮く事もあるだろ。ったく、ティアも揃って何言ってん……だ、よ」
夜斗も先に漏れず静止した後、アルと佐久兎へ窓辺へ来いと顎でジェスチャーをした。
二人は顔を見合わせながら駆け寄ってくるが、その後のリアクションは想像がつく。他の四人と同じく驚嘆していた。
「なんだこのふわっふわしてるやつ」
夜斗はベランダへと続く窓を開け手を伸ばすが、掴もうとすると逃げるようにふわふわと飛んでいってしまう。信太もそれに便乗しようとしてくるが、やはり手から逃げていってしまうのだ。
「ケ、ケセランパサラン……?」
そう呟いた夜斗が慌ただしく電子新聞端末をリビングから持ってくる。
「これじゃねえか!? 見てみろよ!」
ニュースはスマホで見られる時代になり、滅多に新聞を読まない五人の目に飛び込んできたのは雪のような姿の人外だ。
「世界は不思議に満ち満ちてるね〜」
アルがヒラヒラと手を仰ぎながらケセランパサランを掴もうとするが、逃げられてしまう。
下を覗いて見るが、どうやら積もっているわけではなさそうだ。テレビをつけてみてもこの人外による騒ぎは起こってはいないようで、霊感がなければ見えないらしいという事を確信した。
「いいな、見える人だけの秘密のホワイトクリスマス!」
「信太って乙女脳してるの?」
純粋な疑問をぶつけてくる佐久兎に対し、信太は顔の中心にパーツというパーツを寄せた変顔で抗議した。ごめんとは言うものの、その顔に笑いを堪えるのがやっとだった。
「んぎゃぁぁあああぁああぁぁああああッ!!」
刹那耳に届く複数の断末魔。音源は隣の八雲隊の部屋らしい。
その恐ろしい声に名無隊は身構えた。
「なっなっなっ……! いたいけな乙女にこれってどういう了見よッ! 服着ろ馬鹿共!!」
「殴るなよ……! 痛いだろうが!」
「八千草先輩の拳、そんじょそこらの男のよりも重みありますよね……喧嘩慣れして……うっ……」
「お、おい零!?」
「か、神無……俺、神無の事大嫌いだったけど、八雲隊はそんなに嫌いでもなかっ…………」
「零……生きろっ死ぬな!」
それっきり零は沈黙し、しばし神無と八千草も声を出せずにいる。しかしその幕を閉じたのは神無だった。
「……柊パイセーン、手加減しないとダメだろー。八雲隊は惜しい人を亡くしたなー」
「名前で呼ぶな! あとこういう時だけ先輩とかつけんな! 棒読みもやめろカミナシぃ!」
「そんな事よりはやく蘇生してやれ」
「全スルーで命令すんなド変態共!!」
何やらトラブルが起こっているようで、そんな地獄絵図一歩手前の部屋へ隊長が帰宅してきたらしい声が聞こえてくる。名無隊の六人はその行く末を息を殺して耳のみで聞き届ける事にした。
「ふう、ただいま。もう実家に用事があって帰ってたら、なんか帰りにケセランパサラン降ってきてさあ」
「そんな異常事態を雨でも降ってきたみたいに片付な」
「神無だってケセランパサラン降ってきてもそう言うでしょ? …………ん? えっ……あれ、零はなんで全裸のままリボンに巻かれて伸びてるの?」
顔を真っ赤にして口をパクパクしている八千草に代わり、神無が説明をする。
「八千草の部屋のベッドで文字通り全裸待機してたんだ。全身にリボンを巻いて『クリプレは俺だよ』とか言い出してだな――」
「ちげぇえええっよッ!! 全てはお前のせいだろ!」
虚偽の解説をする神無を八千草と生き返った零が同時に阻止する。
「あ、生きてる。あと少し遅かったら隊員の死亡届を出しに行くところだったよ! あはははは」
「サンタさぁぁん、クリプレいらないからうちの隊長貰ってってぇええ」
「えー、零酷いなぁ。僕が隊長から退くのは死んだ時くらいなものだよ。どうする? 僕の事退けさせる?」
「サンタさぁぁん、隊長のブラックジョークがもはやパワハラだよぉおお!」
「おい、うるさいぞ零。はやく服着ろよ」
「神無が脱がせたんだろうがぁあああっ!!」
「何言ってるんだ。俺にそんな趣味はない」
「はーいはいはいはい、皆落ち着いてね」
事態を収めようと宥める隊長の言葉で騒がしかった空間にやっと静寂が訪れる。しかしその静けさは、嵐の前の静けさという類の沈黙だった。
「今日は隊長の奢りで焼肉ね」
「八千草ちゃん……? 急に何を言い出すのかな」
「服着てくるわ。隊長、ご馳走様です」
「俺はコートをとってくる。他人の金で食う焼肉は格別だからな」
「え、あれれ……零も神無もなんでそんなに行く気満々なのかな」
「八雲さん、早く準備してください。置いていきますよ? もしお留守番をするというのなら、お財布だけ渡していただければそれでいいですが……」
「八千草ちゃんさ、なんか無実な僕への当たりがキツくない……?」
聞かれている事など知る由もない八雲隊の会話に、六人は肩を震わせ笑い声を必死に殺した。
「今日のあれは……ああ、そういう事だったのか」
夜斗だけが状況を理解し、脳内での映像化にも成功していた。
そうして談笑をしながらお菓子をつまみ、クリスマスイヴを楽しんだ。
日付変更後、夜斗はティアの部屋の扉をノックした。すぐに返事が聞こえてきて、自分を覗き込む彼女の目の中で夜斗は少しだけ狼狽えた。
「……どうしたの?」
「入っていいか?」
「うん」
ティアの部屋は甘ったるい匂いに満たされていた。女子の部屋は皆こんなものなのだろうかと部屋へ視線を移すと、ここに越してきた時よりも物が増えているのに気づく。
「なんか……ティアらしい部屋だな」
「うん! ここはね、ちゃんと私の部屋なの」
「おう?」
八雲隊にいた時の部屋のように、御祈祷神社にいた時の部屋のように、血の通っていない部屋ではなかった。
この部屋の景色は、『自分の居場所はここだ』とそう彼女自身が肯定しているようだった。
夜斗はこの事を知らなくても、ティアの言葉に暖かい何かを感じた。
「あ、あのさ!」
この部屋に来た目的を口にしようとすると、ティアとハモってしまう。
「夜斗からどうぞ!」
「あー……えっと、これ」
照れ臭そうに後頭部をかきながら夜斗が渡したのは、クリスマスカラーでラッピングされたプレゼントボックスだった。
「あ、ありがと……!?」
オロオロとしながら受け取ってから、「開けていい?」と問いかけられた。頷けば、彼女はへらっと破顔してリボンをシュルシュルと解き始める。包装紙も丁寧に剥がしながら、出てきた箱を静かに開ける。
「わあっ……!」
言葉を奪われた視線の先にあるのは、ガラス製のクリスマスツリーの置物だった。角度によって全く違う表情を見せるツリーに、釘付けになっていた。
そんな姿も見れず、夜斗は照れ隠しで後頭部を掻いた。
「んまあ、クリスマスにクリスマスツリー送るってのもどうかなとか思ったんだけどな。もう遅いかなとか考えたんだけど……」
「んーん、とっても嬉しいよ! ありがとう。すごく綺麗だね」
「喜んでくれたんだったら良かったよ。じゃ、おやすみ」
幸せに満たされた心のまま、部屋を後にしようとした時だった。
「てぇーいっ!」
「うおぉっ!?」
背後から赤い何かが首に巻きついた。驚きに振り返ると、自分の首から彼女の手に握られている物を認識した。
「マフラー……?」
「これ、私からのクリスマスプレゼント! どうぞ受け取ってください!」
まさかプレゼントを貰えるとは思っていなかった夜斗は絶句する。
赤いマフラー。この色を選んだのにも理由があるはずだった。
そして驚きが時間と共に溶け始め、やがて顔に滲むのは幸せそのものだった。
「ありがとう、ティア」
笑顔に笑顔で返す二人の間には、幸福な空間が広がっていた。太陽のような暖かさの中で、陽だまりの中の二人は時の緩やかな流れの中で今という時をありがたく思う。
「ずっと続けばいいのにね。悲しい事なんて、なくていいのにね」
その祈りは天に届くのだろうか。
「……そうだな」
祈っただけでは叶わない。そんな事は、祈りながらも知っていた。
だからというわけではないけれど、願いは儚いながらに叶えようと、心のどこかで誓っている。
「一瞬、一瞬を、大切にして生きたいなぁ」
「ああ、退魔師に休みはないしな。笑える時ってのは貴重だよ」
――今日みたいな明日はこないかもしれないから、
「あははっ、全くだよー」
笑い合える今を、大切にできるんだと思うの――
「ねえ、夜斗」
彼女は眉根を寄せた。無理に口角を上げた表情で、苦しそうな笑顔を浮かべる。
「生きようね。……寿命まで、ちゃんと皆で生きようね」
縋るような目に誓った。
「……ああ。生きよう」
この希望に裏切られた日が、絶望する時なのだろう。
ならばその光を絶やさないように、護るだけだった。
「現役JK警察官は、クラスメイトの死神を逮捕できない」無事完結しました!




