エピローグ
澄んだ空気がより一層星の囁きを引き立てる、やっと東京でも冬めいてきた十一月下旬。赤提灯が道端を照らす居酒屋『ミノ』には、人外対策局の副局長が来店していた。
「針裏のおかげで退魔師の死亡率が七〇パーセントだったのが、逆転して生存率八〇パーセントにした実績。人外を毛嫌いして新しい技術を全く使おうとしない前所長を差し置いて、所属後半年も経たずに所長に就任!」
ジョッキの中のビールを飲み干しテーブルへと叩きつけながら、言葉を続けた。
「そんで、副局長の二人制と制御装置の便利な機能とかいろいろできた訳だ。……こんな昔話したのがバレたら、きっと俺は一週間以内に始末されるね。聞いてたお前らもだ。右京、実子」
針裏と度々来る居酒屋で、部下を連れて飲む龍崎。忠告にギクリと肩を揺らす若い隊長二人。
「すごい人だとは風の噂で聞いていましたが、そんなに才ある人だとは思いませんでした。人格的にも、風貌的にも」
珍しく右京の意見に実子が同調した。
「元からいけ好かない人だったんですよ、あの人。掴み所ないしいつもふざけてばっかで、こっちの事はなんでもお見通しみたいに上っから目線で見下して! クソッ、副所長の島村の奴、早くあの変態から所長の座を奪ってやりゃいいんだ。そんときゃ泣きっ面に蜂を拝ませて、生傷に塩を塗りたくってやる」
「嫌いなのは俺もだよ。……まあ、どこかの過激派のように針裏さんをそんなメタメタにしてやろうとは思ってないけどね」
「ふん、吐かせ。聞いたぞ? この前までの北海道出張であいつと同室になったそうじゃないか。そのストレスで蕁麻疹が出たとか。寝ながらそれを掻きむしって、あの狸殺してやるって寝言を言ってたそうだな」
「なんでそれを……!? 寝言については覚えがないけど」
「たまたまカフェで休んでいたら、サボり中の針裏さんに絡まれたんだ。その時にな」
「嫌いだって言う割には慣れ親しんでるよね。恐ろしいや、女性のそういうコミュニケーション能力」
「見習えばどうだ? レクチャーは一分ツェーマンで承らんでもないぞ」
「今時ツェーマンなんて言わないから。業界人かぶれみたい。にしても一分一万円とかボッタクリにもほどがあるよ。それほどの価値があるのかどうかは考えものだね」
「何……? この実子様の時間を買えるんだ。安いくらいだろう」
「一円も払いたくないね。むしろマイナスだからそっちが払ってくれてもいいくらいだと思うけど?」
いつもの如く始まった喧嘩に苦笑を浮かべつつ、三人組の残りの一人を思い出す。喧嘩を傍観しつつも、ヒートアップしたら仲裁に入るという国民的お兄さんの鏡的な存在である八雲の事だ。
――あいつが夜勤じゃなけりゃ仲裁役がいたんだけどなぁ。こいつらを鎮めるのは骨が折れる。
酒と酒の合間に乾いた笑声を漏らすと、それと重なりもう一つの笑い声が聞こえてくる。もめていた二人は聞き覚えのある声に一瞬にして熱が冷まされ、あっという間に体感温度は氷点下にまで下がる。恐る恐る龍崎副局長の隣、更なる奥へと目を向けた。
「どうしちゃったんスか? そんな青ざめた顔しちゃって。あ、おっさーん、生一つ! 枝豆と砂肝も!」
慣れた口調の注文に、顔馴染みの店主も「久しぶりに顔出しやがって」と言いながら笑顔で厨房に消えていく。説明を求めるよう目力だけで龍崎に訴えかける二人に、彼は笑いながら答える。
「言ったろ? 俺らの行きつけなんだよ、ここは」
「そーそー。んで、どうしてその二人もお揃いで?」
「たまにはと思って連れてきたんだよ。こいつらが零崎隊次代は、誰かさんが所長として研究所にこもりっきりだったから優と来てたんだ。だけど今じゃ右京達も大人だ。早いよなぁ、ガキ共の成長ってのはよ」
「零崎隊かぁ……懐かしいっスねぇ。まだ半年も経たないのに。なんだか優クン四ノ宮に似てたんスよね。なんだかなーって思って見てたら、性格だけじゃなくて死に方も似て――」
一週間前までの出張での出来事に感傷的になりかけている事に気づき、急に笑いだしてから、らしくないやとその話題を止める。
「はははっ、なーんてね〜! 二人は知らないだろうけど、数年前のあのポンコツから現在の制御装置になるまでの改良とか凄まじくヤバかったんスよ? 最近なんか更に科学も進みに進みすぎてきりがない。イタチごっこ。来年までに仮想空間のレベルもアップさせるつもりだし、支部増設のせいでいろいろまた僕ちゃんが必要になるっぽいし? あーあー、有能ってたーいへん!」
「たーいへんって絶対思ってないだろお前は!」
「それより龍崎サン。奥さん家で泣いてるんじゃないっスか? 夫が帰ってきてくれないわぁ……。一体どこをほっつき歩いてどんな女をひっかけてるのかしら! てね〜」
「その気色悪い似ても似つかない嫁の真似はやめてくれ」
「えーモノマネ駄目? それじゃあ龍崎サンの娘さんのモノマネしまっす! パパァ、新聞紙の間からぁ、服着てないお姉さん達がね、沢山載ってるご本が出てきたよ〜! 寒そうだね〜!」
「買ってねぇよんなもん! だいたい子供の真似して何言ってんだお前は!」
「男なら誰でも一冊くらい持ってるでしょ。それとも動画派?」
詰め寄る針裏に迷惑そうな龍崎。一切ノータッチの右京に、大きく咳払いをする実子。
「ここに女子がいるんで、そういう話はやめてください」
「そんな事言っちゃってぇ。実子ちゃんもこういう話興味あるんじゃないの? なんかSっ気ムンムンだし。鞭で男の体を打ちながら黒い革製のニーハイブーツで踏むの好きだったりする?」
「針裏さんの鼻の穴に、十二センチのヒール部分を容赦無く突っ込みたい気分ではありますよ。今限定で」
「わあ、脳に到達しそう」
くだらない話をしている間にも時間は流れていく。日付変更間際に右京は悪酔いしている実子を連れて出て行った。
「ハハッ、大変だなぁ右京も」
「全くですよね。酒は飲んでも飲まれるなって夏に豪語してきたくせに毎回これですよ? まあ部屋隣なんで仕方なくって感じです。それじゃあごちそうさまでした! お先に失礼します」
「おう、気ぃつけて帰れよ?」
「気をつけるのは実子にですかね。善処します。お疲れ様でした!」
「っせぇんだよ右京〜! そういやこの前な、バルが朱里の部屋に間違って入って大喧嘩してたんだ。ったぁく若いなぁあいつらは! 実子様くらいになるとなぁ、風呂場にだって躊躇なく入……」
はしたない事を言う前に右京が実子の口を塞ぐ。
律儀に一礼していく右京と、友達のように上司へ手を振る実子。酒に強そうな彼女が毎回悪酔いするのは恒例だが、いい加減自分に合った量をしっかりと把握してほしいものだと切に思う。
「派閥でも割れてるけど、なんだかんだであの二人仲良いっスよね」
「お前と栞もじゃねえか?」
「織原? 通信情報専門部のお局様としがない研究所の所長なんかじゃあ、友達だとしても釣り合わないっスよ〜」
「お前ら、仕事以外で会ったりしないのか?」
「通信機能だなんだの開発で普段嫌なくらいに顔合わせてるのに、なんで好き好んでなけなしのプライベートをドブに捨てるんスか。僕ちゃんそんな愚かじゃありませーん」
「まあ織原にも好きな奴ができたみたいだからな」
その一言で針裏の動きが止まり、代わりに持っていたグラスは手から滑り落ちる。音が鳴るまでの一瞬驚愕の表情を浮かべていたが、酔い覚ましの水をこぼした事に気づきいつも通りの彼になる。
「お、動揺したのか? もちろん嘘だけど」
「してないっスよ。四ノ宮が生きてたって事を知ったらどうなるんだろうと思っただけ。いや、もう知ってるんだろうけど。そりゃあ日本の人外対策局を牛耳るCISのトップだし?」
「そうだなぁ。あいつは圭さん圭さんって後ろついて回ってたような奴だからな」
「なんで生きてたんスかね。あの時……確かに四ノ宮の死をこの目で確認したはずだ。心臓も止まっていたし、火葬して骨を拾って骨壷に納めた。生きているはずがない。大イリュージョンでもしてたなら別の話っスけど」
「けど、北海道で散々の混乱を招いていた時に現れたのは四ノ宮だったんだろ?」
「スマホ越しだったっスけどね。顔も体格も声もまんま四ノ宮。そして左腕が無かった。死んだ日に無くした左腕が。……にしてもあいつらしくなかったなぁ。あの作戦は灰の月委員会が仕組んだ事だと助かるや。四ノ宮はあんな姑息な事しない奴だったし」
二人になった今、騒がしさに紛れて今回の件を振り返った。
「いやあ、今回はやられたなぁ。ほぼ完璧なホログラム機能を逆手に取られちゃったっスわ。完璧だと思っていたセキュリティシステムへの慢心。なんで生きてるのか、本当に四ノ宮なのか、何故秘密結社に入っているのか。いろんな疑問ばかりが浮かぶ」
龍崎は返事の代わりにタバコの煙を吐き出した。
「それに今回、またティアちゃんが重症負っちゃったし。しかも僕の姿のホロ纏った人にっスよ? 僕がやったんじゃないのに、これは恨まれててもおかしくないや」
「重症負った後行方不明って報告聞いた時にゃ、もう今回はダメかと思ったね。そしたらひょっこり帰ってきたんだろ? 運良いんだか悪いんだかは分かんねーが、随分と精神的にタフだよな。通りすがりの奴に助けてもらったんなら、俺なら完治するまで寝てるぜ。寒いし痛えし面倒いし。ティアちゃんったら気力で全部解決しちまいそうだな」
「気力だけでもたせられるのは、体が動く内だけっスよ。健康第一ってね〜」
「一番不健康そうなお前が言うな。アル君も今回体調崩してたとか。名無隊大丈夫かね」
「彼も今回大活躍だったっスからね。能力の使いすぎでああなったらしいけど」
「あいつらは無理しすぎな面があるな」
「肩の力抜けばいいのに」
「お前は抜きすぎだぞ、針裏」
苦笑しながら灰皿にタバコを押し付ける。火を消した後は酒がよく進んだ。針裏が水を進めるが、調子良さそうに次々と頼むのは芋焼酎だった。お湯割りだから大丈夫だなどと意味の分からない理屈で大口を叩くが、確実に酔っていっている。真面目な話ができる内にと再び話題を振った。
「蒼占君だっけ、刑事課の。名前も聞いた事無かったし刑事課自体よく知らないんスけど、結構頭キレるっスよね。退魔の現場に欲しいくらいじゃない?」
「ああ、確か退魔師免許取得してねえんだよ。刑事課の連中の半分は警察から引っ張ってきたらしいからな。お客様だから取得しようがしまいが自由なのさ。ただ知識は要するけどな。揉み消しが効きずらいから煩わしいったらないんだが、警察もこっちもお互い隠蔽体質だから、そのための抑止力みてぇなもんだ。だからほら、最近こっちの組織が公になったから警察の中にも人外課ができたんだ」
「お互いに見張り体制ってやつっスか」
「蒼占って奴がこっちに友好的なのかは俺の知るところじゃないが、組織としてはそんなもんだな。派閥がある事でさえ面倒いのによ、組織内部に警察お抱えじゃあなんだかなぁ」
「派閥作ってんのはあんたっしょ」
「ハハハッ、違いねえや!」
そう認めつつも、龍崎は遠くなった思い出の写真を眺めるかのような目で、アルコール臭い虚空を見つめた。
「だが、こうでもしなきゃもっと酷い事になってると思うぜ? あいつは違う派閥の人間だからって理由がありゃ、よっぽどの事がなければ少しの衝突はあれど『しゃあねぇや』で終わるだろ。それが無かったらどうなる? 派閥を一から作り始める喧嘩が始まるぞ。俺らが副局長になる前は、そのせいで暴力沙汰になったりで処分される奴がいたんだ。んまあ、だからお前の提案はグッジョブってところかね」
「僕ちゃんグッジョーブ。じゃあ今日くらい奢ってくれてもいいっしょ」
「おいおい、毎回俺の奢りじゃねえか。たまには奢れよ」
「あっれー。その地位に就かせてあげたのは誰だったっけねェ?」
針裏は嫌味ったらしい笑みを浮かべ、彼の頬を割り箸で突つく。すると不快に思った龍崎は頭を後方に傾けて避け、手首を掴んで箸を針裏の方向へ向ける。
「お前に推薦されなくても、俺は確実に副局長になってたもんねー。当時は精鋭として一番に名前上げられてたんだぞ?」
「もんねーとかおっさんが言って許される言葉じゃないっスよ。銃ぶっ放してた話はよく聞いてた。拳銃を持った様はさながらヤクザみたいだったともね」
その腕力に物を言わせた仕返しに、軽口を叩きながらも負けじと防御を続けた。
「ほーう? 誰がそんな事言ってたんだかなぁ」
「あれー、誰だっけー?」
「お前だ針裏ィ……!」
しらばっくれると、龍崎の手に力がこもる。針裏も涼しい顔して対抗し続けるが、持久力は皆無で段々と押し負けてくる。頬に突き刺さる割り箸に痛みを感じながらも、しかし敗北を認めようとはしなかった。ヒートアップする彼らの諍いに、店主は暖簾の棒部分で二人の後頭部を叩いた。
「おいお前ら、閉店の時間だボケ。周りの客見て気づけよ。見えちゃいねぇんだろうがよ」
「ちょっと、七十越えのお爺ちゃんがそんな危ないもん振りましちゃダメっしょ。その歳になって持っていい棒は杖くらいっスよ」
「余計な世話だ。ったくよぉ、今日は三時までだ。早く帰れ小僧共」
「小僧共ってなぁ……俺らおっさんに言えちゃうあたりが七十歳だよな。はいはい失礼したよ。なんか明日予定でもあんのか?」
「この歳になってから予定って言やあ友の葬式か孫の結婚式くらいだ」
「ほーん、どっちだ?」
「それはな……」
真剣な面持ちと纏う重い空気に、葬式だったのかと訊いた龍崎は察する。しかし次の言葉を耳にした時、気遣おうとした自分がアホらしくなってくる。
「婆さんとの、結婚記念日!」
「へーへー、嫁さんとラブラブデートね。羨ましいこって」
「当ったり前だろ! 歳食ってからの方が熱々でな、行ってきますのキッスとおやすみのキッスは必ずしてるんだぞ」
「聞きたかねぇよんなもん! じゃあな。釣りは要らねぇから」
言葉と共に龍崎が置いてったのは一万円札三枚だ。呼び止める間も無く二人は悠然と歩いて出て行くが、閉まったばかりの扉を勢い良く乱暴に開け二人を追いかけた。
「おいこの若造共! 三万じゃ足りねぇよこの大酒飲みが!」
「ハハッ、今日はやけに口が達者じゃねぇか! ……でえぇっ!? 三万じゃ足りないってマジで!? 嘘だろ、給料日まであと千円じゃ暮らせねぇよ俺!」
「へぇ、財布の紐は嫁さんがキッチリ縛り上げてるんスね。てか給料日は毎月一日なんだから後数日じゃないっスか。日数かける百円で足りるんスけど、僕」
「そりゃお前、一日一度の食事しかとらなくて、しかもおにぎり一個だったらそうなるわ。俺は昼には愛妻弁当が有るし、朝も夜も美味しい手料理食ってるから食事代は要らないわけ」
「じゃあ何に必要なんスか」
「英字新聞」
「……は、なんで?」
「…………カッコ良くない?」
「どこの痛い中学生っスか」
「あとは通りすがりの募金とか」
「格好つけたがるっスねぇ……」
今あるこの刹那の安息も、巨大な何かに蝕まれ、内なる所から波紋を広げていく。
日のある内に安全地帯と思われた場所に作られた砂の城も、日の無い闇が支配する時、波打ち際に呑まれていく。
それは少しずつ侵食されていき、やがて全てを攫っていく。誰かとつけた足跡も、巨大な海が呑み込めば、跡形もなく消えてしまう。
いつも危うい綱渡り状態で、見える景色はとても狭いものなのかもしれない。
新作「現役JK警察官は、クラスメイトの死神を逮捕できない」を投稿してます。
拙作ですが、読んでくださると嬉しいです!
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