No.65「何を信じりゃいいんだよ」
「どうしてですか!」
「捜索するにしても、この天候ではヘリが出せません……」
「俺達が捜しに行きます」
「許可できません。危険です。吹雪が止んでから捜索を始めます。それまでは……」
「黙ってここにいろって……? ティアを見殺しにする気ですか」
夜斗と稲嶺の押し問答は無言という名の肯定で収まる。それ以上何も言い返せない両者は、お互いに相手の心中を察しているからこそ、その顔は酷く複雑なものだった。
そして数秒の間が空き、稲嶺はおもむろに口を開いた。
「蒼占さん、竹林弘和について調べてください」
「もう調べ終わりました。彼には本当に双子の妹がいたようです。名前は桐壷米花。竹林弘和は十年前まで小川糀という名前で、二人は十年前に両親を亡くし糀君は小川家から竹林家へ、米花さんは桐壷家へ養子に出されたようですね」
「竹林弘和……小川糀。糀の方が似合ってんな。……ティアは、無事かな?」
信太の蚊の鳴くような弱々しい声。
「きっと大丈夫だよ。だってティアだもん」
佐久兎が心配そうに肩を叩くと、微笑を浮かべた。
「ん……大丈夫。あんがとな」
「うん……」
*
パチパチと耳元で音が鳴っている。包まれるような暖かさとゴウゴウという風の音に、次第に眠りから覚醒し始める。
「ここ……は……」
見慣れない日本家屋の天井。梁が剥き出しのかなり古いタイプの家だ。気怠さからゆっくりと体を起こすと、腹部が鋭く痛む。
「っ……!」
激痛に汗が肌に張り付く。荒く息をしながら横目で辺りを見回した。昔話に出てくるような家の中の風景に、囲炉裏の中でグツグツと煮える宙吊りの鍋を凝視する。
――これは一体何の料理……? この中の具は……もしかして私になる予定!?
蓋を開けようとしたところで、根拠もないのに恐ろしい事が脳裏をよぎり、動きがそのままフリーズする。しかし腹部の傷が治療されている事に気がつき、そして着ている服は着物だという事を知る。
「助けられた……? いやいやいや、ヤマンバはこうやって油断させておいて人を食べようとしたんだし……」
その時、隣の部屋から包丁を研ぐ耳障りな音が聞こえてくる。
「ひ、ひぃいっ……!」
人間的なホラーに直面し、思わず情けない悲鳴が漏れ出てしまう。慌てて音源である口を塞ぎ、音のする方の襖をそっと一寸ばかり開く。すると見えてきたのは白髪の女性の後ろ姿だ。白装束を着用している。
――ややややや、やっぱヤマンバ!?
気づかれないよう静かに閉め、息を殺して早く逃げねばと痛む腹部を押さえながら戸口へ向かう。しかし床が傷んでいたのか、静かな室内にギシリと音が響く。心臓が跳ね上がる思いで気づかれていないかと背後を確認するために、ゆっくり、ゆっくりと慎重に音が鳴らないよう振り返る。
「ああ、目覚めましたか。見つけてからもうまる三日ですよ」
背後に迫る人影は先ほど見た白装束の人だったが、闇に紛れて顔は見えない。代わりに握っている存在感や猟奇さを醸し出す大きな包丁が揺れる炎を映していた。
「あ、あはっ、あはははははは」
十六年の人生の幕閉めを予感し、ティアは今までの人生の中で一番の引きつった笑みを浮かべる。
その時、戸が勢いよく開いた。藁の防寒具を身につけ、片手に猟銃を持った、いかにもな一昔前の猟師の格好をした無骨な大男が現れたのだ。
「わ、私は……た、たた、食べられません、よ?」
しかしティアの言葉には応じずに、冬眠中であったろう狩ってきたらしい獲物をドサリと落とした。
「ひぁぁあああっ! わ、私は猪でも野兎でもないです美味しくないから食べないでぇっ!」
膝をついて懇願するティアの背後からは、この殺伐とした緊張感に満ちたこの場にはおよそ相応しくない愛の音が飛んでくる。
「いやんっ、おかえりダーリィン!」
かと思えば目の前で熱いハグを交わしており、男は無表情で「む」とだけ言う。それがまた白装束の女性にとってはたまらないようで、絶え間無く何度もキスをしている。
「ああんダーリンったらクールゥ!」
呆気にとられるが、目の前で繰り広げられる大人のやりとりに思わず見てはいけないものだと視線を逸らす。
「ああっ、ごめんなさい。ティアちゃん大丈夫?」
今まで顔がよく見えなかったが、囲炉裏の火で鮮明に彼女の人相が浮かび上がる。
「ゆ、雪子ちゃん……!?」
「そうだよ! あのお話の後私は解放されたんだ。そしてその日の内に武男さんと出会ったの! よくあるでしょ、吹雪の夜に独り身の男の家に雪女が訪ねてくるってシチュエーション! あれあれ! そしたら次の日に武男さんが怪我を負ったティアちゃんを背負って帰ってきたの。もうびっくりしちゃったよ……一体何があったの?」
「あはは……私もよく理解できてないんだ。雪子ちゃん、武男さん、ありがとうございます」
二人の愛の巣で正座し指をつき頭を垂れるティアに雪子が駆け寄る。
「そ、そんな! 傷に悪いし頭上げて! そっか……。とりあえず栄養つけなくちゃ。よく寝てよく食べないと治らないよ!」
「……うん、いただきます」
囲炉裏を三人で囲み、タイミングを見計らい天候等の状況を聞く事にした。しかし返ってきた答えはティアにとって芳しくないものばかりだった。
「…………じゃあ、しばらく山は下りられないんですね」
「ああ、山では後二、三日は吹雪くだろう。街の方はじきに止むだろうが、この雪の量で下山は無理だ。少なくとも……その体では」
彼の目線は腹部にあった。かなりの手負いなのは確かだ。
「ですが、この辺は雪があまり積もらないのですね」
「自然に守られているんだ。それでも入り口が塞がらないように三十分に一回は雪をかかねばならい。そうでもしなきゃ生き埋めになる」
「い、生き埋めですか」
「んもーう、それは私がどうにかするって言ったでしょお? 雪は私の仲間なんだから。ああそっか! 私となら下山は簡単じゃないかな?」
「本当!? じゃあ皆に連絡を……」
嬉々として左腕を目の前に持ってくるが、その笑顔が凍りつく。
「制御装置が無い。……あの、電話ってありますか?」
「無い」
「…………ですよね!」
武男の返答に承知していたと笑顔で頷き、さてどうしようかと唸った。
*
「ティアの制御装置が街中で見つかった?」
『ええ。雪が弱まりつつあるので捜索に出てもらったのですが、かなり激しい破損が見られます。本人がつけていないとなると、スマホも置いて行ってしまったようだし居場所の特定は困難を極めると思うわね……』
「そうですか……。じゃあ弘和君達の制御装置で彼らの居場所は特定できないんですか?」
『それも無理でした。もう制御装置の使用をしていないようです』
「八方塞がりですね」
アルの言葉は重くのしかかる。名無隊の残る四人はそれぞれが様々な思いを抱きながら、ただ流れるだけの時間を苦痛に思った。
『何かあったらまた連絡するわね。なるべく単独行動はしないように伝えておいてください』
「分かりました」
切れてから数秒後、アルがやっと言葉を紡ぐ。
「聞こえてたと思うけど、なるべく単独行動は慎むようにってさ」
「慎めってねぇ……これじゃあ軽く軟禁状態じゃねぇか。外には雪で出れやしねぇし、『土地勘の無い人間が吹雪の中山に行こうものなら帰ってこれると思うな』なんて脅されて? どんだけだよ、ったく」
「もし遭難しても救助来れないしね。……あの日、一体ティアに何があったのよ。あたしが寝てる間に……くそッ!」
「はいはい高二組は舌打ちしないで落ち着いてね〜」
「そう言うアルは心配じゃないの?」
「心配しないわけ……ないよ」
愛花がヒステリックになっているのを佐久兎が止める。肩に置かれた手の温もりに、怒りをクールダウンさせる。
「……ごめん。冷静じゃなかったわ」
気まずい空気の中、信太は基地内の購買から買い漁ったパンにがっつく事で気を紛らわせていた。しかし突然放送が入る。
『以下の隊は至急基地車庫に集まってください。芝崎隊、丹野隊、名無隊――――』
その呼びかけに、五人は一斉に立ち上がった。
「――ショッピングセンターで爆発音がしたとの通報がありました。警察と消防が現在確認に向かっていますが、別件で防犯カメラ映像を追っていたところ、近くで竹林弘和と見られる人物が映っていました。彼の犯行の可能性も考慮し、我々も出動します」
車庫から通報場所までの移動中に事の概要を把握し、次に隊構成の説明にも移った。
「芝崎隊と丹野隊は北海道支部で一番二番を争う精鋭隊です。それぞれ三人ずつ、中長距離戦闘員はそれぞれの隊に一人。名無隊は短距離戦闘員のティアちゃんとアル君が不在の為ただいま四人で、それぞれ二人ずつの構成です。複数の人外の反応も出ており、戦闘になる可能性が高いです。私は警察や消防との連絡を密に、連携体制を取れるように対策本部にいます。何かある度に逐一連絡をお願いします」
了解という返事を聞き、稲嶺は警察の大きな車両の中に入って行った。残された十名に気まずい空気が流れ、それを払拭しようと丹野隊の隊長が会話を始める。
「初めまして名無隊の皆さん! 俺達より全然年下で退魔師になったばっかなのに、日本一の精鋭隊八雲隊の次になるだろうって本部で言われてるんでしょ? すごいなぁ。本部の二番以下なんてハラハラじゃないかな。期待の超新星、大型新人ってね」
「退魔師は年齢じゃない。お前みたいな考えは古臭いぞ。実力主義のこの世界では、年功序列なんてものは取っ払っちまえばいいんだ」
「芝崎ぃ、お前は俺に反論したいだけだろー。組織っていうのはさ、年功序列とか大切だと思うよ」
目の前の二十代前半男性二人の諍いを目の当たりにし、右京と実子、または龍崎と白砂を見ている気分になる。丹野は人当たりの良い右京で、芝崎はとっつきにくい実子のイメージだ。
「ところでティアちゃんの事は弘和の件で聞いたけど、アル君はどうしたの?」
「体調悪いらしくて寮にいます」
「あらら大丈夫かな? こっちの気候にも慣れていないだろうし、低気圧続きだからねぇ……」
夜斗の返答に丹野の心配する声が遮られ、吹雪く音に混じり爆発音が響いた。
「うお、なんだぁ!?」
熱風に煽られながらも音源へ視線を移す。近くのビルの最上階から火柱が上がっている。地上に落ちてくるガラス片から避難し再び見上げると、吹雪のせいで吹き込む空気により一層炎が力強く蜃気楼のように揺れていた。
「……こりゃあどうなってんだ。さっきまでなかった人外の気配が溢れかえってんぞ!」
丹野は驚愕の表情を浮かべ、芝崎は苦虫を潰したような顔をしている。彼らは隊員達を率いて左右に散って行くが、信太が突然声を上げる。
「あそこ! 人影だ!」
五感の鋭い彼の言う事を信じ、爆発のあったビルの近くから裏路地に入っていく。人影はまるで四人を誘導するように時折スピードを緩めながら、しかし曲がり角を利用し一定の距離を保ち続けている。
「あっちは余裕みたいね。くそっ、追いつけやしないわ!」
「なんだかすっごい意図を感じるんだけど、現場から僕達を遠ざけてない?」
「俺もそうにしか思えねぇけど、あの馬鹿が止まんねぇんだよ! おい信太!」
声をかけても、必死に後を追う信太の耳には入らない。目標があれば突っ走ってしまうあの猪突猛進さは彼の良いところでもあり、また悪いところでもある。
「いい加減に……!」
曲がり角でやっと信太に追いついた夜斗が肩を乱暴に掴む。しかし反抗する事もなく立ち止まったまま目の前の空間を凝視していて、愛花や佐久兎と追いつくが二人が微動だにしない事から不審に思い、恐る恐る近寄った。
その先の行き止まりには、
「やあ……皆」
右京がいた。
「もう、何を信じりゃいいんだよ……! 右京さん、説明してくださいッ……! あの爆発は、右京さんがやったんですか?!」
信太の悲痛な訴えが、寒さに凍える心を酷く刺した。誰が味方で敵なのか、裏切られ続けた彼らが疑心暗鬼に囚われ頭の中が雪景色になってしまう前に、右京は肯定の言葉を絞り出した。
名無隊の目から希望の光が失われた時、光る欠片を照らし出したのは彼ら自身だった。




