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No.64「懐疑心の先に」

 三日連続で外へは出れない天候が続いていた。事態も進展しないまま、雪女脱走のネタばらしから今日で二日が経つ事になる。そんな朝に、食堂では日本本部刑事課所属のプロファイラーと名無隊が同席していた。


「いや〜すみません。ここしか空いていなくて」


「いえいえ、いいんですよ。一人寂しく食事をするというのも味気ないですから」


 蒼占(あおし)はアルの断りに快く承諾の意を表し、笑顔で迎え入れてくれた。こうして日本本部、つまり東京基地所属局員のみで構成されるテーブルができあがった。そして蒼占は目の前の席に腰かけた夜斗へ話題を振る。


「朝食を七時に毎日摂っているのですが、右京隊長も針裏所長も一度もお見かけしませんね。食堂は六時半に開くので、僕が来る前に食べ終わっているのでしょうか」


「右京さんは多分そうです。針裏さんは……きっと朝ご飯自体食べていないんだと思いますよ。正午過ぎ、眠そうに部屋を出て行くのを何回か見ましたから」


「典型的な夜型人間ですか。お寝坊さんの方が、実は知能レベルが高い傾向があるのかもしれないという記事を見た事があります。そして生活がだらしない人は、徹夜が何日でもいけちゃう学者肌な感じが何故だかしますよね。きっちりしてると、サラリーマンってイメージが僕の中には勝手にあります」


 職業柄、針裏のように理詰めにするタイプかと思いきや、感覚的な話も案外いけるようだ。


「ああ、ロジカルシンキングではなくエモーショナルだなって思いました? 心理を学んでいたので、つい。心理学というのは、理系と文系の狭間にある分野なんですよ。とても面白いです。仕草や言動、癖や描いた絵から読み取ったり、時には恋愛で心理学的効果を応用したりもします」


「心理学的効果?」


「例えば吊り橋効果とか。簡単に言うと、人は動悸の要因を正しく判断する事ができないんです。例えば吊り橋を意中の子と渡ったとして、恐怖でドキドキしているのに好きという気持ちだと勘違いしたりするんですよ。吊り橋効果の由来はそのままですね」


「へぇ、心理学最強だな!」


「いえいえ、それほどでも」


 夜斗の横にいる信太が羨望の眼差しを蒼占に向けている。その更に隣では、アルが佐久兎に手を焼いていた。


「ああっ、それ醤油じゃなくてソースだよ!」


 佐久兎にとって、北海道の朝は地獄のようだった。それに加え体温が低く頭痛も激しい。口からは彼自身の魂が出かかっている。


「ソース……ス、す……酢? 醤油……しょうゆ…………ソイソース?」


「醤油は確かにソイソースだけど、佐久兎が手に持ってるのはソイのついていない普通のソースだよ! ちなみに中濃ね!」


「……全く、朝から騒がしいわねぇ」


「あはは、賑やかでいいね」


 更に奥では、愛花の言葉をティアがポジティブ語に変換している。なかなかバランスのとれた(チーム)だなと感心した。


 一つのまとまりの中では、必ず駄目な人間というものが必要になってくる。その人間が集団から抜けたとしても、新たにその立場の人間が生まれるのだ。そういう集団の仕組みがある。


 ――この中では佐久兎君が一番周りに劣等感を持っていそうだなぁ。ああ、この中では唯一の左利きか。日本では左利き用の物が少ないから、ストレス値もその面に関しては人より高くなりそうだね。


「左利きといえば……ねえ佐久兎君、サウスポーの人って銃の扱いどうなってるの?」


「え、ええと、今は左利き用のを使ってます。でも生産量も少ないし戦場じゃ代わりがないぞって八雲隊の神無(かんな)さんに言われて、両利き用(アンビデクストラス)とかも勧められてて……。そ、それからぼちぼち射撃場でお世話になってます」


「ああ、アンビかぁ……。そっか、神無君も左利きだったっけな」


「いえ、両利きです」


「わあ、何そのハイスペック。もう、神無君ったら嫌味な人だなぁ」


 警察関係者とは顔見知りの神無は、御多分に洩れず蒼占とも知り合いだった。警察官でもない一般人が署を出入りする事を奇妙だとは思っていたが、何度かすれ違う内に比較的歳が近い事もあり、会話を重ねる度に友達くらいの関係が築かれていたのだ。話せば悪態をつくのが彼だが、出すのは口だけではなく結果もしっかり出してみせる彼には頭が上がらない。


 そんな彼の事は頭の片隅にでも置いておき、今は気になる事がもう一つある。


 ――この中で一番ストレスを感じているのはティアちゃんだ。足を組んだり組み替えたり、かと思えば貧乏揺すり。手を太ももの下に敷いたり、相槌が多かったり、早く終わって欲しいという気持ちや落ち着かない様子もある。


 きっといつもの彼女なら、これを全てしないで目の前の食べ物に感謝を込めながら味わい、人との会話も同時に楽しむだろう。たとえ話題がつまらなくても、重い空気に包まれていたとしても、相手が敵か針裏でもない限りは少しも負の感情のカケラも見せないはずだ。

 見えないテーブルの下にその行動はとどめているが、蒼占の前ではその努力は意味をなさない。


「ティアちゃん」


 名前を呼んでみる。この中に彼女のストレスとなる人物がいるはずだという結論の元、一人の人物を導き出した。


「なんですか?」


 その時の仕草や目線、声音までをも総合し、蒼占は一つの結論を導き出した。


 ――ティアちゃんのストレスの原因は、僕自身だ。


 何故かは考えるまでもない。隠し事があるからだ。分析されまいと、早くここから立ち去りたい一心で心が満たされているのだろう。


 ――初めて会った時はこんな事なんてなかった。隠し事がその後にできたのかな? それにしても僕に気づかれたくない事とは? どうして隊員達にも気を許していないんだろう。以前見た時はあんなにも親密そうだったのに。


「ティ――――」


「あぁあぁあぁあぁああああッ!!」


 更に核心に迫るため質問しようとするが、食堂中に響き渡るほどのアルの叫び声にかき消される。彼は荒々しく立ち上がり、頭を抱えたまま膝から崩れ落ちた。


「昨日は……昨日は『現役JK警察官は、クラスメイトの死神を逮捕できない』の放送日だったのに録画し忘れてたぁああっ……!」


 大袈裟だと思えるくらいに落ち込む彼に、佐久兎の鋭い視線が突き刺さる。


「アル、頭に響く」


「あ、はい。ごめんなさい佐久兎先輩。ウィッス」


 先輩後輩関係が逆転しているが、珍しくはない事なのか誰もいちいち突っ込まない。完璧に機会を逃した蒼占は微笑を浮かべるしかなかった。しかしその騒ぎの最中(さなか)ティアと目が合う。すると彼女は口元を歪ませた。


 しかし目が笑ってはおらず、桜色の唇がおもむろに動きだす。それを蒼占は読唇術で読んだ。


 ――『う、ら、ぎ、り、も、の、は、だ、れ、だ』……!?


 背筋が凍る。呼吸を忘れ、大きく感じる鼓動が視界を揺らす。見開いた目からは目玉がこぼれ落ちそうだ。厭な汗を身体中にかき、血液が凍ったように身体中に悪寒が走る。

 極度の緊張で視界が狭まったような感覚を抱えながら、視線を口元から目元へと移すと、その瞳はなんらかの優越感に彩られていた。


「彼女にこの鼓動が聞こえているのではないか」そんな懸念は些細な問題で、今目の前いる『御祈祷ティア』という人間は、一体何者なのか。


 どういうつもりでそんな事を蒼占に向けて無音で伝えたのか。彼への挑戦にもとれ、まるで彼女の掌の上で転がされているのではないかという錯覚も生まれる。


 思考が分離し同時に様々な思考を並行して巡らせている内に、音が小さく遠くになっていく。ヒートアップしていく一人脳内議論がキャパシティを超えた時、一つの音声が大音量で鼓膜を震わせた。


「ごちそうさまでした!」


 無音の世界にいたような感覚に襲われていたが、ティアの声でその状態から解放される。それを合図に愛花や信太、佐久兎も席を立つ。


「あっ、ちょっと皆早い〜!」


「お前が叫んでる間に食ってたからな。早く食え」


 そして夜斗もお盆を下げに行ってしまった。まだ食べ終わっていなかったアルと蒼占が顔を見合わせる。


「どうしたんですか? 蒼占さん、顔面蒼白ですよ」


「ああ、いえ。なんでもありませんよ」


 柔らかい笑顔でそう答えるが、彼はいつものふざけた調子ではなく真剣な眼差しでこう問うてきた。


「そうですか? ボクってば、ティアを見ていたせいかなーなんて思ってましたよ」


 ――口パクで僕に話しかけていたところを彼も見ていた……? もしかして叫んで会話を妨害したのも意図的だったのか? アル君とティアちゃんはグル……?


 脳内を疑問符が埋め尽くす中、どうにか彼の目を見据えたまま問いを投げ返した。ハッタリ、または偶然なんて事も視野に入れたからだ。


「ティアちゃんがどうかしたの?」


「髪が青いから見ていたら青に〜! みたいな!」


「はは、カメレオンじゃあるまいし」


 周りからはただ談笑をしているだけに見えるだろう。しかし、今二人は腹の探り合いをしていた。


「ところで蒼占さん。……裏切り者は誰だと思いますか?」


 先ほどティアが口にした言葉に顔の表情が強張りそうになる。


「うーん、まだ分からないよ」


 なんとか抑えて返事をするが、彼はそれだけでは許してくれなかった。


「じゃあ、裏切り者は大まかでもいいので何人だと思います? 組織がバックにいそうだって言ってましたね。って事は、スパイは一人だとは限らないと思うんです」


 容赦無く痛いところを突いてくる彼との間に、懐疑的な問答は続く。「目を逸らしたら負けが決まる」。そう自分に言い聞かせながら、瞳の奥の本題を引きずり出そうと試みる。


「アル君自身がそう思った根拠は何かな?」


 蒼占の言葉が声としてアルの脳に浸透していくと、それに呼応するかのように彼は粘着質な笑みを浮かべた。


「蒼占さんの目の前にいるボクが、犯人だとは思わないんですか?」






 *






「針裏さんが二人?」


 北海道支部の支部長室では、朝から氷室と稲嶺が難しい顔をしていた。


「そうなんだよ。支部内の防犯カメラ映像を見たんだが、君と保管庫に行っている間に基地から寮へ行く姿が映っている。ほら、これだよ」


 パソコンの画面には確かに彼の姿が映っている。しかし時刻は午前四時。


「そ、そんなはずは……私と針裏さんと局長で朝の三時まで飲んでいたじゃありませんか」


「君を疑いたくはないんだが、一応形式として訊かせてくれ。君は、スパイではないんだな?」


「あ、当たり前ですっ……!」


 言い訳が二言目に出そうになった時、ぐっと堪えて真実だけを伝えた。自分は、本当に形式上で訊かれただけなのだと律した。


「その後、話題に出てきた『保管庫のセキュリティについて見ましょうか』と言ってくださり、そのまま直行して四時半まで一緒でしたし……おかしいですね。本当に針裏さんなんでしょうか」


「そう思って朝食終わり一番で蒼占君に映像の解析を頼んだ。顔の識別システムによると、正真正銘彼だって言っていたよ」


「これは一体……どういう事なんでしょう」


「分からないとしか言えないなぁ。とにかく、彼を呼び出してくれ」


「承知しました」


 制御装置(リミッター)で呼び出してから数分後、寝ぼけ眼をこすりながら寝癖のついた髪をワシワシと掻きむしって針裏が入室してきた。

 呼び出したわけを話すが、彼は素っ頓狂な声をあげた。


「僕ですか? その日はほら、飲んでから保管庫に稲嶺さんと行きましたよね?」


「ええそのはずなのですが……」


 稲嶺が目配せをすると、支部長である氷室は防犯カメラの映像を見せた。興味深そうに顎に手を当てながら見入り、時折「ほう」と声を漏らしながら目を眇めた。

 再生を何度も繰り返し不自然な点はないかと細部にまで目をやるが、回数を重ねるだけで見つけられずにいた。音を上げたのは、三十一回目の時だった。


「どーう見ても何回見ても僕っスね。またドッペルゲンガーとか? んまあ、基地に許可無しの人外が侵入できるとは思えないっスけどねぇ……」


「今のところ事件は起きていないですが、この事態について解明していく必要があります」


「稲嶺君の言う通りだ。ところで、本当にこれが針裏君じゃないなら、針裏君はここに映っているのはなんだと思う?」


「そりゃ人外じゃないなら局員じゃないっスか? 顔の識別システムが僕だって判断したんだとしたら、残る可能性はホログラムとかね。制御装置(リミッター)の改良と開発は僕がやってきた。ホログラム機能についてもね」


 根拠はそれだというように、だから、と続けた。


「僕の姿のホログラムをまとっている映像だとしても、本物の僕だって判定が出るって言い切れちゃいますね。もし信じられないならやってみればいい。誰かが僕の姿になってそれをビデオで撮り、後は蒼占君にまた識別システムで判定してもらう。もし一致したのなら、この説が濃厚って事っスよね?」


「……そうだね。じゃあ今すぐ蒼占君を呼んで実証してもらおう」


 氷室の顔つきが、責任者としてのそれにすり替わる。


「組織内で(さかな)を飼い、泳がせ続け肥やし過ぎ、肥大化して力をつけた敵に食われたら、元も子もクソもへったくれもないからね。食われる前に食わなければ、水槽の中には敵しか残らない。実はもう、小魚がサメになり牙を剥き始めているのかもしれないな」


 重く響くこの言葉は危機感を煽るには充分で、重くのしかかるこの言葉は彼の責任の大きさを表し、重く受け止めた三人は、この事態がどれだけ深刻なのかを自覚していた。






 *






「遅かったじゃねえか」


「まあね〜。蒼占さんと話してたんだけど、そしたら稲嶺さんから呼ばれたみたいでさ。なんだか只事じゃなさそうだったよ」


「ふーん、なんだろうな」


「さあね。……それよりさ、なんでこの部屋に弘和君がいるの?」


「非番で暇なんだと」


 信太やティアと共に楽しそうに会話をしている。愛花は朝のニュースを見ており、佐久兎はスマホでゲームをしているようだった。


「ところで、信太と弘和ってあんなに仲良かったか?」


「弘和君に振られまくってたと思うけど……。まあいいんじゃない? 仲良い事は良い事だし」


「じゃあティアと弘和はいつからあんな仲良しになったんだ?」


「さあ?」


 弘和からのスキンシップが多く、まるで恋人か家族くらいの間柄のようだった。弘和のいるあの和に、夜斗は違和感を感じずにはいられなかった。


「あの花瓶に入ってる花、なんていうんだ?」


 信太が白く小さな花瓶めがけて指をさす。


「スノードロップ。待雪草って名前の方が親しみがあるかな?」


「ああ、聞いた事ある! 花言葉は?」


「慰め……それと希望だよ」


「じゃあ落ち込んでる人に贈ると良さそうだな! 慰めと希望!」


 信太の疑問に次々と答えるティア。しかしその言葉には否定をした。


「スノードロップは人に贈ってはいけないお花なんだよ。死を『希望』する……つまり死を願っていますって意味になっちゃうの」


「え……? 何それ怖っ! じゃあなんでここに飾ってあるんだろうな。昨日までは無かったのに」


「…………メッセージだったりして」


 そう言い、ティアは花瓶に挿さっている五輪の待雪草をアル、信太、夜斗、愛花、佐久兎に一輪ずつ配った。まるでその数は最初から計算されていたかのようで、その花を贈られた五人は贈り主であるティアを動揺の眼差しでただ呆然と視界に捉えていた。

 信太が半笑いで冗談がキツイとでも言いたげに、前言の撤回を願って訊き返す。


「メ、メッセージって……なんの?」


「この数が示す人数分の人の死を願いますっていうメッセージ……かな?」


 可愛らしく首を傾げているが、それとは吊り合わない内容だった。空気が張り詰め、誰もが声を発せられずに驚きと困惑に複雑な表情を顔に貼り付けている。

 彼女らしくもない事を言う彼女自身を、本当に自分達の知っているティアなのかと疑う。沈黙と比例し疑惑は肥大していくが、それを食い止めたのは弘和だった。


「あはははは! 昨日のなんかでそんなシーンありましたよね。見てたんですか?」


「……うん。原作でしか知らなかったけど、昨日はたまたまね」


 その会話にアルが眉根を寄せた。怒りや不快感からではなく、辻褄の合わないアリバイを彼女が口にした事から生じた矛盾に疑問を抱いたのだ。


「……ボクは寝てたから分からないけど、昨日のその時間は医務室でボク達とずっと一緒だったんだよね? いつ見たの?」


 弘和とティアの顔色に変化が現れると、すかさず畳み掛ける。


「なんか隠し事ない? 蒼占さんも言っていたんだけどさ、ティアの様子が変だって。ボクもそう思うよ」


「そう? いつも通りだよ」


「あはは、何言ってるんだよ? どっからどう見ても……」


「ティアだって? ボクはティアが偽物だなんて言ってないよ。それなのに、弘和君は偽物だとでも思ってるの?」


 その言葉に顔へ浮かべた笑顔が引きつっている。追い詰められた彼は何かを言うために口を開こうとするが、ティアがそれを遮った。


「……もういいべさ。いつまでも騙し続けられはしないとは思ってたし」


 北海道訛りの言葉を発したティアを包んでいたメッキがついに剥がれ出す。青白い光が空中に溶け出しホログラムが完全に消えた時、姿を現したのは弘和だ。


「は……? え、え、えぇええっ!? 弘かっ……え? 二人ぃ!?」


 信太を始め動揺を隠せない名無隊の隊員達。夜斗がすごい剣幕で二人に詰め寄る。


「なんだかんだは後だ! ティアはどこにいる!?」


「さーあ?」


 ティアになりすましていた何者かがそう答える。夜斗が胸ぐらを掴み上げるが、そこである事に気がつく。


「女……?」


「俺の双子の妹です。……手、離してやってください」


「離してほしかったら早くティアの居場所を吐け」


「嫌だと言ったら?」


 煽る彼女に、夜斗の手には力が入る。


「やめろ米花(まいか)! 夜斗さんもお願いします。離してやってください……」


 二人の間に割って入る弘和。夜斗は舌打ちをし、改めて答えろと詰め寄る。背後からの四人の視線にもたじろぎ、弘和は口を固く一文字に結んだ。なんて言おうかと思考している間に米花は勝手に口を開き、火に油を注ぐ。


「私が刺した。まあ本人や防犯カメラには針裏が刺したように映っているだろうけど」


「なんで、そんな事……」


 信太が信じられないと弁明を求めた。


「明け方の事だったから、本物のティアならもう雪に埋まってるか、たまたま冬眠中に目覚めてしまった熊の餌にでもなってるんじゃない?」


 嘲笑を滲ませる米花に詰め寄ったのは、意外にも弘和だった。


「そ、それどういう事だよ?!」


「あれ? お兄ちゃんには言ってなかったっけ。お兄ちゃんがこの部屋にいたの見られちゃったから、殺せって命令が出たんだよ」


「刺したってのも……本当なのか?」


「そうだよ」


「そん、な……や、やりすぎなんじゃ……」


 米花の告白を受け、名無隊の五人と同じくらいに弘和も驚愕した様子だ。怒りや動揺が上手く口に出せずに葛藤として沈黙が流れる中、動き出したのは夜斗と愛花がほぼ同時だった。先を争うようにコートを手に掴むと、部屋を出て行こうとする。


「二人共、待って」


「黙ってここにいろってのか……? 時間が経てば経つほど生存率は低くなるだろうが!!」


「そうよ、刺されたんでしょ? 早く、早くしないと……!」


「窓の外を見て。本当に明け方なんだとしたら四、五時間も経ってる。こんな吹雪の中捜しに行ったって、見つかりっこないよ」


 しりすぼみに小さくなっていくアルの声。信太も佐久兎も苦々しい顔と焦燥感を混ぜたなんともいえない顔をしていた。


「まずは稲嶺さん達に報告して、氷室支部長の判断を仰ごう。弘和君と米花ちゃんも一緒に来てもらうよ」


 今のアルには有無を言わせないほどの迫力がある。冷たい眼光の先で、しかし米花は頷かなかった。

 そして弘和の手を引き窓まで一気に走り抜ける。ガラスを割ってこの場から逃走する気だろう。


 それを察したアルと夜斗が瞬時に刀で斬りかかる。しかし彼らの体を刀身がすり抜けてしまった。あちらが制御装置(リミッター)を発動したせいだ。


「チッ」


「こちら名無隊のアルフレッドです! 犯人が……弘和君とその妹が、寮の窓を割って逃走しました――!」


 吹き込んでくる冷風と雪が、敗北を痛いまでに感じさせた。足元に飛び散ったガラスの破片を蹴ると、愛花は眉間に深くシワを刻み力強く足を振り落とした。足元でガラスが割れる音と重なり、アルからの報告でサイレンが鳴り響く中、虚しさだけが心を満たした。

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