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No.63「違和感の正体、複数の影」

「で、でもさっき弘和君とは基地ですれ違って……」


「その後を追ってくる事くらい、誰だってできるでしょ?」


「だとしたら、断りもなく部屋に入ってくるなんて……一体何が目的なの?」


 ティアは眉根を寄せ、静かな澄んだ瞳で彼を見据えた。


「信じてくれないんだ? 後から追ってきたって事。警戒心も解いてくれないなんてね。……銃、おろしてくださいよ」


「私がここに入ろうとした時、ドアノブには既に温もりがあった。これはどう説明するの?」


「それは俺じゃないです。…………信じて」


 情に訴えかけようと悲しそうな顔をするが、ティアには一切通じなかった。それは必要な冷酷さだ。


「答えて。何が目的? 私は入室後に扉を閉めた。オートロック式だから、この部屋には登録された制御装置(リミッター)をつけた人しか入れない。それなのに、私より先に来たにしろ後に来たにしろ、入室できたのは何故?」


「目的っていうか……出来心ってやつ? 可愛い先輩とイイ事するチャンスじゃないですか。鍵については故障してたんじゃないかな」


「随分とらしくない事を口にするんだね」


「らしくない? 中学生はまだアイデンティティが不安定なんだよ。気まぐれでキャラも変わったりするさ」


 眉をひそめ、睨むために見上げている彼女の瞳には、見下ろす弘和の顔が写り込んでいる。その表情が自分のものだとは思えないくらいに酷く引きつっていた。ここをどう切り抜けようかと思案するが、何もいい案は浮かばない。


 諦めかけたその時、テーブルの上にあったティアのスマホからバイブレーション付きで音が鳴る。彼女の意識が一瞬でもそちらに逸れた。この期を逃すはずもない。

 蹴り上げた足で彼女の手から銃を弾き落とし、床につく前に空中で遠くへ蹴った。その間にも手は彼女の両腕を掴み床に押し倒し、蹴られないよう膝に乗る。


「うっわあ華奢。折れないか心配なんで暴れないでくださいね」


 両腕を一つにまとめ、弘和はポケットからハンカチを取り出してティアの口と鼻を覆った。吸い込まないよう呼吸を止め、その間に逃げ出せないかともがいたが、次第にそのもがきは苦しくてするただの動作になってしまった。


 ――もう、無理……。


 ほぼ反射的に息を大きく吸ってしまった結果、頭がクラクラとしはじめる。霞む視界、歪む風景、鈍る思考。


「……ごめんなさい」


 意識が途切れる間際、彼の声が聞こえた気がした。





『――――ん……ちゃん、お兄ちゃんっ!』


米花(まいか)!』


 ティアの正面には弘和の面影のある子供がおり、彼を「お兄ちゃん」と呼びかける声が背後から聞こえ咄嗟に振り返る。驚く事に、背後にも弘和がいた。否、背後の彼は米花と呼ばれていた。目を疑う出来事に、一つの推論が無意識に浮上した。


 ――一卵性双生児?


 二卵性ではなく一卵性の双子だから、顔や声もそっくりなのではないだろうか。幼い二人は大人に引きずられるようにして、別々の方向へ引っ張られていっている。短い腕を精一杯伸ばし、小さな掌でお互いの手を掴もうとする。しかしそれはついに叶わなかった。嫌がる子供の腕を、無慈悲にも大人は強く引っ張る。


(こうじ)お兄ちゃん! やだ、離してよ!』


 暴れる米花をついには抱き上げ、腕で抑え込みながら歩く。自分を抱える大人の顔の脇から、届くはずもないのに腕を必死に伸ばしていた。米花はスカートを履いている。恐らく妹なのだろう。

 引き裂かれて行く兄妹を目の前に、ティアは過去視の能力だと気づく。これは弘和の過去の記憶だろう。


『糀お兄ちゃんっ!』


『米花っ、米花ぁああッ!!』


 弘和の顔をした糀と呼ばれた子供は、死に物狂いで妹の名前を呼び続けている。大人に握られる細い腕が軋むのも気にせず、痛みも感じない位に必死に妹の手を掴もうとしていた。

 もう届きはしないこの距離を、彼は懸命に縮めようとしていた。


「どういう、事なの……」


 そう口にしたと同時に、崖から落ちるような感覚に襲われた。驚きにハッと息を吸い込むと、先程までとはまるで違う景色が目に飛び込んできた。

 最近では見慣れた白い天井だった。しばらくは横になったまま不規則な呼吸を整えようとするが、自分がベッドの上にいる事に驚く。勢い任せに起き上がると、鋭い頭痛に襲われた。


「っ…………」


 倒れかけた上半身をなんとか腕で支える。すると記憶が鮮明に蘇ってきた。


「――――弘和君に……」


 気ばかりが急くが、まず視界に映り込んだのは枕元のスマホだ。


「午前四時……」


 日付は変わっていない。眠らされる時に使われた薬品は、ベタなドラマと重ね合わせるとクロロホルムだろうか。三時間強で覚醒できたという事は、少量しか吸い込まなかったのかもしれない。不幸中の幸いに感謝しつつ立ち上がろうとするが、激しい目眩に襲われる。足元もおぼつかず、目覚めが早くても薬が抜け切っていない事を実感した。


 ここで制御装置(リミッター)を使い誰かに起こった事を報告した方が早いのだが、部屋にいくらでもいる事ができた彼は盗聴器をしかけていった可能性もある。制御装置(リミッター)でこの部屋に入れたのなら、その技術力があれば組織内の全制御装置(リミッター)を傍受されている可能性もいくらでもあった。文面にして送るにも、届く前に細工をされたら終わりだ。


 ――万が一にも傍受されている可能性を拭えない以上は、直接口で伝えなきゃ。この部屋から出て、早く誰かに伝えないと……。


 彼に頼りこれ以上の借りを作るのは癪だったが、この部屋の鍵を開けられるのはティアと他の名無隊の隊員達、そして彼くらいだろう。発信ボタンを押す。隣の部屋にいるであろう針裏に制御装置(リミッター)でコンタクトをとろうと電話するが、返ってきたのは制御装置(リミッター)の音声だった。


『卜部針裏さんは、ただいま電波の届かないところにいる可能性があります。伝言を残しますか?』


 この時間に電波が遮断されている場所にいる事自体を疑問に思ったが、今はそれどころではない。次に彼と同室である右京に電話をする。これが制御装置(リミッター)の故障か何かならば、彼に針裏を起こしてもらおうと思ったのだ。しかし時間帯が時間帯なだけになかなか出ない。寝ているところを起こすという行為に罪悪感が一秒ごとに増してくる。やはり自力でどうにかしようと切ろうとした時、右京の声が聞こえてきた。


『ん、どうしたの?』


 寝起きの声に、少しの安堵を覚える。「今すぐ来てください」と言葉にしようとしたところに呼び鈴が鳴った。


「……すみません。掛け間違いました。本当に……夜分遅くにごめんなさい」


『あはは、そう? 分かったよ。おやすみ』


「おやすみなさい」


 起こしておいて悪いが、扉の前で待つ人がいるという事を糧に壁伝いに歩く事にする。隊長の彼に迷惑をかけるよりも、近くにいる味方へ伝えればいい。そう思った。


「スパイは……彼だけとは限らない。なるべく上の人に言わないと、伝えた事すらもみ消されてしまうかも、しれ、ない……」


 途中何度か転倒しかけるが、なんとか玄関に辿り着く。内側から鍵を開けて出ると、そこには先程電話をした針裏がいた。


「あれ? さっき……圏外だって……」


「ああ、さっきまで保管庫に行っていたんスよ。セキュリティ面での助言を頼まれてね。部屋への帰りに着信きてたのに気づいて、隣だったから立ち寄ったんスよ」


「そうなんですか。……あの、お伝えしたい事があるんです。稲嶺さんか局長はいらっしゃいませんか」


「それならさっきまで稲嶺さんといたから、まだ基地にはいるかもしれないっスね。伝えたい事って?」


「それは……」


 針裏になら伝えても大丈夫だろうと、口を開いた時だった。


「――――竹林弘和が犯人(スパイ)かもしれない、とか?」


 からかうような笑顔でそう口にした針裏。その言葉にティアが固まる。


「どうして、それを…………」


 顔が強張っているのが自分でも分かる。答えを待つ間、様々な可能性を考えた。

 自分が眠っている間に弘和がスパイだとなんらかの形で発覚したのか、針裏のいつものハッタリで本当にからかわれているだけなのか。


 または、彼も裏切り者で、弘和とはグルなのか。


「……今さっき、流石に帰りが遅くて心配して見に来た夜斗君も、ベッドで寝ているティアちゃんを見て安心したのか医務室に帰っていったよ。なんだか笑顔だったけど、寝顔見れてラッキーって感じだったのかな? お熱いねー、高校生って! 高校生といえば、こっちのJK観光まだだったなぁ。やっぱ東京よりは肌が白い人多かったりするんスかねぇ?」


「……なんだか今の針裏さん、いつもよりお喋りですね。やましい事があると、人はそれを悟られまいと多弁になるものですよ」


「やましい事?」


 彼は嫌味な笑顔で首を傾げた。


「それって、今からする事の事っスかね?」


 白を切る針裏は、しかしこれ以上彼女にも口を開かせまいとした。下から耳障りの悪い厭な音がする。腹部が氷にでも触れたかのようにひんやりとした感覚の後に、炎に焼かれているのではないかというくらいの熱さ感じる。両極端なこの感覚には覚えがあった。


「つ……あ…………」


 針裏は引き抜いたナイフを懐にしまい、倒れるティアを抱きとめた。そして床等に血が付着しないようタオルで傷口を塞ぐ。

 証拠の隠蔽でもしようというのだろうか。抜け切らない薬のせいもあってか、ほぼ動く事はできなかった。


 再び薄れゆく意識の中で、下唇を血が出るくらいに噛み締めた。

 一番あってほしくはなかった可能性の肯定的事実を、切なく、そして悔しく思った。






 *






「ティアは部屋で寝てた」


 この中で唯一起きているアルにそう告げると、それを聞いて安堵の表情を浮かべた。


「よかった。どっかで倒れてるんじゃないかと思ったよ」


「俺もだ。そしたら布団まで綺麗にかぶって寝てんだもん。笑っちまったよ」


「ボク達が寝てる間もずっと起きてたみたいだし、相当疲れも溜まってたんだろうね。にしても珍しくない? 部屋についてから力尽きたにしても、ティアなら律儀にメールくらい送ってきそうなものだよね」


「まあな。でもこんな日もあんだろ。倒れる前に休養するようになったのはいい事だ」


「あはは、そうだね〜! 寝る子は育つっていうし、明日には身長がぐぐぐーんっと伸びてたりして!」


「軽く信太を超えたりしてな!」


 他愛のない談笑をしていると、突如信太が上半身を起こす。


「オレは一七八メートルになる!」


 そう言い残し、またベッドに顔を埋めた。これも寝言だったようだ。可笑しくて腹を抱えて笑い声を押し殺すも、笑いすぎて涙目になる。


「クク……ク、一七八メートル……! メートルってぇ……! センチでもまだまだ届かないでしょ……!」


「夢の中でもこいつは馬鹿だな。どこの巨人だよ。センチが足りねーぞ。メートルじゃなくてセンチメートルだろうが」


 流石に大きな寝言や二人の笑い声で佐久兎と愛花が起きる。


「何よ、もう……」


「んんー……どうしたの?」


 そして、寝起きの二人もやはりここにいないティアを捜し始める。部屋で寝ていると伝えると、ホッとしたように信太と同じく布団に顔だけでダイブする。


「やっぱ寝るんだね」


 顔を見合わせてから大福顔の三人を眺めた。そして夜斗は信太の頬を摘まむ。眠りながらに唸っているが、起きる様子は微塵もなかった。


「こいつ、成長期を免罪符に最近食い過ぎじゃねぇのか? ほっぺたの肉すげぇぞ」


「新陳代謝良さそうだし、夏になればまたシュッとするんじゃない?」


「ならいいけどよ、夏と冬の比較画像作られたら笑いもんだぜ。積極的に拡散したいんだけど」


「心配してるのか楽しんでるのか、いったい夜斗はどっちなの?」


「めっちゃ楽しんでる」


「だと思った!」


 愉快に笑い声を響かせる二人は、夜勤の看護師から注意を受ける。


「他にも患者さんいるんですから、お静かに!」


「は、はーい」


 二人の声が控えめに重なる。


「そうだぞ! お前らめっちゃるっせぇーんだよ!」


「お前の寝言が一番うるせぇよ! ていうかなんでハッキリ寝言で会話できてんの……」


「ちょっと、何度注意すればいいんですか!」


「あ、すみま……ってティアか。びっくりさせんなよ!」


 看護師のフリをしたティアがカーテンの中に入ってくる。


「私でした!」


「もう起きたんだな。もっと寝ててもよかったのに」


「あはは、目が覚めちゃってね」


「もーう、帰り遅いから心配したんだよ!」


「本当にごめん!」


 申し訳なさそうに顔の前で手を合わせている。そこに右京も来た。


「やあ皆。お、アル君も顔色良くなったね。安心したよ。ティアちゃんも元気そうでよかった。さっきは声が青ざめてたから。そういえば誰と間違えたの?」


「え?」


「ほら、さっきの間違い電話」


「……ああ、えっと、実は寝ぼけてて。勝手に電話がかかってたところで、右京さんの声で起きたんです。本当にごめんなさい! 起こしちゃって……」


「んーん、気にしないで。俺は元から四時半起きだから大差ないよ」


「は、早いですね」


「修行してた時代の名残が抜けなくてね」


 苦々しく笑う右京の傍、夜斗はこの空間の何かに違和感を覚えた。


 ――なんだ……? なんか変だ。


 その正体を掴めずに曇った顔をすると、ティアが「大丈夫?」と声をかけてくる。彼女の瞳を覗き込んだ時、声にならない悲痛な声が、聞こえたような気がした。


「ん……?」


『――――助けて』


 祈るような叫びが今度ははっきりと聞こえた。それは紛れもなくティアの声だ。しかし、本人は目の前で心配そうに夜斗を覗き込んでいる。あべこべな視覚情報と聴覚情報に気持ち悪さを感じた。


「ティア……」


 目の前にいる彼女を見つめ続けると、彼女はどうしたのかと微笑を浮かべる。


「気のせい……なのか?」


「何がー?」


 アルの問いに「なんでもない」と返すが、違和感を拭いきれずにいた。胸騒ぎの根源はこの場にある気がするのに、その正体はいっこうに尻尾を出さない。


 翳る夜斗の横顔からティアの顔に視線を移すと、アルは意味深に彼女とアイコンタクトをとる。ティアもそれに応え、周りに気づかれないよう頷く代わりにゆっくりと瞬きをした。

 右京が信太の頬を「大福みたいだ」と言いながら突ついている間の一瞬の出来事だったが、右京はそれを見逃すほど生易しくはなかった。夜斗の顔色からは心中を察し、恐らく同じ言葉を脳内に響かせていた。


 ――――違和感の正体は、一体誰だ……。

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