No.62「硝子の影」
霞んだ視界には、天井に取り付けられたレールからカーテンが垂れ下がっているのが映った。横になっている患者に配慮された間接照明の優しい光で、徐々に意識がハッキリしてくる。
「ボク、は……」
どうしてここにいるのか。ここ数日間寝起きに見ていた天井風景とはまるで違う。
――確か第二会議室にいて……。
倒れた事をやっと思い出した時、ほぼ反射的に上半身を起こす。辺りを見回そうとするが、左足側に違和感を感じた。信太と夜斗が椅子に座ったままベッドに顔を乗せて寝ている。右には佐久兎と愛花もいた。
「あはは、顔が大福みたい」
抑え気味の声で、布団に頬を寄せる四人の顔をそう比喩した。そして一人足りない事には気がつく。探そうにも動けば疲れて寝ている四人を起こしかねないため、ベッドから抜け出す事を躊躇っていた。その時、そっとカーテンが開く。誰かとギョッとするが、現れたのは両腕に沢山の飲み物を抱えたティアだった。アルへ塩分入りのスポーツ飲料の入ったペットボトルを渡した。
「おはよ。大丈夫?」
「おかげさまで。……ところで今何時?」
「ちょうど日付変更後くらいかな」
それを聞き、柔らかい笑みがろうそくの火を吹き消したかのように失せた。およそ半日も寝てしまっていた事に絶句する。
「うわぁ、何やってんだろボク……。ティアは寝なくて大丈夫なの?」
「私は一人で皆の寝顔の鑑賞会をしてました! だから充電満タン!」
おどける彼女の目の下にはクマがある。四人やアルは寒さとストレスで体が悲鳴を上げ爆睡をしているというのに、彼女を見るに今まで一睡もしていないようだ。
「ちゃんと休まないと、情けない事にボクみたいにフラっとバターンってなっちゃうよ」
「ちゃんと休まないといけないのはアルだよ。未来視の力を使いすぎたんじゃない? 私も能力を使いすぎたりすると熱が出たり倒れたりするから、きっとそうだろうなって。アルは寒暖差にやられちゃうほどやわじゃないし、ストレスに対してもタフだし……。でも、隊長としての仕事が増えてから少し疲れた様子だったし、通常時のちょっとした無茶は許容されても、こんなボロボロな時に無理をしちゃったら倒れちゃうよ」
「実質的な隊長……か。正直ボクでいいのかな〜とかさ、いつでも正しくいれるかなとか、皆をしっかり見なくちゃとか、何かあってからじゃ遅いんだって事を分かってるつもりだから、未来ばかりを見ようとしてたよ」
「うーん、隊長だけが気負わなくてもいいんじゃないかな。オーバーワークだよ。兄は確かにそんな感じだけど、誰も彼もが同じスタイルを貫く事はないと思う。アルが間違った選択をした時には、ここにいる皆が正してくれると思うよ」
「……あはは、うん、そうだね! 仲間ってそういうものだよね。何かあったら……よろしくね」
「もちろん!」
任せなさいと胸を張るティアは、次にこんな質問をした。
「未来には、何が視えたの?」
「闇か……光、かな」
「んじゃあいつも通りって事か」
突然体を起こした夜斗がそう言った。その言葉は現世においての真だった。光と闇。表と裏。体と魂。どちらかが欠けては不完全なものになるのと、きっとそれは似ていた。
「夜斗もおはよ。はい、夜斗にはコーラ!」
「お、さんきゅ」
隣の信太を起こさないように静かに蓋を開ける。カチッという音の後には気体の漏れる音がし、鼻腔には爽やかな香りが広がる。飲みながら喉を鳴らす夜斗の隣で、信太は大福のような顔でむにゃむにゃと意味不明な寝言を発した。
「取扱説明書……」
アルとティアは首を傾げ、夜斗は訝しむように眉を寄せた。しかし当の本人は起きる様子もなく、気持ち良さそうに眠っている。愛花も佐久兎も右に同じ、いや正面に同じだ。眠りはかなり深いようだった。
「じゃあ、私はちょっと部屋に戻ってくるね。会議室に呼ばれた時、寮にスマホを忘れてきちゃったんだ」
「うん、いってらっしゃい」
二人に見送られ、ティアは医務室から部屋へ戻っていった。医務室から出てすぐの曲がり角で、出会い頭に誰かとぶつかる。尻餅をつきながらも謝ろうと顔を上げると、そこには見慣れた顔があった。
「あ、弘和君」
「ごめん! ……なさい。怪我ないですか?」
「こちらこそごめんなさい。ないよ。弘和君は大丈夫?」
「俺は大丈夫です」
彼は尻餅を着いたままのティアへ手を差し伸べている。厚意を受け取り立ち上がるとお礼を言った。そして正面に立ってみて初めて気づく事があった。
「あれ、身長大きくなった? 弘和君って私よりも全然大きいんだね。身長は何センチなの?」
「一六二センチです」
「六センチも大きいんだ。ああ、ごめん……。失礼だよね」
「いえ、低いって言われるのは嫌ですけど、高いって言われる分には全然」
「良かった。じゃあおやすみなさい!」
「おやすみなさい」
相変わらずぶっきらぼうだが返事はしてくれる。すれ違った後の彼の行き先は分からないが、この時間に基地にいる事には疑問を持った。
――夜勤……じゃないよね?
深く詮索する事はせず、とりあえず隣接された寮へと繋がる連絡廊下を早足で歩く。部屋の前で袖から制御装置を出し、扉の傍にあるセキュリティシステムにかざす。ピピっという機械音は鍵が開いた合図だ。ドアノブに触れると、ほのかに温かさを感じた。
――中に誰かいるの?
だとしたら、中にいるのは友好的な相手だとは限らないだろう。この部屋に入れる人間は、今この棟には誰一人として本来いるはずがないからだ。
音が出ないようにそっとドアノブをひねる。そして細く開けた扉の間から中の様子をうかがった。まっすぐに続く廊下の先に見えるリビングの一部には、見る限り人影はない。しかし人の気配はある気がした。
頭の中に拳銃を思い浮かべると、青白い光の粒子はあっという間にその形を形成する。右手にしっかりと握り、引き金に指をかけたまま部屋へ入った。緊張により鼓動を全身に感じながら、足音を立てないように歩みを進める。
あと一歩踏み出せばリビングに出る。そこで廊下の壁へ背を預けた。殺気で相手に気づかれないよう、呼吸を整え心を落ち着かせた。心の中でカウントダウンをし、「ゼロ」と唱えると同時にリビングの全方向へ銃口を向ける。
「いない……」
リビングがクリアだとしても部屋は他にもある。寝室を一つずつしらみつぶしに見ていくしかない。
そうして緊張感が解けないまま、何事もなく全部屋を回り終わる。
――気のせいか。
拍子抜けしてリビングに戻り、なんとなしに窓際に立つ。肩の力を抜こうと、外の景色を眺めて癒されたかったのかもしれない。窓の外は銀と黒の世界だった。雪は降り止む事を知らず、昨日からずっと吹雪っぱなし。今日も飛行機は欠航だろうなと予想した。
夜の闇が作る自然の鏡となった窓ガラスには、自分の姿が映っている。転んだ時に乱れてしまった服装を直した。早くアル達の元へ戻ろうと思い、そういえば隣の基地はここから見えるのかと左へ視線を移す。
すると、動く影が自分の背後まで迫っている事に気がついた。
思考するよりも早くほぼ反射的に体をひねる。次の瞬間、勝敗は決まっていた。
眉間に銃口を突きつけられた侵入者の顔は、外からの光が届かない位置にいるために認識できない。薄暗い部屋の中で、ティアは侵入者を睨む。
「手を上げてください」
すると抵抗する事無く素直に両手を上げた。厚い雲の切れ間から顔をのぞかせた月明かりが、その人物を照らし出す。ティアには背に受ける月光は酷く冷たいものに思え、冷や汗が頬を伝った。
「なんで、貴方が……」
震える声を向けられたのは、
「――――弘和君」
先程すれ違ったはずの、竹林弘和だった。




