No.61「雪解けの炙り出し」
その日の夜の事だった。
真夜中に突如けたたましいサイレンが鳴り響く。支部基地に隣接された寮では、退魔師達が何事かと寝間着のまま廊下へと顔を出している。彼らは着替える必要がない。戦闘服は制御装置によって保管されているからだ。
「どうしたんですか?」
「針裏所長から預かった人外、雪女が逃げました!」
右京は近くの男性を呼び止める。通りがかった退魔師にはすぐ連絡があったようで、険しい表情のまま答えると、再び走って行ってしまう。
「でも封じ込めた瓶にはしっかりと封印のためのお札が……」
そう言いかけ、一つの仮定に辿り着く。
――まさか、針裏さんが意図的に……!
もしそうならば由々しき事態だと、彼の寝室へと急いだ。扉を開け放った次の瞬間には胸ぐらを掴み問いただす。
「針裏さんあんた、もしかしてあの瓶に変な細工かなんかしませんでした?!」
今までの気持ちの良い睡眠が台無しだ。天国から突如地獄に突き落とされたような気分に、叩き起こされた針裏は不機嫌になる。
「なんスかいきなり。僕ちゃんを叩き起こすくらいなんだから、それくらい面白い事があったんじゃなけりゃ許さないっスよ?」
「雪子ちゃんの入っていた瓶です!」
「瓶がなんだって?」
「雪子ちゃんが瓶の中から逃げたそうです!」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔でしばらくの間フリーズする。驚きよりも低血圧によるリアクションの遅れに要因があるのだが、それをまどろっこしく思った右京はわざとらしく舌打ちを残して部屋を出て行った。
「……脱走? 随分とエネルギー消費の激しい事をするもんねぇ……」
右京の背を目で追いながらも、眠気のあまりに再び目を閉じる。しかし一呼吸置いてまた飛び起きた。
「サイレンうるっさ!」
今まで気づかなかった事の方がおかしいのだが、何せ針裏は研究者だ。退魔師としての能力はそこそこだが、訓練生を終えてからのブランクがある自分よりも、専門職である彼らに任せた方が得策なのは明白だった。彼はそれを頭の中で思考しつつも、耳栓をしてまた眠りについた。
「よくもまあ悠々と寝ていられましたね」
「嫌だなぁ、僕は僕なりの考えがあって寝たんスよ。それに、雪女は北海道支部の保管庫番が見張ってたんじゃ? 仕事サボってるのは夜勤だった保管庫番の人達っしょ。勤務時間外の無意味な労働は慎む主義なんスよ」
「慎むべきはその減らず口です」
正午を回った頃、やっと二人の部屋のリビングに姿を見せた針裏の髪は、いつも以上に寝癖が酷かった。
「だいぶ弱っていたようで、もう捕まえましたよ」
「さっすが現役の退魔師は仕事が早いっスね」
「そんな悠長な事を言っている場合じゃありません。今日名無隊と東京に帰る予定だったのに、飛行機はどの便も欠航だそうです」
「なんでまた」
「起きてから一度も外を見ていないんですか?」
効率よく部屋を温めるために閉めていたカーテンを、右京は大袈裟に開けっぴろげる。窓の外には銀世界が広がっていた。ビュービュー、ゴウゴウと唸る風雪は、外に出る者を拒んでいるかのようだ。
「うっそ……」
あからさまに嫌悪感を顔に滲ませた針裏は、もううんざりだとソファに腰を落とした。
「なんなんスかねぇ。この北海道に閉じ込められてる感じ」
ボソリと呟いた言葉だったが、右京は言葉には出さずに同意した。
「もし僕ちゃん以外にあの瓶に触れられる人がいたとするなら、名無隊の六人と弘和君くらいじゃないかな。……あ、ちなみに君もか」
嫌味ったらしい笑顔で目の前にいる右京も容疑者にあげるが、彼は笑い飛ばした。
「なんで退魔師が自分の仕事増やすんですか。誰だって寒いし眠いし寝てたいですよ。第三者の可能性が無きにしも非ずだとは思いませんか?」
「じゃあ誰だと思うんスか。厳重に結界を張られ、物理的セキュリティも万全の局員ですら入る事が難しい保管庫。物理的にも術的にもセキュリティを掻い潜って誰かが入ったって言うつもり? その考えはアホらしいと思わない? 監視カメラも赤外線センサーもあるあの中にわざわざ入るなんて、飛んで火に入る夏の虫だよ。保管庫に入れる前になんらかの細工を行ったと考えるのが妥当じゃない?」
「すぐ人為的だと考えるのは性格がひん曲がってるからですかね。雪子ちゃん自らがどうにかして逃げ出したという事だって、十二分にありえるはずです」
「可能性の問題だよ。冷静に考えてあの中から逃げ出せるなんて思えない。瓶を更に木箱の中に入れて二重に封印の札を貼った。しかも保管庫自体に強力な封の力がある。当時の人外の余力を考慮すれば、直接閉じ込めていた瓶や箱、もしくは保管庫のどちらかに綻びかなんかがなければ絶対に抜け出せない。現実的に考えれば、点検を毎日している保管庫兼封印庫である部屋に自然と綻びが生じるとは思えない。すると自ずと答えは決まってくるんスよ。納得していただけました? どうして人為的だと言い張るのか、その理由を。性格がひん曲がっているんじゃなくて、僕ちゃんってば聡明なんスよ」
ふざけた口調でそう主張する針裏。理論的な思考の前に、あまりにも主観的な意見をしてしまった右京自身、自分の言葉が酷く幼稚に感じられた。頭ごなしに否定をしているわけではない彼は、反省の意味も込めて針裏へ助言を求める。
「じゃあ誰が……」
「さあねぇ? それは興味ないや」
反省したあの一瞬の時を、すぐさま取り戻したい衝動にかられる。訊けば答えがぽんと返ってきそうだったのだが、彼にとって犯人の正体は興味の対象外だったようだ。ガクリと肩を落とす右京だが、やはり情が先立ってしまいがちな彼の言動は針裏にとっては理解し難いものだった。
「名無隊の誰か、もしくは弘和君がやったなんて思えませんけどね」
「じゃあ君がやったとでも自白が始まるの? 願望を口にされてもどうしようもできないっスよ」
何かを言い返そうとした時に二人の制御装置が鳴った。稲嶺からの着信だ。
『お疲れのところ申し訳ありません。至急、第二会議室へお集りください』
「今夜のお酒は稲嶺ちゃんがついでくれるって話なら、喜んで飛んで行くっスよ〜!」
――副支部長に何言ってんだこの人は……。
『うふふ、いつかさせていただきます』
「流石にいつも手酌じゃ寂しいっスからね!」
『では、第二会議室で待っておりますね』
軽くあしらう彼女の対応に、かなりモテるのだろうなと右京は客観的に分析し始める。しかしいつもより足取り軽やかに部屋を出て行く針裏には、侮蔑を込めた目を向けた。
「仕事中なのに何口説いてんだよ、あのエロ所長」
「ん〜? なんか言ったっスか」
「いいえ、何も」
完全に聞こえないと高を括っていたが、思いの外地獄耳だった彼の耳にはしっかりと声が届いていたようだ。顔ごと目を逸らし、何もなかったかのように白を切る。
「え〜なになになに、妬み嫉みの男の怨念文句が聞こえてきた気がしたんスけどねぇ?」
「自意識過剰すぎて幻聴でも聞こえたんじゃないですか?」
「そうかも!」と声を漏らしながら、彼は再び廊下へ出て行った。その背中を追い第二会議室に着くと、針裏や稲嶺の他にも先客がいた。名無隊と弘和、そして、驚くべき事に雪子だ。
「揃いましたね。では始めましょう。まず雪女である雪子さんの脱走事件の事です。それはここ、北海道支部の自作自演だったんです。これを知っていたのは私と局長だけですが、夜、雪子さんが局長室に来たんです」
「えっと……なんか封印に綻びが生じていたので、出れちゃって……。どうしようと思って尋ねに行きました」
なんて律儀な逃亡犯なのか。ここにいる誰もが絶句する。意図は何かと針裏が問うが、返ってきた答えは信じ難いものだった。
「市内の学校で事件が多発する前……匿名でタレコミがあったんです。一週間以内に、人外事件の多発が起こる事を示唆する内容のものでした」
「それでどうして自作自演を行う事になったんですか?」
弘和の疑問に苦い顔をする稲嶺。
「タレコミといっても、もはや子供が書いた挑戦状のようなものでした。幹部達が使用する第一会議室の窓に、黒い油性ペンで書いてあったんです。しかも、見つかったのは週二回ある幹部会議の日である月曜日。全部の部屋を毎日警備が見回るので、書かれたのは午後六時以降、朝の六時までの間です。内部の人間がその日をわざわざ狙ったとしか思えないわ。この件にについての詳しい事は、彼から説明してもらうわね」
その言葉を合図に扉が開く。入ってきたのは、肩につかない程度の長さの髪の男性だった。温和そうで中性的な美形の顔ながらに、眉毛はまあまあ太くたれ目がちで特徴がありすぎてとっちらかった印象だ。
「初めまして。日本本部刑事課のプロファイラー、二十三歳です」
名無隊や右京、針裏と同じ本部所属なのだが、刑事部の人間とは初めて会う。そして名前を名乗らないという斬新な自己紹介をしてみせた彼は、重度の天然なのだろうか。疑問符を浮かべている様子を見て、やっと彼はそれに気がついたようだ。
「僕ってば名乗らずにすみません。これじゃあプロファイラーって名前みたいですね。名前は寺田蒼占です。刑事課の……ってさっき言ったっけ。プロファイラーです!」
ミステリアスな雰囲気は、不思議ちゃん的要素からくるもののようだ。
「挑戦状というかラクガキみたいなあの文字の高さは、床から約一五〇センチに書かれてます。理由は簡単に説明しますが、平行に並んだ物に対して何かを書く場合、人は目線の高さや少し上に書く事が多いです。よって、身長は一六〇センチ前後。ここで男女どちらかは判別できません。そしてこの部屋にはマジックペンが無い事から、犯人はマジックペンを持参してきたという事になるので計画的な犯行だと思われます」
先程とは一変、テキパキと説明する姿は板についている。
「あと、皆さん分かっていらっしゃるとは思いますが、人外対策局には関係者以外の一切の立ち入りはできません。特別許可証の発行履歴も洗い出しましたが、不審な人物はいませんでしたし、制御装置で通った人の履歴も北海道支部の局員と、本部から出張中の彼ら以外載っていません。局員にとっては制御装置がパスポート代わりになりますので、偽造も大変困難なはずです。制御装置の開発に携わる者でもなければ……ですが」
蒼占の笑顔が針裏に向けられる。針裏は「心外だなぁ」と大きな動作で肩を落とすが、この中で一番怪しいのは紛れもなく彼だ。瓶に常に触れており、封印の時もその場にいた。そして制御装置の偽造や他者のデータでの基地侵入も容易にできるはずだった。
「あれれ、なんか一番疑わしいの僕ちゃんっぽくないっスか?」
同情の眼差しのいくつかには、ざまあみろというような思いが乗せられている気がする。右京に言われた通りに自意識過剰なのかもしれないと自分で自分の心を庇うが、紛れもなく涙袋がいつもよりも大きい人がいる。笑いを堪えているのが丸わかりだ。
「いくら口元の緩みを抑えて口角を下げても、目元が笑ってるっスよ」
「まああれじゃないですか? 日頃の行いが悪いから疑われるんですよ」
同情らしい言葉をかけてきた右京の顔を見るに、針裏を犯人だと信じて疑ってはいないようだった。助けを求めティアに視線を移す。しかし彼女は何かを思考しているようで、伏し目がちな視線の先には床しかない。
「まあ一番は北海道支部の人間がやったと考えるのが妥当ですけどね。基地を出入りしていても下手に怪しまれる事もないし、リスクは一番低いです。しかしそう考えた場合、いよいよ本当に由々しき事態ですね。内部に裏切り者がいるって事は、こちらの情報も筒抜けだし、組織としては実に大問題。愉快犯ならまだしも、文面上的には何か強いメッセージ性を感じるしどうも単独犯には思えなくてですね……。騒ぎに乗じて怪しい動きをする人が犯人だろうと思い、あえて雪女を泳がせたのですが炙り出しにも失敗しました。あ、ちなみに逃がしたのはおそらくその犯人です」
「どういう事かオレさっぱり分んねぇ!」
長く難しい話には耐性のない信太が音を上げる。ここまで黙って聞いていた事を褒めるべきほどに、いつもよりも分からないという言葉を我慢していた。しかし、弘和が馬鹿にしたような顔で完結にまとめてくれた。
「スパイが組織に潜り込んでるかもしれないんだよ。そんで雪子ちゃん使って炙り出そうとしたんだけど、失敗に終わったらしい」
「おおスパイか! かっけぇな!」
「こっちが攻め込まれてんだぞ。そんな事言ってる場合じゃねえだろうが」
「わ、分かってんよ!」
浮ついた言動を正す夜斗の言葉に、自らをクールダウンさせようと信太は深呼吸をする。その間に何かを思い出したようだ。
「あ、諜報部だっけ。あれはこっちのスパイみたいな人達ですよね? ここにはその部署はないんですか?」
その言葉に横に首を振る稲嶺。本来は否定を表す動作だが、その行動は否定ではなかった。
「……その挑戦状があってからすぐに、対人外対策局組織の存在を探るために諜報部の人間が動き始めました。しかし戻ってきたのは意識不明の重体で病院に運ばれた部長一人。共に行動をしていたはずの班員五名は消息を絶ったんです。部長はあれから一度も意識が回復しません。記憶にもなんらかの術がかけられてあるようで、外部からは能力者でも何も読み取れませんでした。真実は……闇の中です」
「他に諜報部の人間はいないんですか?」
右京が気遣いながらも話を進める。
「残念ながら。そして本部とも通信会議で話し合った結果、一時的に受け身体制を取る事にしたんです。ある程度泳がせ、そして尻尾を掴もうと。雪女の件は全く予想はしていませんでしたが、注目を浴びている名無隊を密かに利用させてもらいました。自己顕示欲が強いという犯人像から、きっと名無隊に関する事で何かしらしかけてくる可能性を信じて。そして名無隊に罪をなすりつけられる形で、なんらかのアクションを起こすと予想していました」
「その結果、犯人はまんまと罠に引っかかった。もしくは罠だと分かっていても保管庫から人外を逃がした。でも尻尾は掴めなかったと! うーん、安い挑発に安い挑発返しって感じっスかね? んで、雪女はたまたま組織間のゴタゴタに巻き込まれてしまったと。わあ不運」
今まで空気と化していた雪女の雪子に視線が集まる。モジモジと恥ずかしそうに白装束の袖で顔を隠し、小さく「ごめんなさい」と声を絞り出す。気が小さいのか小刻みに震えているが、その視線の先には右京がいる。それに気づいた彼が柔らかく微笑むと、雪子の髪や服からは水滴が滴った。
「わ、わあ、床を水浸しにしてしまってすみませ、ごめ、ごめんなさいっ! 雪女のくせに惚れっぽくて、すぐに溶けちゃうんですっ……!」
「それはかなり致命的ね」
愛花が苦笑している横で、ティアがやっと思考に結論が出たのか顔を上げた。何かを言いかけたのだが、アルが突然バランスを崩して倒れた。しかしなんのリアクションもない。痛がりも起き上がりもしない人形のような彼に、その場にいた全員が駆け寄った。
「……お、おいどうしたんだよ。アル、しっかりしろ!」
体を揺らす夜斗を押し退いたのは、意外にも針裏だった。
「あちゃあ高熱だ。東京と北海道の寒暖差っていうか、まあそんなのにやられちゃったんスかね? 部屋で寝かせるより、医務室連れてった方がいいかも」
医療の心得がある彼の言葉を聞き、稲嶺はすぐにストレッチャーを手配する。三分とかからずに到着しアルを運んで行くが、それを見送る名無隊と弘和は心配そうにしていた。
「アル、名無隊になってから僕達よりも仕事多かったし、疲れも溜まってたんだろうなぁ……」
佐久兎の言葉に同意しつつも、夜斗は共に過ごしてきた過去の経験から、ティアは自分の過去の経験から、それだけではない事を悟っていた。




