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No.58「女子のいない名無隊」

「よし、一時間目終わった! じゃあ雪子ちゃんに……」


 ティアが立ち上がった時の事だった。教室を出ようとしていた雪子が盛大に転んだのだ。恐らくトイレに向かおうとしていたのだろうが、顔面を床に打ち付け鼻を手でおさえている。


「だ、大丈夫……?」


 予期せぬ展開だが、ティアが任務と関係なく駆け寄る。自然な流れに便乗をしない手はないと、ここぞとばかりに愛花も手を差し伸べた。


「……ほら、捕まりなさいよ」


「あ、ありがとう……です」


 羞恥心で顔を赤らめる彼女に対し、人見知りな愛花は終始不機嫌な調子だった。他のクラスメイト達はただただ見守っている。


「早く立ち上がってくれる? あんたの手、すっごく冷たいんだけど」


「あっ、ご、ごめんなさい!」


「愛ちゃん……」


 ティアが愛花の歯に衣着せぬ言動にフォローを入れようとするが、ふと引っかかる言葉があった。


 ――すごく冷たい……?


 立ち上がった雪子の目をじっと見る。何事かと雪子がおどおどし始めた時、やっと口を開いた。


「目にまつげ入りそうだよ。ちょっとそのままでいてね!」


「う、うん!」


 本当はついてはいないのだが、自然に雪子に触れた。すると、ひんやりとした冷たさが彼女の青白い肌から伝わるってくる。表面が暑さ数ミリ程度の冷気で覆われているようだった。


「はい、取れた」


「ありがとう」


 雪子が突如ティアに抱きつく。意外な行動だったが、動揺する事なくそれを受け入れた。女子中高生の間ではよく見かける光景であり、特別珍しい事ではないからだ。


「じゃあボクも。夜斗、いつもありがとう!」


「何がだよ。離れろ気色悪りぃ」


「気持ち悪いから離れなよ」


 ちなみに男子がこれをやると気持ち悪いと言われがちである。アルは一般的な反応を示した弘和をターゲットに変更し、いたずら心の延長線で親しくない彼へもハグしてみる。


「は、は、は、離れてよ……! そっち系の人だって思われたらどうしてくれるんだ!」


「えー、だってこれ嫌がらせだもん」


 悪ふざけも程々に離れると、ティア達女子はいつの間にか教室からいなくなっていた。


「……あれ?」


 男子五人の間抜けな声が、教室の端で静かに重なった。教室中の注目は雪子達から彼らに移り、遠くからヒソヒソと噂をする声が聞こえてくる。


「なんか一気に転校生来たけど、美男美女だよね」


「弘和君、仲良いのかな?」


「知り合いとか?」


「でもあの六人どっかで見た事がある気がしないでもないんだよなぁ。誰だっけ……」


「勘違いじゃ?」


「雪子ちゃんも仲良さげだよね。転校生同士仲良くなるパターンあるよね。いいなぁ、ちょっと話しかけてみない? 顔面偏差値高すぎ!」


「えぇー、恥ずかしいよ」


 バレるのではないかとヒヤヒヤしながらクラスメイトの動向を窺う。話しかけられないようにとあえて弘和を巻き込み、男五人で円陣を組む。


「おい、これどうするんだ。アルが俺に抱きついてきたせいで見失ったじゃねぇか」


「えー、ボクのせい? それよりティア達どこ行ったんだろうね〜」


「ゆ、雪子ちゃんって人外なんでしょ……? 二人共大丈夫かな」


「うーん、ティアいるし大丈夫じゃね!」


「なんで俺も巻き込まれてるの」


 弘和の言葉への返答は、数秒間の沈黙だけで後はノーリアクションだった。そして何事もなく女子不在の名無隊の会議は続く。


「よし、探しに行くか」


 夜斗の言葉に各々頷き、もうすぐ授業が始まるというのに教室を後にした。廊下に出るが、外気とほぼ変わらない空気の温度に爪先から震え上がる。


「さ、さ、さ、さむ、寒い……!」


 特に佐久兎は体を激しく震わせている。みるみるうちに唇は紫になり、鼻が赤くなっていく。見るからに貧弱そうな少年を完成させた北海道の底冷えするような気温。寒さという自然の攻撃は、防御しきれずに確実に体力を奪っていった。


「あれ? 屋内なのに雪が降ってる」


 弘和がその場へと駆けいく。名無隊の四人も追いかけると、そこには凍ったティアと愛花がいた。厚い氷に覆われており、中の彼女らは瞬きすらしていない。あまりの衝撃的な光景に遭遇し、唖然と二人の間に視線を往復させる。辺りを見回しても犯人らしい人物の姿はない。

 しかし、心当たりはある。


「……雪子ちゃんか」


 アルのいつもよりも低い声が、切迫感を表していた。しかしそこで休み時間終了のチャイムが鳴る。


「授業に出てる場合じゃねぇぞ」


 夜斗の言葉通りそれは仕方が無いにしろ、大きな問題ができてしまった。


「ティアと愛花はどうするの?」


「溶かすとか?」


「どうやって?」


「うーん、火で炙るとか」


「危ないよ」


「氷を割る?」


「それも危ない気がするよ……」


 佐久兎と信太の問答が続き、夜斗が見兼ねて制御装置(リミッター)をいじり出す。


「とりあえず応援呼ぶしかないだろ」


『……はい、副支部長の稲嶺です。何か問題が発生したのかしら?』


「それが……」






 *






「運び出したのはいいものの、さてどうしましょう。研究所はうちにはないし、下手に手を施すのも危険よね……」


「研究所がないんですか?」


「ええ、そうなのよ。研究所が置けるのは一つの国に一つまでなんです。本部から呼ぶしかないわね……。私から連絡を取ります。とりあえず弘和君、皆さんをよろしくお願いね」


 それきり、稲嶺は名無隊の部屋から慌ただしく出て行ってしまった。残された五人の視線は自然と彼女達に集まる。

 何かしらのヒントが得られないかと観察するが、二人共表情は通常時のものだ。敵意など微塵も感じさせない顔を見ると、不意打ちだったのではないかと考察できる。


 しかし、人外だと分かっていたのにもかかわらず警戒心を解くという行為は、いささか理解し難いものだった。特に、野良猫ほどに勘の良いティアが隙を与えるなど、何か特別な理由があったに違いない。

 部屋中に張り詰めた空気が充満する中、信太が何かに気づく。そしてひとしきり慌てふためいた後、鼻血で見事な放物線を描きながら倒れた。


「どうしたの?」


 信太の立ち位置に立ってみるが、アルからは何も見えない。しかし弘和がその場に立つと、顔をほのかに紅潮させ目を逸らした。更に疑問符を浮かべるアルは、二人の共通点が低身長だという事に気がつく。腰を曲げて覗き込むと、その答えは目の前にあった。


「わあ、絶景〜!」


 夜斗と佐久兎はそれを察し、軽蔑の眼差しを三人に向けた。しかし弘和から全力の反論を受ける。


「不可抗力だよっ!」


「あっそ」


 それを夜斗が軽くあしらい話がひと段落ついた時、ノックもなしに突如として扉が開く。勢い任せに開け放たれた扉から入ってきたのは、


「やあ、名無隊の皆!」


「随分と寒いもんスねぇ」


 右京と針裏だった。


「え、な、なんで……早っ?!」


「なんでって、さっき呼ばれたからね」


「でも右京さん、ほんの数分前に稲嶺さんが出てったばっかで……その、東京から北海道まで……え? は……?」


 わかりやすく混乱する佐久兎。しかし他の四人も全く同じ疑問を持っていた。例えばワープできる能力を持っているのであれば納得できるのだが、そんな話は今まで聞いた事がない。


「ああ、俺は非番だからノリで観光しに来たんだよ。そしたらいきなり連絡が入ってね」


「えぇ、理解できなーい。なんでわざわざ寒い所に観光に来るんスかねぇ。むしろ観光とかなんのために行くんだか分からないっスわ」


「まあ、引きこもりの針裏さんには分からないでしょうね」


「僕ちゃんの引きこもりはイコール仕事中って事だからいーの。そろそろ引きこもりすぎて過労死で死にそうっスよ?」


「ははは、いっその事…………なんでもありません」


「いやん水臭いわぁ。言ってくれていいんスよぉ」


「ええ、ではまたの機会に」


「いけずーぅ。焦らさないでよぉ」


「気持ち悪い声出さないでください」


「いや〜ん、針ちゃん泣いちゃう」


「勝手にしろ……ください!」


 二人が火花を散らしている。右京と針裏が不仲な事を知っている元仮編成右京隊の四人はまだしも、本部のギスギスしている人間関係を初めて目の当たりにした弘和の表情は引きつっている。


「あのー、二人が氷漬けにされちゃったんですけど……」


「ああ、そうだったね」


 アルの声に火花を収める二人。針裏はティアを包む氷に触れた。そしてその数秒後、何か核心に迫るものを見つけたようなリアクションをした。電撃が走ったように手を引っ込め、目を見開いた。


「つ……」


「つ?」


「――――冷たい!」


 聞き返した信太を筆頭に派手にずっこける。そして右京が呆れてため息を漏らした。口や素行は悪いが、彼はかなりの実力者であり、日本の人外対策局に唯一ある研究所の所長である。その腕は局長のお墨付きで、他国でもその名は知れているほどだ。そんな彼から飛び出してきた答えは酷いものだった。


「当たり前じゃないですか」


「いやあ〜浅はかだね。まず、これは本当に氷なのかを知る事が重要なんスよ。人外相手にしてるんだ。疑ってかかんなくちゃ。固定観念は僕達にとって敵っスよ?」


 珍しく真剣にそう言い放つが、直後にいつもの調子に戻る。


「ティアちゃん、今日はパステルパープルじゃないんスね。あの下着何気好きなんだけどなぁ! いやあ白かあ。まあ確かに白似合うんスけど!」


 しかしその発言に彼以外の六人が硬直する。目を高速で瞬かせ、言葉を発せられないまま疑問符が頭の中に溢れかえった。なんとか声を絞り出せたのは夜斗だった。


「あ……あの、それってどういう……?」


「知らなかった? 僕、ティアちゃんとはそういう関係なの」


 皆の視線がティアと針裏の間を何度も何度も往復する。他人の人間関係にあまり口出しをしない右京も、流石にこればかりは追求してくる。


「冗談はほどほどにしてください。治療者だっただけですよね?」


「さあ……それはどうかな? 可愛かったなぁ、あの時の顔」


 意味深な笑みを浮かべる彼のせいで、濁した言葉から推測される出来事に夜斗は頭を抱えた。


「嘘……だろ?」


「うん、嘘」


「え?」


「嘘っスよ?」


 夜斗は安堵したような、怒気を孕んだような複雑な顔をした。何か言いたげだが、あえてそれは喉に下した。


「……それで、ティアと愛花はどうやったら助けられるんですか? このままだと危ないんじゃないですか?!」


「まあまあ信太君落ち着いて。皆はこれからも普通に任務として学校に通った方がいいんじゃないかな。今ある手がかりは事件現場である学校だけだからね。俺と針裏さんで二人をどうにかするよ」


 その日出された結論に頷き、名無隊の部屋は彼ら二人の部屋となった。当の四人は隣の部屋へ移り、弘和は自分の隊の部屋へ戻る。残された不仲な二人は、口数も少なくただティアと愛花を救う方法だけを思案した。


「よし、ドライヤーで溶かすしかないっスね!」


「時間かかりそうですね」


「暖房の設定温度も上げまくって、ヒーターも借りてこよっか」


「わあ、北の地で南国気分味わえそうです」


「悪くないと思うっスよ?」


「……ご冗談を」


 嫌味な笑顔に悪寒が走り、首あたりに痒みを覚えた。ボリボリ掻きむしっていると、針裏がずいと寄ってきた。


「あーあ、蕁麻疹っスね、それ。塗り薬あるけど使う?」


「いえ、結構です」


 彼に頼るのは癪だという意地で厚意を跳ね除ける。しかし無下にするのは良くないなと少し反省しかけていた時、不意に漏らされた暴露(ことば)で良心を踏みにじられた。


「残念。ハバネロ入りだったのに」


「何してくれようとしてんだあんた……」


 右京の怒りを買った針裏はヘラヘラと笑って部屋を後にした。扉を閉めてから、名無隊のいる部屋の扉を横目でチラリと見た。


「……なーんて、僕も用事(・・)があって来たんスけどね」

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