No.53「新結成、名無隊」
人外対策局のエンブレムが金で彫られた革製の黒い手帳を開くと、人外対策局所属証明証と退魔師免許証が入っていた。感動に包まれる中、佐久兎だけが微妙な顔をした。
「僕、小さい頃から写真写りがすごく悪いんだよね……」
持つ手がプルプルと震えている。そんなにかと五人が覗き込むと、確かに震えるくらいには酷かった。フォローしきれずにいると、信太がそれをスマホで撮影しSNSにアップしようとする。
「あっ、ちょ、やめてよ信太……!」
「いいじゃんいいじゃん!」
「おい信太、浮かれてないで少し落ち着け」
夜斗の制止も聞かずに信太は走り回る。しかし体力の有り余っている信太には、言葉なんてなんの抑止力もない事を知っていた。前を通った時に足掛けをしてやろうと絶妙なタイミングで片足を上げるが、それを彼は軽々と飛び越えた。
「へっへーん、そうくると思ったもんね!」
回避できた事に満足し、夜斗へドヤ顔をかましていると前方に注意する事を怠った。その結果信太を追いかけていた佐久兎と正面衝突する。激突してしまった頭を押さえ、二人は痛さに身悶えている。
「何やってんのよ……」
愛花に呆れた顔をされ、突然小っ恥ずかしくなる。ティアやアルも元気だねと言いながら笑い、夜斗に限っては心底馬鹿にしたような顔をしていた。まるで「本命はそっちだ」とでも言いた気だった。
そんな午前十一時。元右京隊は次期隊の隊長が誰になるのかを気にしていた。そろそろ通達されても良い頃合いだったからだ。
「どうしてあたし達はこのまま一緒だったのかしらね。そりゃ嬉しいんだけど、バラけるだろうなって皆思ってたでしょ?」
「それはあれじゃない? 客寄せパンダが散り散りになっちゃいちいち招集かけたりするのが面倒だし、退魔師として退魔してなかったら宣伝材料にもならないし。同じ隊にしておく方が何かと都合がいいんじゃないかな」
アルの言葉に愛花が納得する。しかし佐久兎から新たな疑問が浮上した。
「で、でも、僕達の他に素人だけの隊はないんじゃないかな。大丈夫……かな?」
「オレは八雲隊の人しか知らないけど、八雲さんも神無さんも零さんも何となく怖いイメージしかないや。でもめっちゃ強そう!」
信太が答えにならない答えを口走りつつ、興奮しながら彼らの戦闘シーンを想像した。表情はどんどん緩み、目を開けた時には眩いほどに輝かせ、
「剣術の稽古つけてもらいてぇ!」
と言いながら木刀を振り回した。しかし夜斗はその木刀を取り上げる。
「室内で振り回すな。危ないだろうが」
「あ、悪りぃ」
「そんなに体力有り余ってんなら俺と勝負するか?」
「おっ、それいいかも! 夜斗が右京さんにこっそり稽古つけてもらってんの、アルから聞いたぞ!」
「別にこっそりじゃねぇよ」
「まあとにかく、今から基地の仮想戦闘場で……」
盛り上がっていたというのに、空気を読まないインターホンによってその熱は冷めていく。アルが扉を開けると、そこには通信情報専門部部長の織原がいた。
「こんにちは。ちょうど昼休みだったから直接書類届けに来たの。皆宛よ」
「ありがとうございます!」
受け取ると、すぐに織原は笑顔で去って行った。大人の女性の落ち着いた雰囲気に、信太とは真逆な人だなと思いながらリビングに戻る。封筒を開け、中の書類を取り出しながらソファに座る。
「皆宛だって。えぇと、なになに? ……元右京隊の以下六名を、名無隊の隊員に任命……する?」
「名無隊って?」
ティアが難しい顔をする。名無という人が隊長なのかとも考えた。しかし、どうやら名無隊というのは今までの隊とは全く違うようだった。
「隊長不在のソロ集団って書いてある」
「ソロなのに集団なのか。ややこしいな」
夜斗の言葉は最もで、ティアも首を傾げるばかりだった。
「まあでも、読む限りじゃソロ集団って名目の隊なんじゃねぇか? 部屋は?」
「部屋はもう一つの寮に移るみたいだけど、また六人一緒だって! でも……この番号の一つ前は確か八雲隊じゃなかったっけ?」
アルの言葉にティアが固まる。
「え? 部屋の番号見せて。…………あかん、ほんまや」
「なんで方言?!」
およそ見様見真似の方言はとてもぎこちなかった。八雲隊が隣の部屋だという事に不都合があるのかと聞かれれば特に無いが、何故か抵抗感があるのだ。その不安の正体は掴めないが、何か嫌な予感を感じたのだった。
*
「ん……? やあ、隣の部屋なんだね!」
そう言って声をかけてきたのは、隣人になる八雲隊の隊員ではなく右京だった。右京隊と八雲隊に部屋を挟まれた名無隊の六人は、嫌な予感の正体を知る。この流れでは、きっと近くに彼女の部屋があるはずだ。そう直感した。
その憶測が頭に思い浮かぶや否や、これ見よがしに遠くから大きくヒールの音を響かせて近づいてくる。その人物は右京の姿を捉えた途端に、持っていたダンボールを手から滑り落としてしまう。
「う、右京貴様……! ま、まさか今前に立っているその扉の部屋が貴様の……いやいや、そんな訳ないだろうな? まさか貴様が隣人だなんてそんな、そんなわけはないだろうな?! もしそうならば、今すぐにでもここから身を投げてやる……!」
「ちょっと〜、飛び降りとかやめてよ。やあ、仲良く元零崎隊が同じ階だね。それに名無隊も! よろしくね!」
悲鳴に似た実子の声、そして陽気な右京の笑声が響く廊下。
「何の騒……ぎ…………」
そんな中、八雲隊の部屋の扉を開けて出てきたのは八雲だった。
「あ、あはは、僕の隊は角部屋で良かった。隣が名無隊、その隣が右京隊で続いて実子隊かぁ。こっちの寮は正退魔師限定で、しかも隊のできた順だから……どうしてもこうなっちゃうよね」
予想はしていたよ、と八雲が乾いた笑い声を漏らす。しかし右京の後ろで、小さい何かが羽織をぎゅっと握っているのが見えた。ティアがそれを覗き込むと、おずおずと見上げる天がいた。
「っ天ぁあああーっ!」
ぱあっと表情が明るくなり、天に頬をすり寄せた。
「えへへ、お部屋隣だね!」
「久しぶり! たまには……たまにはこっちにも来てね! これからは個人で部屋が持てるから、いつでも私の部屋においで!!」
「うん、行くね!」
「待ってる!」
――実の兄は招待してくれないのかなぁ……。
寂しそうな目をする八雲をよそに、廊下からそれぞれの部屋へ入っていく。旧右京隊、現名無隊の六人は玄関で靴を脱ぐとまっすぐに廊下を歩く。途中には枝分かれした廊下や洗面所やトイレ、お風呂場やキッチンもあった。そして突き当たりの扉を開けると、大きく開けた空間にはリビングがある。
運んで来た衣服や教科書などが入ったダンボールやバッグを、ドサリと床に置いた。やっと重さから解放され短く息を吐く。
「ボク達これしか荷物なかったんだね。ダンボール一つとバッグいくつかで済んじゃうんだもん。びっくり」
リビングにはテレビやテーブル、ソファがあるがそれ以外に家具はない。白い壁に囲まれ、カーテンは癒しを与える緑色だった。十四畳のリビングにある大きな窓を開けるとそこはベランダへと続き、見える景観がとても綺麗だった。
「リビングの他にちょうど部屋が六つあるんだな。どこの部屋にするか順番に見てくか?」
「そうだね。じゃあ玄関側から順に回ろう〜!」
夜斗の提案に乗り、早速アルが廊下に出ていった。枝分かれした廊下の玄関に一番近い扉を開ける。何故か出入り口は障子で、もちろん横開きのスライド式だった。その後ろから五人も覗き込む。どうやら和室のようで、床には畳が敷き詰められており全体的に和テイストだ。想像していたのは何の変哲もないただの洋室だったのに、本格的な和風造りに度肝を抜かれる。
「……ワオ」
アルのコメントはそれだけだった。右京隊の部屋も同じ造りならば、きっと同じくこの部屋があるはずだ。
――右京さん喜ぶだろうなぁ。
着物を着ている彼によく似合うなと、アルは想像しながら頷いた。しかしこの中にこの部屋を好む者はいるだろうか。現代っ子達は洋風を好む傾向があるからだ。しかしそんな心配は杞憂に終わり、突然信太が声を上げた。
「俺ここ! なんか実家思い出して落ち着く」
我が物顔の彼が畳に寝転がる。埼玉の祖父母を思い浮かべているのだろう。彼の育った家が和風造りなのをここで初めて知る。
「……ん? 紙がある。押し入れに布団が入っていますだって。布団かぁ! 久しぶりだなぁ」
引っ越してきたばかりの家にテンションの上がっている信太は、なんとも少年らしかった。特に待ったもなく、ここは信太の部屋に決まる。
次の扉は木目のある普通のドアだった。アルがその扉を開けると、今度こそ何の変哲もない部屋が現れる。しかし壁は一面大きな本棚になっており、落ち着いた雰囲気を醸し出している部屋だった。それには佐久兎が手を上げる。
「本棚……! 本はトモダチ!」
ふいにそう呟きながら目を輝かせている。何故だか寂しい気持ちを感じたような気がした他の五人だったが、あえて触れる事はなかった。
「じゃあここは佐久兎のね! はい次〜」
隣の部屋の扉も洋風なドアだった。開くと、部屋の奥には硝子のデスクがあった。今まで各部屋に机が見受けられたが、できる大人のビジネスマンの部屋のようだった。
「俺、ここでいいや」
勤勉家な夜斗にはピッタリと言えるかもしれない。次の部屋も扉は他の二つと大差ない。開けてみるがとてもシンプルな部屋だった。しかし他と違うのは、ベッドが二段ベッドになっているところだ。その下は収納スペースになっていて、カーテンも寒色系を基調とした物である。これにはアルが手を上げる。
残り二つ。選んでいないのは女子二人だ。次の部屋も、その次の部屋も扉は白い。北欧系家具を置いていそうなイメージだった。
白い扉を開くと、想像に反して可愛い部屋だった。壁紙は花柄で、カーテンやベッドもレースがふんだんにあしらわれている。どうしようかと問おうとし愛花を見ると、頬を膨らませている。そしてプルプルと小刻みに震えて室内を見回していた。口内に空気を溜め込んでいるのは、緩む顔を必死に抑えているからだろう。様子から察しティアは愛花へ譲る。
「あはは、じゃあ最後は私の部屋だね!」
そっと扉を開けて覗くと、やはり八雲隊の部屋と同じくコンクリートの打ちっ放しの壁に、窓の前にはレースの薄いカーテンが引いてある。
八雲隊の部屋との違いは、その他に幻想的な空の柄のカーテンも取り付けてある事。そしてベッドこそ北欧家具らしいものの、机は夜斗の部屋にあったものと同じ硝子性。
どの部屋も八畳くらいで、初めからあった家具はベッド、机、クローゼットくらいなものだった。
「りょ、寮なんてどれも同じ部屋かと思ってたのになんだかすごいね! 家具まで部屋のテイストに合わせてある。誰がこういうの決めているんだろう」
「フッフッフ……」
佐久兎の疑問に怪しい笑い声が返って来る。その声のした方へ振り返ると、そこにはバルが立っていた。
「そんな事も知らないのかい? これは大手家具メーカーのインテリアコーディネーターによるものだよ」
「な、なんでお前がここにいるんだ?! どうなってんだここのセキュリティ。オートロック式だよな?」
「ここのセキュリティは万全だよ。ザルなのは君達の警戒心。廊下に落ちていたよ、これ」
夜斗の疑問にも答えつつポケットから取り出したのは、この部屋のカードキーだった。アルがポケットを探るが、確かに落としていたらしく舌を出して謝る。
「ごめーんちゃい!」
「お前なぁ……」
「せっかく制御装置が鍵になるよう針裏さんが開発してくれたのに、その機能を使わないなんてもったいないよ。本人以外に制御装置は起動できないんだから、その方がセキュリティ性も高いしね」
「ああそっか、すっかり忘れてたよ。登録しなきゃね〜! ……ところで、バルはどうしてここへ?」
「隣の隣が実子隊の部屋だからね。君達の部屋の前に落ちてたから、そのまま届けに来ただけだよ」
「そういえば実子隊は何人の隊になるのよ?」
「俺含めて四人。専属通信情報専門部の朱里と、もう一人は先輩退魔師だってさ。どうやら女性らしくてね。男一人って完全アウェイだし、パシリに使われる予感しかしないよ」
「そういえば名無隊には専属CISの人は誰がつくのかしら?」
愛花のクエスチョンマークには誰もが首を傾げる。
「前にもやってくれたし鈴さんとか?」
「本来SNS対策室の人だからそれはないと思うけど……」
信太の思いつきを佐久兎は否定する。どんなに考えても、朱里や鈴、八千草や織原以外のCISの人を知らない。答えは出ず終いで、いつか連絡があるだろうとその話題は終わった。
これから始まる新生活。
この先にある未来は光か闇か、それは未来を視る者だけが知っていた。




