エピローグ
地上の光が人の営みの地図を描いている。一つの窓だけに明かりの灯るあのビルの部屋には、残業中の会社員がいるのだろう。
「御苦労なこったな」
神無が鼻を鳴らす。この高層ビルの最上階はオシャレなバーになっており、束の間の休息を酒を嗜みながら過ごしていた。会話の合間に夜景を眺めながら、五人の大人達は横並びでカウンターに腰掛けている。
お堅く人外対策局の制服に身を包んだままオフの会話をしている光景は、物珍しさがあった。何よりも目立つが、他の客は一切寄せ付けずに貸し切りにしてある。それは神無の手が回っている店だからこそできる事だった。彼の人脈はどれほど広範囲に及ぶものなのか、全く想像もつかない。
実子は落ち着きがなく、回転椅子を左右に振っていた。その度に、背もたれにかけたジャケットが大きく揺れる。そして貧乏揺すりをしながらヒールをカツカツと鳴らし、隠そうともせずに苛立ちを露わにしていた。態度には出さないものの、右京も不満を口にする。
「……全く、八雲は酷いよ。どれだけ俺が落ち込んだか分かってるの?」
「そうだ。右京ときたら冷静さを欠いて、この実子様の手を煩わせやがったんだ! この実子様様の御手をだぞ?!」
酒に弱く既に泥酔気味の実子をよそに、二人は会話を進める。無視するなと怒るかとも思ったが、酔いが回っているせいか直後に突っ伏してしまった。すっかり酩酊してしまっていた。
「なんでティアが生きているって判ったの?」
「ドッペルゲンガーは実物がいないと生まれないからね。ただ模倣するだけの人外が、もう存在しないオリジナルとして存在できるわけがないでしょ。写真や映像を見ただけで変身はできない人外だからね」
「ああそこかぁ。じゃあもう一つ質問。あの日と同じく、麻酔弾を打ち込み損ねた時のために周りに退魔師は配置されていたの?」
「まさか。彼らにそんなものは必要ないよ。もうあの六人は立派な退魔師だ。訓練期間の短縮化で経験が浅いのがちょっと心配だけど、きっとうちの隊の子達はどこに配属されても、どこの隊にいってもきっと即戦力になるよ」
その言葉を聞いた実子が、ガバッと勢いをつけて突如起き上がる。
「何言ってるんだ。うちの隊の子達なんてすぐ配属先のトップに上り詰めるんだから見ておけ。下克上上等、私を倒してみろ! あっはっはっはっは!」
「聞き捨てならないな。仮編成右京隊ほどの精鋭隊予備軍はいないから」
「いいや、実子隊ほどの精鋭隊予備軍は他にはいないぞ。右京隊よりも数多く任務をこなしてきたんだ!」
「量より質だよ。高校生に足し算引き算、ひらがなの読み書きを教える事の無意味さが分かないの?」
「質より量だ。誰が教科書の一ページだけをやり終えて達成感を得られるんだ。そんなんで満足してしまう方がよっぽど愚かじゃないか」
うちの子自慢が始まる右京と実子。親バカな二人を八雲は仲が良いなと笑って流し、次には隣にいる神無と八千草の会話が耳に入ってくる。
「羨ましいなぁ、長年の付き合い組は。私はあの時、ティアちゃんを救えるような事は言えなかった。きっと神無さんと同じ事を私が言っても、きっと無理だったわね。……それで? 六人が揃う未来が確定しているってあの日言っていたけれど、どういう意味だったの?」
「あれはただ単に俺が勝手に、通信情報専門部のコンピュータが出した予測は正しいと判断しただけだ。だから六人が揃う未来は、もう確定事項になるだろうと予想した」
「だから、それがどうしたら確定事項になるのかって聞いてるんでしょ」
神無は深く息を吐く。まるで馬鹿だなとでも言いた気な視線だった。
「CISと人外対策局研究所の共同で開発した予測システムは、あの場所に人外が集まるって示したんだろ? ドッペルゲンガーは本人を探しまわっている。つまりあの場所に未来で六人が集まらなかったら、そんな結果は出なかっただろ。最初からティアもそこに向かう未来を予測していた。だからこその、その結果。確定事項じゃないか」
「でも神無さんがティアちゃんに諭さなかったら、行く未来はなかったかもしれないんじゃないの?」
「因果性のジレンマ……つまり鶏が先か、卵が先かみたいな話だ。予測システムによって未来を知り、俺が言及した事によってうまれた結果なのか。はたまた俺が言及する事も予測してのその結果だったのか。どちらにしろ、予測システムが俺の行動も含め完璧に予測したのか、予測システムがその結果を出したから俺が行動を起こしたのかは、たいした問題じゃないだろ」
「ふーん、頭良いんだね。私はちょっとよく分からないや」
素直な感想を口にするが、神無の前では素直になるだけ損だった。口を開けば皮肉ばかりが出てくる。
「よくそんなんでCISの実力派って呼ばれるな」
「何よ、神無さんの説明が分かりづらいんじゃないの。むしろ、分かりづらいように話してない? 私には織原さんの下に就てからの叩き上げのスキルしかないの。できる事はできるけど、できない事はできないんですー」
「そんなんガキだってそうだろ。できる事ができるのは当たり前だ。それにもっと得意な事があるだろ。喧嘩とか、怠慢とか、恐喝とか」
「変な事言わないでちょうだい。それに私は一応先輩なんですけど。言葉に気をつけたら?」
「それがどうした。事実を言ったまでだろ」
「このガキ……!」
顔にシワををよせ、忌々しげに神無を睨む八千草。
「本性出てるぞ、柊先輩」
「あ、あらやだ。何の事かしら? おほほほほほほ。それと、名前で呼ぶのはやめてって……」
ずいっと神無の顔に自身の不機嫌な顔面を近づける。
「前に言ったでしょ?」
八千草がかなりの至近距離で黒い笑顔を浮かべるが、神無は顔を逸らしながら鼻で笑った。そして意地の悪い顔で見下した態度を取る。
「ああ、男っぽい名前だから、柊って呼ばれるのは嫌なんだったか?」
「カミアリだかカミナシだか忘れたけど、今すぐ表に出なさい」
「俺はカミアリかカンナだ。カミナシって、なんだか頭が淋しい人みたいだな。それはハゲ頭の上司にでも使え」
「まずあんたは敬語使え! 敬語を!」
――奇数って絶対一人余るんだよねぇ……。
零はまだ未成年なのでこの場にはいない。八雲の左側では右京と実子が張り合っていて、右側では神無と八千草の喧嘩が始まっていた。仲良くしてくれないものかと息を吐き出すと、それに気づいた右京と実子は話題を振ってくる。
「それにしても、局長はなんで右京隊にキメラ事件を担当させたんだ? 前にも言ったが、応援要請を断られるなんておかしいだろう。八雲は何か知らないか? この中でだったら一番局長と会う機会が多いだろう」
「さあ。向かわせられていた事を知ったのはティアの死を告げられた時だったしね。あの局長の事だから、ただスキルアップのためにそうさせたんじゃない?」
「だとしてもあまりにも酷くないか。死んでも仕方がないと割り切っていなきゃ、そんな命令出せないだろう」
「……割り切っていたんじゃないかな」
八雲の言葉が二人に沈黙をもたらす。しかし気にせず話を続けた。
「そんな賭けに出てまで即戦力になる人材を求めている、とかね」
「そこまで急く必要がどこにある? 訓練期間を一年から三ヶ月に短縮したり、幹部クラス以外は強制的に入寮させたり、急いているどころか組織に縛りつけようとしていないか?」
八雲が解禁したばかりのボジョレーの赤ワインを飲み、今度は短く息を吐く。
「なんだかいよいよ怪しいよね。秘密組織が突然その存在を世間に公表し、組織の顔まで用意しちゃってさ。零崎隊長の件で退魔師が減ったからだなんて言っていたけど、そんなのせいぜい十人程度。今はプラマイゼロに近いのに、それ以上に人数を欲してるって事だと僕は思うな」
八雲の言葉に八千草と神無は喧嘩をやめ、耳を傾けた。視線が集中する中、答えを求められているのだと悟り、再び言葉を紡ぐ。
「いやね、あれから一般募集もしているし、まあまだ募集してるだけで試験も実施されてないけど、でも人外対策局に所属させる気はあるって事でしょ? いくら人員不足だとはいえ、不足を埋めるのに募集をかける程でもないと思うんだ。だから、今まで必要とされてきた人数以上に退魔師を求めているんじゃないかなって思ったんだよ」
「何のために?」
「まあこれは僕の単なる憶測だけど……組織の拡大、とか?」
質問を投げかけた神無さえも驚きの色を浮かべ、時計の秒針の音が聞こえてくるくらいにその場が静まり返る。しかし沈黙を破ったのは右京だった。
「ははは、なんだそりゃあ。退魔師は多いに越した事はないけど、なんで拡大する必要があるの?」
「地方の支部をもっとしっかりとした体制にしようとか? 何かある度に本部や二つの支部からの派遣を待つなんて効率も悪いし、人命がかかっている場合はその時間のロスが命取りだし。本部の他、北海道と沖縄の支部にも設置されている退魔師の転送システムだって、転送範囲は限られてる。だから物理的移動手段が必要になる他四十四府県には、出動が遅れているのが現状。となると人外対策局の支部にも、今まで以上に力を入れて行く必要がある。それこそ各都道府県に支部を作るとかね」
「じゃあなんで今まではそうしてこなかったんですか?」
「秘密組織だったからこそ、何かあっても揉み消せたり関与しないでいる事ができたからだよ。事件を起こす人外の事さえも否定されていたんだしね。一般人は事件が人外のせいだと認知できないし、頼るべきところもなかった。でもこれからは公式になったがために、そういった事も含めどんどん組織が変わっていくだろうね」
なるほどと八千草が頷く。しかし新たな疑問を、実子に投げかけられる。
「その人員集めのための仮編成右京隊か。まあ納得だな。企業がCMに芸能人を起用するのと同じって事か。話題性があり、ビジュアルも申し分ない。……それじゃあ話は変わるが、ティアは名乗る名前もルルーシェから御祈祷にしたんだってな。どういう心境の変化だ?」
「そうなの?」
ひどく間抜けな顔で質問し返す。
「なんで兄が知らないんだ。この前の火葬で、あゆみの棺桶にバルが可愛いメッセージカードを入れていてな。まさかあいつが書いたわけじゃないだろうとちょっと聞いてみたら、こう言ったんだ。『御祈祷ティアからあゆみに贈られたものです』ってね」
「……そっか」
五人が人外対策局の制服を着ているのは、あゆみの墓参りの帰りだったからだ。葬儀は主に仮編成の実子隊、右京隊、そして彼女の弟の死に関わった八雲隊で行われた。今日は改めて線香をあげに行ったのだ。
八雲はグラスに注がれていたワインを一気に飲み干した。そして再び浅く息を吐き出し、少々乱暴にカウンターへ置く。
「はあ。偉そうな事言ったり、日本で一番の精鋭隊の隊長だって言われたりしてるけど、僕ってやっぱダメダメだなぁ……」
「何を唐突に弱気になっているんだ、気色悪い」
すっかり酔いがさめたのか、生ゴミを見るような目で実子が八雲を見る。他の三人の視線も大差ないものだった。それに彼は満面の笑みで返す。彼なりの不快だという感情の表現方法だった。内なる黒い感情を隠そうとする意思が働き、結果的に不自然なまでの笑顔になるのだ。そんな八雲からさっと四人が目線を逸らすと、やっと口を開いた。
「人の死は、何回経験しても慣れるもんじゃないよ」
「ふん。組織改革に必要な人材が弱音を吐いてどうする。これから人が増えるって事は、それだけ犠牲者が出る可能性が高くなるって事だ。誰だって人の死は悲しいさ。だがその屍の山を踏み越えなければ、平和だと言われる景色は見れない。平和を目指すなら、そうやって進むしかないんだ。平和って地面の下には、ゴロゴロ死体が転がっている。そして残酷な事に、何にでも犠牲はつきものだ。それは自分の腕や脚かもしれないし、自分や仲間の命かもしれない。しかしそんなの当たり前じゃないか。人外だって、私達にそうされてきたんだからな。目には目を、歯には歯を。分かり易い復讐劇だ。人間と人外の攻防戦はどちらかが存在する限り終わりはないだろう。否、どちらが生き残ってもその戦いは終わらない。だって……」
実子の持つグラスの中の氷にヒビが入る。その時は何故か、それが不吉な事を予兆しているのではないかと思えた。
「――――人間は人外で、人外は人間なんだからな」
次回から第三章です。




