No.47「あの日をもう一度」
ドッペルゲンガー出現から数日。目撃情報から割り出した出現場所からの行動パターンにより、次の出現場所と時刻が絞られつつあった。人外の目的は、人の人生を奪う事だった。
「次の出現予測時間は今日の午後二時。そしてあの場所……六月にテロ事件があった場所に、六体のドッペルゲンガーが現れるという予測よ」
八千草は彼女にそう告げた。テロ事件があった場所。それは右京隊の隊員にとっては思い入れ深い場所だった。右京隊の初の顔合わせ。そして様々なきっかけとなった場所だ。右京隊のスタート地点はそこにある。
「行くの? あの場所へ」
気遣わしげな八千草の視線を受け、彼女の表情は曇った。すぐに答えられないのは、その事に迷いがあったからだ。しかし神無は容赦がない。
「お前は何のために退魔師をやっているんだ。任務だぞ、迷う余地がどこにある」
しかしそこに向かうという事は、右京隊の皆に会ってしまうという事だった。それをこの場にいる三人は分かっている。きっと私用で外している八雲と零がいても、神無のようにきつく言う事はないだろう。
「このドッペルゲンガーを倒すには、餌となる本人が必要だろ。こんなに挑発してきてるんだ。お前の人生を横取りしに、お前の姿をしたドッペルゲンガーがお前を探し回っているんだ。餌がホイホイ逃げてどうする」
「……私は、私よりも私らしいドッペルゲンガーを否定できるんでしょうか」
「何愚図ってんだ。お前らしくもない。いつも的確な判断を瞬時にする事ができてただろうが。それともなんだ? まだこの後に及んで馬鹿みたいに先を読んでいるつもりなのか? だったらそれは間違いだ。お前達は、六人揃う未来が確定している」
「どうしてそんな事が判るんですか。何の根拠もないじゃないですか……!」
「根拠ならもうあるんだよ。後はお前の問題だ。何故そんなに人との繋がりを恐がる? お前のために世界が存在しているわけじゃない。世界のためにお前が存在しているわけじゃない。誰かのためになんて糞食らえ。自分のためだけに生きて死ね。笑って死のうなんて考えるな。嘆いて生きようなんて考えるな」
神無が彼女の肩に手を置いた。
「お前は世界に生きろ。お前の世界に呑まれるなよ。たまには流れに身を任せてみろ。きっとそれが今の最大の最善だ。お前の本心はこの状況に対する絶対的な正解だ。それを肯定する事実がもう提示されている。なのに、陳腐な理由でわざわざ間違えてやるな。お前のとった行動が正しくないなんて、お前らしくもないだろうが」
彼女の目からは涙の雫が零れ落ちた。憑き物でもとれたように、清々しい凛とした表情を見せた。そして、
「行ってきます……」
深々と彼女は頭を下げた。それから心からの笑顔を浮かべる。
彼の言葉で一歩踏み出す。立ち止まっていた時に見た鈍色の景色は、鮮やかな世界を取り戻す。
「――――私、皆との約束を果たしてきます」
「おう、行ってこい」
神無は初めて人前で笑った。彼女の背中は小さいながらに強く、確かな意思を感じさせる姿だった。
秋空には、迷りなど一つもない、晴天の空が広がった。
*
「……あと五分か。人っ子一人いねぇなこの辺!」
『言ったでしょ。人除けの結界を張ったって。つまりそこに入って来られるのは貴方達退魔師と、人外だけなのぉー』
「す、鈴さん聞いてたんすか?」
『聞きたくなくても入ってくんの。制御装置を発動してる時はこっちに繋がってんだから』
「でも今まで通信情報担当の人はついてませんでしたよ?」
『仮編成隊にはないの。ちゃんとした退魔師になって、希望があれば配属されるのー。Are you ok?』
信太の疑問に面倒くさそうに答え、ネイティブな発音で理解したか問うてくる。SNS対策室室長の猫瀬鈴が、今回限り仮編成右京隊の担当についたのだ。
『てかさぁ、私そろそろ眠いにゃあもう。徹夜続きは流石に辛ーい』
「もう少しだけ頑張ってください……」
愛花が願うようにそう言うが、鈴はパソコンの前であくびを噛み殺している。
『ちゃっちゃと片付けてよ〜?』
「了解!」
五人の声が揃う。あの日と同じ広場で立っているだけで、当時の事が思い出される。
「ボク、これ二度目の体験〜!」
「当たり前だろ。それに、退魔師やってりゃこの先いくらでもある」
「ちょっとあんた達、不吉な事言わないでよね。退魔師なら退魔師らしく平和でも願ってなさいよ!」
「あはは! だってあの頃はこんな事になるなんて思ってなかったんだもん」
「アルに同意」
「だからぁ、楽しんでないで集中しなさいよ!」
アル、夜斗、愛花が懐かしむように会話している。そこに信太と佐久兎も加わった。
「いや〜、またここでこうなるとは思わなかったわ。まあオレ的には嬉しいけどな!」
「僕もだよ。……でも、本当は、」
――――ティアにもいてほしい。
佐久兎の言葉の続きを、五人は心の中で繋げた。同じ想いを持ちながら秋空を見上げる。美しく清々しいほどの空色は、秋の空気のように澄んでいた。連想させられるのは儚げな少女の姿だった。夏よりも遠くなった空が、綺麗だからこそ孤高だった。
『……はい一分前。麻酔銃の用意はできてる?』
「はい!」
今度は六人の声が重なった。広場の真ん中には、六人が背中合わせで六角形を描いている。聞き慣れない声に驚き、五人は突然現れた人物を見る。夜斗と信太の間に現れたその人物の立ち位置は、あの日は彼女のものだった。
先ほど頭に浮かんだばかりの人物が脳裏をよぎるが、声が違う。白色のパーカーを着ていて、フードを被っている事から顔も見えなければ服装もわからない。しかしその右手には他の五人と同様、大袈裟なまでに大きい麻酔銃が握られていた。見慣れないスカートの柄で、やはり彼女ではないのだという結論にいきつく。
「『どうしたんですか? 来ますよ、ドッペルゲンガー』」
謎の少女の声はやはり彼女とは違う。しかし今はそれに落ち込んでいる暇はない。銃を目の前に構え、人外の登場に備える。
『5秒前! 4、3、2……』
鈴がカウントダウンを始めると、遠くから走ってくる六人が現れる。ドッペルゲンガーは自分と同じ姿の本人の元へ走って行く。ある一定の距離をとり、六人を六人が囲んだ。両者照準を合わせたまま、しばしの静寂がその場を包んだ。緊迫した空気の中、六対六の十二人の睨み合いが続く。人外側にも、フードを被った少女の姿がある。
硬直状態が続くが、突如強風が吹いた時、それを合図に銃声が響いた。
秋の緋色が風に舞う。木枯らしに巻き上げられた落ち葉のカーテンが晴れると、その場に倒れる人影が見えた。
その内の一人、白いパーカーを着たドッペルゲンガーのフードが倒れる風圧により脱げた。空色の長髪が風になびき、地に伏す。視界の端にそれを捉えた夜斗と信太は、驚きにそのドッペルゲンガーに視線を移す。二人の間に立っている人が撃ったのは、空色の髪のドッペルゲンガーだったのだ。それが意味する事に、二人は混乱する。
しかしその刹那、更に視界の端に空色の髪が映る。
「『作戦成功! ……そして』――――久しぶり、皆」
脱げたフードの中からは空色の髪がなびいていた。言葉の途中から聞き慣れない声が、よく聞き慣れた懐かしい声に変わった。どうやらパーカーはホログラムのようで、だんだんとその実態はなくなり、それに呼応して変声機能も言葉の途中で消えていった。驚きに残りの三人も振り返る。見開かれた瞳には、確かに彼女の姿が映った。
「――――ティア」
夜斗が彼女の名を呼ぶ。久しぶりに呼ばれた自分の名前に、右京隊に帰って来た実感を得た。
「……ただいま」
お互いの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。愛花や佐久兎、信太もだ。
「おっかえりっ、ティア〜!」
それを見てアルが微笑み、五人に抱きついた。
「おいこらアル、離れろ!」
夜斗がアルを睨むが、自分の胸元で何かが動いた。何かと見下ろすと、自分よりも背の高い五人に埋れたティアが顔を出す。バッチリと目が合い、ゼロ距離の密着度にみるみる両者の顔が紅潮していく。夜斗は顔を背け、ティアは俯いた。しかし夜斗が顔を向けた先には、ニヤニヤと破顔しているアルの顔があった。まるで計算通りだとでも言いたげな顔をしているではないか。
「ちょっとアル、いい加減暑苦しいわよ! それにティアが潰れちゃうでしょ?!」
「……へへっ、ごめんごめん。つい嬉しくって」
やっと離れられ、アルの顔がしっかりと見れた。彼の顔は今までにないくらいに優しい顔だった。
「改めまして。御祈祷ティアです! 皆、これからも……よろしくお願いしますっ!」
今までルルーシェと名乗ってきたが、名字を改め頭を下げる。その肩に皆が手を置き、そして愛花が口を開く。
「全く、これからもよろしくなんて当たり前でしょうが」
呆れた顔をし溜息をつく。そして再び笑顔になった。
「誰一人欠けずに、皆で生きて帰ってこれたな!」
信太の言葉に誰もが頷く。再集結した右京隊には笑顔が溢れていた。会話を聞いていた鈴は、密かに無線機のスイッチを切る。
「めでたしめでたし〜。若人は輝いてるねぇ。……さ、帰って寝ようっと」
口元には笑みが浮かんでいる。満足そうに頷きながら、寮の部屋へと帰って行った。
そんな右京隊の再集結を、遠巻きから見守る六人の姿があった。
「良かった。これでいつもの右京隊だね」
「そうだな。世話の焼ける夜斗もこれでまともに戻るだろう」
「これで愛花の悪態のキレも戻るわねぇ。辛気臭いの嫌だし、あいつはズバズバ毒吐いてる方が似合うわよ」
「ふん、佐久兎も何気落ち込んでたからね。面倒事が減って良かったよ」
バル、銀、朱里、直樹が近くの建物の二階から右京隊を見ていた。
「俺達もやっとまた六人揃ったところだし! さあさあパーティーでもしよっか」
新を筆頭に、白髪になってしまった少女の方へと振り返る。
「――あゆみ、何食べたい?」
そこにはベッドに横たわるあゆみの姿があった。あゆみを含む六人のいる建物は病院だ。
「……なんでもいい。それより、なんで皆は私がここにいるって分かったの」
「誰かが匿名で教えてくれたのよ。ったぁく、無愛想ねぇ。ケーキ食べるでしょケーキ! これは再集結祝いだけど、次の祝いはあゆみの退院祝いだからね。分かったぁ?」
「朱里……」
朱里が鞄の中から大きな箱を取り出す。乱暴にあゆみに渡すと、それを彼女は笑顔で受け取った。涙は目から零れ、膝に置いた箱にポタポタと落ちる。
――あの日、ケーキを捨ててしまったのに。
初めて見せた彼女の感情表現に、他の五人は笑顔で応えた。
「笑ったり泣いたり、忙しい先輩だよね」
直樹のその言葉にあゆみはいつもの無表情で、拗ねたように布団を被った。
「なーんで直樹ってデリカシーないかなぁ……」
「直樹にデリカシーを求めるのはナンセンスだよ」
「憎まれっ子世に憚るってやつやもしれんぞ」
新、バル、銀が直樹を責める。
「なっ、なんだよ! 俺のせいかよ?! てか憎まれてねえよ。ねぇヘルプ朱里!」
「はあ? なんであんたを助けなきゃいけないのよぉ」
布団の向こうからは楽しそうな実子隊五人の声が聞こえてくる。あゆみはたまらずクスッと笑いをこぼした。屈託のない笑顔を浮かべたのはいつぶりだろうか。弟と過ごしていた頃は毎日ずっと笑顔でいられた。だからきっと、それ以来だ。
「……あれ? この花は誰からだろう」
「何これ、ガラスの中に入ってる。面白い」
新が横にあったテーブルの上に置いてある花を見る。直樹も興味深そうに見ていた。
「それ、多分プリザーブドフラワーよぉ。最近じゃあ、お見舞いに生花はあまり好まれないからね」
「白のガーベラの花言葉は希望。ピンクのガーベラは愛や美、童心に帰るなんて意味もある。フラワーセラピーでは、幼い頃の思い出に誘ってくれたりするらしい」
朱里も覗き込み、バルは自身の花の知識を披露する。笑顔になれたり、弟との綺麗な思い出が蘇ってきたのは、この花のおかげだろうか。それにしても、いつ、誰がここに置いていってくれたのか。五人が来る前だろうが、あゆみも全く気がつかなかった。眠っている間にお見舞いに来た人物がいたのかもしれない。
「ん? なんか挟まっているな」
そして銀は下に挟まれていたメッセージカードを見つけ、あゆみに渡した。誰からかと怪訝そうに開き、読み、また笑った。
「何が書いてあったの?」
「だからぁ、あんたのそういうところがデリカシーないって言ってんの! 学ばないわねぇ」
「え、あ、ごめん?!」
「ふふっ、いいの。ケーキ食べよう」
謝る直樹にあゆみは笑顔で応える。
「よーしっ! 新様の刀さばきをとくとご覧あれ!」
「いや、院内で刀を振り回すのはマナー違反だよ。紳士の行動とは到底思えないな」
「じゃあ俺の手裏剣で」
「いやいや、それも刀と大差ないから。やっぱりジャパニーズ忍者はクレイジーだね」
「じゃあ、私の薙刀を貸すわ」
初めて聞くあゆみの冗談に目を見開くが、間が空いて一斉に笑い出した。
「……結構本気だったんだけど」
しかし次の言葉に笑い声が止まり、
「これも冗談よ」
と付け足すと、冗談キツイよとまた笑い声が病室に響いた。
結局ホールケーキは切らずに六人で突つく事になった。仲間に囲まれ、笑顔でこうしていられる事が嬉しかった。そして、後悔していたあの日のチャンスを、もう一度皆がくれたのだ。今度こそは、皆の気持ちを素直に受け入れられた。
「どうせ溢すなら、溢れるなら。涙じゃなくて、笑顔がいい」
そう告げた言葉に、他の五人が笑顔を溢した。
――私はもう先が長くはないけれど。貴方と同じように、正直な気持ちで笑っていたいと思うの。だから、貴方も私が助けてあげたんだから、精一杯正直に生きて自分を大切にしなさいよね。
あと、素敵なお花ありがとう。今まで見えなくなっていた人の美しい愛情を、童心に帰ってまた知る事ができた。貴方が気づかせてくれた、希望という名の光がこんなに近くにあるなんてね。灯台下暗しというものかしら。
復讐はさせないと言われた時、正直納得いかないと思ったわ。でも今はこれで良かったんだと心から思える。
私を救ってくれたのは貴方よ。私が貴方にした事は決して許される事ではないけれど、それも貴方は許してくれて、そして正しい道へと導いてくれた。
無音の叫び声を聞き届けてくれて、ありがとう。
私の思いを聞き届けてくれて、ありがとう。
だからそれを無駄にしないようにしないとね。でも、もう弟といつ再会しても恥ずかしくないかな。だって――
あゆみと繋がっている心電図から、不規則な音と警告音のようなけたたましい音が鳴る。規則的に繰り返されるその音は、誰もがいつか聞く事を覚悟していたものだった。
「……あゆみ? ちょとあゆみ?! やだ、やだよ……ふざけんなぁ……!」
大丈夫だよ、朱里。
「嘘だろ……これも冗談だよね? あゆみ、返事しろって!」
冗談じゃないよ、直樹。
「あゆみ、あゆみっ……! まだ話したい事とかあるんだ。だから……だからっ!」
悲しい顔をしないで、新。
「あゆみ……」
そんなに辛そうな顔をしないで、銀。
「ナースコールを……っ?!」
お揃いの白髪だけど、長生きしてね、バル。
あゆみがナースコールを押そうとするバルの手を掴む。しかし意識がどんどん薄れていく。これが死だと悟るのに、きっと知識なんて要らない。本能で解るものだった。しかし何も怖くはない。
――私はもう、孤独じゃないもの……。
心電図の音は先ほどとは一変し、絶え間無く一定の音が続く。複数の嗚咽が響く中、彼女の身体からは無数の光の粒が天に昇っていった。掴もうにもその手をすり抜け、どうしようもない世界の理に抗う事はできなかった。
それを見送り、五人の視線は自然とあゆみの顔へ移る。彼女はとても安らかな顔をしていた。安心感に満たされたその顔は、時が止まっているにもかかわらず、未来への希望に満ちていた。
バルはあゆみの手から床に落ちたメッセージカードを拾い上げ、読み終えると、それをまたあゆみの手の中に戻した。
「……ああ、もう孤独じゃないよ。孤独になんてさせるもんか。だって――――俺達は仲間だろ、あゆみ」
あゆみの思いを聞き届けたティアの恩返しは、彼女の最期を豊かなものにしてくれた。最期の時を仲間と過ごし、彼女の望み全てを叶えたのだ。
二人の少女の溢し溢れる涙と笑顔は、きっと通じ合っていた。




