No.43「嘘吐き:黒」
次の日、五人が向かったのは神有探偵事務所だった。アポイントメントを取ろうと電話をしたのだが、留守なのかいっこうに出ないのだ。ビルの中の一室の扉をノックをする。しかし返事は無く、ビルそのものも沈黙している。
閑散としたここ周辺の雰囲気はどことなく物々しい。取り立てにきそうな人達が、その辺をうろついているような治安の地区だ。好んでここを選んだのかどうかは分からないが、依頼者は訪問しづらそうなところだった。
「あのー、すみません……」
もう一度ノックしてからアルはドアノブに手を掛ける。覗き込むようにして事務所内を見回すと、奥のソファで寝ている男の姿があった。黒いワイシャツにシワを寄せ丸まる姿は、まるで猫のようだった。一歩踏み出しある一線をつま先が超えると、その男は瞬時に起き上がり近くにあったフォークをアルめがけて投げてきた。
「わあ」
未来が視えていたアルは難なくかわすが、他の四人は驚きで身を硬くした。扉に刺さったフォークは震え、低い金属の振動音だけがこの部屋に低く響いた。寝起きの顔は不機嫌そのもので、野生の獣のように鋭い目つきだ。
「……誰だ、お前ら」
低い声で威嚇をするが、その五人の存在に頓着はせず缶コーヒーのタブに指をかける。それを起こし、また寝かせ、自分の口に持っていく。顎をあげて一気に飲み干すと短く息を吐き出し、もう一度来客を気怠そうに見やる。
「ボク達ティアの友人なのですが、お聞きしたい事があってきました」
「……だろうな。この事務所は結界を張っている。一般人ならここに辿り着く事はおろか、見つける事も目視する事もできん。聞きたい事はなんだ。答えたらもちろん帰ってくれるんだろうな?」
迷惑そうに五人を邪険に扱う神無を見て、昨日会った零と似た何かを感じた。類は友を呼ぶとはよく言ったものだが、綾花やティアとは一八〇度違う種類の人間だった。
「本当の事を答えていただけたら、すぐに帰ります」
神無は鼻を鳴らし、アルに向けて質問はなんだという質問を再度投げかけた。
「ティアを最近見かけませんでしたか?」
「知らん」
即答されるが、約束通りにすぐに帰る事はなかった。何故なら、約束は果たされなかったからだ。
「どうやらこれ以上周りを嗅ぎ回っても、収穫は得られなさそうなんですよ。なので、ここで嘘を聞かされてああそうですかって帰る事はできないんです」
理解を求めるようなアルの瞳を、黒い瞳が覗き込む。今の神無の目は値踏みをしているような、真価を見抜こうとする気配が感じられる。
「……何故ティアを探している? お前らは何者だ。ティアとは本当に友人というだけの繋がりなのか?」
「行方不明なんです。ボク達は友人です」
「行方不明? 死んだんじゃなかったのか。少なくとも俺はそう聞いたが。……ふん、嘘つきは誰だろうな? 俺はとても正直だぞ」
神無が呆れたようにまたソファに寝転がった。
「俺には本当の事を言わせて、お前達は嘘を言うのか。随分とアンフェアだな。相手をオープンにさせるには、まず自分からオープンに様々な事を開示しなければならない。そうしないと警戒心が解けないからだ。なのに関係性は友人だと嘘をついた。俺はお前らがあいつと同じ隊だと聞いていたが?」
「あはは、知ってるなら訊かないでくださいよ〜」
両手を胸くらいの高さまで上げ、降参のポーズをとった。しかしそれも神無は鼻で笑う。
「嘘吐きの事なんざ俺は知らん。死んだ人間を追う理由も解せないしな。俺は他の連中みたいにお人好しじゃない。さっさと帰るんだな。じゃなきゃ営業妨害って事で警察を呼ぶぞ」
*
「わあ、とても綺麗ですね」
「そう? ありがとう」
八千草の部屋を初めて見た彼女は興味深そうに見回す。しかしあまり興味津々に他人の部屋を見ては失礼だろうかと思い、八千草の向かいに大人しく座った。すると嬉しそうな顔でアルバムを渡される。
「見る? アルバム」
「見たいです!」
大人の雰囲気を醸し出している八千草は彼女にとって憧れだった。しかし雰囲気が大人なのではなく実際に大人なのである。今年で二十一歳になる彼女の部屋は青を基調とした部屋で、しかしながら八千草という人間を前面に出している。観葉植物が其処彼処で空気を浄化していた。
一見片付いていて綺麗なのだが、見れば見るほどに彼女の趣味がよく分かる。本棚にはヤンキー系の漫画が並び、よくわからない旗には漢字の羅列がプリントされていた。
「訓練生時代の八千草さんもとてもかっこいいです。……でも、これはなんですか? セーラー服のスカートは、こんなに長い学校だったんですか?」
戦闘シーンの写真の他に、スケバン姿の彼女の姿があった。その写真を持ち上げまじまじと見入るが、それに気づき八千草の顔はみるみる青ざめていく。
「あ、あああ?! これは、その、違うのよ……? え、えーとそう。そうよ! コスプレ! コスプレをしていたのよ!」
八千草はあまりにも分かり易い嘘をとっさにつくが、そうなんですねと笑顔で返した。スケバンという言葉も知らない少女は、彼女の言う通りなのだと信じた。しかし、不良や暴走族の存在は知っていたので、この長い丈のセーラー服はそれを表す服なのかもしれないと今更気づく。
――バイクの模型もすごいあるし、暴走族だったのかな……?
八千草伝説は、密かに人外対策局員の間で語り継がれている。不良時代の彼女は手をつけられない位に荒れており、やはり暴走族に属していた事もあったという。
しかしそんな中人外対策局からスカウトを受け、一番強い退魔師と怠慢を張ろうという目的の下に所属を決めたが、訓練生のある男子に一目惚れをしたのだ。
その時はまだ訓練期間が一年と長かったため、春夏秋冬を経た高校二年生の夏、その男子に告白をするが清楚な女性が好きなのだと一刀両断されてしまった。
それからというもの、清楚な女性になる事を目標に五年間過ごしてきたのだが、未だその恋は成就していない。
訓練期間が終了してからは鍛え上げてきた腕っぷしを封印し、比較的大人しいイメージである通信情報専門部に所属した。しかし本性を隠しきれてはおらず、キーボードの扱いがかなり粗雑なのである。
エンターキーは特に力強くタイプしてしまい、頻繁にキーボードが壊れてしまうのだ。勝負が白熱すればするほどにスケバン魂が燃え上がり、あまりに酷い時だと十分内でキーの三分の一を破壊した事もあるらしい。戦いはスピード勝負で直す時間がないので、キーボードのストックは常に三十を超える。
本人は自分の清楚さ以外の全てを隠しているつもりらしいが、過去やキーボード事情を知らない退魔師は少ない。それくらいに有名人だった。ちなみに『歩く八千草伝説』と同僚には面白半分で揶揄されている。
「そういえばそっちの部屋はどうなの? 先週入ったばっかりで荷物とかまだ開けてないとか?」
「いえ、私は……」
「いいからいいから。お姉さんに任せなさい!」
何を任せろというのか、強引に話を進め八千草は彼女の部屋へと向かう。しかし扉の先にはあまりにも想定外な光景が広がっていた。
彼女らしくない。きっとそう言い表すのが適切だ。
生活感がなく無機質で、彼女の可愛らしさや優しさを微塵も感じられない。部屋がその人そのものや心理状態を表すように、住人と密接にあるはずの部屋には血が通っていなかった。
「打ちっぱなしのコンクリートの壁、白い床、カーテンはレースのみ……」
「あはは、よく殺風景だとか無機質だとか言われます」
「前の隊の部屋でもこうだったの?」
「いえ、訓練生六人で使う部屋は各自の部屋が無いんです。ベッドルームだけで、二人で使っていましたし」
「そうなんだ。貴方達の代からいろいろ変わったからね。私は訓練生時代は普通に家に帰ってたし、まあ訓練生の時から寮暮らしの人もいたけど、一人の空間がないって辛くない?」
「……本当は、私は人といるのが苦手です。視えてしまう何かを、何も視たくはなかったから」
ここに来てからそんなに経っていないにしろ、それを考慮しても異常性を感じる。ベッドにはシワ一つなく、目に付く限りでは私物がない。
「――それでも、皆の事が好きでした」
心はここにはないというような、居場所はここではないと主張しているような、そんな無意識な拒絶心を表現した部屋だった。それは彼女の言葉の通り、嘘のないものだ。
「今は? もう好きじゃないの?」
そう問うてきた彼女から顔を背けた。
「……あはは、八千草さんのいじわる」
八千草は寂しそうに微笑む少女の姿を想像した。きっと、現実と想像は重なっている。
「約束の一ヶ月の療養はしたんだから、顔見せくらいしてもいいんじゃない? この前だって皆で探しに来てたじゃない。三ヶ月の仮編成隊は今月で終わり、次の月の十月には正退魔師としての認定試験と配属希望を提出しなきゃいけないじゃないの」
「今更皆の前に出て行くのも気が引けます。……それに、これでいいんです」
キメラ事件の時に現場で気を失い、それから起きたら針裏に研究所のベッドの上で治療を受けていたのだ。連れてきたのはキメラの悟原とあゆみだったが、針裏は局長に報告するのを忘れていたせいで、夜斗の報告通り死亡した事になってしまったのだ。
悟原が釈放されたというのは上層部の体裁を考慮した結果の嘘であり、単に彼の行方がつかめなかったからだった。
あれから一ヶ月。彼女の生存が確認されたために、まず親族と兄の八雲に知らされた。しかしティアは、必要最低限の人にしかそれを知らされない事を願ったのだ。
「皆に会ったら、今度こそきっとどこにも馴染めなくなる」
今の言葉をその時に八雲にも言った。行き場のない彼女を兄の隊で引き取り、彼女の望む通りに八雲隊と人外対策局の上層部以外には知らされておらず、生きている事すら隠しているのだ。一般人には死んだという誤報すらされていない。
「どうしてそう思うの?」
「今まで人と距離を取るために、名前を御祈祷ではなくルルーシェと名乗ってきました。なのに、皆といると上手く距離が取れなくて……気づけばいつも隣にいるんです。それがいつの間にか当たり前になっていました。でも、それじゃ駄目なんです。大切な人を作っていいほど、私は強くない。自分の身を自分で守れないような内は……人を大切に思う権利なんて、ないと思うんです。今までこの組織に所属する人の死を沢山見てきました。あんなに大好きな人達も、次の瞬間には死んでしまうかもしれないじゃないですか……。夢でよく見るんです。私の周りで死んでいく皆を。助けようとしても、いつも自分一人だけが生き残ってしまう。何度も何度も何度も繰り返す悪夢に、少し、疲れたのかもしれませんね……」
綺麗に笑う彼女の頭を、八千草はわしゃわしゃとやや乱暴気味に撫でた。
「いろいろ考えすぎなのよ。それに、人を愛す権利は皆に平等にあるんだよ。その感情を与えられたって事は、神様がそれを許してくれたって考えればいいじゃない」
八千草は少女を抱き寄せる。母性に満ちた彼女の腕の中は温かかった。
「……辛いでしょ、人を愛せないのって」




