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退魔師はただいま青春中です  作者: 花厳 憂(佐々木)
第2章:あの日をもう一度-1
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No.39「あの笑顔」

背後からノックの音がする。御祈祷(ごきとう)(かい)は、読みかけの漫画を閉じながら起き上がった。


「何ー?」


 母か父だろうと思い適当に返事をすると、そっと申し訳なさそうにドアが開いた。その間からティアは顔だけを出す。


「……どうかした?」


 彼女から話しかけてくる事自体が珍しく、しかも部屋を訪ねてくるなど今までになかった。『従兄(いとこ)のお兄さん』から、ついに『お兄ちゃん』に昇格したのではないかと淡く期待をする。


「あの、訊きたい事があって……。少しいいですか?」


「おう!」


 しかしいつも通りのタメ口と敬語混じりの話し方に距離感を感じ、期待した分だけ悲しくなった。


「魁お兄ちゃんは、授業が終わった後、放課後にいつもどこへ行っているの?」


「どうしたんだ、突然」


 内心その問いに焦る。虚偽の事実を頭で構築するまで、気休め程度の時間稼ぎに質問を質問で返した。会話というものは本来、ピッチャーとキャッチャーがいなくてはならないのに、ピッチャーとピッチャーが球を同時に投げ合っているようなものだった。デッドボール必至である。


「八雲お兄ちゃんも中学に入ってから、魁お兄ちゃんと同じように帰りが遅くなったから気になって……。中学に入れば私もそうなるのかと思っていたけれど違いました。部活には参加していないようだし、参加していたとしても遅くて七時には終わるそうです」


 魁が所属するテニス部には愚か、学校にも行ったり行かなかったりだ。次第にサボリ魔だと言われ始め、教師や他の生徒とのトラブルも起こしてしまった結果には不良認定をされる始末。学年ナンバーワン問題児と言っても過言ではない。むしろそう呼ばれていて名を馳せている。


「んえーと、街中ぶらついてる!」


 だとしたら、これが一番しっくりくる理由だろうと口にする。


「……じゃあ、叔父さん達が何も言わないのは何故ですか? きっと私や兄も街中を夜遅くまでぶらついていたら、注意すると思うの」


 ――確かにな。


「だとしたら、遅くなっても仕方がない理由を叔父さん達は知っているのではないかと考えました」


 ティアの洞察力には完敗しかけている。彼女の頭の良さを、追い詰められていく今は恨まずにはいられない。


「諦めてるんじゃねーのかな? 多分」


「でも叔父さんなら、根気強く更生するまで向き合うと思うんです」


 ――確かにそうだな。


 選択肢が削られて行く。むしろ何も残されていない気もした。そうして答えられずにいると、彼女は無慈悲にもその理由の核心をついてきた。


「魁お兄ちゃんは……人外って言葉を知ってる?」


 ドキリと左胸が強く打った。顔が強張る。分からない程の些細な変化に見えるかもしれない。だがティアにとっては、この変化が決定的な証拠にもなり得る程のものだった。この変化を見逃す事は絶対にない。もう観念するしかなかった。


「……知ってるぜ」


 しかし知っているという事だけで終わりにしてしまえば、ティアがこの先に訊こうとしている事は回避できるかもしれない。そう考えた魁だったが、それは相手がティアではなかった場合にのみ限られる。


「夜遅くまで、人外対策局に行ってるんですか?」


 更なる核心に触れる一言に、自分の考えが浅はかだと思い知らされた。深いため息をつき、苦い笑顔を浮かべる。


「なんで俺がそこに行ってるって知ってるんだ?」


「……ごめんなさい。良くないと思ったんだけど……その、視ました」


「ったく、そうだったな。しかも兄貴よりも精度高いんだったっけ」


「うん……」


 兄貴とは魁から見た従兄であり、ティアの実の兄である八雲の事だ。隠し事が通用しない相手に、ただ頭をかきむしる。そして一変、キザっぽい台詞をわざとらしく口にする。


「人外対策局に御用ですか? お姫様」


「お姫様って……」


「なーんてな。……知ってるぜ。人外が起こしている連続殺人の事だろ?」


「じゃあもう人外対策局は動いているの?」


 しかし魁の表情は曇った。それが答えだ。何故知っているのに黙って見ているだけなのか。その疑問にはすぐに答えてくれた。


「警察組織との連携が上手く行ってない。動こうにもなかなか非協力的でな。警察上層部としか繋がりがないのが問題なんだよ。現場の人間からしたら、他の組織の介入は煩わしいものでしかない。得体の知れない変な奴らが、捜査をかき乱してるようにしか思えないだろうさ。そして、もう少し早くこちらは動くべきだった。事件が報道されてからじゃ遅い。でもなんて言えばいい? 犯人は人外ですってか? 今の日本じゃそんなの認められない。だから人外関連の事件は隠蔽されなきゃいけないんだよ。そうしないと、今回みたいに冤罪で捕まる人が出るだけだ」


「被害者側も、加害者にでっち上げられた側も……報われませんね」


「ああ、だから人外絡みの事件に巻き込まれた時、被害者や遺族に組織の存在や目的を明かす。どうにか報われようとする遺族。そして一度関わって、人外との遭遇率が高くなってしまった自分の身を守ろうとする人が、所属を希望してくる事が多い」


「……魁お兄ちゃんも?」


「俺は生まれつき人外が視えてる。って事は、それ程襲われやすいって事だ。だから、自分の身くらい自分で守ろうと思ったんだよ。まあどうせ神社の一人息子だからいずれここを継ぐ事になるだろうし、親父と同じく知識と経験を積むためだけに所属してる。資格取得したらすぐ辞めるつもりだったけど、なんだかんだでまだ辞めてないや」


「じゃあ、八雲お兄ちゃんも?」


 その質問には黙り込んでしまう。つまり八雲は魁とは違う目的で属しているのだ。ひたすらティアは彼の言葉を待った。無言の圧力を発していた。


「……ティアの親父さんも人外対策局に所属してたんだ。しかも、局長だった。兄貴の目的はよく分んないけど、ティアの事はいつも心配してるよ。今は退魔師として立派に仕事してるし、実力派の隊で任務に当たってる」


 自分の従兄や兄が所属しており、しかも父はその組織のトップだったという。その事実に、ティアは動揺を隠しきれなかった。父や組織についてを詳しく聞きたいが、今一番優先しなければならないのは綾花の事だと判断する。


「そう……だったんだ。でもどうしよう。このままじゃ綾花ちゃんが……!」


「俺よりも兄貴の方が上に顔が利く。それに直接お前の知ってる事を言った方がいい気がするんだ。俺から兄貴に、ティアがこの件について話したい事があるらしいって伝えておくよ」


「……ありがとう」


 しかし、兄と会える事はないだろうと薄々感じていた。せめて、代わりに来るであろう人が、話の分かってくれる人でありますようにと願うしかなかった。






 *






 レヴェという喫茶店は最近の流行りなのだろうか。最近誰かと集まるとなればいつもここだった。そしてティアの目の前には、爽やかな笑顔を浮かべる二十代前半くらいの男性が座っている。


「どうも、零崎優です。八雲君の妹さんだね? お兄さんの代わりに来たんだ」


 こんなに人が多いところでこの話をするのはどうかと思った。だからといって静かなところで話せば、人々の声に紛れる事なくそこにいるほぼ全員に聞こえてしまうだろう。場所選びもなかなか難しいものだった。

 そんな思考に没頭する中、上の空で聞いていた目の前の男の言葉の中の、あるワードに反応した。聞き覚えのある名字に、自分への質問を肯定するより早く聞き返す。


「零崎?」


「ん? あれ、そういえば零と同じ学校の制服だね」


 どちらも驚いた表情で顔をまじまじと見ている。


「零先輩のお兄さんですか?」


「うん、そうだよ。もしかして零と友達なの?」


「はい、先輩です」


「へえ、世界は狭いもんだね!」


 名は体を表すとは言ったもので、零にある棘はなく、優は正反対で物腰が柔らかな人だった。しかし兄弟なのかと疑う余地はなく、目以外の顔立ちが零にそっくりだった。きっと零が優しく微笑んだらこんな顔になるのだろうなと思う。


「さて、ティアちゃんの能力の事は聞いているよ。清水さんからは何が視えたのかな?」


 簡潔に説明すると、腕を組んだまま目を閉じた。何度も深く頷きながら、過去にあった任務での状況と結び合わせていく。


「ドッペルゲンガー、か」


 その一言を残し、遠い目で近くのアイスコーヒーを眺めた。


「あくまで私の憶測の域を出ませんが……」


「だけど、結構的を射てると思うよ。確かにそうだ。思いが一人歩きするにしては随分と物質界に干渉しすぎているから、生き霊でも思念の塊でもない。能力としては他人の容姿になり透明にもなれる。有名どころのドッペルゲンガーってやつか。こりゃ驚きだね、盲点だった。どうりで現場には人の姿しかなくて、人の全てを模倣(コピー)できるからこそ、人外としての反応が消えたのか……。それでほぼ確定だよ。流石八雲の妹って感じだ」


 アイスコーヒーを一口飲むと、何かを思い出したようでコンマ数秒彼の動きが止まる。


「八雲君とは会えてないの?」


「……はい。いつからか、両親の命日に二人でお墓参りに行く事もなくなっていました。最後に会ったのがいつなのかも、もう覚えてません」


 寂しく笑うティアを、慰めるような視線で見つめる優。その視線に気づくと、冗談です、とでも言い出しそうなくらいに明るく笑った。


「あの兄の事だから、私を気遣っているんです。自分の負の感情が、過去視の能力を持つ私を苦しめないかとか……。あはは、もう兄ったら心配性なんですかね!」


 ――会ってみて分かった。気丈に振る舞う健気なティアちゃんを、見ていられなかったというのもきっとあるんだろうな。この子は相手の心を覗き見る事を失礼だと思っているが、八雲君もきっと同じ気持ちながらに彼女の心の内を覗いたのだろう。今にも壊れてしまいそうな心や、笑顔で自分自身を騙している事にも気づいてしまったはずだ。それに他人の思いがどれほど鋭い刃になるのかという事も、同じ能力を持つ同士……いや、それよりも強力なティアちゃんの力では、自分以上に苦しんでいるという事を分かっている。だからこそ、距離をとったんだ。


「全く……。優しさだけじゃすれ違っちゃうよ、八雲君」


 思考の結論部分だけを無意識に口にしてしまう。するとティアは小首を傾げた。この意味が分かるのはこの思考の持ち主だけだ。それが、この兄妹以外のほとんどの人間にとっては当たり前なのだ。相手の気持ちが分かればいいのにと思う事が今までに何度もあったが、分かりすぎてもよくない事がある事に気づかされた。


「……ちょっと、訊いてもいいかな?」


「はい」


「その能力はお父さん譲りのものだよね? どうして遺伝したんだろう」


「えぇと……。霊感も遺伝するし、その要領じゃないでしょうか?」


「でも遺伝しない事もある……。しかも遺伝してもその力には個人差があるんだよね。八雲君とティアちゃんではティアちゃんの方が強いように、そして僕と零では零は全くと言っていいほど霊感はない。人外も、受け継がれた力の強弱はまちまちなのかな……」


 途中からただの独り言になる。今度は思考がそのまま口に出てしまっていた。


「あの……」


「あ、ごめんごめん。ついいつものくせで関係ない事も考えちゃって。あ、そうだ! 零には俺がこの仕事に就ている事は内緒ね?」


「分かりました。ですが、零先輩は何かしら勘付いているようです……」


「うそ?! ……まいったなぁ。中高一貫校といえど高校への進級試験もあるし、あまり精神的に負担になるような事は言いたくないんだよね。俺がこの組織に属しているって事は、父の死を肯定する事に他ならなくなってしまうから」


 ティアはスカートをぎゅっと握った。何度も会う内に流れ込んできてしまった思考の断片に、父が行方不明だという事と、優の不自然さを怪しんでいる事が視えていたのだ。無力な自分を情けなく思い、何度も経験した胸の苦しさに耐えた。


「それじゃあ、警察に容疑がかかった人達の事で取り合ってみるよ」


「はい、ありがとうございます」


「お礼を言わなければならないのは俺達の方だよ。本来はこちらがしっかり対応するべきだったんだ。……ありがとう」


 彼の顔には優しさしかなかった。今後も退魔師として負に触れていては、そんな彼がいつか堕ちてしまうような気がしてならなかった。






 *






「ふん。これで一件落着……とはいかないが、少しはコイツの身の安全は確保されたんじゃないか? 疑いは晴れたから、後はドッペルゲンガーが捕まったら本当に一件落着だな」


 コイツと言いながら綾花を顎で指す。神無にとって、もうこの事件の行方はもうどこ吹く風で、メロンソーダをストローで吸っている。


「ティアちゃん、ありがとうっ!」


「私なんてそんな……」


 ものすごい勢いでティアの手を握り、ブンブンと振り回す綾花。


「い、痛いよ綾花ちゃん……」


「わっ、ご、ごめんね!?」


「そうだぞ。こんなチビで華奢な奴、そんなに乱暴に振り回したら関節が抜けるぞ」


 神無の言葉に血の気が引いたのはティアではなく、振り回していた本人、綾花だった。


「それって軟体動物になっちゃうって事?! なっ、なんて恐ろしい事をしていたんだろう……」


「綾花ちゃん……俺達はもう、どっからつっこんでいいのかが分からないよ」


「いちいち突っ込んでいたらきりがないぞ。まずは辞書を渡す事が一番だろうな」


「うーん、軟体動物にはなりたくないですね」


「おい、ティアはそれ冗談で言っているんだろうな?」


「あはは、どうでしょうね」


 満面の笑みの彼女からは冗談かも本気かも読み取れず、相変わらずつかみどころがない。談笑も程々に、ティアと綾花が人外の件もあり遅くなる前に帰る事を提案した。


 四人がレヴェから出た時には既に日は落ちていた。新しい環境に浮き足立った学生達が帰路についているのが見える。


「春とはいえ、まだまだ日が落ちるのは早いね」


 零が桜と夜空を見比べながらそう言うが、しかし神無はそれを鼻で笑う。


「お前に夜桜を楽しめるような美的センスが備わってるのか?」


「うっわぁ、なんか今すごくムカついた」


 顔を引きつらせる零に、神無はまた鼻を鳴らす。その間にティアと綾花は桜の木に駆け寄っていた。桜の雨を浴びて笑顔を浮かべている。


「……ティアの今のあの笑顔は、偽物だって思う?」


 初めて三人が会ったあの日、『お前は、シチュエーションに合わせてリアクションをとっているだけなんだろ? そこに自分の意思や感情なんてない』と神無がティアに言い放った言葉。それを思い出し、零はそう問う。


「さあな、オリジナルじゃなかったら相当な演技派女優だ」


 遠回しだが過去の発言の撤回に、零は安堵の表情を浮かべる。


「変わったよね」


「俺達二人の前だけになっても、多少は柔らかくなったな。何があったんだか」


「さあね、朱に交わって赤くなったんじゃないの?」


「どこの朱だ。それよりも、お前と同じ学校を進学先に選んだのが謎だな」


 確かにと同意しかけたがその数秒後、「それってどういう意味だよ」と付け加えた。


「あの頃だったらもう中学受験の合否も出てた頃だし、たまたま俺と同じ中学になっただけだよ。これも何かの縁じゃない? 奇妙な四人組」


「縁だと? そんな気持ち悪いもん繋げるな」


「素直になりなよね。言うほど居心地悪くないくせに」


「勝手な妄想はやめろ」


 そっぽを向く神無の顔はいつも通りだった。しかし零からは見えない側の口角が上がっているのを、遠くから桜の木の下でティアはしっかりと見ていた。目撃された事に気づいた神無は、ティアからも顔を背けてそのまま背を向けて帰路に着いてしまう。


「神無さん、また今度!」


 次にいつ会う事になるのかは分からないが、そう言うティアと他の二人に向け、ポケットから手を出し軽く手を上げた。振ってくれてもいいのにと零は内心思うが、


「神無らしいや」


 と、こちらを見ていない彼に手を振り返した。

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