No.37「未熟な苦悩」
「何そのチープな名前。都市伝説ならそれなりにもっと厨二病っぽくて、ごてごてな名前が出てくると思ってたのに。それでなんなの? その人外対策局っていうのは」
「巷でまことしやかに囁かれている、謎の秘密組織の事だ。AMSとかいう隠語もあったりする。人外という単語を今日まで知らなかった俺は相手にもしていなかったが、なるほどそうか。やっとその組織の目的のようなものが見えた気がする。しかしあくまで人外対策局についての情報はネットにしか載っていない。しかも書き込んだのが誰なのかも分からないのような、匿名掲示板にだ。どこまで信用できるのかと聞かれれば、やはり匿名で書き込まれた無責任なものばかりだろうとしか答えられん」
なんだと落胆する零に、神無はこう続けた。
「調査では人々から得た情報の共通しているものを確信へと移していくが、ネットではそれに限らん。実際に情報を聞き出す際、他の目撃者の声が聞こえる形で聞くような事はしない。何故なら、人間の脳は誰かの言葉により『そういえばそうだったかもしれない』と思うと、次には『確かにそうだった』と都合良く記憶を塗り替えていく能力があるからだ。そうして得た情報はどうなる?」
「……情報としての信憑性がなくなる」
問いに答えたティアに向けて指を鳴らし、そのまま人差し指を向けた。
「その通り。どうしてか。それは虚偽の事実だからだ。他の奴の発言に同調して、そうだそうだと言うだけの奴らの言葉はただの雑音だ。親鳥の鳴き声にピーピー返事するくらいなら、そんなの小学生でも夏休みの工作で作れるくらいの、簡易的なロボットにだってできる。だからより正確な情報を求めるのなら、個別に話を聞いていかなければならない。それがどうだネットは。その辺で見た嘘か真かも判らないような話を、過半数の人々は面白半分でさも自分の体験談のように吹聴しているだけだぞ。それを考慮し、どこまでが真かを線引きするのは非常に難しい。だが一つだけ……これは紛れもない事実だと確信した事がある」
やけに含みのある言い方に、二人は疑問符を頭上に浮かべる。への字に曲げた口は、なんとなしに早く言えと急かしているように見えなくもない。しかしあえて間をたっぷりとあけ、意地の悪い笑みを浮かべた。痺れを切らした零が早く言えと促そうとするが、声を発すると同時に店の掛け時計が夕方の五時を知らせるメロディーを奏で始める。
「……これは今度にとっておこう。明日、またここで夕方に落ち合うぞ。その時は清水なんとかも連れて来い。俺は忙しいんだ。これから仕事が入っているんでな。文句は受け付けん。じゃあな」
神無の背中を見送ったきり、二人はしばし沈黙した。しかしティアの視線が零を通り越し、彼の背後に向けられている。
「カーディガンを着てきてよかった」
何が言いたいのか、その視線と何の関連性があるのかが分からず零は振り返った。店の外にスーツ姿の男性が二人いる。怪しいと思い彼女に訊こうとするが、その疑問を口にする前に結論に至った。
「サツ……?」
「はい。あの歳だと……まだ巡査さんかな」
先ほどのティアの言葉は、任意同行の際に触れた物から指紋を採取され、それがデータとして残るのを嫌がったからだった。これといってやましい事はないが、この先何があるかも分からない人生には不都合だと考えたのだ。物に触れる時は袖で指紋がつかないようにしようと対策を立てた。
彼女の考えなど知らずにお気楽な零は、ただの見た感想を述べる。
「へぇ、なんか怖そう」
「ファーストインプレッションは嘘をつかないって言うし、きっと本当に怖い人なんだと思いますよ。じゃあ、私が店を出るのを待っているようなのでこれで。また明日」
「うん、また明日。気をつけてね」
店を出て行くその後ろ姿は凛としていた。零や神無と会った時もそうだったが、年上の男性に物怖じしない彼女の姿に零は感心をする。きっと他の物事に対してもそうなのだ。
彼女の立ち振る舞いは学校と今、どちらが真なのだろうか。
愛らしく隙のあるティア。
凛として一切の隙がないティア。
しかしこの疑問を持つ事はナンセンスだった。
シチュエーションによって求められる対応に切り替えをしているだけなのだ。それは至極当然の事で、各々強弱はあれど誰しもが無意識に行っている。
予想通り二人の刑事に話しかけられ、それにティアはついて行った。今までティアも神無もいたのに、一人だけ残されるとなると途端に寂しさを覚えるものだった。
「……俺も帰ろ」
店を出ると、車道を挟んで向こう側の歩道で知り合いらしい男性達が「奇遇だね」と挨拶を交わしているのが見えた。特に珍しくもない光景なのだが、零はそれを二度見する。
「あはは、本当に奇遇ですね」
「いやぁ、まさかとは思ったけどそのまさかだったよ。この辺来るなんて珍しいね」
「ええ、まあ」
「あ、そっか。実家はこの辺なんだっけ。となると妹さんに会いに来たとか?」
「……まさか。今の僕に妹と会う資格はありませんから」
「そうかなぁ……。ああ、後さ、俺は君よりも経験浅いし所属歴も短いんだから、敬語なんて使わなくていいよ」
「ですが年上ですし……。それに、僕の所属する隊の隊長じゃないですか」
「うーん、慣れないんだよなぁ。隊長にはこの前任命されてなったばかりだしさ」
何やら面持ちから重そうな話題らしかったが、車道を走行する車のせいで零の耳には声が届いていなかった。横断歩道を渡り、取り込み中の兄に躊躇せずに話しかけた。
「兄貴!」
――う、うわぁ。兄貴の隣の人、笑ってるけど目が笑ってない。怖っ! ティアの言っていた通り第一印象はその人の本質だろうし、きっと本当に怖いんだろうな。
突如現れた弟に驚き、零の兄である優は何やらあたふたし、最後には誤魔化すように笑顔を浮かべた。その横で知り合いらしい男子高校生がニコニコと笑っている。
「ここ帰り道じゃないでしょ? ダメだよ道草食っちゃ。通学路を歩かないと」
「それ小学生に言うセリフ。俺もう中三なんだけど……」
心配性な兄に大きくなった事をアピールし、来年からは高校生だと付け加え言い返す。しかしそれでも優は悩ましい顔をした。
「うーん、早いなぁ。子供が成長するのって」
「兄貴の子供じゃないし。弟だし」
仲の良い兄弟の姿を見て、高校制服に身を包む青髪の少年は微笑んだ。ブレザーについているバッジを見るに、高校三年生。笑ったかと思えば、次の瞬間にはあからさまにどんよりとしたオーラを発し始める。
「だ、大丈夫……?」
「はい。あはは、羨ましくって。僕も妹に反抗されてみたいです。喧嘩なんて一度もした事がなくて、怒らせようにも全然怒らないんです。怒った顔を見てみたい……」
「なんか最後、趣旨が違うような……。趣旨? いや、本当の目的が少しずれているみたいな……いやいやいや、なんだろう、何かが違う」
違和感を覚えた優が、その正体を突き止めようと額に手を当てて考え出す。けれども結局結論は出なかった。零は一般的な種類とは違う兄妹愛を目の前にして、
――シスコンか。
と、彼を表すのに最も適切な言葉を密かに導き出していた。話も途切れたところで彼とはお開きだろうと兄と帰路を共にしようとするが、優と少年の腕時計からは一斉に音が鳴る。タイマーでも設定していたのかと零は予想したが、二人はそれを止める事も、見る事もなく急に走り出す。
「ごめん、急な仕事が入っちゃった。七時までには帰れると思うから、零は先に帰ってて!」
返事を聞く間も無く二人は走り去って行く。
「高校生連れて仕事って……一体兄貴は何やってんのさ」
怪訝な顔をしたまま見送るが、素直に帰路についた。走りながらも弟のその姿を確認し、優は腕時計の盤上に触れる。すると空中に光が集まり、それは画面になった。ホログラムで映し出されたこの辺一帯の地図上では、赤い点が点滅を繰り返しながら移動をしている。
「……この角を曲がったところですね」
「今日こそは!」
勢い良く曲がりその道に立ちはだかるが、どうやら赤い点が示すものには出会えなかった。
「制御装置が壊れてるんですかね」
腕時計と間違えられやすい、制御装置と呼ばれた機械を視線の位置まで上げると、先程まであった目印が消えていた。
それでも諦めずに歩きながら二人は視線を巡らす。レーダーに映らなくなった以上、自分達の目に頼るしかないのだ。しかし大勢の帰宅途中の人の群れに、目立った異物は混入していない。
「どこでしょう」
「……うーん、今回もダメだったね。一体なんなんだろう。制御装置は故障していないと思うんだけどなぁ。じゃあやっぱそういう性質を持った人外なのかな?」
「まず、突然消える理由が分かりません。ワープとかできるんでしょうか」
「あり得なくもない話だよね。被害が出る前に、早く片付けなくちゃ」
優の面持ちは険しいものだった。少年はそれを見ずとも感じ取り、何か手がかりになるものはないかと過去の出現場所や時間を思い返した。
「そういえば……最近、この辺で連続殺人事件じゃないかって騒がれている事件がありますよね。とても曖昧な記憶なのですが、犯行時刻は突然消える人外が現れてから、その数時間以内だった気がします」
「……何だって?」
「実は、僕の妹の通う中学校の生徒が重要参考人の内の一人だと聞いて今日ここに来たんです。もちろん公表されてはいませんが、昨日、事件現場にいた刑事達が話しているのを聞いたんです」
随分とずさんな情報管理だなと警察に内心毒づきつつも、それが幸いし一歩人外に近づいたかもしれないと二人は思った。
「すみません、遅れました〜!」
二人の会話を遮り、着物を着た人物が自転車を漕いでくる。何かとツッコミどころ満載なポニーテール男子が、息を切らして二人の隣で停車させる。
「やあ右京君。いつもの事だけどこんな時間にも着物でどうしたの。制服は?」
「ああ、うちは私服高校なんですよ。それより人外は?!」
「反応がなくなってしまって、残念ながら今回もダメだったよ」
「そうですか……」
優の質問に右京が答え、右京の質問に優が答えた。右京は任務が今回も遂行できなかった事に落ち込む素振りをする。実際少しは落ち込んでいるが、今はそれよりも別の話題を展開したくて仕方がなかったのだ。
「零崎隊長も八雲も聞いた? 一ヶ月くらい前に空き地で殺された女性の妹が、組織に所属を決めたって!」
どちらとも初耳だという反応を示す。しかし確証は無いが、自分達が未然に防ぐ事ができたのかもしれない事件の被害者の事を聞き、心が痛んだ。
「高山さんでしたっけ。なんでまたこんな組織に……」
青髪の少年の疑問には、隊長である優が答えた。
「それは俺と同じじゃないかな。親しい人の死をきっかけに、適性反応が出たんだよ。だからスカウトされたんじゃないかな」
「喪失感と共にある罪悪感や憎悪は、こちらの世界に引きずり込みやすくするんでしょうか。……という事は僕達、同じ穴の狢ですね」
そう返した彼から、優と右京は気まずそうに目を逸らした。しかしそれに気づいた彼は、いつもの温和な笑みで何事もなかったかのように「帰りましょうか」と言う。
「そうだった! 零がきっとお腹を空かせて待ってる! じゃあね、八雲君に右京君!」
手を振りながら元気良く走り去る彼の後ろ姿を、二人は手を振り返しながら見送った。
「……もう、あんまり隊長を困らせちゃだめだよ〜」
「うん、ごめん。じゃあ僕も帰るよ」
あっさりと引く八雲に、右京は「待って」と声をかけた。なんの用かと振り返った彼に、右京はこう続ける。
「訓練生時代からずっと一緒だから、俺が一番八雲の事を分かっているつもりではいる。だけど、もちろん分からない事もあるよ。例えば人外対策局に人が増える事を、よく思っているのかどうか……とか」
「人外対策局に所属する人間は、皆大嫌いだ」
「って事は、零崎隊長の事も?」
「嫌いだよ」
「ふーん、なんで?」
「……人外臭ぇんだよ」
良い家柄出の彼にしては珍しく言葉遣いが乱れ、薄ら笑みを浮かべた八雲は呪詛を吐くようにそう言った。
「どういう事?」
「悲劇に酔ってる輩が多いって事かな。マイナスな感情を溜め込みすぎると人外に堕ちるからね。人間ではなく、人外側に片足なり片腕なり突っ込みかけてる人がいる。まあそうでもないと、先天的に霊感を持っていなきゃ適性は得られないだろうけどさ。でも秘密組織として存在しているんだし、だからこそとにかく閉塞感がものすごいでしょ。いつまでもジメジメな室内で窓を締めっぱなしの湿っぱなしじゃあ、そのうちカビでも生えるんじゃない? 人外化してどんどん人が減ってったりしてね」
八雲は遠くない未来を予想して嘲笑った。だが、右京はそれを否定する。
「本当にそうなったんなら、八雲の嫌いな人外対策局の人間が少なくなってよかったじゃないか。なのに、なんだかまるでそんな未来を不満に思っているような口ぶりだね?」
「それは一般人から退魔師になる人が増えるだけだからだよ。減っては足して減っては足しての繰り返しで、いつも人数は一定くらいに保たれている。知る由もなかったこちらの世界を知る事になる人が新たに増えるのは、ただ犠牲者が増える事に繋がる。裏方の人間は、少なくていいんだよ」
「この理不尽を嘆かないの? 自分は犠牲にされているだけだと思わない?」
次に自嘲気味な笑みを浮かべたのは右京だった。まだ高校生の彼らは悩む事も多く、大人と子供の境界線をふらふらと行き来する年齢では割り切れない事の方が多かった。
「何かを得ようとすれば、その代償として犠牲を払う事なんて当たり前。けれど犠牲になる人達は、同時に事情を知る人であり……大切な人を守れる側である事にも変わりはないからね。情報があればどうにだって対処ができるかもしれない。そういう利点と……」
「そして欠点、か。八雲は天秤にかけて重い方を選んだ。つまり自分の命よりも、八雲は守りたいと思う人の命を守る事を選んだのか。俺が父と弟の残した形見と思い出を選んだように」
強い春風が枝から桃色の欠片を攫う。橙色に染まる空には桜が蝶のようにひらひらと舞っていた。一瞬で花という形を終えた儚い花びら達に、自己を投影し刹那の内にセンチメンタルになる。
「……じゃあ俺の事も他の退魔師達と同じで嫌い?」
「右京は他の人よりも人間臭いよ。まあまあマシって程度だけどね」
その二言で終わるが、しっかりと八雲の言いたい事は右京に届いていた。仲間だと肯定してくれた事に笑顔を浮かべ、肩にかかった髪を手の甲で弾いた。
数年目の付き合いになる二人は、苦労を共有し危機を共に乗り越えてきた。信頼関係だけ厚く、お互いに仲の良い幼馴染くらいには思っている。
「俺、ずっと人間臭くていいや」
「あはは、じゃないと困るよ。……まあ僕が右京を始末するような事態に陥ったら、苦しまずに死ねるよう極力努力するよ」
「わあ〜、ありがとう。俺も八雲が人外堕ちした時のために、瞬殺できるよう腕を磨いておくね」
「ありがたいけど、腕を磨くなら対人外用にしてほしいかな」
「あはは、じゃあ同時進行で」
「あははは。そんなに器用だっけ? 剣術道場のご子息は流石だね」
「いや〜、流石だなんて。ご子息様ったら照れちゃうよ?」
静かに火花を散らす負けず嫌いなライバル同士、黒く禍々しいオーラを発してる。通行人がギョッとしたように二人を見るが、触らぬ神に祟りなしという言葉を信じ、誰も関わろうとはしなかった。戦うのは人間とではなく人外のはずなのだが、しばらく二人の意地の張り合いは続いた。




