No.34「三人の出会い」
あれから数日後。再び血生臭い事件が起きた。前回同様に帰り道に通る場所が現場で、その寂れた空き地には珍しくも人集りができている。
紫色の髪をした高校制服を着た女の子が、規制線の前で警察に止められ酷く取り乱している。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! お姉ちゃぁあああんっ……」
「落ち着いてください、高山さん」
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……!」
うわ言のようにお姉ちゃんと呼び続けていると、中からそれに気づき刑事が彼女の元へ歩み寄ってきた。
「高山椎名さんの妹の、高山実子さんだね?」
「……はい」
放心状態の彼女に声が届いているかも危うかったが、なんとか肯定するとパトカーの中へと誘導された。気の毒だとは思うが、いつか自分もパトカーに乗ってみたいとも思った。それはただの好奇心。
「――犯罪者や被害者の遺族としてではなく、警察として乗ってくださいね?」
「お前、この前の!」
突然背後からかけられた声に驚き、勢いよく振り返った。そんな零に彼女も驚き、大きな瞳を更に一瞬大きくした。
「覚えていてくれたんですか」
「まあね。でも、なんだって事件現場に現れるんだ」
「貴方こそ。随分と鼻の利く人ですね」
「野次馬を野次馬しに来たのか?」
「それ、結局野次馬じゃないですか。違いますよ」
キッパリとそう言い返されては、これ以上の冷やかしはできなかった。彼女は眉尻を下げ、気の毒そうに姉をなくした女子高校生の乗ったパトカーを見る。
「それに……警察なんかがこの事件を解決できるとは思えません」
「なんでさ?」
「警察は盲目も同然ですから」
能無しな警察を皮肉った比喩かと思ったが、そんな悪意は感じない。ならばどういう意味だろうか。
「これらの件は、彼らが総力を上げたとしても解決はできません」
今日も心を読んだかのような発言をするティア。もうあまり疑問にも思わなかっていた。零が極端に分かり易いタイプなのではなく、きっと彼女の読み取る能力が高いのだ。という結論に落ち着く。
「これらって?」
「連続殺人。殺され方はこの前の公園の事件と一緒。警察だって馬鹿じゃないです。盲目でもそれくらいは分かるはず。でも犯人を逮捕する事は愚か、見つける事さえもできない。これ以上続いてシリアルキラーだと世間が騒ぎ立てる頃になっても、きっとこのままでは捕まえられないでしょうね」
「日本の警察なめてるの? 連続殺人なら尚更手は抜かないでしょ。絶対捕まるって」
「言ってるじゃないですか。見えないんですよ、盲目だから」
彼女の言う盲目の意味が零にはまるで分からず、ガシガシと乱暴に頭をかきむしった。あえて抽象的に言っている気がする。
「おい、お前ら邪魔だ」
零にとっては本日二度目、唐突に後ろから話しかけられる。今度は重く気だるそうな男の声が聞こえた。不躾な人だなと思いながらの振り返りざま、零とティアは両脇に避ける。
黒髪で少々癖っ毛の男。髪だけではなく性格にもかなりの癖がありそうだ。つまらなさそうな目は、この世の綺麗なものなど何一つ映っていないと主張せんばかりに濁っている。斜めに構えているのが一目見ればよく分かるが、態度のわりに自分達とは年齢に然程差があるようには見えなかった。
「……ん? お前、前の事件現場にもいたな」
「俺?」
「自意識過剰か。俺がいた時にお前は見ていない。そっちのガキだ」
初めて会った相手に再度お前呼ばわりをする。そして小学生に向かってガキと言い放った。ガキと呼ばわれた事には全く頓着した様子も見せず、ティアは首を傾げている。
「お前、どうして夜中に事件現場を見に来てたんだ。優等生ぶった小学生が、まさか夜の散歩が趣味だとは言わないだろうな」
「夜中の散歩が趣味なんですよ」
彼の目の下の筋肉が引きつった。
「喧嘩売ってんのか。随分と怖いもの知らずだな。いや、ただの世間知らずか? このとおり最近じゃ物騒な事件ばかりだ。夜の散歩は控えるべきだな。……お前、犯人だって疑われるぞ?」
「貴方こそ、そんなに世話好きには見えないです。何か私から聞き出せないかと思ってるのでは……と、疑っちゃいますよ?」
方や不機嫌な顔で、方や子供ながらの無垢な表情で睨み合っている。売り言葉に買い言葉。年上の、しかも男によくも怖じ気ずかないものだと零は感心した。
「名前は?」
「ティア」
「学年と歳は」
「小学六年生、十二歳」
淡々としたリズム感のある会話だった。聞かれた事にしか答えないが、聞かれた事には素直に答えている。しかし姓を名乗らなかったのは、せめてもの抵抗だったのだろうか。
「一応訊いておく。……お前は?」
「零崎零。中二の十四」
「お前とこいつの関係は? こんな捻くれてそうな中学生と、見かけだけは無害そうな小学生が兄妹だとは思えない。それともお前にはロリコン趣味でもあるのか? ナンパ中だったんなら悪かったな」
「誰がロリコンだ! たまたま前の事件現場で会ったんだよ。そして、また偶然会ったんだ」
「俺がいなかった時にもいたって事か? どうなってんだお前。本当に犯人だと疑うぞ。犯人は現場に戻ると言うしな」
「随分と陳腐な事を言いますね。それに、私は人間ですよ」
「……それは見りゃあ分かるが」
何を言っているんだこいつは、という呆れ顔をするが、ティアはその表情に関心すら示さない。意味深な事を言うティアに、零の方がハラハラするほどだった。
「あの、もう夕方なので帰ってもいいですか」
「何を言っている。お前の趣味は夜の散歩なんだろ?」
あからさまに面倒くさそうな顔をするティアと、勝ち誇り不敵な笑みを浮かべる青年。大人気のない華麗な反撃だったが、やはり彼の方が上手だ。しかし名を聞くだけ聞いておいて自分は名乗らないし、どこまでも礼儀がなっていない男だった。
そんな不審極まりない男に二人でついて行くと、最近できたばかりのカフェの前で立ち止まった。
「レヴェ……? このカフェ初めて来た」
「ここじゃなくても偏屈そうなお前がカフェなんて行くのか? 好きなのを頼め。俺はコーヒー」
この中で一番偏屈そうなのはお前だろ、と零は思ったが、不毛な言い争いをすれば秒殺される事が目に見えていたので、口にするのはやめておいた。彼はティアと零の向かいにふてぶてしく乱暴に座る。
「じゃあ俺、オレンジジュース」
「ミルクティーをお願いします」
オーダーを聞いた店員が下がったのを確認し、背もたれに背中を預けたまま青年が話し出した。
「……で、ティアは何か物知り顔だったが何を知っている?」
「その前に、いい加減名乗ってください。ただの不審者同然ですよ?」
「ああ、すまない。俺は神有神無だ」
彼はあっさりと名乗った。あえて秘密にしていたのかと思ったら、ただの名乗り忘れだったようだ。それにしても変わった珍しい名前に、零は食いついた。
「かみなしかんな?」
「『かみあり』、もしくは『かんな』だ。ぜろ君」
「れ、い、だ!」
「そうだったか?」
「……わざとだろ」
二人の会話なんて、風でそよぐ遠くの葉音程にしか感じていないティアは、運ばれてきたミルクティーを「いただきます」と言ってから口にした。その後なんのモーションもなくティーカップを置く無言なティアに、言い合いをやめた零が問いかける。
「不味かった……?」
「いえ、とても美味しいですよ」
リアクションの薄い彼女。およそ表情というものをほとんど見せないティアからは、心情が全く伝わってこなかった。対照的に、コーヒーを口にする神無の顔には「苦い」という二文字が浮かび上がる。それに二人は冷めた視線を向けた。
「……ブラックを飲めないのにブラックを頼んだんですか?」
「俺は歴とした甘党だ」
追加で砂糖を頼む姿は、なんとなく格好がつかない。店員も苦笑いだが、しかし本人は全く気にしていない。あまりにも堂々としているため、反応を間違っているのは自分達なのではないかと思わせられるほどだった。
「……それで、なんで俺達は柄にもなくカフェに連れて来られたの?」
「別にスーツでも制服でもカフェにいるだろ」
「この三人組は違和感でしかないです。小学生一人に中学生一人、そして高校生一人なんて」
「ほう。なんで俺が高校生だって分かったんだ」
「なんでって……勘ですよ」
「本当か?」
神無が席を移動してきたせいで、ティアは年上二人に挟まれる。気を利かせて退き、逃げ道を作る事に気を回せるほど、零はませてはいなかった。ジリジリと神無は詰め寄り、鼻先がぶつかりそうなくらいに近くで、上からティアの瞳を覗き込んできた。
闇しか見えてないような神無の瞳は、彼女の目の奥の動揺の色をうかがっているようだった。しかし、まったく動じる事なくそれを受け入れている。静かすぎて怖いくらいに澄んだ瞳だ。神無は諦めて彼女から離れた。
――濁りなど一点もなく澄んでいるのに、一体何を映している? こいつの瞳に映るものは何も見えない。鏡のように澄んでいるのに、そこには何も映ってはいない。
「……ふん、お前って矛盾だらけだな。優しいのに冷たいし、いつもお前の心と態度は真反対だ。お前は、シチュエーションに合わせてリアクションをとっているだけなんだろ? そこに自分の意思や感情なんてない」
「何言ってんだ、あんた」
「零に話しているんじゃない。黙ってろ。ティアの感情はオリジナルじゃないコピーだ。人間は好きそうじゃないが、人間がいなければお前は人間らしくいられない」
その言葉に心当たりがあるようで、ティアは戸惑い眉をひそめた。
「何故そんなに人を恐れる? 愛想を振りまくる理由はなんだ。何故お前は、人といる時に拒否をしながらも心配をしている。お前は俺達に見えない何かを見ている。俺が目を見ても何も見えないのは、そのせいだ」
「……なんで、なんでそこまで見抜けるの?」
感心が込められた言葉だったが、憧れの眼差しではなく、敵視と言ったほうが適切だ。
「勘だ」
皮肉にも先程自分の言った言葉を返され、ティアは諦めたように嘆息した。
「神無さんは高校生なのに、何故警察に干渉できるんですか?」
「ほう、そこまで分かるのか。更に謎だな。それは俺の兄が警察関係者だからだ。それに俺自身が警察に恩を売っているから、あっちもあっちで邪険にはできない。ただそれだけだ」
「では何故、今回の事件に興味を持ったんですか」
「事件を調べているのはただの暇つぶしだ。ただ今回の事件に興味を持ったのは、不可思議な点があったから……そう言えば少しは面白味が出るか? あの公園には防犯カメラが設置されていた。殺される瞬間もしっかりとカメラに映っている。お前等は信じないかもしれないが……いや、俺もまだ信じきれてはいないんだが、犯人が映っていなかったんだ」
「は? 被害者が殺される瞬間が映ってるのに、どうして犯人が映ってないのさ」
「さあ、透明人間でもいたんじゃないか」
人物と似つかわしくない言葉に零が絶句する。小馬鹿にするというよりも、素直に驚愕していた。
「あんた……何、オカルトとか信じるタイプ?」
「そんな訳ないだろ。そう見えるか?」
「全然」
だろうな、と安心したように椅子に踏ん反り返った。そして再び少女に目を向けるとこう問う。
「ティアはどう思う、この不可思議な現象を。何かを知っているから、事件現場でお前はいつもの澄まし顔でいられたんじゃないのか? お前のオリジナルの感情だったから、知り合いの誰にも見られていないから、無表情でいられたんだ」
「……目が悪くて、何かよく見えなかっただけですよ」
苦しい言い訳だとは思いながらも、そう言うしかなかった。
「じゃあもしも仮に本当に目が悪かったとして、お前はあの時何を見ていた」
「……言ってもどうせ信じません。私が言おうとしている事は、今散々に否定されたオカルトな事です」
「何? 子供の戯言に付き合ってる暇はないんだがな」
何を言い出すのかと、懐疑心のこもった視線を向ける神無。その言葉にティアはティーカップを置いた。
「では、これでお話は終わりですね。そろそろ一旦帰らないと、心配をかけてしまいますから」
「やっぱりそうなのか。だよな、誘拐されそうな容姿だ」
「門限は十七時です。夜中の外出を許すほど、私に無関心な保護者ではないです」
「保護者?」
親と言わない不自然さに聞き返すが、彼女は一切答えなかった。
「ごちそうさまでした」
一礼し、千円札をテーブルに置いた。とても小学生の行動とは思えない。
「えっ、いいよ」
とっさにそう返す零だが、初めて見せる柔らかい笑顔を返されては、何も言えなくなってしまう。出口を塞いでいる神無が避けてやると、立った後にまた一礼をして去って行った。
小学校六年生なのに、その後ろ姿はまだまだランドセルが大きいように見える。頭にかぶる帽子のリボンが、ひらひらと綺麗に揺れていた。切りそろえられたパッツン前髪に、ボブヘアと言われる髪型。繊細な糸のような水色の髪は、シルク生地のように艶やかに天使の輪を形成している。
「随分と上手く笑うもんだな。笑っている方が可愛いのに、なんだって俺達の前ではほとんど笑わないんだ?」
「へぇ、素直に可愛いとか思うんだ」
「あれを可愛いと思わない奴は、将来超絶美人になる可能性を見出せない見る目のない無能か、女に興味のない男色家か、特殊な趣味を持った奴だ」
「無能、ゲイ、最後のは何?」
「ブス専とかデブ専だろ。なるほど、確かに人間関係に難ありには見えなかったわけだ。友達の前ではあの笑顔で年相応の事を口にしているんだろうな」
「俺達……嫌われてるのかな」
「不審者レベル程度の認識じゃないか」
「あんたわね」
「なんでそう言い切れる? なんだなんだ、恋の幕開けか? やめておけ、大火傷するどころか砕け散って灰になるぞ」
「……ちげーよ。あんたこそ、高校生が小学生に恋愛感情持っていいのかよ?」
「世間では年の差結婚が流行っているな。一ヶ月後には中学生だろ? そんなに年は離れていないし、一応期待しておく」
ふざけた口調からは、本心を一切読み取れなかった。おそらくは全て冗談だろうが、しかし言う人が言えばすぐにでも警察に御用になりそうな発言だ。
「おい、なんだその目は。冗談だぞ。俺は一生独身を貫くつもりだからな」
「あんたには独り身がお似合いだよ」
美少女は罪。イケメンは免罪。なんとも意味の分からない公式ができあがりそうだった。




