No.31「一ヶ月の空白」
「夜斗、またサボりか」
銀は机に座ったまま、そちらを見る事なく教室の敷居を跨ぐ彼を呼び止める。
「……俺の勝手だろ」
「しかし、学校はしっかりと通わなければならないものだ。優秀な夜斗が成績を落とすのも良くない」
「知るかよ。……お前に何が分かる。大切な仲間が死んだんだぞ?!」
声を荒らげると、周りの生徒達が何事かとザワついた。その声は廊下に響くほどだったのだ。
「……分かっているつもりだ」
「実子隊なんて、少し同じ任務に就いた事がある程度だろ!」
「皆が動揺している。少し静かに……」
舌打ちを残し、さっさと廊下を歩いて行ってしまう。それを同じ階に教室がある愛花と朱里も見ていた。
「大丈夫かねぇ?」
「あいつ……また会って間もない頃の刺々しい雰囲気に戻っちゃったわ」
「……ねぇ、愛花も夜斗と同じように思ってる? 少し同じ任務に就いた事があるくらいの関係だってさぁ」
「別に。少しでも同じ任務に就けた仲間だと思ってるわよ」
「ならよかったけどねぇ。無理しないでよ? あんた目が腫れてるし、クマのせいでパンダみたい」
「ふん、悪かったわね」
夜な夜な泣いては目が腫れる。隣のベッドに彼女の姿はない。辛い現実を突きつけられる度に、悲しくて悔しくて堪らなかった。
「慰めてやる気なんて全然ないんだから、早く気持ち切り替えなさい。朱里だって仲間の死を見るのは良い気分じゃなし、これでも耐えてんの。だから愛花に死なれたら……もっと迷惑」
本当に不愉快そうに迷惑だと言い切る朱里。その優しさに感謝しつつも、やはりティアの死を割り切れないでいた。
「……朱里はもう配属希望先は決めたの?」
「通信情報専門部」
「退魔師じゃないんだ?」
「巫女の血統でも才能はなかったみたい。あそこならデスクワークだし、センスも強さも関係ないでしょ?」
「まあ、そっか……」
「愛花は?」
「まだ決めてない」
「ふうん。あんたらの事だから、皆仲良く退魔師やるのかと思ってた」
「……皆、か」
そう呟く愛花の心情を読み取り、朱里は失言したと後悔する。しかしそんな彼女も、釈放されたらしいあゆみの行方が気になっていたのだ。どちらの隊も一人の隊員がいないまま、同じ隊の仲間として日々を共有していた。
*
「あらら夜斗じゃん。お早いお帰りだね〜!」
「アル、お前は熱大丈夫なのか? 寝てなきゃ治んねぇぞ」
フラフラと上体を起こし、心なしか顔の赤いアルがリビングでテレビを見ていた。
「寝てたよ?」
「寝っ転がるんじゃなくて、眠れっつってんだ」
やれやれと言いたそうに夜斗は首を力なく左右に振る。それを見たアルは、鬱陶しい前髪をかきあげた。
「だぁってさ、寝れないよ。あれから一ヶ月も経ってるけど、今だに受け入れられないし……ね?」
あまり重くなり過ぎないようにと少し笑ってみせるが、どこか苦し紛れが抜け切らない。弱々しくはない。ただ、痛々しかった。
「寝てないから体調崩すんだろうが」
「……それは夜斗も一緒でしょ?」
アルの言葉には棘があった。冷たい視線を夜斗からテレビに戻すと、力なく背中から倒れる。しかしそれは見間違いだと思うほどに一瞬で、自らの意思で寝転んだような素振りをした。
「ア……」
「あーあぁあ、ダルい。風邪なんてそうそうひかないのにぃー」
彼の名前を口にしかけると、これ以上詮索されてはかなわないと思ったのかすぐにいつもの調子に戻る。この誤魔化しが、自分の意思で寝転んだのではなく体調の悪さから倒れたのだと夜斗を確信させた。
「もしかして夜斗に風邪移しちゃった?」
「……ただのサボりだ。安心しろ」
「お兄さんとしては全然安心できないなぁ、それ」
苦笑するアルは、責めるわけでも肯定するでもなく困った顔をした。同じ傷を持つ者同士、今の喪失感や虚無感に共感してくれるのは右京隊の隊員だけだった。
それでも求めるのは誰かからの慰めでも傷の舐め合いでもなかった。願うのはティアの存在。
だからこそまだ希望を捨てずにいる。行方不明者にならともかく、死んだ人間に生きていてくれと望むのはおかしい。しかしこれは部外者の一般論だ。当事者ならば、一度は「生きていてくれたらいいのに」と願う事だろう。これが当事者の一般論だ。
「……なぁ、アル。最近の皆をどう思う?」
反射的に本当に訊きたい事とは違う事を口にしてしまう。ただの保身。そして、間を埋めるためだけの気休め。
「うーん、愛花は完全に沈んじゃってるし、信太も佐久兎も隠してるつもりだろうけど元気ないよね。夜斗なんてボク達に会う前みたいに戻っちゃってるしね。ヒュー、尖ってるぅ!」
「……お前の頭の中に、オブラートって言葉はないのか?」
半笑いの夜斗へ、アルは怪訝そうな顔をする。
「事実を述べて欲しいんじゃないの? それとも傷の舐め合いがしたい? ……ボクには、夜斗がそういうの好きそうには見えないけどね」
真剣な表情で図星をついてくるアルには頭が上がらない。ふざけて回避できそうな状況でもなかった。
「ああ、好かないな」
「何か他に訊きたい事があったんでしょ。いいよ、何?」
本当にアルには敵わない。こんな風に訊いてくれなければ、一生訊けなかったかもしれない。そう夜斗は思った。
「気になってる事があるんだ。……あの日、俺が最後に聞いたのは悟原の言葉だった」
「悟原の?」
「久しぶりって、確かにそう言ったんだ」
「誰に?」
「それが分からないんだ。あの時点で、口がきける相手なんていなかったし、俺達にかける言葉でもないだろ?」
「……一つだけ心当たりがあるのは、ボクが戦いの前に見た未来の事。誰かからの視点で、あの現場を見ていたんだ。夜斗よりもっと後ろにいたけど、誰にも目視されない人物のものだったんだけどね。透明人間みたいな。今にして思えば、そんな事ができる人物が一人だけいる」
「……岩波あゆみ。俺もそう考えた。だけどよ、俺らは蜃気楼でも見てたっていうのか?」
「ありえない事じゃない。問題はどこからどこまでがそうだったのかだよ。でも『解毒剤を』って言っていた。という事は、ティアはボク達と同じで体に毒が回っていた事になる。撃たれていなかったにしても、相当危険な状態だったんじゃないかな。結局無理して臨んだ戦いだったし、完治していないのに頑張り過ぎていたせいでだいぶ体も弱っていただろうし……」
「もしかしてって、今でも思う。ティアは生きてるんじゃねえか? 何馬鹿な事を言ってるんだとか、周りにありもしない希望を持たせるのは悪いと思って言えなかった。だけど……アルの未来視の能力で分からねぇか?」
彼は力なく首を横に振った。本当に申し訳なさそうにしている。
「ごめん、力になれそうにないよ。ボクも試したんだ。でも既に存在しないからか、やっぱり何も読み取れない。生きていたとしても、ティアは未来視や過去視の能力を拒否する事ができる。ティアはボク達に会ってからも、その前からもずっとそうしてきたみたいなんだ。だから……生存を確認する術はない。ボクも、能力を使いすぎてこのザマだよ」
最後の希望も絶たれ、夜斗は乱暴にソファに座った。しかし夜斗の顔には、新たな希望の色がさす。
「判んないなら、死んだって確定したわけじゃねぇじゃん」
「……そうだね。その通りだよ」
「諦め悪いな、俺達」
「いっそ清々しいくらいにね。能力に頼らなくたって方法はいくらでもある。まずは皆に相談するところから始めよう」
*
ベランダに寝転び手を空へ伸ばす。しかしゆらゆらと定まらずに宙を仰いだだけだった。見ていた彼にはなんの意味もない行為に思えたが、彼女が何かを迷っているようにも見えた。
「何してるの?」
「……零先輩」
年上の登場に慌てて体を起こす。そんな彼女の隣に零は座り、一つ溜息をついた。
「だから先輩はいらないって。今度つけたら斬るよ?」
「あはは、それもいいかも」
「……少しは生に執着しなよね」
顔を引きつらせる零の横で、彼女は陰りのある表情、冷たい声で問いかけた。
「何のために?」
「何って……ねぇ」
特に理由もなく生きている零に、返す言葉なんてなかった。死んでいないから生きている。それだけの事なのだ。
「あはは、もちろん冗談です。すみません」
困った零を見てから、優しい笑みを浮かべてお茶目っぽくそう言う。しかし冗談らしい本気の言葉に、二度目の溜息をついた。
「あーもう。どこから本気か分からないなぁ。……それで、さっきはどうしたの?」
「星に手が届きそうで……掴もうとしたんです。届くはずなんてないんですけどね。まだ夏の暑さにやられちゃってるのかなー、なんて。頭おかしいですよね、あはは」
おどけて言うが、寂しい響きを感じた。それを零は見逃す事はしない。問い詰めたい訳ではなく、ただ昔から知る彼女が危なっかしくて放っておけなかったのだ。
「なんでそんなに夏に執着するのさ」
「執着……しているように見えますか?」
「だいぶね」
垂れ目がちなのに眉はつり上がっているからか、零は人にきつい印象を与えてしまう。そんな目で、珍しく気弱な少女をチラリと見た。
するとその先にもう一人の人影が見え、刀を瞬時に手にし抜刀する。
「わあー物騒だなぁ。落ち着いてよ。君に用はないから」
そう告げると、不審者は背後から少女の首元に顔を埋めた。何者かには突然背後を取られ、零には刀を向けられ、彼女はつい呆気にとられてしまう。
「えっと、誰ですか……?」
「離れなよ。じゃなきゃ殺すよ?」
どうやら匂いを嗅いでいるようだ。スンスンと鼻から空気を吸い込む音が耳元で何度もする。零が刀を向けているのはこの人物へなのだとやっと理解した。
「君に用はないって言ってるのに。血気盛んだなぁ」
「人外には容赦しない主義なんで」
「……その声、悟原?」
彼女が後ろを振り返ると、そこには懐かしい顔があった。いがみ合っていた零が拍子抜けした顔をする。
「何、知り合い?」
「キメラ事件の時に知り合った、キメラの悟原さんで〜す! そして彼女が、そんな悟原を救ってくれましたぁ!」
悟原自らが自分の紹介をする。
「助けたなんて……むしろ、私が助けられたっていうか……」
「謙遜しないでよ。感謝してるんだからさ!」
退魔師が人外を助けたという事に、零は嫌な顔をする。自分の兄、零崎優とは対照的な零は、人外との馴れ合いを好んではいなかった。それは、人外に殺された兄の件も少なからず関係している。
「こいつを助けてくれたのにはお礼を言うけど、俺は人外なんて全部斬っちゃえばいいとしか思ってないから」
「れ、零先輩……」
「のこのこ現れた間抜けだよ? 殺しちゃおうよ」
「――駄目です」
いつものおどけた調子で冗談を言うが、殺気を察知した勘の良い少女は、彼の言葉が冗談ではないのだと直感で感じ取っていた。
大人びた表情だが、どこか幼さの残る彼女の顔からは、想像できないほどの威圧感がある。仕方なく鞘におさめると、零は鼻で笑った。
「良かったね。俺しかいなかったらとっくに斬ってたよ」
「君に殺される事はきっとないけどね」
「……へぇ、随分と自信家じゃないか」
――イラつくなぁ。やっぱ殺そうかな?
「今、イラつくし殺そうって思っただろ?」
悟原の言葉に目を丸くする零。何故分かるのかと思案するが、この状況からは予想できないほどの事ではないだろうと己の中で完結させようとした。
「この状況じゃなくても分かる。なんて言ったって、俺はサトリと人間のキメラだからね!」
しかしそれはとんだ見当違いだと思い知る。意地の悪い笑みには意地の悪い笑みで返し、二人の間には火花が散った。
「あぁ、やっと解ったよ。君、サトリだったのか」
「まあね。でも君にかまっている暇はない。今日はお礼をしに来たんだ。今じゃもう生活も安定してね、どうにか一人でも生きていけそうだよ」
「そっか……本当に良かった。お仕事は何をしているの?」
「占い師!」
悟原から出た予期せぬ言葉に、少女は大きな紫色の瞳をパチクリさせる。これまた怪しい職業を選択したものだと、話を聞いているだけの零も苦笑する。
「占い師……?」
「そう! 今じゃ口コミで広まって、一日に二桁も捌いているんだ。サトリとのキメラで良かったよ」
「でも過去を読むだけって、それインチキじゃ……」
「占い師なんて、カウンセラーとさほど変わらないよ。過去の傷を探し出して心に寄り添う! そして的確なアドバイスをするだけで皆は満足して帰ってくれる! しかも感謝してくれるし、お金も置いてってくれるしさ」
良いのだろうかと頭を悩ませた。しかしこれは善悪で判断ができない。人々を助けているのは事実で、特殊な能力を使っているのもまた事実。しかしそれは未来を予測するものではなく、過去や現在を覗くものだった。やはりこれではカウンセラーに近い。
――でも、普通のカウンセラーに過去を読む能力は無い訳で、占いといっても間違いではないし……?
「そんなに難しく考えないでよ。よりお金が取れるのがたまたま占い師ってだけだよ」
「君随分な理屈をこねるね。けど気に入ったよ。人間だったら友達になれていたかもしれないのに、残念だなぁ」
悟原と零が意気投合し始め、素直に喜んでも良いものなのだろうかと、少女は更に頭を悩ませる。
「報告とお礼にきただけだから、そろそろ帰るよ。なんかあったらおいで。客観的に見て解決策を探してあげる」
そう言い名刺を二人に渡し、悟原は十五階のベランダから飛び降りてしまった。普通の人間ならば驚くが、何せ彼の半分は人外だ。無残に地面に叩きつけられてはいないかと一応確認するが、やはり既に姿はない。
「キコリの森林……。パスタ屋とかスイーツ店の名前みたいだね」
名刺を見て冷静にツッコミを入れる零。その横で裏にボールペンで書かれた文字を見つける。何かと零が覗き込み、そして読み上げた。
「あゆみちゃんの入院先の病院はこの名刺にメッセージとして残しておいたから、知りたければ過去視の能力を使ってね……? あゆみって、殺人未遂で捕まった岩波あゆみの事?」
「いいえ。私を救ってくれた、命の恩人の事です」
隣で微笑むどこまでもお人好しな少女を見て、零は気が知れないと苦笑を浮かべた。




