No.30「届いた言葉、届かない言葉」
屋外で戦うアル、信太、鬼子、鬼李。どちらも一歩も引かない状況だったが、日付変更直後に変化があった。突然鬼李がその場に膝をつき、胸を押さえて苦しみ始めたのだ。
「お、おい鬼李、大丈夫か?」
「……あんたら、情に絆される事多すぎ。そんなんでこの先どうするのさ」
苦しそうに肩で息をしながら信太を睨めつけ、差し伸べられた優しい手を払いのける。風になびいた髪は黒から白に変化し、微風でも肌にヒビがはいる。やがてそれはパラパラと欠けだし、風に風化していった。血色のあった肌は蝋人形のようになり、硬化した体が灰になっていく。
「鬼李……もう寿命がっ……!」
鬼子が悲しみに表情を歪ませる。妹に駆け寄る姉も同様に髪の色が変化し、足から青白く硬化し灰になっていく。それでも鬼子は懸命に腕で地を這った。
「……もう寿命かぁ。決着ついてないのに、まだ早いよ……。ねぇお姉ちゃん、今までありがとう」
しかし目の前の妹の体は、風に乗って崩れていく。消えゆく妹は一寸先にいるが、もうすぐで触れられるところまで来た時、強い風が吹き荒れた。
「鬼李、鬼李ッ……!」
それは無情にも、鬼李を攫っていってしまった。まだ瞼の裏にある彼女の笑顔の残像は薄れていき、最後に流した涙の雫は地に落ちた。
「――――季李ッ!!」
唯一残った指輪を握りしめ、鬼子は鬼李の本当の名を叫び咽び泣いた。跡形もなくなった彼女が残したのは、たったそれだけ。アルがその背後に迫り刀を振りおろそうとするが、それを信太はアルの腕を引いて止める。心なしか、いつもより手には力がこもっていた。
「……いいだろ。もう、先は長くないって」
しかしアルは首を横に振った。
「キメラとして……人外として、退魔師が殺さなきゃならない。誇りって多分、そういうものだよ」
アルの言葉が耳に届いていた鬼子は、涙を流しながら振り返った。太ももまで灰になってしまった彼女は微笑む。彼の言葉を肯定しているのだ。
「……早く」
しかしそう言う鬼子を見て、アルは悲痛な顔をした。それでも笑顔を無理やり浮かべ、刀ではなく銃を向ける。少しでも楽に。そういう配慮からだった。そして静かに引き金を引き、銃声の数秒後、力なく体は地に横たわった。
打たれる寸前、彼女――季子は五文字の言葉を声なく呟いた。それをアルはしっかりと受け取り、そして寂しそうに笑う。
「……『ありがとう』って、ズルいよ」
「オレ、何が正しいんだか分かんないよ」
「どちらが正義で悪かなんて、当事者が決める事じゃない。決めるのはきっと傍観者達で、無責任さが求められるんだ。そこに正しさなんて必要なくて、正義が強いんじゃない。使い古された言葉を使うなら、強い方が正義なんだよ。だったらボクは間違っていない。正義だったし、正しかった。キメラという人道を外れた鬼子は間違っていたんだ。鬼子は……季子として生きるべきだったんだよ」
安らかな顔をして永眠した季子の手には、季李の指輪が握られていた。灰化が止まり、脇腹あたりから上が残っている。
――どんな人生を歩んできたって、どんなに理不尽な人生だって。絶対に間違えてはいけない道がある。誰だって、そんな事は分かっているはずなんだ。けれどそれを分かっていながらも、不正解を選ぶ時がある。ボクが間違った道を進みかけた時、皆は連れ戻してくれるのかな。
アルが空を見上げた時、二人はその場に倒れた。緊張の糸が切れたのだ。
「痛っててててぇッ! 何だこれ、めっちゃ痛てぇ!」
「あはは、ドーパミン切れ〜。でもまだ皆戦ってるんだから、早く行かないとね」
「んあぁ、そうだなぁ。……そういえばアル、この戦いの未来は視てねぇの?」
アルの顔が急に強張る。
「……そうだねぇ、今日の信太のパンツは黒ってところかな!」
彼の様子からどんな答えが返ってくるのかと身構えていたが、拍子抜けする答えに、信太が不信感たっぷりのもの言いたげな視線を送った。
「……いるよな、残念なイケメンって」
「え〜聞こえないなぁ! さーてと、行こっか! 休んでいる暇はないよ」
「弾丸を銀にした甲斐があったよ」
「そうね。でも、なんで銀が有効だって気づいたの?」
「……キメラは撃ってもすぐにその傷口は塞がってしまう。どうすればいいのか考えたんだけど、魔除けや儀式の道具にも使われる銀を使ったら、その再生能力も抑えられるんじゃないかなって。う、撃ち込むまでは半信半疑だったけど、予想通り効いてくれてよかった」
「なんか佐久兎、帰ってきてから少し頼もしくなったわね」
「そ、そうかな? 愛花だって、一緒に残って戦ってくれなかったら僕は死んでいたかもしれない……。ありがとう」
「ふん。あんたが冷静さを欠いて自滅したら、寝覚めが悪いだけよ」
言葉とは裏腹に、愛花は笑顔でその感謝を受け入れた。しかし悠長に語ってはいられない。まだ戦いは終わっていないのだ。
「愛花、佐久兎!」
ドタドタという慌ただしい足音の主を確かめようと振り返れば、そこには見慣れた顔があった。
「アル、信太!」
「良かった……二人とも無事なんだね。あの二人はどこ?」
「二人は二階に行ったわ。あたし達も今から向かおうとしていたところよ」
戦っているという事は、二人は無事だという証拠だ。その希望を胸に階段を四人で駆け上るが、次の瞬間にはどん底へと突き落とされてしまう。木の床はめくれ上がっていて、壁には無数の弾痕があり、そして血痕がいくつもついている。
「な、んだこれ……」
自分達の戦場よりも荒れている。遠くから聞こえる刃物がぶつかり合う音や謎の閃光。自分達の戦ってきたキメラとの桁違いさを感じさせる。その中、ティアと夜斗は戦っているのだ。こんなにも強い相手と。
「おい、大丈夫か?!」
信太が先頭で部屋に入れば、そこにいたのは服を血に染めた四人。制御装置を発動中で生身ではない事から、肉体へのダメージはここまで酷くはないのかもしれない。
しかし、軽減されるだけであって、無傷では済まない。そして霊体へついた傷は、霊力でしか治せないのだ。自然治癒力、もしくは治癒能力のある者が、専門的に適切な処置を施さなければ急激な回復も望めない。もちろん霊体が死ねば、肉体も死に至る。
二人はギリギリのところで耐えていた。一人はキメラ相手に。もう一人は、言霊使い相手に。
「へぇ……夜斗の言った通り皆生きてるね。残念だなぁ」
残念と口にする割には口角が上がっていた。ここに辿り着いたという事は、仲間の死を意味するというのに、それには無関心そうにただ冷酷な笑みを浮かべている。
「誰一人欠けずに皆生きて必ず帰るってさ……一人でもそっちが欠けたら、僕達が全滅してもこっちの勝ちだよね?」
「……させねぇよ」
「あっはは! かっこい〜。でも、そんなボロボロの夜斗に何ができるのさ」
「はっ。お前を倒す事くらいじゃねぇか?」
「本当に口が減らないよね」
呼斗が嫌悪の表情をのぞかせた瞬間、手に持っていたテディベアが破裂し無数の針が部屋中に散らばった。空を割く針はそこにいた全員の体に突き刺さる。誰もが苦悶の表情を浮かべた。
「みっ、皆……!」
ティアは呼斗の真後ろに避けた事から一つも当たらなかったが、他の五人や悟原にも針が腹部に刺さっている。
「あぁ、ごめんごめん悟原。ティアに当てるつもりだったの。皆も早く抜かなくていいの? それ、毒が塗ってあるんだよ」
針を抜いた直後に、膝から崩れ落ちる夜斗、愛花、佐久兎、アル、信太、そして悟原。
「麻痺してそのうち動けなくなる。呼吸機能も低下し、最後には心臓が止まって死ぬんだ」
「……解毒剤はないの?」
「一応、ここに六つあったりするよ?」
こんな細い針に命を奪われるのかと、動かなくなっていく体にそれを実感させられる。意識は鮮明なのに体だけが動かない。なんとももどかしい状況だ。このままだと皆が死んでしまう。もう既に動く事ができない仲間を見て、ティアの顔は険しさを増すばかりだった。
「……その目、気に入らないなぁ」
そう言いティアに針を飛ばした。今度こそ彼女の首に刺さり、苦悶の表情を浮かべる。すぐに抜くが、もう遅かった。膝から崩れ落ち、床にうつ伏せに横たわる。呼斗は値踏みするような視線を向けてくるが、しかしその視線をティアは流し、悟原を視界に捉えた。
「……キメラは、毒を解毒するほどの力は無いみたいだね」
「それがどうかした?」
「どうかしたって、仲間でしょ? 早く悟原に解毒薬を……」
「それじゃあ君達の内の一人が助からなくなるよ?」
――悟原はただ温もりが欲しかっただけ。私達と同じように家族を失い、たまたま見つけた光がこれだっただけの事。そして呼斗に使い勝手がいいように洗脳されてるだけだ。本当の悟原は、悪い人なんかじゃない……。
刀を交えながら視た彼の過去は、筆舌に尽くし難いほどに壮絶なものだった。
「悟原が生きる事を望むのなら、殺す事もない、でしょ……」
やっとの事でティアは立ちあがるが、体を支えるのがやっとだ。悟原の目はしっかりと生への執着を見せていた。ティアの美点であり欠点であるその優しさは、呼斗にとっては理解し難いものだった。
「じゃあ仲間の中から一人見殺しにするっていうの? あははっ、随分と酷い事を言うね」
「皆の中に……私が含まれている事を忘れてない?」
皆の中に、それは愛花の願いだった。ティアと打ち解けあったあの日に思った事だ。他人と同じくらいに自分自身を大切にしろという思いからだったが、ティアはそれを実現し、そして仲間と自分の命を天秤にかけた今、自分自身を犠牲にしようとしていた。
「ティア、や、めろ……」
夜斗はやっとの事で声を絞り出すが、止めようにも体が動かない。這いつくばる手で床に爪を立てるが、それ以上動く事はかなわなかった。
「はははっ、傑作! なかなか面白い事になりそうだね」
「早く。皆が死んじゃう」
「ふん、面白さに免じてその提案にのってやるよ。……ただ一つ条件。お前の事は、僕が殺す」
呼斗は注射器をまず夜斗に刺し、中の液体を一気に打ち込んだ。そして意識を失ってしまった悟原、愛花、アル、佐久兎、信太にも解毒薬を打つ。それを見届け、ティアは再度膝から力なく崩れ落ちる。しばらくは誰も動けなかったが、まず体を起こしたのは奇跡的にも意識のあった夜斗だった。
「……てめぇ、よくも……!」
しかし毒が抜け切っておらず、焦点も定まらないような状態だった。立ち上がれても歩く事はできない。
「じゃあ、皆が動きだして邪魔が入る前にティアを殺しまーす!」
呼斗は夜斗の銃を拾い上げ、動けなくなったティアを足を使って仰向けにさせ、それを胸に突きつけた。ティアの指先がピクリと動いた。
「約束……。誰一人欠けずに、皆生きて……必ず、帰る……」
今から殺される人間が何を言うのか。呼斗は今際の戯言などさして気にも止めず、ただ滑稽なものでも見るかのように口を歪めた。
しかしティアは、何故か勝ち誇ったように笑顔を浮かべている。
「……じゃあね?」
「っやめろぉおおおおッ!!」
――言葉なんて、何の意味もない。
夜斗は、そう思った。
言霊使いではない人の言葉なんて、何の拘束力も、攻撃力も、ましてや守る力も無い。
夜斗が聞いたのは、耳を塞ぎたくなるような鋭く重い音だった。
「……ティア」
力を無くし、ダラリと床に体を投げ出すティア。戦いでできた傷からは尚も血が流れ出している。撃たれた事による血だまりの中に、彼女は横たわっている。まるで赤い薔薇の中で、眠っているようだった。
――ティアが、死んだ……?
怒り、悲しみ、憎悪、恨み、虚無感、喪失感を糧になんとか立ち上がるが、この刀がなければ立ち続ける事もままならない。
「……くそっ、殺してやる。……殺してやる!」
「吠えないでよ。口だけじゃあ負け犬と同レベル。怖くて鳴いてるの? ワンワンッ! あははははっ!」
熱い何かが腹の奥底から込み上げ、刀を振りかぶり、呼斗に斬りかかった。迷いはない。ただ純粋に殺す事だけが目的で刀を握っている。
「うっ……ぐ、あ……っ」
今まではかするのがやっとだったのに、なんとも呆気なく呼斗は刀を受け入れた。彼自身も夜斗も驚き、確かめるように視線を落とす。すると、背後からも刀が突き刺さっていた
「ぐ、あ……ガハッ……?!」
血を吐く呼斗は、忌ま忌ましそうに背後を見る。
「さ……と、はら……?」
「……俺は、仲間が欲しかったんだ。使い捨ての道具じゃなくて、仲間として見て欲しかったのに」
目と口が引きつった表情で、呼斗は笑ってみせた。
「まさか……お前に殺されるなんてね。夜斗も、良かったじゃん。大切な人の……敵討ちがで、きて……!」
血を吐く呼斗の瞳からは、光が消えていく。何度も何度も吐血しては、新しい血だまりをつくった。
「でも、呼斗の勝ち。……夜斗の仲間の一人を、ティアを、殺せ、た、から……呼斗の…勝、ち…………」
悟原が刀を引き抜き、呼斗はその場に倒れ込んだ。もう、二度と動かない。日本人形というのは比喩ではなく、本当になってしまった。最期は敵だったが、やはり悲しみを覚えずにはいられなかった。
ティアの元へ向かおうとするが、夜斗も倒れてしまう。とめどなく溢れる涙で視界が滲んだ。伸ばした手は届かず、力強く床を殴る。
「……くっそ、くそが……! おい、ティアッ……! 目……開けてくれよ……!」
掠れた声は意識を失った仲間にも、死んでしまったティアにも届かない。皮肉な事に、悟原にしかこの声は届かなかった。
意識が遠いていくのを必死に止めようと腕の力で前に進むが、それも三歩にも満たないほどの距離で夜斗も意識を失ってしまった。
それから数秒後、悟原は口を開き、ティアの方を見た。
「……やあ、久しぶり」
この場にはもう口がきける相手はいないはずなのに、彼は、見えない誰かにそう話しかけた。




