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No.29「意地と義務」

 虫の音が耳に響く。静寂は無音に限られるものではないのだと知った。しかし夜は暗闇でしかない。視界が悪いのは事実だ。


「へぇ、夜斗って本当に良いとこのボンボンなんだね〜!」


「勘違いすんなよ。ここには一回しか来た事がねぇ。叔父さん達はよく来てたみたいだけどな」


「えぇ、ボクを養ってくれない? そのためならお嫁さんにだってなるよ」


「ノーサンキュー」


「アル子ちゃん悲しいわ〜、フラれちゃった」


「減らず口叩いてると死ぬぞ」


「うん、干からびそう」


 夏の蒸し暑さに汗が滴る。それを手の甲で拭うが、汗は止まる気配がない。暑いと何度も口にする二人に、愛花はついに痺れを切らす。


「もう、あんた達少し静かにしなさいよ。この状況分かってんの?」


「でも私も暑い……」


「そんな事いいながらも、愛花もティアも涼しそうな顔してるよな。オレはもう無理暑い」


「ちょ、ちょっと……も、もう少し静かにしないと」


 門の両脇で武器を構えたまま、突入する期をうかがう。そんな緊張感の中で軽口を叩くのは、やはり暑さへの嫌気がさしているからだ。少しでも気を紛らわせようとするが、なかなかまとわりつく熱気には敵わない。


「こんな事、前にもあったよね」


 アルが懐かしむ様にそう呟いた。


「……いや、さ。ボク達が初めて会ったあの日、テロリストの人質になりながらもこんな風に話してたなってさ!」


「あと一ヶ月もしない内に、もう三ヶ月経つんだね……。長いようであっという間だったなぁ」


「いろいろあったわね。黄泉に吸い込まれた日には天にも会ったっけ」


「僕は最初のスポーツテストでバテちゃってさ。……正直退魔師をやっていけないと思ったよ」


 アルもティアも愛花も佐久兎も、今までの日々を思い返しているようだった。様々な経験を経てここまできたが、今振り返ると感慨深いものがあった。


「お前ら、こんな時に柄にもなく思い出話すんなよ」


「そうだそうだ! これが最後みてーじゃん。オレ達は皆で生きて帰るって、右京さんとも約束しただろ!」


 夜斗と信太の言葉に四人は頷いた。しみじみとした空気を吹っ飛ばし、笑顔で応える。


「じゃあほら。もう一回約束だ! 誰一人欠けずに、皆生きて必ず帰るぞ!」


「了解!」


 信太の掛け声へ五人同時に返事をし、そして門を蹴破った。門の先に広がっていたのは荒れ果てた草木と、洋館のような不気味な建物だった。


「ヒュー、雰囲気あるねぇ」


 余裕があるように口笛を鳴らすアル。しかし彼が見据えている先には家からもれる、かすかな明かりで照らされた木があった。そこから姿を現したのは、以前対峙した事のあるキメラだ。


「……お待ちしておりましたよ、アルさん」


鬼子(きこ)ちゃんだっけ。お久しぶり」


 五人の目の前に二人の女が現れる。禍々しい黒いオーラは、人ならざる者だという事を物語っていた。面識のある者はもう一人いる。鬼子と呼ばれたキメラの隣の少女が信太に指をさす。


「信太だぁー! 今日こそ倒すっ!」


「うわ、鬼李(きり)だ……」


「うわってなんだうわって! シツレーな奴! こーんな可愛い女の子が相手なんだから喜びなよね」


「どこに女の子がいるんだよ! お前のその腕力はゴリラか鬼だろ?!」


「うっわームカつく。ゴリラじゃなくて鬼だもん……っね!」


 突然鬼李が信太に殴りかかるが、生身の信太は間一髪でかわした。喜々として攻撃し続けるキメラに信太は渋い顔をした。


「あっぶねーなぁ! いっつもいっつも突然来やがって」


「突然殴っちゃダメってルールなんてないじゃん! 戦いにルールなんてないんだからさっ」


 信太の顔スレスレを通る鬼李の拳を交わし、戦いに必要な手順を踏む。退魔師の戦い方の大前提はまず、制御装置(リミッター)を使用する事だ。


制御装置発動(リミッターオン)!」


 信太とアルの声が重なり、本格的に戦いが始まる。訓練生の段階では見かけにあまり変化はないが、これで人外と能力は対等だ。強さに個人差はあるが、潜在的な能力はきっとキメラに劣らない。


「早く行け! ここはオレ達がどうにかする」


「おう、絶対勝てよ!」


「ボク頑張っちゃうよ〜。夜斗達も勝ってよね!」


 夜斗、ティア、愛花、佐久兎が戦地になっている庭を抜け家の扉を開く。その間に四人も制御装置(リミッター)を発動させた。それを見送り、アルは刀の構えたまま真剣な眼差しを鬼子に向ける。


「ねぇ、訊きたいんだけどさ」


「なんですか」


「鬼子ちゃんはキメラになって幸せだった?」


「それは愚問ですね。……アルさんこそ、退魔師になって幸せですか?」


「ははっ……そっか。どれほどの戯れ言だったかが分かったよ」


 刀を鞘から静かに引き抜き、鬼子に向けて構えた。


「――――ボクは、退魔師で幸せだ」






 *






 奥に続く廊下には、予想通り誰かがいた。コツコツと足音をたてながら四人へ近づいてくる。そして、薄暗い建物内へ頼りない光を通す窓の横で立ち止まった。蒼白い月明かりに照らし出されたそのキメラの姿を目視した直後、佐久兎が声を荒らげる。


亮鬼(りょうき)! お前が父さんをっ……!」


 手に持つ拳銃は小刻みに揺れ、小さくカタカタとなっていた。恐怖にではない。怒りに佐久兎は震えていた。


「お久しぶりです。高園佐久間を殺し損ねたようです。……案外人って、丈夫なのですね?」


 挑発的な言葉に、佐久兎は両手に銃を構える。少々冷静さに欠くようで、撃てども撃てども当たらない。亮鬼が飛んでくる全ての弾丸を刀で真っ二つに斬っているのだ。人間離れしたその俊敏さに苦戦する。鳴り止まない銃声の中、愛花が声を上げた。


「二人は先に進んで! あたしは佐久兎の援護をする」


 明らかに劣勢な佐久兎に加勢する愛花。何か切り札を隠しているような意地の悪い表情で、二人を送り出す。しかし勝利を確信したその顔には自信が満ちていた。


「分かった。佐久兎も愛ちゃんも気をつけてね!」


「分かってるわよ! ティアも絶対生きて帰ってきなさいよ!」


「もちろん!」


 佐久兎と愛花を背に夜斗とティアは更に奥へと進むと、すぐに階段が見えてきた。木造のそれは、少しでも重さがかかれば唸りそうなくらいに、かなりの年季が入っている。進む道はここしかなかった。


「……行こう」


 いつ何処から現れるかも分からない敵を警戒して、慎重に階段を登る。するとティアが「あのさ」と、口から言葉がこぼれ落ちるように呟いた。


「なんだ?」


「鬼子さんも、鬼李さんも、亮鬼君も……半年以内に行方不明でニュースになった人達と同じ顔だった。私が前に会った悟原(さとはら)も。一時期、連続失踪事件だって騒がれてたのを覚えてる?」


「連続失踪事件……」


 口に出してようやく思い出す。


「あったな、そんな事件。まさかこれに巻き込まれてたなんてな。しかも呼斗がやってたなんて……あの頃じゃ想像もつかねぇよ。いや、実際まだ実感も湧いてねぇ。被害者だった奴らも今では加害者か。なんだかな……」


「あっはっはっはっは! 被害者だと決めつけるのは良くないよ。望んでキメラになった人だっているんだから」


 階段の先には、腹を抱えて笑う男の姿があった。ティアはその男を睨めつけながら、刀の柄に手をかけいつでも抜刀できるように備えた。


「悟原……」


「階段になんて突っ立ってないで、はやくこっちにおいでよ。呼斗君はこっちだよ?」


 バタバタという足音が響く。それは悟原のものだった。夜斗の追うぞという声に、ティアも階段を駆け上がる。

 登り終えて最初に見えたのは、一番奥の部屋の扉が開かれている光景だった。その扉からは電気の道筋が伸びていて、逆光に人の黒い影が浮かび上がっていた。


「こんばんは、夜斗」


 その部屋に足を踏み入れると、中性的な、含みのある声が聞こえてくる。その声の主を視界に捉え、夜斗は眉間にシワを寄せた。


「呼斗……」


 呼斗と呼ばれた中世的な顔の少年は、椅子に浅く腰掛け、右手で長い黒髪を指にクルクルと巻いていた。左手は膝に乗せた可愛いテディベアを撫でている。暗く赤い瞳は、吸い込まれそうなほどに虚ろに闇を映していた。夜斗と同じはずの瞳の色なのに、全くの別の色に見える。否、濁っていると表現するのが正しい。

 まるで謂わくつきの日本人形。彼を比喩するのに、恐らく最も妥当な言葉だった。


「ねぇ……どうして夜斗はいっつも僕の欲しい物を意図も簡単に手に入れちゃうの?」


「欲しい物?」


「僕には友達がいなかった。せっかくうちで可哀想な可哀想な夜斗を引き取ってあげたのに、幼稚園に入ってからは新しく友達を作ってかまってもくれない。寂しかったなぁ……。そして僕が人外対策局の事を知ったのは小六の事だったっけ。興味深くてネットで情報をかき集めたよ。そのうちに呪術について知ったりしてね、やがてそれを語れる友達がやっとできたんだ。そして呪術を試したりしている内に、人外と触れ合えるようにもなった。人外は素晴らしいよ……! 僕の孤独を解ってくれる。それに夜斗みたいに裏切ったりしない。悟原達も孤独な人でね。だから孤独にならないように、人外を自分の体に閉じ込めたんだ。そうすれば一生孤独じゃないでしょ? 憑依じゃない。DNAレベルで体が変わるんだ。その方法をこの家の地下室で研究に研究、失敗に失敗を重ねて遂に完成形になったんだよ!」


 虚ろだった目には狂気の光が宿る。理不尽な理由で夜斗を恨み、そして孤独で歪んでしまった人格は、こうも恐ろしく人を変えてしまうものなのだろうか。何も言い返せない夜斗の代わりに、ティアが口を開いた。


「……それは間違ってるよ」


 珍しくそう言い切った。はっきりと他人の考えを否定した。


「ティア・ルルーシェ……いや、本当は御祈祷ティアだっけね。どうしてルルーシェの姓を名乗っているの? 何かへの戒め?」


「戒めだよ。形に縛られなけば、決意が揺るぎそうだったからそうしたの。でも私の事なんでどうでもいい。どうしてあゆみちゃんを、そして翔太君を裏切ったの?」


 ティアの言葉に、彼は怪訝な表情を浮かべた。


「裏切った? そんな覚えはない。だって僕達は仲間なんだ。孤独を癒すための信頼している(・・・・・・)仲間さ。お前と違って、仲間の信頼を裏切るような事はしていない。信頼には信頼で返しているよ」


「私は……」


「裏切ってないって? いいや、裏切ってるよ。僕には分かる。仲間面しているくせに、お前はいつも上手く一定の距離をとっている」


 これも何かの能力なのか、意味深に分かったような口をきく。ティアは動揺しながらも自分の事は後回しにし、訊かなければならない事を口にする。


「貴方はあゆみちゃんの犯行を後押しした人。良心の呵責と復讐心との間で必死に自分と戦ってきた彼女を、復讐の道へとけしかけたのは何故?」


「そんなの簡単さ。利害の一致だよ。夜斗の親友が自殺した時に、夜斗は僕のところに戻ってきてくれたんだ。その時から僕は仲が修復したと思っていたのに、突然人外対策局にスカウトを受けてまた僕の元を去って、今度は大事な仲間を手に入れた……? ふっざけてるよねっ?! 僕にとってもお前らが邪魔だった。その内の一人を殺してくれるなら、是非そうしてほしいじゃないかっ!」


 感情むき出しに顔を歪める呼斗はぬいぐるみを握る手に力を入れ、乱暴に立ち上がった。醜く顔を歪めた彼の怒りは収まらない。


「夜斗が一番気にかけているティア……お前が悠と同じ様に死ねば、また僕の元に戻って来てくれるかもしれないじゃん! だからだよ! だからお前を殺そうとしたんだ! ……解るか? お前にこの気持ちがっ!」


「……解りません。貴方の自分勝手な自己中心的理由で、夜斗や他人を巻き込むのは間違ってるよ。そしてどうしてキメラを造るなんていう禁忌を犯したの……? 禁忌だとされるには必ず理由がある。キメラの欠点は貴方も解っているはずです」


「うるさい女だなぁ。キメラは短命だって事でしょ? 寿命を削ってまで、孤独から切り離される事を望んだよ。ただ、それだけの事」


「今までのキメラの研究で、何人が犠牲になったか覚えているの?」


「失敗作の数なんて把握してないよ。生き残ったのは、霊力の高いあゆみ、鬼子、鬼李、亮鬼、悟原だったってだけ。知識しかなく経験の少ない僕じゃ、成功率は決して高くはなかったけどね」


「……貴方にとってはそれだけの事なのかもしれないけれど、今までに死んでいった人達にもそれぞれの人生があって、その人を大切に思う人達がいた。破綻した人間関係の数は、人数の倍以上に及ぶ事は容易に想像がつくでしょ? 人外だって例外じゃない。命を……人生を、他人が弄んでいいものじゃないよ」


「ああ、お前は悟原と同じで視えるんだっけ。もう死んだ仲間なんて、僕には関係無い。今いる仲間が全てだ。……悟原、やっちゃって」


「御意!」


 悟原とティア、両者の抜刀スピードにも差がなくほぼ同時だった。しかし鞘をどうにかする暇もなく荒々しく床に放り投げ、木が打ち付けられる軽く硬い音が部屋に響く。刀がぶつかり合い、火花を散らした。


「あれぇ、この前より強くない? ああ、制御装置(リミッター)ってやつか」


「正ー解ッ!」


 力で負けそうになり、ティアは悟原の刀を滑らすように弾き返した。力を流す事でバランスを崩させ、それを狙って押し返すのだ。


「おっとっと……ははっ、強い強い! 痺れるなぁ」


「ティア、大丈夫か!」


「大丈夫! 夜斗こそ気を抜いちゃ駄目だよ」


「ああ、そうだな」


 夜斗が視線を向けた先には、蔦森呼斗がいた。目が合うとテディベアの手を掴んだまま、ニッコリと微笑む。テディベアを抱き、敵意むき出しの目で夜斗の瞳を覗き込んだ。


「夜斗は僕の事を殺せるの?」


「少なくとも……そのつもりだ」


 銃口を向けるが怯む様子はない。撃たれても無事だという自信があるのか、しかしその自信の根拠が検討もつかない夜斗は、実際に撃って確かめるしかなかった。


「そうだよ。撃ってみなきゃ僕の事は探れない。ほら、撃ってみなよ」


 ――躊躇うな。呼斗(こいつ)は敵だ。


 トリガーに指をかけ、間髪入れずにそれを引いた。指をかけたのと同時くらいだろうか。呼斗の口が微かに動く。銃の音にかき消されるが、次の瞬間、現実味のないありえない事が起きた。謎の発光が起きた後、弾丸が空中で止まり、そして床に落ちたのだ。


「……は?」


「夜斗、それは障壁……結界だよ!」


「余所見しててもいいの?」


 戸惑う夜斗に助言をしようとするが背後を取られ、ティアの首に悟原が手をかけた。そのまま床に倒れ込み、持っていたティアの刀は近くの壁が弾いた。


「っ……」


「ティアッ!」


「夜斗も仲間の心配なんかしてていいの? まずは自分の心配をしなきゃ……」


 悟原はティアに馬乗りになり、もう片方の手で刀を首元に突きつけた。しかし彼女は表情を一切変えない。


「少しくらい怖がってくれてもいいんじゃないのー? つまらないじゃん」


 邪魔になった刀を手放し、恍惚の表情でもう片方の手もティアの首にかける。徐々に徐々に力を入れていくと、彼女の顔はそれに呼応するかのように歪んでいく。興奮気味の悟原はもう力の加減が利かない。抵抗しようにも馬乗りになられ、動く事もできず、彼女の細い指は彼の腕を握った。ティアの爪が自身の腕に食い込むが、それすらも悟原にとっては嬉しい事だった。


「……っ……あ」


「その顔だよ、その顔が見たかったんだよ……! 苦しむ顔も素敵だね!」


「ふざけんなこの変態! 離れやがれ!」


 助けるために夜斗が近寄ろうとすると、背後から弾丸が飛んでくる。飛んできた方角には呼斗がいる。つまり今の攻撃は、彼がしたのだ。


「また夜斗は僕を見ない。なんで……そんなにこの女が大切?」


 しかし彼の手には銃が握られてはおらず、代わりに先程床に落とされた弾丸が消えている。今飛んできた弾は、それだった。どうすればそんな事ができるのだろうか。


「……当たり前だろ、同じ隊の仲間だ」


「仲間……ねぇ。本当にその女目障り。悟原、楽しんでないで早く殺して」


「……だってさ。お楽しみはここまでだね、ティーアちゃん」


「――――い……」


 苦しそうにティアが口を開く。悟原を真っ直ぐ見つめながら、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「……何?」


 雰囲気が一変、刺々しいオーラを放つティアに動揺し、少し手の力を緩めた。刹那、三度目の銃声が鳴る。


「死ねないって言ったんだよ」


「なっ?! ……くそっ」


 悟原の左太ももからは血が流れていた。ティアから離れ、おぼつかない足取りで距離を取る。そしてティアも首をおさえながら立ち上がる。


 なんとその右手には銃が握られている。自分の腕力や握力の弱さを銃で補おうという彼女の考えから、常に刀と共に携帯しているが、それはやはり大きな戦力になった。


「……悪足掻きするなんて思ってなかったよ」


「そうだね。約束なんてしなければ、私はここで悪足掻きなんてしなくて済んだのに」


「約束?」


「……『誰一人欠けずに、皆生きて必ず帰る』ってさ」


「ははっ、君達らしいよ。……最も、ティアちゃんは死に急いでるんだと思っていたけどね」


「死に急いでいるんじゃない。私はただ、生き急いでいるだけだよ」


「ははっ、上等じゃん」


 再び斬り合いが始まる。空を切る音と刀がぶつかり合う音が絶え間無く部屋に響く。両者一歩も譲らずに、攻防戦が続いていた。


「さあ夜斗、僕達も戦いを再開しよう。……それとも、僕のところに帰ってきてくれる?」


「冗談言うなよ」


「……そう言うと思った」


 嘲笑う呼斗を目の前に、夜斗は警戒心をより一層強め、どうしようもない胸騒ぎを忘れようとした。


「……刺され」


 ただ、呼斗はそう言葉を発しただけだった。なのに次の瞬間には、夜斗の腹部に衝撃が走る。


「……え?」


 本能的に目は衝撃の原因を探そうとする。衣服に滲む鮮血。血液はナイフを伝い、床へ血だまりを作っていく。赤い雫が滴る度に、それは大きくなっていった。


「……待っててね夜斗。今止めを刺してあげる」


 彼はその場に倒れこむ。呼斗は手から落ちた夜斗の刀を拾い上げ、心臓に突き刺そうと切っ先を胸元に突き立てた。


「夜斗っ……!」


 夜斗の元へと向おうとするが、悟原が邪魔して進めない。素早く左手で太ももにつけたホルスターから銃を取り出し、悟原と呼斗に向けて撃つ。その時呼斗は、刀を夜斗の方へ投げ捨てた。


「ラマク・カヒ・アカバベ」


 近距離で撃った悟原には当たり、呼斗へと向かった弾丸はまるでスロー再生でもしているかの様に宙をゆっくりと進む。


「……何、これ」


「時間を遅らせる言葉(・・)だよ」


 威力を失った弾丸を手で掴む。そしてそれを、ティアへ向けた。


「……加速」


 ティアの髪をかすめ、背後の壁に撃ち込まれた。全くもって理解できないこの状況に、ティアは困惑の表情を浮かべる。


 ――さっきの呪文。でもこれは呪術じゃない。じゃあ、何……?


「呪術は訓練すれば誰でも使えるもの。でもこれは呪術とは区別するべきだよ。これは才能。僕は言霊使いなんだ。その椅子に『壊れろ』って言えば……」


 先程まで呼斗の座っていた椅子が、何の前触れもなく破裂した。


「……この通り、壊れてしまう。さあどうする? このままじゃ手を下さなくても夜斗は失血死する。助けたいなら早く僕を殺して病院にでも連れて行かないとね」


 呼斗は親指を立て、首の前で横に引いた。首に引かれた横線は喉への斬撃、もしくは死を意味していた。


「ちなみに相手は呼斗君だけだと思わないでね。俺もいるんだから。まあ一対二になってしまうけど、せいぜい悪足掻きを続けてね?」


「……っ、ざけんな。勝手に仲間外れにしてんじゃねぇよ」


「動かないで! 今すぐ止血しないと……」


 立ち上がり腹部に刺さったナイフを乱暴に引き抜いた。そのせいで更に血が溢れ出る。ぼたぼたと重みのある音で床に叩きつけられる血は、なんだか液体らしくはなかった。


「……流石だね、夜斗。そうこなくっちゃ」


「うるせぇよ。絶賛死にかけ中だ」


「だったら死体のフリをしていれば、自分は助かったのかもしれないのに。馬鹿だなぁ」


「ナマ言ってんじゃねぇよ。誰がティアだけに戦わせるか。アルが視た未来じゃティアは死んだらしいが、そうはさせねぇ。それにティアの言う通り誰一人欠けずに、皆生きて必ず帰るって約束したんだよ」


 その約束は、生への執着心を持たせた。同時に心の支えにもなり、それを唱える事によって自分を奮い立たせる。


「だから俺が欠けたら、()じゃなくなるだろうが」


「……そうだね。皆で約束したんだから、皆で生き残らないと約束は果たされないもの」


 活を入れ合い、二人は敵に目を向けた。


「呼斗には銃を使わない方が良いらしいから、近距離担当ならそれらしく刀でいくか」


「刀を向けるなんて不躾だなぁ」


「お前にだけは言われたくねぇな」


 夜斗と呼斗の耳元で赤いピアスが微かに光る。互いにそれに気づき、悲しそうな目で笑った。


「……つけていてくれたんだ。僕が初めてあげた、お揃いのプレゼント」


 お互いのすれ違いが生んだ事件。その事にどちらも気づいたが、既に引き下がれる状況ではなかった。戦う理由は、呼斗の意地と退魔師としての義務のみだった。

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