No.28「右京隊の約束」
あれから一週間も経たない内に、右京からの報告があった。キメラの潜伏先は蔦森家の別荘。人数は五人で、呼斗を除く四人はキメラだ。
「討伐任務に任命されたのは、実際に接触した経験のある右京隊。つまり俺達……いや、君達だ」
「君達って、右京さんは……?」
「今回俺はノータッチ。別の任務に回されたんだ。ハワイであった大規模な事件に、日本からの派遣として俺の他にも十名選抜されてね。どういうわけか、局長直々に君達をキメラ討伐に任命したんだ。作戦は明日の日が落ちてから乗り込み、明朝には全て片付け終わっている状況が好ましい。一般人の身の安全のためにも、スマートで早急に対処する必要がある。……君達にできるかな?」
佐久兎の質問への答えは意外なものだった。そして右京からの問いは、六人の表情から愚問としか言えなかった。その固く決意した顔には確かな絆がある。右京隊とは名ばかりで、仮編成隊の隊長はほぼ隊員に関わりをもたない。しかし、右も左も分からないような六月の頼りない彼らの面影は、もうそこにはなかった。昼は学校、夜は訓練。そんな毎日を送ってきた彼らは、以前の彼らとはもう違う。
「皆……生きてまた会おう。必ずだ。誰一人欠けずに、皆生きて必ず帰って来るんだ」
「はい!」
隊長と交わした約束を胸に、六人は威勢良く答えた。息の合ったその返事は、やっと足並みの揃った六人を表現しているかの様だった。
六人の部屋を後にし、自室への道を様々な事を思考しながら右京は歩いた。
――本来、仮編成隊の訓練生にこの件を任命するのはおかしい。明らかに経験不足なのに、相手の実力はそれなりのものだ。……しかしこれは局長直々の命令。俺には海外に行けと別の命令が来るし、右京隊に他の隊からの応援も頼んだが断られてしまった。おかしい。不自然すぎる。一体局長の目的はなんだ……?
「お前が眉間にシワを寄せているなんて、随分と珍しい事もあるものだな」
不意にかけられた声に驚く。気配に気づけないほどに、思考に没頭していたようだった。右京の部屋の扉の前では、実子が仁王立ちをして立ちはだかっている。
「実子こそ俺の部屋に来るなんて珍しいね。龍崎派に来る気にでもなったのかな?」
「ほざけ。どういう訳か訊きたかったからわざわざ訪ねたんだ。何故右京隊……しかも隊長不在の時に、訓練生六人が戦闘に向かわせられる? 何故お前が必死に応援隊の要請をしても却下された?」
「そんな事を訊かれても困るよ。俺も疑問に思っていたところさ」
「じゃあ何故、岩波あゆみが釈放されたんだ。これも分からんか?」
彼女の口から、信じ難い言葉が飛び出した。いくら未成年といえども、人外関連の法では殺人未遂までしたら釈放はありえない。一度魔に魅入られてしまった人間の再犯率は非常に高く、そこからエスカレートしていってしまう傾向があるからだ。
「……全く、ありえない事だらけだね」
「しかも、八雲の妹がその釈放に関わっているらしいじゃないか。殺されかけたというのに気が知れんな。お人好し過ぎやしないか?」
「ティアちゃんが? ……彼女なら嘆願書を書いたとしても不思議はないね」
「それもそうだがさてどうだろう。事はそんなに単純だろうか」
実子は眉根を寄せ、目線の先にある床を睨んだ。
「残念ながら、人外に関わる退魔師が一番地雷を抱えているだろう。人外に堕ちるだとか、人外を使役して犯罪を犯すだとか。皮肉な事に常に隣り合わせにいる私達は、人外とは表裏一体だと言えなくもない。刑事が犯人を追って行く内に、思考を理解しようとしてそれができた時はもう、後戻りできないところにいるもんさ」
「それは……何を言いたいんだ?」
「酒は飲んでも飲まれるなって事だ。その精神は組織にも退魔師にも通用する。……私は龍崎派にはなれないが、右京の味方にくらいはなれる」
「……え?」
思いもよらない彼女の言葉に、右京は呆気にとられてしまう。
「誤るなよ、選択を」
それだけ言い残し彼女は去って行った。見送る右京の目には様々な感情が込められ、彼らしくもない自嘲気味な笑みを浮かべていた。
「ああ、間違えてやるもんかよ。正しさなんて必要ない。結果が全てなアンフェアな世界で……見苦しいまでにもがいてやる」
――自分の無力が悔しくて。自分の立場がもどかしくて。もう二度と仲間を失うのは嫌で。だから彼らと距離をとってきた。
元々仮編成隊では、隊長が干渉する事は少ない。あくまで仲間ではなく、教官として認識させるためだ。しかし、成長していく姿を客観的に見てきた立場としては、親心のようなものが芽生えてしまう。
不本意ながらだった組織への所属も、戸惑いながらもどうにか仲間と向き合おうとする姿も。初任務でぶつかりあい、そして得た信頼も。それぞれがそれぞれの抱えるものに必死に向き合いながら、他人を理解しようとする姿勢も。いつからか打ち解け合い、本当の仲間になっていく姿だって。
全て見てきたんだ。あえて傍観を貫く事もあった。あえて刺激するような事もした。六人が紡ぐ言葉一つ一つが、それまでの人生が詰まった思考一つ一つが、彼らを繋ぐ絆になって、やがて人間模様が形成されていく。触れれば壊れてしまいそうな曖昧さが、日々を通して確かなものになっていく。
あの日からもうすぐ三ヶ月。秋で仮編成右京隊は解隊されてしまうが、彼らのおかげでもう一度仲間と呼べる人と同じ隊になりたいと思った。
八雲や実子、そして今は亡き零崎隊長のような人達に出会いたかった。決して仲が良いとは言えなかったが、それでも零崎隊は居心地が良かった。もう存在しない幻想を思い浮かべては、毎晩毎晩孤独に苛まれ、人外と人間の関係の在り方を自分に問うていた。沢山のifが自責の念に変わり、逃れるように自分の居場所を探していた。
教官とは名ばかりの、隊長とは名ばかりの俺は。彼らに与えてもらったモノの方が多かった。彼らの事が羨ましくて。次の自分の所属先の隊を想像しては、あの頃に戻れたら一番なのにと嘆いていた。
「始まりの秋がもうすぐ来る。でも俺は、あの日々をもう一度、もう一度過ごしたいんだ……なんて。ははっ、カッコ悪……」
涙なんて出ない。気持ちを誤魔化すために染み付いてしまった笑顔が、ただ自分の情けなさの色を濃くさせるだけだった。
救えなかった命は、どんなに悔やんでも戻らない。退魔師に夏休みなんてものはない。あるのはただ、命の重さだけだった――
*
「ねぇ、あんたは大丈夫なの? その……呼斗って人は従弟なんでしょ」
「別に。人外対策局の人間として、退魔師として、あいつを止めなきゃなんねぇだろ。ただそれだけの事だろうが」
その言葉には確固たる意思があった。止めるとはなんだろう。キメラ造りを止めさせるという事だけだろうか。法で裁き刑務所にでも閉じ込めておくという事だろうか。
それとも、
「殺す覚悟もあるって事?」
「そうだ」
佐久兎にとって、夜斗の言葉は正直理解に苦しんだ。そんな簡単に決意できる事なのだろうか。血の繋がっている人間を殺すなんて、どうしてそんな冷酷な事を言えるだろう。そう思った。
しかし違う。彼には躊躇いを押し殺せる程の強さと、周りを気遣う優しさがあるのだ。もしここで夜斗が躊躇すれば、他の誰もが戦いづらくなる。それをよく分かっているからこその対応なのだ。しかしアルはそれを良しとしなかった。
「この強がり。『仲間ってのは弱味を見せ合う仲ってわけじゃないだろ。弱味を見せてもいいかなと思える奴らの事だ』って言ってたの誰だっけ〜?」
「ア、アルッ、恥ずかしい事掘り返すな!」
覚えのない会話に、愛花、佐久兎、信太は首を傾げるが、夜斗の反応から事実だという事は判断がつく。
「いいんじゃない? たまには弱さを見せたって。仲間なんだし、みっともない姿だってこの先きっと見られちゃうよ。それとも、夜斗基準でボク達は仲間じゃないの〜? 悲しいなぁ、ボク泣いちゃーう」
「……ふん。仲間だろ、フツーに」
照れ臭そうに言うその言葉を予想していたかのように、満足げにアルは笑った。他の四人も笑顔になり、当たり前の事をありがたく思った。
「……約束だからな! 誰一人欠けずに、皆生きて必ず帰って来るって」
信太が拳を前の突き出した。
「ああ、約束だ」
「約束よ!」
「約束だよ〜」
「や、約束……!」
「約束!」
夜斗、愛花、アル、佐久兎、ティアの順で円陣の中央へ拳を出した。軽く触れ、掛け声と共に拳をあげた。
天は右京隊が不在の間、基地内の保育施設に預けられる事になっている。天が寂しがらないように、少しでも早く決着をつけようと心の中で思っていた。
アルと夜斗にとって気がかりだったのは、何よりもティアの事だった。
――視えた未来にティアはいない。ボク達が迎えた秋は、五人しかいないんだ。悲劇へと傾く未来を、ボク達は変える事ができるのだろうか。




