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No.25「幸せの延命」

 ティアの目が見開かれる。思考回路が停止しかけるが、辛うじて名前を繰り返す事ができた。


「夜……斗……?」


「そう、貴方の隊のね」


「……そんな、まさか」


「私もまさかここで会うとは思わなかったわ。でも顔を見たのはここに来て初めてだった」


 呼吸を忘れる程に動揺しながらも、その言葉に見失っていた希望を見出す。


「じゃあ同姓同名か、夜斗の名を名乗る別人の可能性もあるって事だよね……」


「さあ? 甘言を鵜呑みにするほど私も馬鹿じゃないから、三月にあいつの身辺調査をしたわよ。住所は覚えていないけど、生年月日は覚えている。見事に一致していたわ。……キメラを造ったのは、あいつよ」


 ――嘘はついていない。


 ティアはそう直感した。そしてポケットから鍵を取り出し、鉄格子の間に手を差し入れた。あゆみは鳩が豆鉄砲でもくらったような顔をする。


「話してくれてありがとう。あゆみちゃんは誰かを殺したわけでもなく未遂に終わった。そして、情に流されて貴方を特別扱いするのも良くない。けれど協力してくれるなら、ここから出て一緒に戦って欲しい。もしもの時の為に、貴方の力が必要なの。上にはもう許可を得たから、後はあゆみちゃん次第だよ」


「協力って……私は貴方を殺そうとした人で、私の代わりにここに入る事になるであろう犯人は、貴方にとって大事な仲間でしょ? ……いいの?」


「私……犯人は夜斗じゃないって信じてる」


「それは、貴方の願望でしかないじゃない」


 あゆみのその言葉にティアは苦笑した。自嘲気味の笑みだと言われればそうかもしれない。


 ――その言葉、誰かさんに三年前にも言われたっけ……。


「でもそれしかできない! 今の私は、夜斗を信じる事しかできない。これからの私もそうするし、そして今からはその願望を現実だと証明してみせる」


 開き直り潔く認め、これからの事を宣言した。そう語る彼女の根拠は分からないが、言葉には確かな自信がある。


「……そう。協力についてだけど、それは私の復讐の手助けをしてくれるって事? 本当に夜斗だったとしても容赦はしないわよ。今までもそのつもりでいたのだから」


「犯人が誰であれ、復讐はさせない。貴方に協力してほしい事は――」






 *






「空色少女と星空少年。この本、この学校の図書室にもあったんだ……」


 次の日、ティアは一人の時間を欲し、放課後に図書室へ立ち寄った。水鏡(すいきょう)学園に転校してきてから一ヶ月以上も経つというのに、図書室で本を読むのは初めてだった。放課後しか解錠していないのではなかなか来れる機会も少なかったのだ。


「……ん? なんだその本」


 背後から声がし、その直後には目の前に上下逆さの夜斗の顔があった。背の低いティアの手元の本を見るには、そこまで頭を下げる必要があるのだ。


「わあ、びっくりした。どうして図書館にいるの?」


「そりゃあ有名人がどこに出没したかくらい、聞き耳立ててりゃ分かる」


「普段から聞き耳立ててるの?」


「いや、単語に反応するっつーか……」


 墓穴を掘りかけ、突如会話を中断する。そして上半身を起こした夜斗が密かに睨めつけるのは、近くの男子生徒達だった。無言の威圧に目線を逸らしていく。八つ当たりともとれるこの背後での出来事に、ティアは気づく事はなかった。


「空色少女と星空少年? 随分とボロボロな本だな」


「それだけ、人の心に触れてきたって事だよ」


 革製の表紙を優しく手で撫でると、適当に開いたページの字を手でなぞる。頭で文字から理解するよりも、読み込みすぎて不思議と勝手に情景が思い浮かんだ。


「これ、小学生の時に初めて読んだんだ」


「この本好きなのか?」


「少女にとってのただ一人のヒーローって、なんだか素敵だなって。誰も気づかない事に気づいてくれて……救ってくれて。約束を違えずに果たしてくれたし! 私も皆とした約束は、ちゃんと果たせるように守りたいな!」


「……ああ、そうだな」


「よっし、そろそろ帰ろっか!」


 いつか六人で交わすかもしれない約束が、特別な力がなくとも分かるような気がした。

 昇降口を出ると、いつもよりも視界が暗い事に気づく。見上げれば曇天が広がっている。それはティアの心中のわだかまりを可視化したようで、今にも()き出しそうな空にセンチメンタルな気持ちを投影した。


「早く帰んねぇとな。降り出しそうだぜ」


 夜斗がそう言った直後だった。ついに降り出した雨がコンクリートに水玉模様を作って行く。ポツリポツリとまばらだった音が、次第に絶え間なく続くようになる。


「……間に合わなかったね。折りたたみ傘持ってきたから使って」


 スクールバックから折り畳み傘を取り出し、当然のように夜斗に渡した。


「女から傘を譲られる男がどこにいるよ。ティアが使えって」


「暑いから、雨に当たるくらいが私にはちょうど良いよ」


「良くねぇから。お前、退院したばっかの病み上がりだって自覚はあるのか?」


「あー、随分と前の事に感じるなぁ」


「ったく……」


 夜斗は傘を開くと同時にティアの腕を掴み引きよせた。そしてひとつの傘の中に二人で入り、ただの傘は相合傘と呼ばれるものになる。


「こうすればいいだけだろ」


「うん……ありがとう!」


 ティアは微笑むが、心の中には大きな問題を抱えていた。


 ――夜斗がキメラをまとめる首謀者だなんて思えない。今まで近くで彼を見てきた。あの時信じると言えたのはそのおかげ。信じているのなら率直に聞けば良い。彼の否定する言葉さえ聞ければ、この不安は確かな杞憂に終わる。


「ねぇ、夜斗……」


「ん?」


 両者は尚も進む方向だけを見つめていた。しかし平静を装いながらも、彼女の声の震えを聞き取り何事かと緊張感が高まる。


「……今回の事件の首謀者は、夜斗の近くにいるのかもしれない」


 その言葉に、初めて傘の中で目が合う。おもむろに視線を向けるさまには、彼の中の戸惑いがうかがえた。


「……今、なんて」


「夜斗と親しい人が、首謀者かもしれない」


 耳を疑うような言葉を二度も耳にし、それは聞き間違いではないと物語る要素になってしまった。この場で沈黙が生み出すのは、雨音に耳を傾ける時間だけだ。しかし、夜斗の耳にはそれすらも届いているのか定かではなかった。


「なんでそう思うんだ……?」


「あゆみちゃんから首謀者の名前を聞いたの。しかしその名前は蔦森夜斗……貴方だった」


 全く身に覚えのない事の首謀者になってしまった夜斗は、それよりも彼女の言葉が気になった。


「俺って言われたんなら、なんで俺の親しい人だと思ったんだ? 普通、俺を疑うだろ」


「親しい人だと思ったのは、夜斗の名前を知っているからだよ。決して多い名前じゃないし、同姓同名でしかも誕生日まで一緒なんて、そんな偶然そうそうない。なら夜斗を知っている人が意図的に使用したと考えるのが妥当かなって。そこまで親しくなくても、何かしらの接点があるはずだよ。学校とかさ」


「高校じゃ怖がられて友達とかいなかったけどな……」


「悪名高いなら、ある意味有名人なわけで! 前に、中高の記憶流れ込んできた事があるよ」


「それって出会う前の高校時代とか中学の頃のとかか……?!」


 嘘だと言ってくれ、という夜斗の願いは安易に裏切られた。


「うん。相当な不良で、学校もサボりとトラブルが絶えなかったんでしょ? しかし犯罪行為をするわけでもないし、サボってはいるけれど成績はいつもトップ5入り。先生達の手には余っていたみたいね! 金髪の夜斗とかなんだか新鮮」


「いや……あ、あの時はちょっとまあなんだ、悠の一件以来人間嫌い発動っていうか、人間不信発動っていうかそんな時代でだな。金髪は迷走時代ってやつだよ……。だからその、今すぐ記憶から消せ」


「それは無理! まあ、私もそんな時期があったから大丈夫だよ」


「そうなのか?! 全然想像つかねぇわ」


「でも、それから救ってくれた人達がいるの」


「へぇ、どんな?」


「うーん……。一人は口は悪いけど頭のキレる探偵で、もう一人は物騒な事をよく口にする、私の兄の元上司の弟さん。そして中高一緒だった女の子!」


「すごい異色な組み合わせだな」


 更に想像ができなくなったティアとその周囲のイメージは、莫大なイメージ図の量に耐えきれずに限界まで膨らみ、頭上で風船のように破裂した。


「あはは、そうだね。まあでも近い内に皆に紹介できるか……も」


 話す内に声がしりすぼみに小さくなり、ティアの視線の先には空に架かる大きな虹があった。


「晴れそうだね」


 言葉に勢いを失った彼女が口を再び開けば、困ったような笑顔を浮かべる。どこか物憂いげなその表情は、この先にある事の全てを知っているかのようだった。

 そんなティアの横顔は、まるでこれが最後だと言う様な目は、空を見据えるだけだった。


 ――最後なんて、嫌だから。


「なあ、今日天が帰って来るだろ? だったら明日の花火大会、皆で行こうぜ」


 幸せな日々の延命を繰り返し続けていれば、いつか永遠だってなしえるかもしれない。


「……そうだね。皆で行くぞー、いえーいっ!」


 すっかりテンションの上がったティアは、片手を振り上げ笑顔を浮かべた。傘から出ると、両手を水平にし、雨はもう上がったという事を伝えてくれた。






 *






「ねぇ、佐久兎……佐久兎ってば!」


「っ何だよ! ……あ、ごめん」


 足元しか見れずに院内を早足で進む佐久兎の背中を、由紀は必死に追いかける。そんな幼馴染に、思わず弱い自分への怒りを理不尽にぶつけてしまった。謝る佐久兎に謝る由紀。とても気まずい空気だった。


「……何?」


「……う、うん。佐久兎のお父さんの事、本当にごめん。私のせいで、私を庇ったせいで、怪我を……」


「違う、由紀のせいなんかじゃない。弱い僕のせいなんだよ」


 お互い納得のいかない言葉だった。だからこそ、これ以上の反論も肯定もしない。すれば喧嘩になるのが目に見えている。進んで傷つく事を選ぶほど、二人は子供染みてはいなかった。


「僕、戻るよ。人外対策局に」


「……危険だよ」


「僕が由紀の近くにいる事の方が危険なんだ」


「そんなの、私いいよ。危険に晒されてもいい。だから佐久兎、ここにいればいいじゃん。退魔師なんて危ないよ……佐久兎が死んじゃうかもしれないんだよ?!」


「由紀が危険に晒されて言い訳ないだろ! ……今、僕はここにいちゃいけないんだ。このままじゃ、由紀が父さんの二の前になるだけだから。僕の居場所はもう人外対策局で……僕の仕事は、人を守る事だから」


「何言ってるの、弱虫佐久兎、泣き虫佐久兎! あんたなんか、ただの一般市民でいいじゃないの……」


 ――僕の身を案じて泣いてくれる人がいる。でもそれは、僕にとっても同じなんだ。由紀の事を大切に思っているからこそ、僕はここにはいられない。


「泣かないでよ。僕が由紀のヒーローなんだからさ」


「何よ、それ……」


「ヒーローがヒロイン泣かせちゃダメでしょ? 笑ってよ」


「……バカじゃないの」


 分かりづらい告白だっただろうか。佐久兎が笑うと由紀もやっと笑ってくれた。何日ぶりだろうか、彼女の笑顔を見るのは。


「じゃあ行ってくるよ。……父さんをお願い」


「死んだら許さないからね」


「了解!」


 ――背中を押してくれる人が僕にもいた。それだけで心強かったんだ。だから、今度帰って来る時には胸を張って「ただいま」と言えるように、その日まで僕は死なないから。

 きっといつか君を迎えに来る日まで、僕は絶対生き残ってみせるから。


 だから、待っててね。僕の、好きな人。






 *






 恐る恐る扉を開く。静かに閉めようとするが、手が滑りバタンと大きな音が鳴ってしまった。


「あっ、わっ……」


 慌てていると、リビングから複数の人影が近づいてくる。佐久兎の姿を確認するや否や、優しく微笑んで迎えてくれた。


「み、皆……」


「佐久兎も紅茶飲む?」


「遅いぞ、佐久兎」


「も〜、ボクったら家出息子が心配で心配で!」


「全く、あんたのいない間大変だったんだからね。分かってんの?」


 ティアはいつもと変わらずに佐久兎が居やすいように考慮してくれて、夜斗もいつものぶっきらぼうな返事をし、アルは以前と変わらず仲間だと肯定してくれ、愛花もやはりいつも通りに接してくれた。それがとてもありがたかった。


「馬鹿野郎、遅いんだよ! 腐れちまうよこんな猛暑続きじゃあさぁ!!」


「あはは、信太は佐久兎がいなくて部屋も一人だし寂しかったんだよね〜?」


「おいアル、何テキトーな事言ってんだよ!」


 逃げ出した自分に居場所があるのかという心配は、一瞬にしてなくなった。


「……迷惑かけて、ごめん」


「お前の今言わなきゃいけない言葉は、全っ然違うだろ!」


 信太が口をへの字にする。呆れ混じりの言葉には、訂正しろという意味が含まれていた。


「た、ただいま!」


「おかえりなさい!」


 ――皆のその言葉と笑顔が、心の傷を癒してくれる。ほぼ勢いで戻ってきたけど、温かいこの居場所を、僕の帰る場所だと思う。もうここは僕の家だ。


「とりあえずリビング行かない? 玄関で突っ立ってても仕方ないでしょ」


 愛花の言葉に各々が頷き、誰からともなく足はいつもの憩いの場に向かう。廊下を抜けて開けた空間、そこがリビングだ。


 中央のテーブルの上には、繊細なデザインのクリスタルガラスの花瓶がある。相変わらず綺麗な生花が飾られており、目の前のテレビ台にはテレビやエアコンのリモコンが無造作に置いてあった。個人の定位置であるソファには、今まで座っていたと主張するようにスマホやら雑誌、本も置いてある。


 何も変わっていない。それが嬉しく、そして安心できる要因だった。すぐに変わってしまうものが、僕はなんとなく寂しくて嫌いだから。


「さあ佐久兎も帰ってきた事ですし、明日ある花火大会の準備はしましたか〜?」


「花火大会? そんなん初めて聞いたわよ」


「結構学校で盛り上がってたぞ? 俺も行こうって誘う気だったけど」


「そんな事だと思いまして、浴衣買っておきました〜!」


 用意の良いアルは、手品のように突如空中に現れた煙の中から浴衣六着と甚平一着を出現させた。


「す、すげぇ……! どうやったんだ今の!!」


「ヒ、ミ、ツ」


 素直に感心している信太からは羨望の眼差しを向けられていた。そして手際良く他の六人へ浴衣を渡す。


「ありがとう! ……でも、お金は払うよ。高かったでしょ?」


「ああ、その必要はないよ。支払いは全部、人外対策局から支給されているクレジットカードでしたから!」


 ティアや他の四人も、目をパチクリさせる。


「人外対策局の? それっていいの……?」


「さあ?」


 ティアの疑問に突然真剣な顔になるが、言葉とは裏腹にそこには迷いの色はうかがえない。目は口ほどに物を言う。後悔はしていない。アルの目そう語っていた。


「でもボクだってバレたら店員さんに全品半額にしますよ! なんて言われちゃってさ。いやぁ、良い人だったなあ!」


「……職権乱用というよりは有名人の特権と言うべきかもしれないが、とにかくやらかしてくれたな」


 頭を乱暴にかきむしる夜斗は苦悩の表情を浮かべていた。しかしアルは意に介した様子もなく、いつも通りヘラヘラと笑っている。


「大丈夫、お咎めはきてないから!」


「テストでの能力使用といい、これといい……。お前は使えるものはなんでも使うタイプだな」


「なんか人聞き悪いよ〜。なんとか上手って言ってよ!」


「なんとか上手」


「そうじゃなくて、例えてって事だよ!」


 アルがややトーン低めに否定したところで、タイミングよくインターホンが鳴る。ガチャリと扉が空き、ただいまと言う元気な声が聞こえた。久しぶりに揃った右京隊の六人でぞろぞろと玄関へ向かうと、そこには同い年くらいの少年が立っていた。


「あれ、天が合宿に行ってる間に十歳くらい歳とった……?」


「それはホログラム!」


 後からトタトタと走ってくる天は、いつも通りの五歳の姿だった。それに心底安堵しつつ、興味本位でホログラムに触れてみる。


「本当だ、手がすり抜ける……! すっげぇハイテクだな!」


 信太が興味深そうにホログラムに触れていると、十五歳の天の姿をした彼に腕を掴まれる。


「Don't touch me!」


 恐る恐る自分よりもやや背の高い彼の顔を見やると、無表情で見下されていた。人間味がなく冷たい視線は信太を凍りつかせる。


「……うっ。こ、こんなにはなるなよ天ぁぁああああっ!」


 半泣き状態で天に抱きつく。


「信太お兄ちゃん……」


 良い子に育てという意思を汲んで、感謝の気持ちを込めて天はそう呟くが、


「こんなにでかくなんなよぉおおおっ!」


「信太お兄ちゃん……」


 次の瞬間には先程とは全く別の、軽蔑という意味を込めイントネーションの違う、全く同じ言葉を呟いた。

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