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No.24「首謀者の正体」

「という事だから、皆外出の際は気をつけて。OK?」


 登校前のアルの呼びかけに口々に了解と言う。しかしティアは、窓の外に見える人外対策局本部の建物をチラリと見ただけだった。


「ティア?」


 愛花が顔を覗き込んだ。やっと気づき笑顔を浮かべるが、その笑顔にはいつもの温かさはなかった。


「え? ごめん、聞いてなかった」


「……どうしたの?」


 珍しい事もあるものだと、アルはティアを訝しむように見る。その視線から逃がれるように目線を足元に移す。


「……やっぱり今日は学校を休むよ。ちょっと具合が悪いみたい」


「大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ」


 皆が気遣わしげに心配の眼差しを向けるが、それに耐えきれなくなったティアは笑顔を残して自室に戻ってしまった。


「ここのところ休みがなかったからな。ほら、行くぞ」


 佐久兎もティアもいない今日に、四人は違和感を覚えた。六人が揃っている事が当たり前なのだと、いつからかそう思うようになっていたのだ。


「この六人が欠けるのは……オレ、絶対嫌だから。訓練の為の仮編成隊で三ヶ月限りの隊だけど、絶対皆の事忘れない。大変な事もあったけど、色々楽しかったんだよ。いきなり集められて、バラバラだった皆がここまでまとまれたんだ。今またバラバラになりかけてるけど、諦めない。皆と会えてよかったし、皆めっちゃ良い人だし! 佐久兎だってきっと戻ってくる。だから……だからさ!」


 信太が唇を噛み締める。(そら)が右京隊と関わるようになってから、信太が六人の中で一番の年下だという事を忘れていた。しかし今、それを改めて再確認する。頼りないというわけではない。ただただ思いが純粋だった。


「あと一ヶ月ちょっとでバラけちゃうかも知れないしね。残りの時間は大切にしたいよ」


 アルが信太に同調した。しかし夜斗はあくまで強気だった。


「何時化(しけ)た事言ってんだ。仲間だった事実は変わらないし、いつまでだって友達って関係は変わらないだろうが。友達なら、会うのになんか理由とか要らなくね?」


「あははっ、違いないや〜!」


 さも当たり前のように言い捨てた夜斗にアルは心強さを覚えた。しかし夜斗はティアが入って行った扉を目で追う。一瞬だったが、アルはそれを見逃す事はなかった。


「……行こうぜ、学校」






 *






「お前はここで殺すっ!」


 まだ日中だというのに、白昼堂々と絡みにくる。行く手には少女が仁王立ちになって立ちはだかり、家路に急ぐ信太の足止めをしていた。


「はぁ……?」


 学校から早退してきた帰りだというのに、素性の知れない面倒な相手に絡まれて素っ頓狂な声を漏らした。


「お前誰だよ」


「アタシは鬼李(きり)! 信太はサボりか?!」


 祖母がよく言っていた「病人を気遣え」という言葉を思い出し、健康に良い料理でも作ろうと思い早退してきたのだ。体調が悪いわけではないのだから、サボりと言われてしまえばそれまでだ。良くないとは思いながらも、どうも学校にいる気分ではない時というものは存在する。


「やーい、不良ー!」


「不良じゃねぇよ、馬鹿野郎」


「あぁ! 馬鹿野郎って言った方が野郎なんだ!」


「おうっ、オレは野郎だよ?!」


「ん? あれぇ?!」


 いがみ合う二人。馬鹿の度合いは両者一歩も譲らずに並行線を辿る。


「バーカッ!!」


 言うと同時に、鬼李は素手で殴ってくる。


「んなっ……?!」


 なんとかギリギリで避けられた。しかし避けていなかったら今頃どうなっていた事だろうか。目標を失い空振る拳が地面に着くと、そこからコンクリートに亀裂が入りめくれ上がっていく。


「うっわ、なんだこれ?! どんな馬鹿力してんだよ!」


「女の子に向かって馬鹿力とはなんだ、失礼なっ!」


「本当にお前女かよ?!」


「お前って言うな、鬼李だ! 歴とした人間の女で、歴とした女鬼だ!」


「鬼ぃ?! って事は今流行りのキメラか!」


「あれれ、言わなかったっけかな!」


 肯定の言葉は案外軽いものだった。信太とおそらくは同年代。どうも根っからの悪い人外だという気がせず、少々やりづらさを信太は感じていた。


「ほら、信太も反撃してきなよ! じゃないとつまらないでしょ!」


「うわ、まっ、待てって!!」


 人間が素手で応戦してもきっと敵わない。しかしながら刀を使おうにも、なんだか卑怯な気がする。どうすれば良いものかと迷っていた時だ。


「ボクも混ーぜてっ!」


 鬼李の更に奥に人影が現れる。


「あーっ、アルフレッドなんとかだ!」


 鬼李がかくれんぼで見つけた子供のように、無邪気にアルへと指をさす。


「あはは、なんとかって酷いなぁ。君はなんて名前なの?」


 今まで笑顔のまま閉じていた目を、質問と同時におもむろに開いた。その目は仲間に向けられるものとは一八〇度異なり、冷たさと刺々しさのみが込められていた。


「もーう、今日は名乗る場面が多いなぁ。お兄さんの相手はアタシじゃないんだからいいじゃん!」


 顔スレスレを何かが背後から飛んでくる。数本の赤い髪がパラパラと空気抵抗を受けながらも地面へ落ちていく。


「わぁ、酷いなあ。まあでも五本くらいじゃ見かけ変わらないか! ……ねぇ、そう思うでしょ?」


 笑顔で後ろを振り返ると、新手の存在を視界にとらえる。こちらはアルと同年代に見え、角が頭に二つ生えている。


「妹は無鉄砲です。貴方のような方がお相手だと、すぐに倒されてしまうでしょう。私……鬼子(きこ)がお相手いたします」


 鬼子と名乗ったキメラは、怖いまでに綺麗に微笑む。アルはその物騒な笑みに、更に物騒な笑みで返す。それはまるで挑発し合っているようだった。


「女の子から針が飛んでくるなんて、随分と物騒な世の中になったなぁ。でもボク、敵なら女の子だからって手加減はしないよ?」


「望むところです」


 水面下で火花が散る二人の姿に、信太と鬼李は心底恐ろしいと思った。


「お姉ちゃんこっわーい」


「アルこっわーい」


「どっちの味方なの?」


 アルと鬼子の声が重なった。






 *






 昼間の来訪者に疑問を抱えながらも、扉を開ける。そこにはアルと信太がいた。


「……どうしたの?」


 リビングのソファに座った二人は、適当な早退の理由と、その途中にキメラとの戦闘を余儀無くされた事をティアに話した。


「あ、ありがとう。でも、私はちょっと熱あるだけで大丈夫なのに……。今大丈夫じゃないのはアルと信太だよ。治療するから座ってて!」


「自分達でするから大丈夫だって! ティアは寝てろ!」


「怪我人は治療されてなさい!」


「それを言うなら病人は寝てろ!」


「この熱は、いつもよりちょっと反抗期なだけだから大丈夫だよ」


「ティアの体温は生き物なのか?!」


 軽口を叩きつつ治療をしていると、ポケットの中のスマホが鳴った。画面を見るなり慌てて電話に出る。


「ティアです。……分かりました。今から取りに行きます。……はい、失礼します」


 電話を切った後、しばらく眉間にシワを寄せたまま黙っていた。そんな顔をするのがとても珍しい事だというのは、言うまでもなかった。


「……誰からなの?」


「ごめん、今から出かけてくる」


 何事かと質問を投げかけるが、アルからの質問には答えなかった。慌ただしく刀を持ち、太ももにホルスターを取り付け拳銃を入れる。毎朝見る光景だが、改めて見るといかに危険の中に身を置いているのかを実感した。


「どこに行くの?」


「知り合いの大学に行ってから、本部に行ってくる。帰りが遅くなるかもしれないけど心配しないで!」


 笑顔の裏にあるものを感じ取るには、ティアと長年付き合っている人でないと分からないだろう。しかしアルはそれを感じ取った。アルもティアに負けず劣らず、それほどの洞察力があるのだ。


「ティア……誰と会うの?」


 再度先程と同じ質問を口にする。困ったような笑顔を浮かべると、今度はしぶしぶと答えた。


「昔からの知り合い、かな」


「熱あるんだから無理しないでよ?」


「うん。はい、これでラスト!」


 再度誤魔化されるが、知り合いならば大丈夫だろうとそれ以上深入りはしなかった。そしてティアはラストと言って、アルの頬に絆創膏を貼る。そのまま彼女は背を向け、玄関へと走り去って行った。


 ――――刹那、様々なビジョンが断片的に脳内へ流れ込んでくる。それは目では追いつけず、現れた瞬間に消えていく。そして最後に残ったビジョンは、他のものよりも長く意識の内に残留した。


「…………ティア?」


 艶やかに鈍く光る血の海の中心で、動かなくなったティアが横たわっている。その光景は、意識が外側に戻っても残像としてしばらく脳裏に焼き付いていた。そして、その中には刀を持った黒髪の少年の後ろ姿があったのだ。見間違うはずがない。あれは紛れもなく、夜斗だった。


「ティアならもう行ったぞー?」


 ――夢なんかじゃない。という事は今視えてしまったものは未来なのだろうか。そういえば朝、夜斗の様子がおかしかった。この事を知っていたのなら説明がつく。未来に起こるティアの死を知っていて、どうにかしようとしていたのではないだろうか。しかし、未来視の能力を持たない人間が、未来を知れるはずがない。ボクの深読みの可能性がある……。


 しかし能力がなくとも未来を知る(すべ)があるとすれば、その条件は『その未来を作る本人である事』だ。


 何故なら、今ある意思、行動や言動全てが未来へと繋がるからだった。あの未来を作ろうとしているのなら、それは自分の意思なのだから知っていても何の疑問もない。

 だが、その未来を作ろうとしている理由は全く理解ができなかった。ティアを殺そうなんて、あの夜斗が思うはずがない。夜斗が彼女を殺した後のように見えたが、きっと事実と見たものの何かが歪んでいるはずだ――


「そうじゃないと、ありえないよ……」


「おいアル、さっきから何ブツブツ言ってるんだ? 昼飯作ろうぜ。オレ腹減った〜」


「……うん、そうだね」


 歯車が壊れてしまったのではないかと思えるくらいの音を、掛け時計が発している気がした。迫る何かから必死に逃げるべく、チクタクと忙しなく鳴り続ける。


 それはまるで、警告のように。






 *






 某有名大学に着くと、門に身を預け、腕組みをしながら空を見上げている男がいた。相変わらずつまらなさそうな顔で、髪も無造作だった。軽くパーマを当てているらしいそれが、そういうヘアスタイルなのだと知ったのはつい最近の事だった。服装は黒いワイシャツにジーパンとまあまあラフなもので、服装は違えど三年前にも似たような状況があった事を思い出す。


「……よお、久しぶりだな。何年ぶりだ?」


「懐かしむほど経ってはいないと思いますよ。だいたい同じ組織の人間なんですから、会おうと思えばいつでも会えるじゃないですか」


「相変わらず当たりがきついな。それに俺の本業は探偵だぞ。本部に出向く事なんて早々ない。寮と大学と事務所をぐるぐる回る日々だ。煩わしいのは、出動頻度の多い任務だな」


「変な解釈やめてください。そうですか……お忙しいんですね」


 男は鼻を鳴らすと、脇に挟んでいた黒いファイルを手渡した。


「ありがとうございま……」


 受け取ろうとするが、ひょいとそのファイルはティアの手の中をすり抜けた。意地の悪い男を前に、口をへの字に曲げて片眉を上げる。しかし男は鋭い目つきを更に光らせた。いや、この男の目に光があるかすら危ういところだが、目つきが悪いのは確かだった。


「……お前、どうして犯罪者の事なんか調べてんだ?」


 答えなければ渡してくれないような雰囲気に、観念して訳を話す事にした。


ガイシャ(・・・・)は私なんですよ」


「なんとまあ、相変わらず物騒な日々を送ってるな。……あまり無理をするなよ。お前、薬臭いぞ」


 男はティアの匂いを嗅ぐ。頭をひねりながら、行き着いた答えに顔をしかめた。


「お前、ヤバイ薬に手を出してるんじゃないだろうな。やめておけ。最近、この辺で売りさばいている奴らを取り締まろうという動きがあるからな。芋づる式に買った側も……」


「そ、そんなわけないじゃないですか……。いったい貴方の中で私はどんな印象なんですか!」


「よく分からない奴」


「あはは……お互い様ですね。それにしても私を心配するなんて、明日は天変地異でも起こりそうで怖いです」


「勘違いするな。俺のせいでお前が死んだら(れい)がうるさいからだ。今じゃもっとうるさそうなお前の家族もいるからな」


「もしかして、お二人共八雲隊に……?」


「まあな。優秀なもので」


「知らなかった……。もう、誰も言ってくれないんですもん」


 優秀という事に触れないのは、その実力を素直に認めているという事を遠回しに伝えていた。


「誰も彼も秘密主義ときているからな。しかしそれはお前も言えた事じゃない。お前だって秘密主義だろ。責める権利はないぞ」


「責めようなんて思ってません。一方的に知られていてはフェアじゃないって言ってるんです」


「子供みたいな事を言うな。世界のティアちゃんは忍べないもんな」


「忍べます。それと、その変な呼び方はやめてください」


「はいはい。……とりあえずティア、ここはすごく目立つ。全く忍べていないし、もう手遅れらしいがどうする?」


 周りには人集りができている。そこに通う大学生から、その大学前を通った一般人も群れに加わっている。


「手遅れ……ですね」


「誰のせいかは疑問が残るが、とりあえず俺が組織の人間だって事がバレたり、お前と仲良いしだと勘違いされたり、質問責めにあったりなんだりと結構面倒な事になる。大学を出るか?」


「いえ、大丈夫です。それに講義がまだあるでしょう?」


「サボればいいだけだ。それを咎める権利はおサボり真っ最中のお前にはないからな?」


「決してサボリではない……はず!」


「ああ、いつもより顔が赤い。熱でもあるんだろ」


 図星だったが、あえて肯定も否定もしなかった。それは自己管理が至らなかった事が招いた恥じるべき結果だったからだ。


「その調子じゃ無理をするに決まってるだろ。五年目の付き合いだぞ? お前の事は分かっているつもりだ。厳密に言えばまだ五年は経っていないがな」


「本当に今日は心配性ですね」


 柔らかく微笑む彼女には、まだまだ出会ったばかりの頃に感じた危うさが残っている。

 男がため息をつくと怪訝な顔をする彼女だったが、仕方が無いとでも言うように、男はシッシッと手で犬を追い払うような仕草をした。


「ああもういい、さっさと行け」


「はい、いってきます!」


 愛くるしい笑顔はさながら犬のようだった。しかし猫のようなクールな要素もある。男が思うに、彼女はいつも対照的な二つの物を抱えている気がした。


「……あいつはいっつも矛盾だらけだ」


 特別頭の良いこの男でも、理解のできないものが人間だった。難解な存在に頭を悩ませる日々は続きそうだ。


 ――難しい問題は解きがいがあるが、誰も解けない問題を解けた時の方が達成感は大きいだろうな。


 思考に没頭したい気分だが、いかんせん学生である彼にはそんな暇はない。次の講義のために、空を見上げて頭の熱を下げた。






 *






「何の繋がりもなかった人が仲良くなって、大切なかけがえのない存在になって、いつも一緒にいるのが当たり前になって、ある日その当たり前が崩れて……。その繰り返し。その度に孤独になる痛みを味わうんだもの。ねぇ、その痛みを貴方は知っているでしょ」


 鉄格子の先にはあゆみがいた。ティアはそんなあゆみを見ていたたまれなくなった。肩を並べて仕事をするはずだった彼女は、今では犯罪者として冷たい部屋に隔離されているのだ。


「それより貴方、学校は? 今日は平日のはずよ」


「あゆみちゃんに会いに来たの」


「どうして?」


「……力を、貸して欲しくて」


「自分を殺そうとした人に助力を求めるの?」


 嘲笑うあゆみに、しかしティアは真剣な眼差しを向けた。


「申し訳ないけど、知り合いの探偵に依頼して身辺調査をしてもらったの」


 その言葉に、ベッドに座っていたあゆみが腰を浮かせる。その顔には動揺の色がさしていた。


「……岩波(いわなみ)翔太(しょうた)。報告書には今年の三月に失踪と書いてあるけれど、本当は貴方の弟もキメラになって……そして、死んでしまった。そうだよね?」


 あゆみは黙していたが、やがて重い口を開き、観念したかのように内に溜まった毒を全て吐き出そうとした。


「……キメラは短命。それは既に生きている人間を遺伝子レベルの操作をして、劇的な変化をさせるから。本来、一つの体に二つの魂がある事は理から外れている。しかも性質の異なる人間と人外の魂は相容れずに、常に反発し合う。そして遺伝子の改造はタブー。それはバチカンで新七つの大罪としても記されている。人体実験にも当たるから、キメラという存在は二つの大罪を犯している事になるわね」


 淡々とした口調が悲しさを増長させる。機械的な会話は相変わらずの彼女らしさだった。


「短命っていうのは、体の主導権を握るのがより自我の強い方だからよ。つまりいつもそのせめぎ合いにより、精神(たましい)が摩耗していく。体も劇的な変化を受け入れられずに拒絶反応を示し、その第一波に耐えられたらキメラになるのよ。キメラや体内に人外を宿している人は髪が白い事が多い。それはこれらの事や強烈なストレスが原因。バルを見てすぐに分かった。彼はキメラではなく後者であったけれど。……見てよこれ。私の髪も今ではほとんど白くなってしまった。この通り、時間が経つにつれて体への負担は大きくなるようね」


 二人を隔てる鉄格子の向こうには、わずかな灯りで照らされたあゆみの顔が浮かび上がった。以前最後に見た時には茶色かった髪が、今ではすっかり白く変化していた。


「……第一波を凌ぎキメラになれても、その余波は津波のように度々私達を襲うの。弟はそれに耐え切れずに自我を喪失した。そして……貴方の兄、八雲さんが直々に手を下したのよ。見つかったら自分も殺されると思った私は、それを影で震えて見ているしかなかった」


 予想だにしなかったその言葉は、ティアの心の奥底で残響した。


 ――兄があゆみちゃんの弟を? しかしそれは任務で……いや、そんな事は命を奪われた遺族側からしたら関係ない。どんな大義や正義があったとしても、家族を殺された事実に変わりはない。


「その三ヶ月後ね。皮肉にも、弟の命を奪った人外対策局からスカウトをされたのは。復讐するのに良いチャンスが巡ってきたと、私はそう思った。しかしなかなか会えない。どんどん八雲さんの事を調べていったら、やがて妹の存在に辿り着いたの。……そう、貴方よ。御祈祷(ごきとう)ティア」


 呪詛のように、ティアの本名を吐き捨てた。


「そこで私は良い事を思いついた。私と同じ目に遭わせてやろうってね。私が貴方を殺せば、八雲さんは妹を失った事になる。とてもフェアでしょう?」


 寡黙な彼女が珍しく饒舌だった。じんわりと浮かべた黒い笑顔に、ティアは臆する事なく見つめ返した。


「……それでも、あの時私を殺さなかったのは何故?」


 あゆみはあからさまに顔をしかめた。


「殺さなかったんじゃない。殺せなかったのよ。本当は崖まで追い詰めて逃げ場がなくなったところで、幻覚で目を潰している間に私が貴方を刺して死んでもらうつもりだった。なのに、なのにっ……。天君を見ていたら翔太を思い出したのよっ! 天君の姉みたいじゃない、貴方。だからつい、自分達と重ね合わせてしまった。それに貴方は人外との共存を選んだ。天君を庇う姿を見て、あいつとは違うと思えた。それに、姉弟を亡くす辛さが分かるから、躊躇したのよ」


 それきり、やつれてしまっているあゆみの顔から精気が消えた。その無表情な顔は、人形のようでいて不気味さを覚えた。


「……でも、冷静になって自分が間違っていた事に気がついた。まずキメラになろうって考えがおかしかったのよ。私達は二人で生きてきたわ。決して孤独ではないはずだった。でも欲張りだったのね。この先もずっと一緒に過ごせる人を探していたの。その時に出会ったのよ、キメラを造りだした人に。誘い文句は私達が求めるものそのものだった。しかし実際はリスクも伴う上に、得る物よりも、失った物の方が多かったわ」


 能面のような顔に影が差す。達観したような口調が主観味を帯びて来た時、彼女が目に映したのは狂気だった。


「そして貴方を突き落とした次の日、失敗したと報告に行く前に、あの人の部屋から声が聞こえてきたの。キメラは目的もなくただの暇潰しの実験だったって事。自我を喪失したキメラが手に余ると、人外対策局に通報していた事がね。……つまりあいつが、弟を殺したも同然なのよ」


 あゆみのドス黒い感情が萎んできた頃、ティアは核心に迫る質問をする。


「今回のキメラ事件の首謀者は……誰?」


 その言葉を聞き、彼女は毒々しい笑みを浮かべる。


「貴方がよく知っている人よ」


 その言葉に込められた思いは、皮肉以上の何かがあった。まるで反応を楽しむかのような血走った目で鉄格子を勢いよく掴み、ティアとの距離を一気に詰めた。そして耳元でねっとりとした声を発し、衝撃の黒幕の正体を告げた。


「その人は右京隊の隊員……」


 ティアは耳を疑った。


「――――蔦森(つたもり) 夜斗(やと)よ」

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