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No.21「青い光、紅い花」

 部屋が橙色に染められていた。あたたかい色に心が落ち着く。

 どうやら今まで寝てしまっていたようだった。今は何時だろうかと時計に目をやる。


「……四時か。夕日って呼ぶにはまだ少し早いかな」


 夏の午後四時。 窓から覗く世界はまだ真昼のような風景だ。テレビをつけると、最近ではよく聞き慣れた単語が聞こえてくる。猛暑、熱中症、水分をこまめに摂ってくださいだとか、つまらない事だらけだ。


『ここで天気予報の途中ですが、蔦森夜斗さんをキャッチ……できた?! できたのか、おお! …………ゴホン。失礼いたしました。中継です』


 これまた聞き覚えのある名前がテレビから流れ出す。世間から疑惑の眼差しを向けられている渦中の夜斗だ。質問責めにあっているが、心ここに在らずといった感じで何も答えない。目の下には濃いクマがあり、朝に会った父のように少しやつれていた。


 男子生徒を守ったはずの彼が悪者扱いされているのは我慢ならない。言い返してやりたいと思うが、何分佐久兎は逃げ出してきた身だ。今はもう人外対策局とは無関係な彼は何も言えない。


 ――むしろ人外対策局という繋がり以外、僕達に繋がりなんてあったのだろうか。でも、友達だし……友達、だよね? 僕達の関係って、一体なんだったんだろう。


『口を謹んでください』


 テレビから、今度は聞き慣れた声が聞こえてきた。ティアだ。


 報道陣達の夜斗を責めたてる様な言葉に、ティアの雰囲気が明らかに変化した。語気が強まっていて、相手を批判するような言葉だった。正論ではあるが、これは良くない。


 ――正論を言う事は、火に油を注ぐ行為と同じ事だからだ。愚かさに気づかされた人間の怒りの矛先は、愚か故に、自分ではなくいつだって気づくきっかけを作った人間へ向く。自分を愚者だと認めたくなくて、誰にも思われたくなくて、反論する事で自分は正しいと主張し賢者の上に立とうとする。ネットだって……きっと今に炎上する。


 しかし、佐久兎はやはりティアには憧れてしまう。批判されている人を庇う事は、すごく勇気がいる事だと思うからだ。彼女の強さは守るべき人がいてこそなのだろう。大切なものがあるから強くなれるタイプなのだ。


「でも無茶苦茶だよ……ティア」


 火に油を注いだのは、夜斗から自分へ批判対象を移そうという作戦だ。身を呈して誰かを守るなんて、到底自分にはできない事だと佐久兎は思った。

 その間にどこから現れたのか、アルが更にティアの前に出てカメラを止めさせようとしている。愛花は「バーカ」と言いながらも、「グッジョブ!」と言う声が音声にバッチリ入っている。


 次に中等部から走って駆けつけたのか、少し息が上がっている信太も現れた。到着してすぐに夜斗をからかっている。

 夜斗の反論する声は、いつもの声のハリを取り戻していた。


 ――すごい。ティアはギクシャクしていた隊の雰囲気を一瞬で戻してくれた。


「よかった……。これで面白半分で批判してた人達は静かになるかな」


 とは言ったものの、少し心配になる。彼女の発言は、大小問わずに波紋を生んでいるに違いない。意を決してつぶやきサイトを再び開く。検索をかけなくとも、佐久兎のフォローしている人達がタイムラインでこの事について既につぶやいていた。


 肯定的な意見が多く、攻撃的なものはなかった。今回は流されやすい国民性に助けられる。しかしこれは身内の事だ。次にキーワードで検索をかけてみる。本当に様々な反応だった。しかし批判する人は少なく、肯定派が多い。ちなみに、ファンという名の変態発言も多い。


 このニュースに関連したつぶやきが増えていき、その日の内に五桁を越した。






 *






 午後六時、佐久兎の父が帰宅した。朝よりも疲れた様子だが、不機嫌というわけではなさそうだった。おかえりと言うだけでも、勇気がいるのだという事を思い出す。ほんの少し前の日常を、すでに彼は忘れかけていた。


「お、おかえりなさい……!」


「ただいま」


 挨拶を返してくれるだろうかという心配は杞憂に終わる。手には通勤用のバッグと和柄の袋が握られていた。袋の中身はなんだろうか。疑問に思っていると、視線で察したのか説明をしてくれた。


「寿司、買ってきたんだ。佐久兎が好きだった店のをな」


 相変わらず雰囲気も口調も威圧的だったが、由紀の言う通り素直ではないだけなのかもしれない。好きな寿司の店を覚えてくれていた事にも驚いたが、わざわざ買って来てくれるとは思っていなかった。


「ありがとう」


 自然と笑顔になる。照れくさく真顔に戻そうとするが、意思に反して上がってしまう口角を下げようとすればするほどに変な顔になってしまう。それを見て、父は呆れたように片眉を下げた。それでも、目と口元は優しく微笑んでいる。


「荷物置いてくるから、箸を用意しておいてくれ」


「うん!」


 由紀の言っていた事は本当なのかもしれない。佐久兎のコップ、佐久兎のお椀、佐久兎の皿、佐久兎の箸。捨てられているのではないかと思っていたが、しっかりと食器棚の中に並んでいた。


 ――ちゃんとある。僕のここにいた証拠が、しっかりとある。


 ここに居てもいいと、言ってくれているような気がした。


「……佐久兎、醤油を入れる皿もな」


 いつの間にやら部屋から戻って来た父がリビングにいた。眼鏡のブリッジを押し上げ一つ息を吐き出すと、そのままソファへと深く腰を落とした。キッチンの棚から二人分の箸と皿を出し、足早にリビングへ運ぶ。その間に彼の父は蓋を開けていた。佐久兎が向かい側のソファに座ると、共に手を合わせる。


「いただきます」


「いただきます!」


 佐久兎は手前の卵の乗った寿司から食べる。いつも通り、美味しかった。


「佐久兎はいつも卵からだな」


 父が静かに笑った。食べる順番を把握していたなんて、と佐久兎は心底驚く。


「お母さんもな、お寿司はいつも卵から食べていたよ」


 まるで思い出に浸っているかのように、佐久兎の背後の棚の上にある家族写真を見ていた。写真の中の若い父は、緊張気味に不自然な作り笑いを浮かべている。母にだけには弱く、写真が苦手だと断ったのにもかかわずに笑い飛ばされ、無理矢理撮られたのだと聞いた事がある。

 母は温和な笑みを浮かべていて、その腕の中には佐久兎がいた。あの頃はまだ乳幼児で、写真というものを理解できておらず、不思議そうに届くはずのないカメラに手を伸ばしている。そんな数少ない、三人で写っている微笑ましい写真だった。


「そういえば、今日の夕方にニュースに出ていたのは同じ隊の人達だろう?」


「……うん」


 平和なムードが一変、父の一言に緊張が走る。指の先まで痺れたように、力が入りづらくなるのを感じた。胸や頭、体全体が大きく脈打つ。


「父さんは、人を見る目はあると思っている。……お前の仲間はいい人達だと思うぞ」


 父さんが人を褒めるなんて珍しい。そういえば、人は亡くなる前にいつもとは違う事をすると聞いた事がある。嫌な予感がした。


 ――まさかね。らしくないのは久々の再会のせいだよ。


 絶対にあってほしくない現実を、これから先にあって欲しくない未来を、否定して拒否し思考から除外した。


「皆、とても優しくて強い人達だろう? ……お前だって、その輪の中にいる意味がある。きっと、他の五人に負い目を感じているんだろう。佐久兎は自分を弱いと思っている。しかしそれでも今まで頑張ってこれたじゃないか。充分強くなったはずだ」


「……でも」


 ――それでも、僕は弱い。


 自然と握る拳に力が入る。


「お前の周りにいるのは努力じゃ敵わないような才能を持った人達ばかりだ。だがな、努力する事を止めるな。お前の役割を果たせ。意味の無い人なんていないんだ。お前がいるだけで意味がある。……お前の存在に、意味があるんだぞ」


「意味なんてないよ……。それに、足手まといにならないかって心配で」


「そんな事は訊いてみれば分かるだろう」


「でもきっと、皆優しいからハッキリと僕の事を要らないなんて言ってくれないよ……」


「言われないのなら、何も怖い事はないじゃないか」


「そうじゃなくて……っ!」


 ――そうじゃなくないじゃないか。たしかにその通りなんだ。だからこそ、それができない自分が悔しい。


 父とは和解どころではなくなってしまった。淡い期待はあっけなく散る。


「お前は自分を過小評価しすぎている。お前の本当の価値は強さだけなのか? お前がどう思っていようと、答えはあの五人がくれるだろう。佐久兎、仲間を信じる勇気を持て」


 ――僕の価値。情けで嘘をつかれるのは嫌なんだ。足手まといならば、足手まといだと言ってほしい。


 優しさは、時に残酷だから。


「もう、あの場所には戻れな……」


 突如、声がかき消される程の爆音と振動が身体に伝わる。

 次の瞬間には、家の中にいるはずなのに、夜空が見えていた。崩れる瓦礫の音に、近所の住人も驚きに窓から顔を出すのが見える。


「……な、なんだ?」


 突然の事で何が起きたのか理解ができない。しかし目の前には、禍々しいオーラを放つ人外がいる。


 ――この人外が、家を破壊したっていうのか? それも、たった一撃で……。


「初めまして。……僕は亮鬼(りょうき)


 体長は一七〇センチくらい。鋭い爪と牙、そして角が生えている。

 鬼だろうか。しかし姿は人に近い。人間と契約をしている人外ならば、天の様に完全に人に姿を変える事ができる。ならばと必然的に答えは出た。


「……キメラ?」


 佐久兎の導き出した答えに、亮鬼と名乗った人外は薄く笑った。


「これは一体……」


 近くでは父が腰を抜かし唖然として床にへたり込んでいた。彼にも視えているという事は、やはり純粋な人外ではないという事だ。人という身体(うつわ)を得ているからこそ、本来人外の視えない人間にも視えているのだ。


「父さん、逃げて!」


 とっさにそう叫び、二階部分の瓦礫の中に銃はないかと目を走らせる。幸いにも近くにあり、キメラの動向を確認しつつ手に取った。しかし、これだけでは人外相手に戦えない。人外に対し物質はすり抜けてしまうからである。


 ――そのために開発された優秀な制御装置(きかい)だ。


 いつもの要領で左手首に触れる。――だが、そこには何もない。


「そうだ、制御装置(リミッター)はもう無いんだ……! 嘘だろ、あれがなきゃどうにもできない。人外には制御装置(リミッター)が無ければ、物理的な攻撃は効かないんだ……。どうすれば……どうすればいいんだッ!」


 混乱する中、視界の端に白い服が見えた。父だ。まだ逃げていない。自分以外にも守らなければならない人がいる事に、佐久兎の混乱は加速する。


「父さん、早く逃げてってば!」


「高園佐久間(さくま)、四十二歳。高園 佐久兎の父」


 声が届いているのかどうかも判断できないくらいに、佐久間はキメラを凝視している。その間に亮鬼はどこから情報を得たのか、名前と年齢、そして佐久兎との関係を読み上げるように淡々と告げた。


 ――待てよ……? こいつは人にも視える。それは、こいつの身体が人間だからだ。


「ご主人様の命により、高園佐久兎とその父、佐久間さんを排除します」


 闇に溶け込むような滑らかさで体を揺らした瞬間、高速で一気に十メートルの距離を詰めてくる。


「うあああああっ!!」


 恐怖を振り払うかのように叫ぶと、同時に引き金を引いていた。乾いた音が静かな星の囁きを殺す。


 ――やっぱり! 肉体はほぼ人と変わりないから、物理的な攻撃が通じるんだ……!


 相手の左腕に弾が命中する。苦悶の表情を浮かべる様子から、痛覚がある事もまた明白だった。しかし傷口からは白い水蒸気のようなものが出ている。街灯でその出処に目を凝らすと、傷が修復していくのが見えた。

 心臓を撃てば人と同じで死ぬのだろうか。そうも思ったが、数秒間は動ける余地を与えてしまう。即死させるには、鼻先を正確に狙うしかない。ここは、確実な方法を採用する事にする。


 ――せめて、もう少し距離を詰めなきゃ……。


 そう思い、再び銃を構えた時だ。闇に忍んで何かが左の太ももに突き刺さる。


 ――爪……? 伸びるっていうのか?! 


 戸惑っている間にすぐに引き抜かれ、太ももの空洞からは血が噴き出た。刺された事を自覚した瞬間に、痛みが強くなってくる。刺さった時には冷たさを感じたが、直後には焼けるような熱さを患部に感じた。

 左足に力が入らなくなり、無様に痛みに叫びながらそのまま膝を瓦礫の上につく。痛みなのか恐怖からなのか、ガクガクと足が震えている。


 ――本当に、僕だけでこいつを倒せるのか……? 皆がいつも近くにいてくれただけで心強かった。一人で人外を目の当たりにすると、恐怖が倍以上になる。「誰かがどうにかしてくれる」という他力本願さが、僕の中には無意識にあったんだ。


「そ、そうだ。僕が今人外と戦う理由は何だ? もう人外対策局の人間じゃないんだから、倒さなくたってなんの問題も無い。逃げればいいだけだ。くそ、どうして今日に限って、逃げる事が頭になかったんだ……?!」


「――な、なにこれ?!」


 悲鳴に似た声がした方角には、怯えた様子の人が立っていた。その姿はまるで小動物のようだ。


「由紀……」


 彼女の姿を見て、自分の疑問への答えを悟った。


 ――そうか、守りたい人がいたからだ。


 しかしタイミングが悪かった。朝に夏期講習だと言っていた事を思い出す。その帰宅途中にこの現場に居合わせてしまったのだろう。近所の人々が視界の端で遠くへ避難して行くのが見えた。彼女の家には灯りがない。まだ両親共帰宅していないようだった。不幸中の幸いとでも言うべきだろうか。


「佐々木由紀、十六歳。高園佐久兎の幼馴染……」


 人外の興味が佐久兎から由紀に移る。とてもまずい状況だった。一歩、また一歩とキメラが自身と由紀との距離を詰める。


「や、やめろ……! 逃げろ由紀、そいつは人外だ! 父さんも早く逃げて!」


 やめろと言ったところで、亮鬼が歩みを止めるわけがない。だったら早く二人を連れて、ここから逃げるしかないのだ。


 ――逃げるしかない?


 不意に意図せず必然と、しかし主張がましく己の思考を否定した。


「た、戦えよ……! 逃げ出したいだの片膝ついて震えてるだの、もう何もかも――――カッコ悪ッ!」


 気合いで気持ちを奮い立たせ、再び立ち上がり銃を構える。


 人外といえど、こいつは人だったんだ。

 過去が人であろうと、今は人外なんだ。


 そう何度も唱えた。


「僕は弱いから、半端な事はしたくない。だから確実に殺すんだ……」


 ――ハッキリと割り切らないと、僕が苦しいから。白黒つけないと、僕が後戻りしてしまうからだ。逃げられない理由が欲しい。それを今、僕は、父さんと幼馴染を理由にしようとしている。


「佐々木由紀、先に貴方を排除します」


 由紀の命が危ない。いつの間にか止まっていたのに、また体が芯から震えてくる。


 ――さっき覚悟を決めたばかりではないか。今目の前にいる敵は、人ではなく人外だ。僕が彼を撃たなければ死ぬのは、由紀だ。


「僕は人殺しなんかじゃない。違う、違う……違う! 違う!!」


 ――このままでは由紀が死んでしまう。撃てよ、撃てよ! 大事な時に体が動かないなんて、この役立たずが……!!


 無慈悲にもキメラはその手を振り上げる。そして爪が由紀に向かって伸びていく。しかし佐久間が彼女の前に出て、庇う形で立ち塞がった。


 綺麗な月夜、青い光の下、


「…………佐久間、さん?」


 鮮やかな紅い花が、咲いたんだ。


「――――っ…………父さぁああああんっ……!!」

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